いわゆるひとつの、妖怪です。

みゅう

前編

第一章 いわゆるひとつの、妖怪です。

第1話 侵入者

 部屋の押し入れを開けると、それはその中にいた。


「見つかっちゃいました」


 押入れの中で、少女が照れたように頭をかく。


 小柄な、可愛かわいい女の子だった。

 年は九歳くらい。やけに古びた白い着物に身を包んでおり、それが彼女の黒い長髪や真っ白な肌と相俟あいまって不可思議な、まるでこの世の物ではないような感覚を見る者に与える。


 というか、どういう状況だ、これ。


「まぁ、元より隠れるつもりもなかったんですけどね」


 そう言って、少女が微笑ほほえむ。


 その笑みは可愛らしい反面、やけに穏やかで、子供が浮かべる表情にしてはいやに大人びて見えた。そんな顔を見せられ、俺は――


「スマホを取り出して何をするつもりです?」


 俺の行動に、少女が小首をかしげる。こんな状況ながら、そんな少女の仕草を俺は、可愛らしいと思ってしまう。


「不審者が部屋にいたら百十番ひゃくとおばん


 が、それとこれとは話が別だ。相手がどんな風貌ふうぼうであれ、対処は正確に行わないといけない。


 どうやって鍵の掛かった部屋に入ったのか、どうして押入れに隠れていたのか、少女の正体を含めて気になる事は多々あるが、ややこしい事は公的機関に任せるに限る。


「わぁー! すみません。止めて下さい。困った事になりますから。あなたが」

「ん?」


 画面を押しかけた指が止まる。


「俺が? 警察呼ばれて困るのはお前の方だろ?」


 苦し紛れにしては……いや、待てよ。縁もゆかりもない少女が、絶賛一人暮らし中の男子高校生である俺の部屋にいるというこの状況。警察を前にして不利なのは果たしてどちらか。考えるまでもなく俺だ。


