第四章 いわゆるひとつの、妖怪です。

第17話 餅は餅屋

 目が覚める。

 夢から現実へと意識が移行する。


 その最中、お腹の上の重みに気付き、同時に安堵あんどした。


 掛け布団をめくり、その存在を実際に見て確認する。

 視界いっぱいに黒髪が広がっていた。


「……」


 相変わらず、一歩間違えばホラーだな、この光景。


「おい、座敷ざしき


 肩を揺すり、座敷の目を覚ます。


「うっ、うーん……」


 かすかなうめき声の後、座敷のまぶたがゆっくりと上がる。


「……あ。おはようございます、遼一りょういちさん」


 まだ夢うつつと言った表情で笑い、俺に挨拶あいさつをする座敷。


 その様子は、昨日と同じ夢を見たはずなのに、ひどく安定したものだった。


「大丈夫か?」

「はい。夢の内容は悲しいものでしたが、私にとってそれは、もう得体のしれないものではなくなりましたから」

「そうか……」


 同じ内容の夢を見ても、気の持ち様でこうも反応は変わるものなのか。


 まぁ、慣れてきたというのも、その一因にはあるのだろうが……。


「それに、夢を見ている間も、どこか感じるのです。遼一さんの気配というか、雰囲気を」

「そうか……」


 モモいわく、俺と座敷の意識は夢を見ている間、繋がっているらしいから、座敷がそう感じるのもその影響のせいなのかもしれない。


 とはいえ、座敷の台詞せりふは、俺にとって何となく気恥ずかしいもので、反応に困るというのが今の俺の正直な感想だった。


「ん!」


 どこからかせき払いが聞こえ、二人そろってそちらの方に視線を向ける。


「朝からイチャイチャするのは一向に構わないのだけど、二人共、私の事忘れてない?」

「そんな事は……」

「ないですよ」


 視線を盛大に泳がしながら、俺と座敷が二人掛かりで、いわれのない言い掛かりをはっきりと否定する。


「……まぁ、いいわ。その様子だと、今日も見たのよね? 例の夢」


 このままでは話が進まないと判断したのだろう。モモが嘆息たんそくの後、話題を俺達の事から夢の話へとシフトさせる。


「はい。同じ、夢でした。ただ……」

「ただ?」

「最後に、声が聞こえた気がしました。男性、でしょうか? どちらかと言うと、あまり心地のいい声ではなかったように感じました」

「そう……。声、ね」


 座敷の発言に何か思うところがあったのか、モモが右手を口元に当て、何やら考える素振りを見せる。


 その間に、座敷は俺の上から退き、俺もき布団の上に体を起こした。


「ところで、りょーいち。最近、何か変わった事はなかったかしら?」

「変わった事? 例えば?」


 大体、こうして妖怪と普通に会話している状況がすでに、一般人からしてみれば十分に変わった事であり、その状況でそんな事をたずねられても、何をどう答えていいものやら……。


「そうね。どちらかと言うと、いい事というより悪い事の方かしら? 何かない? 最近起きた悪い事」

「悪い事……」


 そう言われて真っ先に思い浮かぶのは――


桜子さくらこが階段から足踏み外して落ちた事、かな」


 最近起きた出来事の中では、あれが間違いなく一番の事件だろう。


「桜子っていうのは、アンタの彼女?」

「そう。そして、同じ学校に通ってるクラスメイトでもある」


 状況判断に必要な情報だろうと一応、俺は桜子についての補足説明を後から付け加える。


「ふーん。他には? 何かないの?」

「後は、壁に立て掛けてあったほうきが倒れてきたり、缶が足元に転がってきたり……。思い付くのはそれくらいかな?」


 出来事の規模の大小の違いこそあれ、どれも日常生活を送る上で普通に起こり得る事で、そこに超常的な何かが関わっているかどうかは、残念ながら判断のしようがない。


「その時、アンタの隣にその桜子って子は?」

「いたよ。三回共」

「そう……」


 どうやらモモは、俺の周りに起きた悪い事と、桜子との関連性を疑っているようだ。


 でも、どうして?


