第18話 夢の中へ

 その後も細かい不運が桜子さくらこを襲ったが、どれもたいした被害が出る事なく、俺達はなんとか無事に放課後を迎えた。


 帰りのホームルームが終わると、俺達はかばんを手に、足早に教室を後にした。


 今日は二人共、部活がないので、途中で別れる事なく、真っ直ぐ昇降口へと向かう。


座敷ざしきちゃん、一人で大丈夫かなー」

「そんな、心配しなくても。別に、人間の子供にお留守番頼んでるわけじゃないんだし……」


 廊下を歩きながら、俺の隣で心配そうな声を出す桜子に、俺は苦笑混じりに言葉を返す。


 容姿を見て、ついつい俺も子供扱いしてしまうが、実際のところ、あいつが何年生きているのかは俺も知らない。百年と言われてもさほど驚かないし、一年と言われても普通に受け入れてしまうだろう。


 結局、人の物差しでははかれない存在なのだ、妖怪という奴は。


「でも、調子悪いんでしょ? やっぱり心配だよー」

「まぁ……」


 確かに、調子を崩し始めてからここ最近の座敷の精神状態は、少し不安定なところがある。


 最後に学校に姿を現した時なんかはみょう苛立いらだっていたし、かと思えば、家では夢の影響もあってか少し弱気な姿を俺に見せてきたりもする。


 そう。それこそ、本当の子供のように……。


「というわけで、今日も遼一りょういち君の部屋に行ってもいいかな?」


 なるほど。そういう話の流れだったのか。


「別にいいけど、もしかしたらモモも部屋にいるかもしれないから、それだけは覚悟しておいてくれよな」

「覚悟? なんで?」

「座敷と違って、少し偉そうだから、あいつ」


 俺なんかは特に気にせず付き合っているけど、人によっては初対面からあれだと、気分を害する事が無きにしも有らずだし、そもそも桜子に対して、モモがどういうスタンスで応じるのかも俺には全く予想が付かない。


 まぁ、桜子に悪い印象を抱かせる要素は皆無といってもいいから、前者はともかく後者の方は特に問題ないと思うが……。


「モモちゃんか……。ねぇ、どんな感じの子なの、モモちゃんって」

「背は座敷と同じで低めで、格好かっこうも同じく着物姿だけど、モモの方は座敷と違って明るめの柄のやつを着てるかな。髪型はポニーテールで、性格は生意気なまいき――に見える」


 結局、その印象も、モモの容姿が幼い子供のそれだからそう思うだけで、彼女からしてみれば多寡たかが十数年しか生きていない俺達に、丁寧ていねいな態度を取る方が異質であり異常な事なのかもしれない。


 階段を下り、昇降口に着く。


 くつき換え、その足で校舎の外に。そして再び、俺達は肩を並べ、校門へと歩き出した。


「そういえば、妖怪ってご飯食べたり寝たりするの?」

「妖怪の全部が全部そうかどうかは分からないけど、少なくとも座敷はどっちもするよ。ただ、人とは違って、お腹はかないし眠くもならないんだって」

「じゃあ、なんで食べたり寝たりするんだろう?」


 桜子のその疑問はもっともだと思う。


 食欲や睡眠欲がないのにそれを満たすための行動を取るのは、一見すると非常に不可解で、また非常に不可思議である。 


 が、しかし――


「結局のところ、人だって、その二つの欲求を満たすためだけに、食べたり寝たりしてるわけじゃないから、そこは別に気にするところじゃないんだって」

「? どういう事?」


 俺の言葉の意味がよく理解出来なかったらしく、桜子がそう言って首を傾げる。


「つまり、人も、お腹が空く以外の理由で何かを口にするし、眠気を解消する以外の理由で眠りにつく事もある、って事らしい」

「例えば?」

「うーん。美味おいしそうだからお菓子を食べたり、口寂しいからガムをんだり。後、寝る方は、気持ちの面も当然あるけど、一番は寝ないと記憶の整理が上手うまく出来ないんだって」


