第12話 タイヤ

 昼休み。教室で日高ひだかと一緒に昼食を取り終えた後、俺はトイレとしょうし、教室を一人で抜け出した。そしてそのまま、人気のない場所に移動する。


 場所はあまり使われない方の階段。学食や昇降口との位置関係が絶妙に悪く、こちら側の階段を使う物好きはほとんどいなかった。

 実際、今も付近に俺以外の人間の気配は一切なく、辺りはシーンと静まり返っていた。


座敷ざしき、いるか?」


 小声で、虚空こくうに呼び掛ける。


 程なくして、座敷が俺の前に姿を現す。顔色はやはり、あまり良くないように思えた。


「なんでしょう?」

「調子はどうだ?」

「良くはないですね。とはいえ、すごく悪いというわけでもありません」

「そうか」


 座敷の言葉と雰囲気から察するに、今のところ、とりあえずは安心しても良さそうだ。


「それより私は、遼一りょういちさんと日高さんのイチャつく様子を見て、テンションが上がりっぱなしで困っています」

「うるさいよ」


 両の拳を体の前で握り、途端に鼻息を荒くする座敷を、そう短く切り捨てる。


 まぁ、そんなジョークが言える内は、まだまだ大丈夫だろう。


「あっちの方はどうなんだ?」

「そっちも現状維持、朝から良くも悪くもなってないといったところですね」


 あっちそっちとは、もちろん〝幸福力こうふくりょく〟の話である。


 もしかしたら座敷は、現在、穴の空いたタイヤのような状態なのかもしれない。

 タイヤに穴が空いていれば、そこから空気が漏れるのでいくら空気を入れても満タンにはならず、とはいえ穴がそれほど大きくなければ、大事に至らない。無理をすれば、そのまま使用し続ける事も可能だろう。しかし、そんなタイヤを使用し続ければ、いつかはガタが来るし、タイヤ自身の寿命も想定されたものよりも早くなくなるはずだ。だとしたら、そんなタイヤはすぐにでも修理に出すべきだろう。


「そういえば、妖怪には医者、みたいなのはいないのか?」


 ふいに浮かんだ疑問を、早速、座敷にぶつけてみる。


「さぁー。もしかしたら、この世界のどこかにはいるのかもしれませんが、少なくとも私は、会った事も聞いた事もありません」

「そっか……」


 もし医者のような存在が妖怪にもいるのなら、そいつに座敷をてもらえば、少しは問題解決の助けになると思ったのだが、そう上手くはいかないか。


「遼一さんが私の事を心配して下さるのはとても嬉しいですが、それより今は、日高さんの方に気を割いてあげて下さいね。釣った魚に餌をやらない殿方は、女性の敵、ですから」


 女性の敵……。そこまでなのか。


「まぁ俺も、お前の意見にはおおむね賛成だが、拾った猫にえさをやらない飼い主も、俺は同じくらい最低だと思うんだ」


 正確には、その猫は俺が自ら拾ってきたのではなく、勝手に人ンの押し入れに潜り込んでいただけなのだが。


「私は猫ですか? 猫は魚を食べますよ?」

「ウチの猫は、行儀がいいんだ」

「それはあんに、行儀良くしておけというお達しのようなものですか?」

「いや、事実を口にしただけだよ」


 まるで、馬鹿ばかし合いだな。それに付き合う俺も大概だいがいだが。


「はぁー。分かりました。精々せいぜい、首輪を付けられないよう、気を付けます」


 座敷は溜息ためいき混じりにそう言うと、俺の目の前から姿を消した。


 体調が悪いからだろうか、座敷は大分ナイーブになっているようだ。彼女の扱いには、これからよりいっそうの注意が必要だな。


「行くか」


 一人つぶやき、教室へ向かう。


 教室に戻ると、日高が自分の席で女子数人に囲まれ、質問責めにあっていた。その内容は、おそらく俺との事だろう。


 一瞬の躊躇ちゅうちょの後、俺はゆっくりとそこに近付いていく。


「あっ、阿坂あさか君」


 近くにやってきた俺を見て日高が、安堵の表情をその顔に浮かべる。


 まぁ、そりゃ、一人で複数人から集中砲火を受けたら、誰でも困るし戸惑うだろう。


「どうしたの?」


 聞くまでもなく現在の状況は把握済みだったが、周りへの牽制けんせいの意味も込めて、あえてそう尋ねる。


「もう、阿坂君でいいや」


 そんな俺の思惑とは裏腹に、女子達の追及は止む様子がなかった。


「ねぇ、桜子さくらことはどういう経緯で付き合うようになったの? 桜子はけむに巻くばっかで、全然答えてくれようとしなくてさ」

「で、俺?」

「そう。彼女がダメなら、彼氏にってね」


 日高に視線を向ける。無言のうなずきが返ってきた。俺に任せるという事だろう。


「うわぁ。今、アイコンタクトしたよ」

「凄い。恋人っぽい」

「そこ、騒がないの。話してくれる事も、話してくれなくなっちゃうでしょ」


 興奮する二人を、中央に立つ飯田いいださんが落ち着いて制する。


 どうやら彼女が、この三人の中では、まとめ役のポジションをになっているらしい。


「俺から告白して、日高にオッケーもらった感じかな」


 本当は、もっと色々なり取りがあったのだが、この場でそこまで詳しく説明する必要はないだろう。


「え? なんて? なんて?」

「普通に、好きです、付き合って下さいって」

「「「きゃー」」」


 もう、何がなんだか……。


「場所は? 場所はどこ? どこで告白したの?」

「遊園地。遊園地の観覧車の中」

「え? でも、付き合ってないのに遊園地って、誘いにくくない?」

「それは――」

「はいはい」


 女子達の質問に答えようとした俺の言葉を、手を叩きながらやってきた但馬たじまさえぎる。


「何よ、美穂みほ。ここからがいいとこなのに」

「もう、ある程度聞きたい事は聞いたでしょ。後は、そっとしておいてあげなさい」

「うーん……。じゃあ、今日はこの辺で撤収するか」

「二人共、邪魔じゃましてごめんね」

「お幸せにー」


 三者三様の言葉を残し、女子三人組が俺達の元を離れていく。


「美穂、ありがとう」

「助かったよ」

「どういたしまして」


 俺達が礼の言葉を次々と告げる中、それをクールに受け止め、去って行く但馬。

 その姿は、こう言ってはなんだか、凄い男前だった。

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