第13話 夢

 ――今、俺は夢を見ている。


 そう思える事は今まで何度もあったが、今日のそれはいつもよりその確信が強く、また意識もいつも以上にはっきりしていた。


 明晰夢めいせきむ。いわゆる、夢を見ている事を自覚しながら見る夢の事。


 いつもより大分低い位置から見る視線は、俺が一度も見た事がない景色ながら、その場所は確かにある場所を俺に想起そうきさせた。


 多分ここは、町外れにあるあのお屋敷だろう。


 白い壁、古びた暖炉だんろ、アンティーク調の家具、そして部屋全体にきしめられた赤い絨毯じゅうたん

 つい最近見た外観と、今見ている内装が、俺の頭の中で妙にマッチする。


「私、もうダメみたい」


 誰かがそう口にする。


 夢だからか、視界はもやが掛かったようにぼやけていて、相手の顔・形は不鮮明だった。

 そんな状態でも分かるのは、相手が自分と同じくらいの背丈である事、そして着物を着ている事だった。


「なんで? なんでそんな事を言うの?」


 自分の口から発せられた声は、女の子のそれで、その声に俺は、どこか聞き覚えがあるような気がした。


「自分の事だから、私には分かるの」

姉様あねさまと別れるなんて、私、嫌よ」


 今にも泣き出しそうな声で、誰かが言う。


「私達は、今日まで二人で一人分の役割をこなしてきたわ」


 そんな彼女の泣き言を無視するように、少女が言葉をつむぐ。


「でも、これからは、あなたが一人でその役割を全てこなしていかなければならない」

「出来ないよ、そんなの」

「出来ないんじゃなくてやるのよ、××」


 俺の両頬を自身の両の手で包み込み、少女が言い聞かせるように、誰かの名前を呼ぶ。


 肝心なその名前は、なぜか聞き取れなかった。まるでそこだけ、別の言語で発音されたみたいに。


「けど、私には負の感情を処理する能力は……」

「大丈夫。私が消えれば、私の力はあなたに全て移るから」

「どうして分かるの?」

「私の体が、心が、力が、そう私に告げているの」


 少女の言葉に、嘘やいつわり、そして誤魔化ごまかしはないように思えた。ならば、それが真実なのだろう。


「……本当に姉様は消えちゃうの?」

「えぇ。残念だけど、それは変えようのない事実よ」


 そう言って少女が、その顔に苦笑を浮かべる。


「なんで? なんで姉様はそんなに落ち着いているの?」


 震える声で、誰かが尋ねる。今にもこぼれ落ちそうな涙を必死にこらえながら。


「あなたがいるから」

「え?」

「私が消えても、私はずっとあなたの中で生き続ける。だから、私は消える事が怖くない。だって、元々一つだったものが、元の形に戻るだけ、それだけの事なのだから」


 言葉の意味は、半分も理解出来なかった。


 でも、二人の思いは何となく理解出来た。消える者と残される者。彼女達二人のそれぞれの思いは。


「姉様……」

「××」


 二人が抱き合う。お互いの名前を呼び、強く抱擁ほうようを交わす。


「大丈夫。あなたは強い。あなたが思っている以上にね。だから――」


 少女の体がふいに、あわく光始める。


「……そろそろ、時間みたいね」


 それは線香花火の最後の火花のようで、否が応にも終わりを俺に/誰かに教えていた。


「ありがとう、××。私があなたの妹で――半身で、本当に良かっ……」


 消える。目の前から少女の姿が。


 集まった無数のほたるが辺りに散らばるように光が霧散むさんし、最後には散らばった光すらも空気に溶け、消えた。


 まるで、初めからそこに何もなかったかのように。跡形もなく、煙のように。


「……」


 残された俺は/誰かは、その場に立ち尽くしていた。


 ふと視界に、何かがじる。


 それは次第に、視界全体に広がっていき、最後には耐えきれず、外へとあふれ出していった。


 にじむ視界。


 泣いていた。俺が/誰かが。


 いや、俺ではなく、泣いているのはこの夢の主である誰かで……。


 まずい。境界が無くなる。

 意識が溶け込む。混じり合う。消える。

 このままでは……。


 ――そこで俺の意識は、ストンと闇の中に落ちた。




 目を覚ます。

 意識が覚醒する。

