第3話 両手に花

 一時間目が始まって間もなくすると、ふいに座敷ざしきが俺の隣に姿を現した。


【お前、どこ行ってたんだよ】


 ノートの上部に、そう走り書く。


「いましたよ、近くにずっと。ただ姿を消していただけで」

【今更、何のためだよ】

「気をつかったんですよ。その方が日高ひだかさんと話しやすいと思って」

左様さようか】


 まぁ、余計なお世話と思わないでもないけど、座敷が見えていると、そちらに少なからず意識が向いてしまうのは間違いないわけだし、ここは何も言わず(書かず)話を流すとしよう。


「うふふ」

【なんだよ】

「いえ、いい具合に幸せになってきたなぁと思いまして」

【分かるのか?】

「えぇ、何となく」


 何となく、ね……。

 妖怪の彼女が言うと、そんな言葉にすら妙な説得力があるから困る。


【お前さ】


 と書き、ペンを止める。


 俺の頭の中には、今一つの妄想とも言える考えが浮かんでいた。座敷はもしかして、あのお屋敷に元々はいたのではないか、という漠然ばくぜんとした予想である。

 その根拠の一つは、座敷がウチに来た時期であり、更にもう一つは、あの屋敷の呼び名にあった。


 いわく、物の怪もののけ屋敷。曰く、化け物屋敷。曰く、妖怪屋敷。

 呼び方は様々だが、その全てが人外の物があの屋敷に住みついているのではないかという、恐れや忌避きひから来ている事は一定していた。


 つまり、座敷はあの屋敷に少し前まで住んでいたが、家主のじいさんが死んだため、俺の所に転がりこんできたのではないかと、俺は考えているわけだ。

 ただ、それを直接、座敷に尋ねるのは気が引ける。なので――


【俺の所に来る前ってどこにいたんだ?】


 今回は抽象的な質問をするに留めた。何となく、安易に聞いてはいけないような気が、この問題に関してはしたからだ。


「なんです? それ。あ、もしかして、彼女の元カレが気になる彼氏みたいな?」

【ちげーよ】


 照れ隠しでも何でもなく、普通に違う。


【いや、なんというか、これから一緒に生活していくわけだから、お互いの事をもっと知っておく必要がやっぱりあるだろ】


 俺の書いた事は嘘ではなかった。けど、真実かと聞かれれば、イエスと言えないだけで……。


「……」

【座敷?】


 俺の言葉に何か思う所があるのか、ふいに座敷が黙り込む。


「すみません。少しぼっとしていました。遼一りょういちさんのが移ったのかもしれませんね」


 意図的かいなかは別にして、座敷がこの話題に対し、あまり乗り気でない事は何となく伝わってきた。なので――


【ところで、力の補充ってどのくらいで終わるんだ?】


 少し強引だが、話題を別のものへと換える。


「あー。どうなんでしょう?」

【なんだ、それ】


 書きながら、俺は思わず苦笑をこぼす。


「今回のケースはイレギュラーにつぐイレギュラーなので、正直、私でもよく分からないというのが本音です。すみません」


 そう言って、座敷は本当にすまなそうに俺に頭を下げる。


【いや、別に謝ってもらう必要は全然ないんだけどさ。ほら、ちょうど一人暮らしにも飽きてき始めてたところだし】


 一人暮らしにきる。自分でもよく分からない文言もんごんだが、他にうまい言い方が思いつかなかったので、仕方なくそのまま書いた。


「ありがとうございます。遼一さんは本当にお優しい方ですね」

【今頃、】

阿坂あさか、次読んでみろ」


 はかなげな笑みをその顔に浮かべる座敷に、何か冗談めかした言葉でも返してやろうと書き掛けたところで、前方から男性教諭きょうゆのそんな声が聞こえてきた。


「え?」


 やばい。座敷との会話に夢中になり過ぎて、全く授業を聞いていなかった。

 何をどうすれば分からないまま、とりあえず起立をする。


「適当な所で止めるから、そこまで普通に読んでくれ」

「えーっと……」


 と言われましても……。


「四十ページ、五行目」


 本格的に困りだした俺の耳に、天使のささやき――もとい、日高の小声が届く。

 教えられた箇所かしょから何わぬ顔で俺は、暗唱をする。


「よし。次、田中たなか

「えー」

「えーじゃない」


 等とクラスメイトと教師がいつものり取りをしている間に俺は、内心の動揺を顔や態度に出さないよう心掛けながら着席をする。


「悪い。助かった」


 そして、椅子いすに座るなり、日高に小声で礼を言う。


「もしかして、調子悪い? 保健室行こうか?」


 声と表情から日高が本気で俺の事を心配してくれているのが伝わってきて、俺はひどく申し訳ない気持ちになった。


「いや、ちょっと別な事考えてて」

「もう。ダメだよ、授業中は先生の言う事に集中しなきゃ」

「はーい」


 お母さんにしかられる子供よろしく返事をし、俺は今度こそ意識を授業へと切り替える。


 座敷の姿はまた気を遣ったのか、いつの間にか消えていた。




 夏が終わり、部活はすでに代替わりが行われた所も多い。

 かくいう我が陸上部も、インターハイ終了を持って三年生は全員が引退、部長・副部長も二年生に順当に引き継がれた――のだが……。


「やばい。死ぬ」

「止めてよね、吐くのは」


 部活終わり、部室で着替えた俺は、但馬たじまと一緒に校門へと向かう。