「ぐっ! 子供のくせに卑怯ひきょうな」


 不法侵入の次は脅迫とは、こいつ、見た目とは裏腹に相当の悪人気質きしつなようだ。


「あ。多分、あなたが考えている事と、私が言っている事は百八十度近く違いますよ。言うなれば、くまとアライグマくらい違います」

「何?」


 どういう事だ? 後、熊とアライグマを間違える奴はさすがにいないだろう。

 熊は熊科だがアライグマはアライグマ科で、どちらかと言うとたぬきに似ている。――と、そんな事はどうでも良くて……。


「自己紹介が遅れました。私は座敷わらし。いわゆるひとつの、妖怪です」

「……はい?」


 普通に考えれば、それは子供の戯言ざれごと。冗談の一種のはずだ。ただ、その戯言を完全に無視出来ない雰囲気が、確かにこの少女にはあった。


 圧倒的な違和感。未知なる者への畏怖いふにも似た感情……。


「証拠は?」


 だからだと思う。そんな言葉が俺の口から出たのは。


「証拠、ですか? そうですね。では、こんなのはどうでしょう?」


 瞬間、少女の姿が俺の前から消えた。

 移動したのではない。消えたのだ。それこそ、初めからそこに何もなかったかのように……。


 夢? それとも俺の頭がおかしくなった? 出来れば前者であって欲しいが、残念ながら後者の確率の方が高そうだ。


「どうです」


 再び、少女の姿が目の前に現れる。先程と全く同じ場所、同じ姿勢で。その表情が少し誇らしげに見えるのは、俺の気のせいだろうか。


「これで認めてくれますよね。少なくとも私が、人ならざる者だって」

「あぁ。どうやら、俺の頭はおかしくなったようだ。俺に必要なのは警察ではなく、病院かもしれないな」


 しかし、こういう場合、どこの科に掛かればいいんだろう? 精神科? もしくは脳外科、とか? 何にせよ、大きい病院にまずは出向いた方が良さそうだ。


「もー! なんでそうなりますか。素直に、目の前の現実を受け入れて下さいよ」


 少女が体全体でいらつきを表現する。それはまるで駄々だだをこねる子供のようで……いや、見た目はまんま子供なのだが。


「そうだな。幻覚と会話が成立するようになったら、末期かもな」


 そして、その幻覚が寄りにも寄って少女の姿とは……。自分では、そういう気はないと思っていたんだけどな。

 実際、俺が好きなタイプは、家庭的で優しくて、それでいて芯が強そうな――


「そういう事じゃなくて! なんで最近の日本人は、誰も彼も自分を病気に仕立てあげたがるんです。あなた達がそんな風だから、私達の居場所が日々減っていくんですよ」


 幻覚に説教されてしまった。やばい。本格的にやばい。今すぐ何とかしなければ。


「分かりました。面倒ですけど、まずは私の存在を認めさせるところから始めましょう。付いてきて下さい。外に出ます」


 そう言って少女が立ち上がる。


 幻覚に従う道理はなかったが、この際、病院に行く前にうみは全部出し尽くしておいた方がいいだろう。展開次第では治療の時に大きな助けになるかもしれないし。


 俺は手にしていたスマホをズボンのポケットに入れると、立ち上がり、少女の後に続いた。




「で、どうするんだ?」


 少し先を進む少女を追い、俺は住宅街を歩く。


 公道で幻覚と話している状況を他人に見られるのはかなり不味まずいので、あくまでも視線は前方、少女に話しかける声は小声だった。


「今、ちょうど良さそうな標的を探しているところです。もう少しお待ちを」


 標的? 何だか物騒な響きだな。


 歩く事数分。少女が立ち止まる。それに釣られて俺も足を止めた。


 場所は住宅街の先端とも言うべき所だろうか、俺達の行く先、数十メートル先にはコンビニや薬局などが建ち並び、住宅街の様相ようそうとは一線を画している。


「あの白いポロシャツの男性を、さり気無く観察していて下さい」


 言うが早いか、少女は小走りで道を歩く男性の元に駆け寄っていく。俺はその様子を、少し離れた場所からぼんやりと眺める。


「わぁ!」


 すると突然、男性が大声を上げた。

 少女が男性のズボンを引っ張り、その結果、男性が視線をそちらに向けた――ように見えたが、それはあり得ないはずだ。なぜなら、少女は俺の生み出した幻覚、幻なのだから。


「これで分かっていただけました?」


 少女が行きと同じように、小走りで俺の元に戻ってくる。


「どういう事だ?」

「あの方の注意を、私がいる場所に向けて姿を現した、ただそれだけの事です」


 いや、ただそれだけって……。それより何より――


「姿を? お前はずっと見えてるじゃないか?」

「えぇ。あなたには。これも座敷わらしの能力の一つなのです。特定の人物に姿が見えるようにする。または見えないようにする。他の妖怪では精々せいぜい消すか現すか、もしくは取りいた相手に見えるようにするぐらいですが、私達は人物単位でそれが出来るのです」


 なるほど。分かったような、分からないような。


 ちなみに、座敷わらしに標的にされた男性は辺りを少し見渡した後、首を傾げながら再び元のように歩き始めた。彼にしてみれば、白昼堂々、突然有り得ない事が起き、まるできつねか何かに鼻をままれたような気分だろう。


「姿を現したのは一瞬でしたから、おそらく大丈夫でしょう。人に話したところで信用される確立は低いでしょうしね」


 悲しい事です、と座敷わらしは付け加える。

 その様子は本当に悲しそうで、妖怪にも何か思う所があるんだろうなと、俺は勝手な感想を彼女に対して抱く。


「さぁ。部屋に戻りましょう。ここからが本題です」


 部屋に戻り、居間の床に腰を下ろす。座敷わらしも俺の真正面に腰を下ろした。


「私の存在を認めて頂いたところで、早速ですが本題に入らせて頂きます」


 先程の光景を目の当たりにした以上、目の前の少女の存在を認めた方が無難だろう。自ら精神異常者になる必要はないし。


「そういえば、座敷わらしの事は知っていますか?」

「まぁ、人並みには。人の家に勝手に居着いてその家に幸運をもたらすとか。いなくなると不幸が舞い込むとか。悪戯いたずら好きとか?」


 他の妖怪はともかく、座敷わらしは結構ポピュラーな存在なので、大半の日本人が俺程度の知識なら持ち得ているはずだ。本当はもう少し色々と知っているのだが、当人にあまりネガティブな情報を突き付けても気を悪くするだけだろうからと、あえて口にはしなかった。


