第2話 大物からの手招き

「さすが相棒。いい動きだ」


「僕のことは名前で呼んで」


「了解、テン。怪我はないな」


「もちろん」


 コガイとテンが手を組むようになって、裏路地での勢力図が大きく変化した。単体で争えば負けのない『宵闇の銀狼』ことテンと、それを凌ぐほどの強さを持つコガイ。二人が裏路地の頂点に立ったことで、悪の発展は急速に陰りを見せ、多くの組織が姿を消した。


「裏路地でしか生きられない人間はごまんといる。それは仕方ねぇことだが、これ以上闇を深くするわけにもいかねぇ」


「頼む、命だけは見逃してくれ!」


「さよならだ」


 コガイは真っ赤な鮮血を浴び、重く鈍い音を立てて生首が転がった。壁にもたれて力なく崩れ落ちる男に、その頭はついていない。


「意外に容赦ないよね」


「容赦する必要とかあったか? 俺はテンの躊躇ない動きの方が意外だったけどな」


 テンと話しながら、コガイは細長い刀を振った。刃先に沿った一筋の赤い線が描かれ、鈍い光を取り戻した得物が鞘へ収まる。


「僕はこの世界から出たことがないから、これ以外の生き方を知らない。武器を手に取った人間を前にして、躊躇を許してくれる人なんている?」


 道にはたくさんの死体が転がっている。その生暖かい血だまりの中で、小さな剣を手にしたテンが笑う。騎士を目指す子供の訓練用として作られた真剣は、作り手の予想をはるかに超える量の血を、その刀身に浸み込ませていた。

 笑顔だけ受け取れば子供らしいというのに、その言動と返り血ではテンの狼のような獰猛さを隠しきれていない。裏路地で生き残るということは、ここまで強くなる必要があるということだ。


「一つ疑問なんだけど、コガイの目的は何なの? 特に恨みがあるわけでも、殺さなきゃならないほどの命の危険を感じているわけでもなさそうだけど」


「悪を正すため……ってのは似合わねぇな」


「似合わないね」


 テンの言葉に、コガイは声を出して笑った。


「テンもそう思うか! まあ、な……。悪には悪なりの社会があるとは思うんだが、ここにはその最低限のルールってやつがない。それを整備することが、俺の今の目的ってところか?」


「……よく分かんない」


「まあ、分かんねぇだろう」


 テンが軽くコガイを睨む。そんな姿は可愛いものだと、コガイは相変わらず笑い飛ばした。お互い血に濡れて異臭を放ちつつも、そんな何気ない会話をやり取りする光景を一般人が見てしまえば、恐怖に怯えて動けなくなるのではないだろうか。



 ただここでその様子を見たのは、彼ら二人に弾圧された裏路地の住人たちだった。その数ざっと三十人。これまで相手にした中で最も多い。

 コガイもテンも、既にその集団に気付いていた。裏路地の人間は気配を消すことに長けた者が多いが、こうして集団で生きるようになった者たちはその例外にあたる。ざっと状況を把握した二人だったが、どうやら逃げ場はないようだった。


「行くしかねぇか」


「結構多いね。できなくはないけど」


 二人は互いの武器を携えて自然体で待った。身の回りの環境、障害物、空気の流れ、相手の息遣いや筋肉の動きなど、その全てに神経を集中させて出方を伺った。厳戒態勢の二人に、滅多なことがない限り攻撃は届かない。

 そうしてようやく、相手方の動きが止まった。いつ殺し合いが始まってもおかしくない。


「っ、伏せろ!」


 コガイの指示を受けて伏せたテンの頭上を、轟音を立てた雷が駆け抜けた。通り過ぎたそれは薄く色づいた壁に当たって弾ける。


「っくそ! 魔術を扱うったぁ何者だ」


 見たこともない攻撃は、一撃でテンを怯ませた。裏路地で行われるのは近距離での争いばかりで、遠距離となると石やナイフが飛んでくるだけ。目で捉えられない速さかつ威力の強そうなそれに、成す術などないことは一目瞭然だった。


「争いには慣れてるようだな。遠距離で挟み撃ちか……」


 路地裏で弱い人間が徒党を組むことはよくある話だが、それで単純に争いに勝てるようになることはない。互いの動きや癖を知り、徒党を組んだ時の戦い方を知り、それを実践に生かせるよう体に叩き込む。一人が二人になるだけでも難しいことで、数が増えるほどにその複雑さは増していく。

 複雑さが増すということは、単純な個人の強さだけで争いの勝敗がつかなくなるということ。頭の切れる策士が一人いるだけで、争いの優位性は歴然と変化する。

 今回テンとコガイが相手にした集団は、その中でも分かりやすい勝ちのパターンを取り込んできていた。遠距離の攻撃と鉄壁の守りで挟み撃ち。この形であれば、遠距離攻撃において問題となる味方側への誤射を防ぐことができる。


