第8話 イペックとターリマット

 テンが熱を出したことは、イペックの耳にも届いていた。


「行かなくていいんですか?」


「お前には関係ねぇ」


 屋敷でターリマットと呼ばれた人物。値の張りそうな服の上から、全身を覆うように薄汚れた布を被っている。しかしその華奢な体と高い声は誤魔化すことができず、どんなに上手く装っても彼女が女であること、その身分が高いことを隠せてはいなかった。


「それより、何でお前がここにいるんだ。お偉い様は裏路地に足をつけないんじゃなかったか?」


「あなたの仕事具合の確認のために、わざわざ足を運んだのですよ」


「監視の間違いだろ?」


「確認です」


 二人は真顔で見つめ合った。無表情のイペックは、それだけでいくらか威嚇になる。しかし負けず劣らず、ターリマットが醸し出す殺気も尋常なものではない。それは何十人もの人間を殺してきた、熟練者でないと出せない風格だった。


「小さいのは覚えてねぇ。大きいところだと二つ。裏での繋がりは無かった。そして……」


 次の瞬間、ターリマットの背後で一人の男が倒れた。無駄に漂わせる気配は勿論のこと、足を踏み込む音を聞き逃すほど二人は甘くなかった。

 倒れた男が作る生暖かい血溜りを避けて、一歩前に出たターリマットは両手に得物を構えた。逆手に持つ幅広の刃は肘までしか届かず、その途中で三連のまた新しい刃が突き出す。切れ味の良い大刃は対象を簡単に切り裂き、三連の小刃が傷口から肉をより深く抉る。


「えっぐいねぇ」


 これほどまでに殺傷能力を高め、かつ強烈な痛みを伴う武器は他になければ、それを扱おうと思う人間だって彼女以外にはいなかった。


「これはわざとですね」


「一人じゃ肩が凝るからな。これくらい、お前一人でもいけるだろ」


 通路の両側から挟み撃ち。その人数はざっと数えて二十人ほど。テンが捕まった時とは違い、拳銃を持つ人間もいなければ、魔法が扱える人間もいない。試されるのが己の運動能力のみというのなら、イペックとターリマットの敵ではなかった。


「ご謙遜を。私はあなたほど強くはありませんから、五分五分というところでしょう」


「手伝ってはくれるのか」


「仕方がないでしょう。今回だけです」


 二人は互いに通路先にたむろする人影を見る。その背中が触れ合った瞬間、彼らは弾けるように飛び出した。イペックの刃は物体を切断しているとは思えないほど軽く振り抜かれ、人数分の赤い花を咲かせた。ターリマットの刃はその華奢な体からは想像できないほどの豪胆さで肉塊を散らし、パズルのように分裂した四肢が赤い海に浸った。


「想像より弱い方ばかりですね」


「いや、これがここでの普通だから。お前らみたいな才能もなければ、専門的な訓練も受けてねぇんだ。お前ひとりでもいけただろ?」


「誇張するつもりはありませんが……、軽い運動にしかなりませんね」


「立場上、そうでないと困るからな」


 周囲にもう敵がいないことを確認したターリマットは、得物に引っ掛かった肉塊を取り除き、何度か空を切ってその勢いを確かめた。特に性能に異常はなく、風を切る心地よい音が響く。彼女は最後に布でその血を拭うと、腰に備えられた特別なホルダーへその刃を収めた。


「誰か残さなくてよかったのですか」


 肉塊と化した人間の残骸を足蹴にしながら、今更どうしようもないことをターリマットは尋ねた。


「こいつらの上に立つ司令塔に当てはついてる。逃げられねぇよう、今から確認に行くさ」


 血に濡れた路地を後にして、鉄の臭いをこびりつけたままイペックは進んだ。その足取りに迷いはない。


「ついていきます」


「…………」


 親鳥の後ろを歩くように、イペックの後ろでぴょこぴょこ跳ねてターリマットがついていった。最低限の注意は怠っていないようだが、その様子は新しい場所へ連れてこられた子どもがはしゃぎ回っているようにしか見えない。


「今日はやけに引っ付いてくるじゃねぇか。そんな心配しなくとも、仕事は完璧にこなす。……今まで通りにな」


「これまでと今では状況が違いますからね。あなたは『宵闇の銀狼』を殺しませんでした。それどころか、引き取って世話まで焼いていますよね」


「その話をする気はねぇ」


 振り向いたイペックが刃を向け、反応したターリマットも両手に得物を構えた。


「では、あなたの忠誠をどうすれば確認できますか? 与えられた武器の手入れだって十分ではない様子ですし」


 刃の切っ先がカツンと触れ合う。イペックの得物は雇用主から直々にもたらされたもの。異国で作られたその剣は、かつてその国の騎士団にあたる部隊で使用されていた。国家間で武器の売買が禁止されている現在では、手に入れることさえ容易ではない。