「それだけご存知なら十分です。説明する手間がはぶけます。ですが、今回は少し特殊な状況、事例でして……」


 俺にとっては、座敷わらしが部屋にいるだけですでにレアケースなのだが……。


「お恥ずかしい話、今の私は人に幸福をもたらすための力、わば〝幸福力こうふくりょく〟というものが底を尽きかけている状態なのです」

「いや、そこで照れられても……」


 俺には、座敷わらしの言う、事の重大さがいまいちピンと来ていない。


「つまり?」

「その力を補充しなければいけないわけで、そこで見事に白羽しらはの矢が立ったのがあなたです」

「それは喜んでいいのか、それとも悲しんでいいのか……」


 経験がない、というより、普通に生きていたら一生経験するはずのない事だけに、どういうリアクションを取っていいのか、本気で分からない。


「うーん……。どちらかと言うと、喜んでいいかと。少なからず幸福は舞い込みますから」

「で、俺にどうしろと?」


 何か特別な事をしなければいけないのだろうか? 例えば、お供え物をしたり、神棚に何かを奉納ほうのうしたり?


「別に普段通りに生活して頂ければ結構です。結果的に私が付きまとう事になりますから、ご迷惑を掛ける事になると思いますが」

「付き纏う? 座敷わらしなんだから、俺の部屋に住み着くんじゃないのか?」


 名前に座敷とあるのに、家にいないとはこれ如何いかに。


「通常の場合はそうですけど、何しろ特殊な状況ですから」

「ふーん」


 まぁ、いいや。もうどうにでもしてくれ。


「ところで、なんで俺なんだ?」


 部屋の押入れで待ち構えていた事を考えると、座敷わらしは初めから俺に狙いを定めていたように思えるのだが。


「あなたが、〝幸福力〟を人より圧倒的に多く生み出せるからです」

あんに俺を馬鹿にしてると」


 よし。ならば、その喧嘩けんか買おう。


「違います。違いますよ」


 俺の言葉を、顔の前で手を振って慌てて否定する座敷わらし。


「確かに、その人が幸福だと思えば思う程、その力はその人の周りから多く生み出されます。しかし、これはそういう話ではなく、二人の人間が同じだけの幸福を感じたと仮定した上で、前者の人より後者の人の方が多くその力を生み出せるという話であって、決して後者の人の人格等をおとしめるたぐいの話ではなく……」


 よし。いい具合に頭がこんがらがってきたぞ。


「なるほど。つまり、あれだな。考えるより感じろ。どう足掻あがいても馬鹿ばかには理解出来ないのだからと、そういうわけだな」

「うー。申し訳ありません。説明下手で」


 俺の理解力のなさを、自分のせいだと思い込んだ座敷わらしが割と本気でへこんでみせる。


「要は俺が適任って話だろ?」

「色々な説明を省けばそうなります」

「そうか」


 なら、仕方ないな。これも何かの縁。妖怪が近くにいるという非日常が味わえると思って、前向きに捉えるとしよう。


「……私が言うのも何ですけど、順応、早いですね。普通はもっと、慌てたり取り乱したりするものだと思うんですが」


 俺があまりにあっさり現状を受け入れたためか、座敷わらしの顔に若干あきれのそれが浮かぶ。


「まぁそれが、俺の長所というか短所というか……」


 実際、身近なあの人にも、その事についてよく言われる。


 ――遼一りょういちのそういうところはいいところだと思うけど、時にそれは短所にもなるわ。気をつけなさい。


 彼女は俺にとって、姉のような存在であり、初めて意識した異性でもあった。


 そんな俺の回想にも似た思考を、ズボンのポケットの中で震えるスマホが、瞬時に現実へと呼び戻す。


 ポケットからスマホを取り出し、画面に目をやる。


 噂をすれば何とやら。

 秘かに苦笑を浮かべながら、俺は通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる。


「もしもし、ユイねぇ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る