第2話 幸運の定義

 朝、いつものように部屋を出る。


 唯一ゆいいついつもと違うのは、隣に何やら浮かんでいるものがあるという、ただその一点だけ……。


「本当に付いてくるんだな」

「安心して下さい。遼一りょういちさん以外には見えないようにしておきますので」


 不安だ。見えないと分かっていても、いるだけでやはり不安だ。


 アパートの外階段をくだり、下に降りる。

 その途中、建物の前をほうきく、女性の姿が俺の視界に入ってきた。このアパートの管理人さん、遠坂とおさか條々しのさんである。


「おはようございます」

「おはようございます。今日も一日頑張がんばって下さいね」


 管理人さんに見送られ、これまたいつも通りアパートの敷地を後にする。昨日もの当たりにした事だが、本当に座敷ざしきの姿は俺にしか見えないらしい。


綺麗きれいな人ですね」

「まぁな。あれで、中学生になる子供がいるって言うんだから、すごいよな」


 どう穿うがった見方をしても、精々、三十代前半。一切情報のない状態で見れば、もう五つ六つは若く見える。


「という事は……」

「こら。人の年を勝手に計算するんじゃない」


 俺も初めてその話聞いた時に計算したけど。


 この時間帯の住宅街に人の姿はあまりなく、ちらほらと見受けられる程度だった。


「お前がウチに来てから、すでに十六時間以上が経過してるわけだが」

「はい?」

「一向に幸運が訪れないのはなんでなんだろう?」

「いいですか。幸運は確かに、あなたの元に訪れてるんですよ。それに遼一さんが気付いてないだけで」


 座敷はまるで、子供に言い聞かせる教師か何かのように、優しく俺に話しかける。ただそれは、聞きようによっては、怪しい宗教家の妄言もうげんのようにも思え……。


「例えば?」


 俺は座敷に、具体的な幸運の例を尋ねる。


「例えば、お店で買ったコロッケの大きさが少し大きかったり、会計してくれた店員さんが可愛かわいい女性だったり、その女性とお釣りのり取りをする時に少し手が触れ合ったりと……」

「小さっ」


 思っていた十倍、例えが小さかった。

 言っては悪いがその程度の事なら、日常茶飯事さはんじとまではいかないが、まぁまぁの割合で起こり得るだろうと思われる。


「何を言うのですか。今までの日常をかんがみれば、一日でそれだけの事が起きたのですから、十分過ぎる程の幸運じゃないですか」

「うーん」


 まぁ、言われてみれば、確かにその通りなのだが……。いや、座敷わらしと聞いて、俺が少し期待をし過ぎていたのかもしれないな。


「それに、本当の幸運は、遼一さんが気付いていないだけで、すでにあなたの身に起こっているのですよ」

「?」


 どういう意味だ?


阿坂あさか君」


 座敷の意味深な言葉に俺が首をかしげていると、背後から誰かに声を掛けられる。

 立ち止まり振り向くと、そこには見知った顔の少女がいた。


 制服に身を包んだ少女――日高ひだかが、肩先で切りそろえられたセミロングの髪を揺らしながら、小走りでこちらにやってくる。


「おはよう、阿坂君」

「おはよう、日高。別に走ってこなくても、俺はのんびり、日高が来るのを待ってるのに」

「え? あ、えへへ」


 少し息を乱した日高が、俺の目の前で、誤魔化ごまかすように照れ笑いをその顔に浮かべる。


 彼女の名は、日高桜子さくらこ。俺が高校に入ってから知り合いになった、クラスメイト兼友人だ。


 性格は温厚そのもので、少なくとも俺自身は、彼女が声を荒げたり本気で怒ったりした所を一度も見た事はない。

 背は然程さほど高くなく、百五十センチを少し上回っているかといったところ。

 優しげな顔つきと相俟あいまって、可愛らしいという印象を見る者、特に男子に与える少女だ。


 日高の息が整うのを待ってから、二人で肩を並べ、住宅街を行く。


「ねぇ、そう言えば、知ってる? あのお店、来週オープンなんだって」


 あの店……?