 よく、テスト前は徹夜などせず、数時間でもいいから睡眠を取りなさいと言われるのは、この事が前提条件としてあるからだ。


 もちろん、脳と体を休める意図も、そこには含まれているのだろうが。


 校門をくぐり、住宅街に出る。


 三本に分かれた道路の内、ほぼ半数が左に進み、残りの大多数が正面の道を進む。右の道に進むのは少数派だ。


 俺達は右にも左にも曲がらず、そのまま真っ直ぐ正面の道を行く。


 ここからは人だけでなく、自転車やバイク、そして車も横を通るので、周辺への警戒は学校にいる時よりも多少なりとも増す。


「そっか。妖怪もご飯食べるんだ。じゃあ今度、何か作って持っててあげようかな? ねぇ、座敷ちゃんって、食べ物は何が好きなの?」

「そうだな。団子とか、まんじゅうとかかな。あと意外と、パンケーキとかも好きだな」

「座敷ちゃん、甘い物が好きなんだ」

「まぁ、栄養を摂取する必要はないみたいだから、食事イコール、俺達で言うとこの三時のおやつ、みたいな感じなのかも」


 と勝手な解釈を述べてみたものの、実際のところは本人にしか分からないし、もしかしたら本人ですら、その辺の人間との感覚のズレのようなものは言葉にして説明する事は出来ないのではないだろうか。


 俺達が妖怪の感覚を完全には理解出来ないのと同じで、妖怪の方も俺達の感覚を完全には理解出来ない可能性はおおいにあるのだから。


「――ただいま」


 自室の扉を開け、室内に俺はそう声を掛ける。


「あ、やっと帰ってきた」


 目の前に(文字通り)姿を現しながら、モモが気だるげな態度を隠そうともせず、俺を一人で出迎える。


「座敷は?」

「今、ちょっと取り込み中よ」

「?」


 よく分からないが、実際に中に入ってその様子を確かめてみれば、なんとなくどういう状況かは理解出来るに違いない。


「って、あんた」


 部屋に上がろうと、靴を脱ぎ一歩目を踏み出した所で、なぜかいきなりモモに詰め寄られる。


「何こんな大事な時に、彼女を部屋に連れ込んでいるのよ」

「いや、だって、桜子が座敷の様子を見たいっていうから……」

「たく。仕方ないわね」


 言うが早いか、モモが俺から距離を取り、


「初めまして桜子。私はモモ。見ての通り、座敷わらしよ」


 そう桜子に自己紹介をした。


 俺の目にはその変化は映らなかったが、おそらく俺から距離を取ったタイミングで桜子にも自身の姿が見えるようにしたのだろう。背後から桜子が息をむ音が聞こえてきた。


「初めまして、えーっと……」

「モモでいいわ」

「モモちゃん。私は日高ひだか桜子。遼一君の……彼女、です」


 改めて宣言するのが恥ずかしかったのか、桜子が最後の最後で言いよどんだ。


「事情はどれくらい、りょーいちから聞いているのかしら?」

「私が知ってるのは、遼一君が二週間くらい前から座敷ちゃんと一緒に住んでる事。その座敷ちゃんの調子がここ数日は良くない事。後は、私の身の周りに変な事が最近起き始めてる事……くらいかな」