「桜子に、何かが取りいてるとかそういう話か?」

「……分からないわ。とりあえず、調べてはみるけど」

「そうか。頼む」


 この手の亊に関してただの人間である俺は非常に無力で、手を打つ亊はおろか調べる亊すら出来ない。なので、他力本願と言われようとも、ここは妖怪であるモモに調査を依頼する他ないのだ。


「大丈夫。私の予想が正しければ、多分、無駄足になるはずだから」

「?」


 よく分からないが、もちは餅屋ではないけれど、妖怪の事は妖怪に任せるに限る――という事で、その辺りの事はモモに任せるとして、俺は精々、桜子と一緒にいる時くらいは周囲に気を配るとしよう。




「――で、何か分かったのか?」


 アパートの敷地を出た所で、隣に浮かぶモモに、視線は前方に固定したまま、声を掛ける。


「何の話?」

とぼけるなよ。何か思い付いた事があるんだろ? じゃなきゃ、あんな言い回ししないはずだ」

「まだ予想の域すら出ていない、ただの妄想のたぐいよ」

「それでもいい。聞かせてくれ」


 俺のしつこさに根負けしたのか、モモが嘆息を一つし、口を開く。


「おそらく、アンタの彼女に妖怪は取り憑いていない」

「つまり、桜子に妙な事が起こり続けてるのは、それ以外の別の要因のせいと、お前はそう言いたいわけだな」

「えぇ。私は何かに取り憑かれているのはあなたの彼女ではなく、むしろユキの方だと思っているの」

「座敷が?」


 確かに、ここ最近座敷の調子は悪く、もっと言えば会った当初から記憶喪失や"幸福力"の減少などおかしな亊が彼女には起きていた。


「ってか、妖怪が妖怪に取り憑く事なんて有り得るのか?」

「有り得るか有り得ないかで言ったら、有り得るわ。特に神やそれに準ずる位階の妖怪なら、他の妖怪に取り憑いたり操ったりする事なんてお茶の子さいさいよ」

「……そうか」


 お茶の子さいさいって……。現実世界で初めて聞いたぞ、そんな言葉。


 と、そんな事より――


「座敷に妖怪が取り憑いてるとして、その取り憑いてる妖怪は一体何者なんだ?」

「あくまでも可能性の話だけど、私はユキに取り憑いている妖怪は、疫病神やくびょうがみだとにらんでいるわ」

「疫病神……」


 まぁ、この流れだとそうなるわな。


「それって、かなり不味まずいんじゃ……」

「今のところ、状況による、としか言いようがないわね。とりあえず、すでに一つ、手は打ってあるけど」

「手って、どんな?」

「まぁ、一言で言えば、夢を使った裏ワザのようなもの、かしら」

「裏ワザね……」


 どことなく胡散うさん臭い感じがしないでもないけど、妖怪の事は妖怪に任すと決めた以上、余計な口出しは控えた方が賢明だろう。


 そうこうしている内に、誰かを待つように立つ女生徒の姿が、俺の視界に飛び込む。


「あれがアンタの彼女?」

「あぁ」

「ふーん。普通に可愛かわいい子じゃない。なんであんな子が、アンタの彼女なんかに……」

「うっさい」


 そんなの、俺が聞きたいくらいだ。


「まぁ、いいわ。とりあえず、私は姿を消すから、後は二人で仲良くやりなさい」


 言うが早いか、モモが俺の前から姿を消

す。


 それを見届け俺は、少し歩く速度を速めた。


「おはよう、桜子」


 ある程度距離が縮まった所で俺は、桜子にそう声を掛ける。


「あ、おはよう、遼一君」


 それまでぼんやりと虚空こくうを眺めていた桜子が、俺の存在に気付き、笑顔をその顔に浮かべる。


「行こうか」

「うん」


 軽く言葉を交わすと、俺達は肩を並べて、学校に向けて歩き出した。


「朝から少しお疲れ?」

「いや、別にそういうわけじゃないけど……」


 少し迷った末に俺は、今朝した会話の内容を、桜子につまんで話した。


「そっか。じゃあ、昨日までの事は、ただの偶然じゃなかったんだ……」

「まぁ、けど、モモに何か考えがあるみたいだし、油断は禁物だけど、そこまで深刻になる必要も別にないかなって……」


 思いのほか重苦しい感じになってしまった空気を払拭しようと、あえて俺は軽い口調でそう桜子に声を掛ける。


「彼女から妖怪の気配は特にしないわ。つまり、少なくともここ数日の間に起きた不運は、彼女に取り憑いた妖怪によるものではないという事よ」


 ふいに何もない空間から、聞き覚えのある少女の声が聞こえてきた。


 桜子が無反応なところを見るに、どうやらこの声は、俺にしか聞こえていないらしい。


「ん? どうかした?」

「いや、何でもない」


 言いながら、桜子の腕を取り、自分の方に軽く引き寄せる。


 自然、二人の足が同時に止まる。


「え? 何?」


 目をしばたたかせ、俺の顔をまじまじと見る桜子。そのほおは恥ずかしさからか、わずかに赤らんで見えた。


「足元」

「へ?」


 俺の指摘に、桜子が自身の足元に目をやる。


 そこにはまるで、彼女が踏むのを待ち構えていたかのように空き缶が一つ転がっていた。

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