「あぁ、あの店ね。そうそう。俺も昨日知ってさ――」


 ……あ。

 思わず、日高の反対側、座敷のいる方にわずかだが目を向ける。


 もしかして、さっきこいつが言っていたのは、この事だったのか。だとしたら、確かに俺にとってこれは、ちょっとやそっとじゃ訪れない、願ってもない幸運、チャンスと言える。


「ん? どうかした?」

「いや、何でもない」


 突然黙り込んだ俺を、日高が不思議そうな顔で見つめてきたが、それも一瞬の事、すぐに気を取り直したように話を続ける。


「でも、オープン前から評判になってるようなお店だから、混雑しちゃって、当分はいけそうにないよね」

「そうでもないかも」

「え?」


 少し勿体もったいぶったような入りをしてしまったのは、俺がまだ気持ちを固めきれてないからであり、決してこの後の話にサプライズ感を出そうとしたわけではない。


「その店、どうやら俺の従姉いとこが店長やるらしいんだよね」

「嘘? ホントに?」

「うん。俺も昨日初めて聞いて驚いたんだけど」


 この辺りで店を始めるとは前々から聞いてはいたが、まさかそれが、日高が気にしていたあの店だとは全然思いもしなかった。


「それで、何でも今週の土日にプレオープンをするみたいで、二日目の日曜の方に俺も、誘われててさ」

「え。いいなー」


 よし。ここで日高がい付いてこなかったらどうしようかと思ったが、俺の心配はどうやら杞憂きゆうに終わったらしい。


「で、ここからが本題なんだけど、そのプレオープンに一人二人なら友達を誘ってもいいって言われてるんだよね」

「つまり?」


 そう尋ねる日高の表情に、若干の期待と不安が浮かんでいるのを、俺は見逃さなかった。


「日高がもし良ければ、俺とそれに行かないかなー、なんて」

「行きます。むしろ、行かせてください」


 日頃の彼女には見られない積極的な物言いに、多少戸惑いつつ、話の流れがうまくいって事に対して俺は心の中でガッツポーズをする。


「じゃあ、待ち合わせ場所と時間決めようか。時間は十二時から十七時の間ならどの時間でもいいらしいから」

「なら――」


 歩きながら、その場で軽い打ち合わせを済ます。

 時間は十四時半、場所は店の最寄り駅である三神みかみ駅という事で話がまとまった。


「うふふ。ツイてるな、私」


 当分行けないはずだったお店に行ける事になって喜んでいる日高には悪いが、ツイてるのはどちらかと言うと、日高ではなく俺の方なのだ。

 何せ、俺には文字通り、座敷わらしがいているのだから。




「よ、ご両人。今日も仲良くご出勤ですか」


 教室に入るなり早々、出入り口の所で、俺達はクラスメイトの但馬たじまからそんなからかい混じりに出迎えを受ける。


「もう。またそれー」

「だって、今日も阿坂の事、家まで起こしに行って、一緒に登校して来たんでしょ?」

「そんなわけないじゃない。大体、阿坂君とは――」


 今日も今日とて仲良く言い合い、二人は日高の席のある方へと一緒に向かう。


 俺と但馬の付き合いは高校に入ってからだが、日高と但馬の付き合いはもっと長く、中学の一年の時点でもう友達になっていたらしい。

 日高と但馬の性格は一見すると真逆にも思えるのだが、それが逆に二人がこれまで仲良くやってきた理由なのかもしれない。


「あ、来た来た。ねぇ、聞いてよ。アンタの奥さん、少し冷たいんだけど」

「誰が旦那だんなだ」


 但馬のからかいの言葉に、いつもの言葉を返しながら、日高の隣に腰を下ろす。


 この手のからかいはもう慣れたものなので、返しも最早もはや定型句ていけいく化しており、流れるように会話が進む――


「それはそうと、アレ知ってる?」


 というか、終わる。

 自分から切り出しておいてこの切り替え、うらやましくはないが感心する。


「アレって、〝みやび〟の事?」


 日高が、但馬のげそうな話題を予想してそう尋ねる。