「この世界随一の鋭さはあらゆるものを両断し、この世で斬れないものはないとまで言わしめました。細くしなやかで、特徴的な輝きを誇る刀身の芸術的価値は高く、かつては戦闘用でなくただのお飾りとして求められることもあったとか」


 イペックが扱っているのはその剣の中でも最高品質のもの。刃の背や腹には多くの傷が残っているものの、刀身自体の輝きが曇ることはなく、光の加減で現れる荒くれた波模様がその猛々しい気骨を示していた。


「確かに、これは実用性と芸術性を兼ね備えた最高の武器だ。本来俺のような人間が扱えるものじゃねぇことも、重々承知している」


「では、刻まれた傷はあなたが手入れを怠ったことが原因だと認めるのですね?」


「いや、それは認められねぇな」


 先ほどまで背中を預け合った二人だとは思えないほど、その間には険悪な空気が漂っていた。相手の実力を知っている以上、彼らが手を抜くことはない。その尋常では無い殺気は、簡単に人を殺せそうだった。


「この剣は扱う人間を選ぶ。刻まれた傷はまだ俺が未熟だった頃のだ。勝手を知ってからは傷つけたこともねぇし、手入れを欠かしたことは一度だってねぇ」


 そう言うとイペックは剣を鞘へ戻し、ターリマットに背を向けて歩き出した。


「依頼の数や頻度、費やしてきた時間を考えれば、俺の忠誠心くらい汲み取れるだろうが。それとも何だ? お前らを裏切った後に俺が生きられる場所が、この世界のどこかにあるとでも思っているのか?」


 ターリマットは何も返さなかった。その質問の答えは分かり切っている。彼女がイペックをからかったのも、彼が忠誠心を失っていないことを知った上で、それを欠片でも曇らせるわけにはいかなかったからだ。

 それからは無言のまま、二人は目的の場所へ向かった。



「行くか」


 辿り着いた古びた石組みの建物の前で、イペックは躊躇いもなく扉を蹴破った。年季の入った木の板は腐りかけで、簡単に二人の侵入を許す。裏路地にしては珍しく広い部屋の中、その大きな音を聞いて逃げられてしまわないよう、イペックは手早く部屋を見回っていった。

 物陰から勇敢にも襲い掛かってきた二人の男を、イペックが手刀で楽々と気絶させる。


「本当にここなのですか?」


「間違いはない。交渉や計画立てることが役割の人間だからな。こいつらは頭さえよければ、他には何も求められない」


 気絶した人間を放置して、イペックはさらに奥の部屋へと進む。彼が辿り着いた最後の部屋には、自分の運命を悟ったかのように、一人の男が椅子に腰かけて待っていた。男は抵抗することなくイペックの手で意識を失った。


「これで全員ですか?」


「たぶんな」


 イペックは気絶させた三人を縛り上げ、情報を遮るため麻袋に詰めた。


「尋問はいつも通り、こちらで請け負います。運搬は今日中にお願いしますね」


「運搬は手伝わないのか?」


「体力がなくて悪かったですね」


「そういう意味で言ったわけじゃねぇが……。それより、お前が期限を設けるなんて珍しいな」


「…………念のためですよ」


 ターリマットは意味深な間を置き、不自然な微笑みを湛えて答えた。


「念のためです。あなたは約束を必ず守る方でしょう?」


 言い直すことでどうにか取り繕おうとしたが、彼女の純粋さで嘘をつき続けるのは難しかった。


「隠すのが下手だな」


「…………」


 イペックは呆れながらも、他人の勝手な計画の中で転がされるつもりはなく、じっとその隠し事を明かしてもらうのを待った。ターリマットはだんまりを続けるも、状況が変わることはない。


「……例の薬が、求められています」


「ああ?」


 しばらく待って出された答えに、イペックが反射的に返したのはドスの利いた声だった。その鋭い目つきは確実に人を殺すもので、予想外の答えに殺気を隠すことはできなかった。


「仕事さえしていただければ、あとは私の管轄外です。他にどんな迷惑がかかろうとも関係ありません」


 ターリマットは早口に告げて建物から立ち去ろうとしたが、その前にイペックが立ちはだかった。


「薬って、一体誰が――」


「申し訳ありませんが! ……申し訳ありませんが、仕事に関係ないことでここに居続けるつもりはありません。何か思うところがあるならば、あなたの好きにされればよろしいのではないですか?」


 ターリマットはその内容を詳しく話すことなく、イペックの横を抜けて部屋を出ていった。珍しく声を荒げた彼女の、その後ろ姿を引き留めることはできず、イペックは大きなため息をつくしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る