後編

第三章 猫は魚を食べますよ。

第11話 幸せ税

 アパートの敷地を出て、いつものように住宅街を歩く。


 隣には当然のように座敷ざしきがいて、今日も今日とて宙に体を浮かせ、ふわふわとただよいながら前方に移動をしているのだが、その様子が今日はいつもと違った。


 というか、遊園地から帰ってきて以降、ずっと座敷の調子は悪く、本調子でない事は見るからに明らかだった。


「まだ本調子じゃないんだったら、家で寝てろよ」


 まぁ、妖怪にとって睡眠は、記憶の整理と人間の模倣以上の意味はないようなので、横になったところで妖怪の体調が回復するかは謎だが、体調不良をおして外を出歩くよりかは、そちらの方が見ている方としては気分が休まる。


「いえ、私の場合、遼一りょういちさんのお側にいた方が色々と都合がいいので……」

「お前がそういうなら、無理いはしないけどさ」


 座敷わらしの体の構造がどうなっているかは知らないが、そもそもこいつの場合、本来なら無くてはならないはずの〝幸福力こうふくりょく〟がいちじるしく低下した状態だからこそ屋内ではなく俺の側にいるわけで、そう考えると確かに、一人で俺の部屋にいるより俺の側にいた方が体調不良にもいいのかもしれない。


「大体、妖怪って病気になるのか?」


 生き物と違って肉体を持たないはずの妖怪に、病気という概念がいねんがあるのか、はなはだ、疑問ではある。


「病気という表現が相応ふさわしいかは分かりませんが、妖怪にもやはり、体調を崩す要因はいくつもあります。例えば、悪い気に当てられたり、妖怪それぞれが持つ〝力〟が極端に減少したりすると……。しかし、今の私には、そのどちらにも心当たりがないので……」


 原因が分からなくて困っている、と。


「後、これと体調不良が関係しているかは、私自身、よく分かっていないのですが……」

「なんだよ。とりあえず、言ってみろよ」

「遊園地での一件で得た〝幸福力〟が、予想よりはるかに少ないのです」

「えーっと、つまりは、どういう事なんだ?」

「分かりません。もしかしたら、体調が悪い事によって取り込みが上手うまく言っていないのかもしれませんし、あるいは体調の悪さとそれには因果関係が一切ないのかもしれません」

「なるほど」


 つまり、何も分からないと、そういうわけだ。


「とにかく、俺に出来る事があれば、早めに言えよ。お前に倒れられても、俺には何も出来ないんだからな」


 一応、座敷が指定すれば、彼女とその指定したものは接触出来るようだが、接触したところで俺に何か出来るわけではないし、そもそも、本当に体調が悪くなった時にその〝指定〟が出来るのかさえ今の俺には分からなかった。


 正直、座敷に関しては謎が多過ぎて、十日以上一緒に生活していても、いまだに分からない事だらけなのである。


「お、おはよう、阿坂あさか君」


 背後からの声に立ち止まり、振り返る。

 するとそこには、少し離れた場所に立つ日高ひだかの姿が。 


「おはよう、日高」

「……」


 俺が挨拶あいさつを返すと日高は、うつむき、まるでゼンマイ仕掛けのロボットのような動きでこちらに近付いてきた。


「? どうかした?」

「いえ、あの、どうしたものかと思いまして……」

「思いまして?」


 敬語?