「十分よ」


 そう言い残すと、モモはきびすを返し、そそくさと奥の居間へと姿を消してしまった。


「なんか私、怒らせっちゃった?」

「いや、別に桜子のせいじゃないだろ」


 とりあえず、部屋に上がり、モモの後を追うようにして居間に歩を進める。


 室内にはモモの他に座敷がおり、


「あ、遼一さん。お帰りなさい。桜子さんも、ようこそいらっしゃいました」


 こちらの存在に気付くと、こちらに体を向け、笑顔で俺達を出迎えてくれた。


 それに対し、「ただいま」「お邪魔します」とそれぞれ言葉を返しながら、俺達も適当な所に腰を下ろす。


「で、結局、座敷が取り込み中っていうのはなんだったんだ?」


 部屋に入り室内の様子を確かめてみたものの、モモの言葉の意味は全く理解出来ず、俺は早々にギブアップをし、答え合わせを申し出た。


しんさん。この二人は大丈夫だから」


 モモの言葉に呼応するかのように、座敷の向こう側、押入れの前に何かの姿が現れる。


「なっ!」

「えっ?」


 その姿を見た瞬間、俺と桜子は同時に驚きの声を挙げた。


 妖怪とはいえ、座敷わらしの容姿は人と全くと言っていいほど変わらず、見た目という一点において彼女達を初めて見た時の衝撃はさほど大きくはなかったが、今回のこれはさすがに驚かざるを得ないというか、驚きを禁じ得ないというか……。


 体は熊のようだった。しかしそれでいて、そこから生える四本の足はトラのそれで、尚且つ、鼻は象のように長く伸びており、あまつさえ口の両端からは牙が上向きに生えている。


 昔、本の挿絵で見た事がある。これはばくという生き物――いや、妖怪だ。


 だが、しかし、


「ちっさ……」


 初見の衝撃から回復してまず初めに抱いた感想が、まずそれだった。


 熊のような体をしているのにも関わらず、その実、目の前にいる妖怪の大きさは精々、座敷やモモと同じくらい、下手したらそれよりも小さいかもしれない。


「ちっこいとはなんや、ガキの分際で」

「へ?」


 一瞬、その声がどこから発せられたものか、本気で分からなかった。


「こちとら、ン百年はゆうに生きとる年長様やぞ」

「えーっと……どうもすみません?」


 何がなんだかよく分からないまま、俺はなかば条件反射的に、謝罪の言葉を口にする。


 聞きたい事が多過ぎて、どこから手を付けたらいいものやらといった感じではあるものの、とりあえず、話を先に進めるために、ここは下手に逆らって話をこじらせない方が賢明だろう。


「なんや、言葉のケツが気になんねんけど……まぁええわ。わしは獏の伸。見ての通り、獏ちゅう妖怪や。ほんで、あんさんらは?」

「俺は阿坂あさか遼一。一応、この部屋の家主やぬし、かな」

「私は日高桜子。ここにいる遼一君の、彼女、です」


 内心の動揺を悟られないように抑え込みながら俺が率先そっせんして自己紹介をし返すと、それに続いて、桜子も少しドキマギしながらも何とか自己紹介を完遂かんすいする。


「なるほど。この部屋の家主さんとその彼女さん、と。いやー、こんなぺっぴんさんを射止めるなんて、兄さん、大人しそうな顔して意外とやり手でんなー」

「ははは……」


 ジェットコースターばりにコロコロ変わる獏の伸のテンションに、思わず俺の口から苦笑がれる。


「ほな、早速始めよか。わしもこう見えて、そんな暇人やないさかい、二時間も三時間もあんさんらに付きおうてやる時間がないんや。まぁ、暇人ゆうても、そもそもわしは、人やのうて妖怪やけどな」


 そう言って、自分で言った事に自分で笑う獏の伸。


 もう何がなんだか……。


「というか、始めるって何を?」

「なんやあんさん、今回やる事、なんも聞いてあらへんのか」

「はー……」


 そう言われましても……。


 助け舟を求めて俺は、それまで諦観ていかんを決め込んでいたモモに、ちらりと視線を送った。


「言ったでしょ、裏ワザを使うって」

「いや、だから、その裏ワザの内容をだな……」

「寝なさい」

「は?」


 なんだって? ねろ? この状況で? いきなり?


「とりあえず、アンタとユキは仲良く二人でお夕寝(ゆうね)をして頂戴ちょうだい。後は、ここにいる伸さんが上手い具合になんとかしてくれるから」

「いやいや、急にそんな事言われても、はいそうですかとはいかんだろ、さすがに」


 残念ながら俺の神経は、人に言われてすぐ眠れるほど、図太くもにぶくもなかった。


「なら、そこの彼女に膝枕ひざまくらでもしてもらえば?」

「「え?」」

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