「いや、違くて。というか、あのお店は当分無理でしょ。そうじゃなくて、町外れに建つあのお屋敷の話」

「お屋敷?」


 その単語を聞き、俺はまゆひそめた。


 屋敷の事は知っている。だから眉を潜めた理由はそこにはなかった。

 単純に、あの屋敷には関わりたくないのだ。例えそれが、話の上だけの事だとしても。


「それがあの屋敷の住人、急に亡くなったらしくて、近々取り壊すみたい」

「死んだ? またいつもの与太話よたばなしじゃないのか?」


 多方面から様々な噂が流れている事もあって、あのお屋敷に関する噂は嘘と虚言きょげんまみれたものが多い。今回もきっとそれだろう。


「いやいや、今回のはどうも、マジなやつらしいのよ。実際に警察が入ってくのを見たっていう人もいるし、もう結構色々な所に噂として広まっているみたい」

「ふーん」


 割と本気でどうでも良かった。

 そりゃ、人が死んだとなれば穏やかではないが、別に事件性があるとかではなさそうだし、こう言ってはなんだが、所詮、俺には関係のない話だ。


「うわ。反応薄」

「ごめん、私もあまり興味ないかも。それに、そういう話って、面白半分でするべきじゃないと思うし……」

「なっ」


 結構自信のある話だったようで、但馬は俺達の反応に、普通にショックを受けた様子だった。


「じゃ、邪魔したわね。お二人さん、末永くお幸せに……」


 力無い捨て台詞せりふを残し、但馬が自分の席へと戻っていく。その背中にはどことなく哀愁が漂っており、それを見た俺は何となく但馬に対して罪悪感を覚える――が……。


「なんか、悪い事しちゃったかな」

「いいんじゃない? 日高の言うように、不謹慎な話だったのは間違いないわけだし」

「そうだね。美穂みほには、後でフォロー入れておけばいいよね」


 というか、そんな事をしなくても、但馬なら、もう数分後には立ち直っていそうだけどな。


 ……そういえば、いつの間にか、座敷の姿が見えなくなっているけど、姿を消しただけか、あるいは――


「どうかした?」

「ん? ううん。何でもない。ちょっと昨日夜更かししちゃって今、寝不足気味なんだ」


 ぼんやりしていた理由は嘘だったが、寝不足の方は紛れもない事実だった。昨夜は座敷とお互いの呼び方を決めたりしていて、寝るのがいつもより遅くなってしまったのだ。

 実のところ、俺の呼び方は割とすぐ決まったのだが、座敷の方は向こうからの注文が多く、呼び方決めは難航を極めた。


 何せ、座敷には固有名詞とも言うべき、名前が存在しないというのだ。

 そのため、自然と呼び方は見た目の雰囲気で決めるか、座敷わらしという妖怪名で決めるかの二択となり、前者はひたすら却下のき目にい、後者は後者でなかなかオーケーが出ず、結果、消去法のような形で今の座敷という呼び方に落ち着いたのだった。


「ダメだよ、ちゃんと寝ないと。頭も働かないし、何より成長期なんだから」

「分かってるって。たまたまだから。いつもじゃないから」


 嘘ではない。俺の就寝時間は大体十時半前後で、例え翌日が休日でも、日をまたぐ事は滅多にないのだ。


「ホントに? もしそんな状態が続くようなら、本当に朝、阿坂君の部屋まで起こしに行っちゃうんだからね」

「え……?」

「え?」


 やばい。リアクションを盛大に間違えた。ここはちゃんと冗談として受け取り、対応しなければいけない場面だったのに……。


「えーっと、一応、冗談のつもりだったんだけど……」

「あ、うん。ごめん。その、寝不足で、反応がちょっと遅れただけだから」

「そっか。まぁ、とにかく、夜更かしは本当にダメなんだからね」

「はい。肝にめいじます」


 良かった。何とか話が纏まって。


 しかし、寝不足は本当に怖いな。いや、違うか。そもそもの原因は寝不足ではなく、座敷の事を考え、ぼっとしていた事にあったんだった。どっちも同様に気を付けなければ。

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