「いやー、こういのって、なんか照れるね」

「こういうのって?」

「え? そりゃー、ねぇ」


 なるほど。今の日高の反応で合点がてんがいった。

 確かに、その事を一度意識してしまうと、照れるし対応に困る。


「とりあえず、行こうか」

「……うん」


 日高に移動をうながし、再び学校に向かって歩き出す。


 ちなみに、座敷はいつものように、日高の姿が見えた途端、その姿を消した。とはいえ、俺から見えなくなっただけで、きっと近くにはいるのだろうけど。


「こういの私、全然経験なくて、どうしたらいいんだろうって」

「経験ないのは、俺も同じだよ。けど、無理に何かをしようとしなくても別にいいんじゃないかな? こうしなきゃいけないっていう、決め事みたいなのは特にないと思うし」

「それはそうかもしれないけど……」

 そういう事ではない、と。

「もしかして、何かしたい事でもある?」

「!」


 俺の質問は、どうやら図星だったらしく、日高がビクっと体を震わす。


「いや、あの、手を」

「手を?」

「繋ぎたいなーと」

「今?」


 下校中ならともかく、登校中に繋ぐとなると、リスクやハードルがすさまじく高くなると思うのだが……。


「え? あ、そうだよね。今はまずいよね。あはは……」


 ふむ。


 少し黙考もっこうした後、俺はおもむろに日高の手を取る。


「ひゃ」


 隣から妙な声があがり、驚きとそれ以外の感情の入り混じった視線が俺に向かう。


「阿坂君?」

「多分、当分の間、俺達はクラスの人気者になるね」

「どうして?」


 不思議そうな顔で俺を見る日高に、繋いだ二人の手を上げて見せる。


 この手の事は、大して面白くない話題でも、てしてからかいの対象になりやすい。


 ……まぁ、それくらいの事は、幸せ税だと思って、あまんじて受け入れるつもりではあるが。




 教室に着くと、クラスの視線が一斉に俺達へと突き刺さった。


 全員ではさすがになかったが、その場にいた半数以上のクラスメイトの視線が、確実に俺達へと向かっていた。


 理由は容易よういに想像出来る。


 ただ分からないのが、それがなぜバレたのかという……。


「やぁやぁ、お二人さん、今日も仲良くご出勤ですか?」


 いた。バレた要因。犯人。そして、全ての元凶げんきょう


「お前か」

「いて」


 能天気な顔をさらし、ふざけた台詞せりふをのうのうと吐く阿呆あほうの頭に俺は、不意打ち気味にチョップを食らわす。


「顔合わすなり早々、何するのよ。女の子には優しくって、お母さんに習わなかったの?」


 残念ながらそういう事は全部、お母さんではなく、綺麗きれいで厳しいお姉さんにしか教えてもらってこなかったのだ。


「どういう事だ、これは」

「何が?」

とぼけるな。お前だろ、クラス中に俺達の事を広めたのは」

「バレた?」


 一切悪びれる様子なく、舌をちろりと出す但馬たじま


 こいつ……。


「どうせ今後、いつかはバレるんだから、面倒事は早めに済ましておいた方がいいでしょ?」

「そういう問題じゃねーよ」


 それとこれとは話が別。……というか、完全に開き直ってやがるな、こいつ。


「それに、こっちの方が二人もイチャつきやすいでしょ」

「イチャつきません」


 但馬のからかい混じりの言葉に、日高が律儀りちぎに言い返す。


「本人達がいくらそう言っても、はたから見たら付き合立てのカップルのり取りなんて、大抵がイチャついてるようにしか見えないものなのよ」

「まぁ、否定はしないけどさ」

「しないんだ」


 但馬の暴論とも言える考えを、すんなりと肯定する俺に、日高が意外そうな声を上げる。


 主観的な意見と客観的な意見が食い違うのはよくある事だ。この手の事では特に。


 とりあえず、自分の席へと向かう。


 椅子いすに腰を下ろした俺の口から、無意識に深い息が漏れる。


「なんか、落ち着かないね」

「その内慣れるよ、お互いに」


 今はまだ面白がって、俺達に好奇の視線を向けてくるクラスメイト達も、三・四日も経てば次第にき、俺達への興味も薄れるだろう。……多分。


「サクラは人気者だからねー。これから阿坂は大変だー」

「誰のせいだと思ってる」

「さぁー。私のせいじゃないのは確かかな」

「……」


 確かに、こいつのせいではないので、悔しいが反論のしようがない。


「ところで、昨日はどこまで行ったの?」

「どこまでって、日高を家に送ってて、そこで別れたけど?」

「うわぁ。お約束のボケを……」


 あー。そういう事。


「悪いが、お前の喜びそうな事は何もまだ起きてないからな」

「まだって事は、これから起きる可能性が高いって事?」

「……」


 その件に関しては、ノーコメントだ。


「だって、良かったね、サクラ」

「え? 何の話?」

「つまり――」


 日高の耳に顔を近付け、但馬が何やら耳打ちをする。


「なっ」


 何か変な事を言ったのだろう、日高が顔を赤く染め、見開いた目で但馬を見る。

 まぁ、その内容は、聞くまでもなく明らかだが。


美穂みほ―」

「んー?」


 離れた所からこちらを見て、ひそひそと話していた女子グループの内の一人に呼ばれ、但馬がそちらに向かう。


 おそらく女子達の目的は、但馬から俺達の情報を聞き出す事だろう。


 別に聞かれて困る事は今のところないし、もし困る事があったとしても最終的にその辺りは但馬が判断をして話さないでおいてくれるはずだ。


 なんだかんだ言っても、彼女は義理人情に厚い、友達思いのいいやつなのだ。


 ん?


「日高、頭に何か付いてる」

「え? どこ?」


 俺に指摘され、適当に頭に触れる日高だったが、その手は見当外れの場所に行くばかりで、一向に頭に付いた何かの元には行きそうになかった。


「そこじゃなくて、左の上の方」

「左?」


 日高の手は、ようやく何かのある付近をかすめるようになったが、それでもまだ触れる所までは全然行きそうにない。


「日高、こっち向いて」

「ん?」


 俺の方に顔を向けた日高の頭に手を伸ばし、それを取る。


 どうやら、日高の頭に付いていたのは、糸くずだったらしい。さっきまで一切気にならなかった事を考えると、教室に入ってから付いたのだろうか。


 そして、気付く。室内がやたらに静かな事に。


 辺りを見渡す。


 何人かと目が合い、すぐにらされた。


 約一名、ニヤついた顔をえて俺達に向けているやつもいたが、それはこちらがむしろ無視をしてやった。


 なるほど。これは確かに、日高の言うように、落ち着かないかもな。

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