「さすがにこれでは手が出ないだろう?」


 嘲るような笑みを浮かべた男が手を上げる。一瞬のうちに目の前が光に覆われると、飛んできた死体が弾き飛ばされた。


「足癖が悪いもんで」


 テンへとまっすぐ向かっていた雷は、コガイが蹴り上げた死体でその射線を遮られる。粉砕された死体は臓物をまき散らし、人の形を保っていられなかった。


「噂通り。悪あがきには長けているようだね。でもあと死体がいくつある?」


 男に返す言葉もない。一度の攻撃を防ぐために一つの死体を失ってしまうのでは、運が良くても十一回目には体が弾け飛んでいる。加えてテンは未だその攻撃に対応できていない。

 相手の魔術、数回以内に殲滅させるか逃げ道を作るか。テンの頭はこれまでにないほど働いたが、殲滅は不可能かつ逃げ道を作ることは厳しいという判断が出る。半透明の壁は得体が知れず、反対側は近づく前に魔術を避けられない。頭上に遮るものはないが、それは同様に相手の攻撃のいい的になるということ。


「お前らの後ろにいるのは誰だ? 魔術まで持ち込むったぁ、よほど頭が大きいこって」


「魔術でそこまで喜んでくれるとは嬉しいな。でもね……ここにはもっと良いものがあるんだよ」


 男が見せびらかしたのは金属の塊。両手で包み込むように握りしめ、腕をまっすぐこちらに伸ばす。次の瞬間、二人の間を音が走り抜け、コガイの腕が血に染まり始めた。


「ああ、ごめんよ。警告のつもりだったんだけど、間違えて当てちゃった」


 その表情は地獄へいざなう悪魔のような笑みだった。


「拳銃か……。こんなかすり傷、痛くもねぇ」


 魔術を捉えることのできたコガイでさえも、動くことができずに怪我をした。それが何よりも、この集団の強さを示している。こんな敵を前にして、どうやって生き延びろというのだろうか。


「次はちゃんと狙うから、安心してね」


 男がまっすぐ腕を構える。周りの人間も手を伸ばして、コガイとテンを狙っているのだろう。


「テン、手元に集中しろ。攻撃は直線で、目に見えないと思え」


「……うん」


 コガイの傷が酷いことに、そばにいるテンだけが気付いていた。いつもより肩に力が入り、得物を握る手が小刻みに震えている。

 この場でテンにできることがあるのか。そんなことを考える余裕などなかった。やるかやられるか。やらなかったらやられるだけ。その単純明快な仕組みは、裏路地で誰もが知っている当たり前なこと。

 短剣を握る手が汗で滑りそうになる。恐怖は頭で理解するよりも、体で感じる方がより明確で繊細だ。裏路地で生きる人間が、この感覚から逃れる方法はたった二つ。表で生きられるほどの力を得るか、早々に割り切ってこの世界に別れを告げるか。もちろんテンに、諦めるという考えはない。


「行くぞ!」


 その声を合図に、見えない攻撃が飛ぶ。群がった集団の一人ひとり、その視線や腕の方向から攻撃を予測する。その上で筋肉の動きや空気の震えまで捉え、避ける攻撃を厳選しなければ集団に近づくことさえできない。


「捕まえろ。片方生きていれば上出来だ」


 全身をバネのように反発させながら、視界から身を隠すように素早く動く。一つとして情報の見落としは許されない。いくつもの攻撃が体をかすめた。テンがかわせなかった攻撃にコガイが割って入る。輝く稲光は視界を遮り、轟く雷鳴は聴覚を鈍らせる。

 多くの怪我を負いながら、二人は集団へ潜り込んだ。それからは刃を振るって攻撃を乱れさせ、逃げ道を作るだけ。遠距離専門で近距離に疎い相手であれば、刃の届く位置に来た時点で二人の勝利は確定していたのだが、ここまで入念に準備をしている相手が、簡単に勝ちを譲るはずがなかった。

 拳銃を使っていた人間は武器を変え、後ろに控えていた人間が前に出る。ただでさえ怪我で動きが鈍っているというのに、数で押されてしまえばすぐに捕まってしまう。二人の絶妙な距離感で空間を作り出すと、その集団に隙ができるのを待った。


「やれ」


 男の声が聞こえた。近接戦になり姿を隠した人間が、その声を合図に再び魔術を行使する。テンはまたあの稲妻が飛んでくるのかと身構えたが、変化が現れたのはコガイの足元だった。

 直感だった。足元の光は、飛んできた稲光と同じ色。テンはコガイを蹴り飛ばし、コガイの代わりに雷に囚われた。轟音と共に掻き消された周囲の音。点滅する視界は突如として暗転し、すぐさま感覚が失われる。

 気を失ってもなお雷に囚われたままのテンを見て、コガイは躊躇うことなくその場から逃げた。一人で逃げるだけならば、それはたやすい。酷い怪我を負ってもなお、男たちが追い付けないほどコガイは素早かった。


「まあ、いいよ。これで依頼の条件は満たしたから」


 男たちの目的は達成された。生きたままの銀髪の少年が彼らの手に落ちた。

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