巻之参
『”宗家病”だな。それは』
『は?』
”先生”の口から聞きなれない言葉が出たので、俺は思わず彼の顔を見返した。
東京近郊の小さな町・・・・・何を隠そうそこは俺の生まれ育ったところだ・・・・にある柔道の道場である。とはいってもそこはモダンで明るい建物。窓からようやく暖かくなり始めた陽射しが一杯に入って、青畳を照らしている。
『”そうけびょう”だよ。聞いたことないのか?』
柔道着に紅と白のだんだら帯姿で俺の前に正座している『先生』は、腕を組んで苦笑しながら同じ言葉を繰り返す。
この道場は俺がまだ小学校の頃から通い詰めて、柔道を習ったところでもある。
つまり、俺の前に座っている『先生』は、俺がガキの頃からお世話になっていた人でもある。
え?
(お前、
混ぜっ返すなよ。
俺が嫌いなのは『学校の
この人は厳しくはあったが、指導の仕方だけは本筋だった。俺がほぼ毎日、熱心に通ったのも、柔道が好きだったというより、先生のお陰だと言っていもいいだろう。
加えて、先生は柔道だけでなく、某古流柔術の継承者でもある。
『”
俺が聞き返すと、先生は苦笑し、
『古武道の世界じゃ良くあることでね。”〇〇流宗家”って名乗りたがる手合いのことさ』
武道の世界も茶道や華道なんかと同じで、
”宗家”だの、
”師家”だのと、肩書を付けたがる。
しかし柔道や剣道みたいに、段位を発行する機関がはっきりしているところは簡単にウソも付けない。
ところがこれが古武道だとか古武術になると、そう自称しても、どこからもあまり抗議が来ることはない。
実力もそこそこあって、ある程度型なんかが見せられれば、大抵はなるほどと納得してしまうものらしい。
そうしてもう一つは『ハク付け』・・・・つまりは古文書だとか、伝書といった類のものがあればなおいい。
『しかしな、これも時としてかなりいい加減なものが多い。』先生は少しばかり真面目な顔になった。
『他の流派や流儀について、あまり悪く言うのは好きじゃないんだが、あの”神明無敵流”というところな。お世辞にもあまりご立派なところではないらしい。
何でも内部分裂みたいなものをしょっちゅう繰り返していて、今の宗家と名乗る人にも、兄弟弟子が随分大勢いたのだが、今は悉く分裂をして、それぞれが別の流派を名乗って活動しているという。
『・・・・
先生はそこで一つ大きくため息をついた。こうした話題が好きじゃないってのは、どうやらウソではないらしい。
『なるほど、良く分かりました。で、その中に、甲斐光信って人がいたのを知ってますか?』
『ああ、知っとるよ。意外と真面目な人間だ。儂も古武道の演武会で何度か会ったことがある。言いたいことは歯に衣着せず言う男だ。それもあって”宗家”とやらと揉めたんだろう。』
『有難うございます。それだけ聞ければ十分です。今度はそっちを訪ねてみます』俺が言うと先生は、
『何だったら紹介状を書いてやろうか?奴さん、随分気難しいところある男だからな。知らない人間には滅多に会わないらしい』
それには及ばない・・・・と言おうとしたが、まあ折角のご厚意だ。ここは甘えることにしよう。
それじゃ支度をするよ。といい、先生が立ち上がった。
『久しぶりに生まれ故郷に来たんだ。実家へは寄っていかんのか?』
と、突然訊ねてきた。
『そのうち暇が出来たら寄りますよ。』
親不孝な男だ。先生はそう言って笑いながら道場を出て行った。
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