 但馬とは同じ部活・同じ種目という事で、こうして一緒に帰る事も少なくない。厳密には男女で練習メニューが違うので、いつもというわけではないか。


 いや、それはそれとして――


「他に掛けるべき言葉があるだろう」

「えー。ダイジョウブ、ツラクナイ?」


 見事な片言、棒読みだった。


「もういい。お前にこの手の事を期待した俺が馬鹿ばかだった」

「ホントよ。そういう事はサクラにでも期待してよね。アンタ達、結構いい感じなんだから」

「いい感じ、なのか?」


 自分ではその辺の事はよく分からないのだが。


「何? もしかして、女友達から、こっそり向こうの気持ちを聞き出そうっていう魂胆? 私、そういうの好きじゃないなー」

「ちげーよ。話の流れっていうか、ただの疑問だよ」

「疑問、ね。そんなに気になるなら、本人に直接聞けば?」

「ばか。そんな事、出来るわけないだろ」


 というか、この話の流れだと、俺が日高に対して特別な感情を持っている事が、さも当然のように話されてしまっており、何というか非常によろしくない感じだ。


「にしても大変だね、男子の方は。新部長達が必要以上に張り切っちゃってて、最近特にオーバーワーク気味じゃない?」


 幸いな事に、但馬の方も日高に関する話題を必要以上に長引かせる気はなかったらしく、すぐに話題は今さっきまで行われていた部活動の練習内容へと移った。


「まぁ、今年の成績が良かっただけに、二年生はそれなりにプレッシャー感じて、必死こいて練習に取り組んでるっぽいしな」

「何その、他人事みたいな態度は」

「いや俺、まだ一年だし」


 手を抜いて練習をしているわけではないが、二年生程の気概きがいがないのは事実だし、また仕方のない事だと思う。


「期待のエースが、そんな感じでいいと思ってんの」

「いや別に、エースじゃねーし」


 少なからずコーチや先輩からも期待はしてもらえているようだが、だからといって、一番の有望株かと言われれば首をかしげざるを得ない。


「そんな事言わずに頑張ってよね。私は期待してるんだからさ」

「ま、頑張りはするけどさ」


 正直、期待され過ぎても困るというのが、俺の今の本音だ。


「私をインターハイに連れてって」

「は?」


 某野球漫画のヒロインを彷彿ほうふつとさせる但馬の台詞せりふに、俺は思わず、素のリアクションを返してしまう。


「いやいや、連れてくも何も、あれは女子が自分じゃいけない所に男子が連れていくからこそ意味があるんであってな、男女が同じようにやってるスポーツじゃ成り立たないとは言わないけど、感動は半減どころかそれ以下だろう」

「うわぁ。ネタにマジレスですか。ボケた私が馬鹿みたいじゃん」


 まぁ確かに、今の返しは大人気なかったというか、真面目まじめ過ぎたというか……。


「すまん。今のは、照れ隠しならぬ動揺隠しだ」

「あ、そう? なら、いいけど」


 俺の言い訳に、あっさりほこを収める但馬。しかし、その頬はよく見ると赤らんでおり、彼女自身、自分の放った言葉のせいで動揺をしているのは確かめるまでもなく明らかだった。


「……二人共、何かあった?」


 程なくして校門に着いた俺達は、そこで合流した日高にそう声を掛けられる。


「いや、別に……」

「特には何も……」


 などと言いつつ、気恥ずかしさから、お互い、別の方向を向く俺と但馬。その仕草は見るからに不自然で――


「えーっと、もしかして私、邪魔?」


 俺達は日高に要らぬ誤解を与えてしまう。


「そんなわけ……」

「そうよ。何なら、私の方が席外した方がいいくらいで……」

「うふふ」


 慌てて自分の言葉を否定する俺達の様子がおかしかったのか、日高がこらえ切れなくなったように笑う。


「ごめんごめん。いつも美穂みほがからかってくるから、つい……」

「……サァクゥラァ」

「だから、ごめんって」


 襲い掛かるように両手を挙げる但馬から逃げようと、日高が校外に出て、それを但馬も追う。


「仲いいな……」


 じゃれ合うように歩く二人にそんな感想を零しながら、俺も少し遅れて校門を後にする。


「両手に花ですね」


 二人と距離が出来たのを見計ってか、座敷がふいに隣に姿を現す。


「否定はしない」


 日高はもちろん、但馬もどちらかと言うと美人に分類される顔立ちをしており、彼女に好意を寄せる男子も決して少なくない。とはいえ――


「まぁ、遼一さんの本命は……聞くまでもありませんね」

「おい」


 分かっていてもそういう事は口にしないのが、お約束だろうが。


「……」

「なんだよ」

「いえ、なんでもありません」


 明らかに何かを考え込んでいた風な座敷だったが、本人がそう言うのなら、これ以上深くは追及しないでおこう。


「阿坂―」


 声に前を向くと、いつの間にか距離が開いていた前方の二人が、立ち止まりこちらを振り返っていた。


「悪い」


 謝り、小走りで二人に近付く。


「もう。何してるのよ」

「ちょっとぼっとしてた」

「阿坂君は寝不足なんだよねー」

「何それ」


 両手に花を抱え、今度は俺も会話に加わりながら、共に帰宅のに着く。

 こうして座敷を連れた俺の学校生活初日は、無事終了した。


 そして、明後日は……。

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