 夢から現実へと、彼女から自分へと世界がシフトする。


「ここは……?」


 あまりにも高質量な夢を見たせいか、現実に上手うまく意識を順応する事が出来ない。


 彼女の残滓ざんしがまだ、俺の中に残っている。


 頭が重い。

 胸が苦しい。


 まるで、睡眠時間が足りない状態なのに無理矢理叩き起こされ、尚且つ、胸の上に何かが現在進行形で乗っかっているような……。


 というか、まるでではなく、乗っかっているな、これは。完全に。


 掛け布団を上げ、中をのぞき込む。

 黒い髪の毛が、俺の胸元いっぱいに広がっていた。


「……」


 一歩間違えばホラーだな、こりゃ。


「おい、座敷ざしき


 俺の上にうつ伏せで乗る座敷の体を、首だけを起こし、揺する。


「うっ、うーん……」


 かすかなうめき声の後、座敷の顔が上がり、その瞳が薄らと俺を捉える。


 まだ意識がはっきりしないのか、そこからしばらく座敷に動きはなく、ぼんやりと俺の顔を見据えるだけだった。


「りょう、いち、さん?」

「あぁ。ってか、なんでお前、俺の布団に潜り込んでるの?」

「最近、妙な夢を見るんです?」

「夢?」


 って、もしかして……。


「それが、やけにリアルで、悲しくて、不思議な夢なんです」

「そうか」


 言いながら、俺の手は知らず知らずの内に、座敷の頭をでていた。


「えーっと、これはどういう……?」

「嫌か?」

「いえ」


 言葉同様、座敷の態度からも特に嫌がる素振りは見受けられなかったので、そのまま、黒髪をきながら優しく頭を撫で続ける。


 こうしていると、子供を持つ親の気持ちが、少しは分かるような気がする。


「座敷って、妖怪なのに重みがあるんだな」


 撫でる手を止め、ふと気になった事を座敷に尋ねる。


「すみません。重かったですか?」


 言って、慌てて俺の上から降りる座敷。


「いや、そうじゃなくて、ただの疑問というか、確認というか、感想? とにかく、そんな感じだから気にするな」


 むしろ、程良い重みで、それが逆に心地良かったくらいだ。


「何かに干渉・接触する時には、どうしても、こちら側も質量を持って応じないと物理的におかしな事になりますので……」


 それは、説明というより、どちらかと言うと、言い訳のようだった。


「ところで、その妙な夢って、いつ頃から見るようになったんだ?」


 いつまでも重みの話を引っ張るつもりは毛頭なかったため、早々に話題を一つ前に戻す。


「夢を見始めたのは、体調不良同様、遊園地から帰ってきてから、でしょうか」


 体調不良、予想より少ない〝幸福力こうふくりょく〟、そして夢。


 全て、同じ時期から始まった現象なわけだが、果たして、それらに相互関係や因果関係はあるのだろうか。


「ふわぁー」


 ねむ。


 夢と重みのせいで目を覚ましたものの、室内はまだ暗く、掛け時計が指し示す時刻も、普段の起床時間には程遠い時刻だった。


 ……とりあえず、もう一眠りするか。


「座敷、俺はもう一度寝直すけど、お前は?」

「私は十分睡眠を取ったので、遼一りょういちさんが起きるまで大人しくしています」

左様さようか」


 布団を被り、目をつむる。


 閉じたまぶたの裏側に映るのは、先程まで見ていた夢の景色。


 西洋風のお屋敷の一室に立つ少女と、それと相対する背の低い誰か。


 あの誰かはやはり、座敷なのだろうか?


 身長、服装、声。

 今になって改めて思い返してみると、その全てが座敷のそれによく似ていた気がする。

 妖怪は人間と違って、実際に起きていない事は夢に見ないらしい。


 その二つの情報から導き出される答えは、つまり……。


 しかし、そうなってくると、自身の見た夢に対する座敷の感想に、やはり違和感を覚える。

 あれではまるで――


 思考が再び、微睡まどろみに溶ける。


 その刹那せつな、俺の中に頭の片隅に放置していた疑問が、ふと浮かぶ。


 ……それにしても、座敷と一緒にいた、座敷の前から消えた、あの少女は一体、誰だったのだろう?

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