巻之弐

『率直に申し上げます。当流に伝わる秘伝書を取り戻して頂きたいのです』


『は?』


 宗家とやらがいきなり話し始めたので、俺は飲みかけた紅茶を、危うく吹き出しかけた。


『おっしゃっている意味が良く分かりませんが?』


 彼はティーカップを置くと、

『失礼しました』と断ってから、ゆっくりと話し始めた。


 森尾氏が受け継いでいる、

『神明無敵流』という武道は、室町時代中期頃に始まり、体系化されたのは江戸時代の初期になるという。


 彼はくどくどと、流派の謂れや、どんな技があってということを説明してくれたが、正直俺にはどうでもいいことだった。


 要点をかいつまんで話すと、こうだ。


 森尾氏は今から30年ほど前、先代の宗家から継承したのだが、その際、伝書などの類、合計十数巻も託された。


 問題が起きたのはその後のことである。


 森尾氏の弟弟子にあたる甲斐光信かい・みつのぶという人物が、

”独立したい”と言い出したのだ。


 当然、森尾氏は、何故かと訊ねたが、彼は、

”師匠との約束があるので”と答えた。

 何度か彼と膝を交えて話し合いを持ったが、甲斐氏は”自分は師匠に託されたことを果たすだけです”。と答えるばかりで埒があかない。


 結局、袂を分かつ形で、彼は彼で独立したのだが、その時に同流に伝わる秘伝書一巻を、森尾氏に無断で持って行ってしまったのだという。


 神明無敵流に於いては、代々受け継がれてきた全ての秘伝書や古文書が揃っていないと、後継者として認められない。



『そんなの簡単でしょう。訴訟でも起こして裁判に持ち込めば如何です?』


『勿論、それも考えました』森尾氏は腕を組み、憮然とした表情をを見せた。

 

『しかし、流派の争いを法廷に持ち込んで、歴代の宗家の歴史に傷がつくようなことがあれば問題ですからね。何とか穏便にをつけたいと・・・・』


 ”幾ら仲たがいをしていたとしても、向こうとは仮にも同じ釜の飯を食べ、苦労をした仲ですからね。”


 彼はそうも付け加えた。

 

 一見、筋が通っているようにも思えるが、俺はこの宗家氏の態度と言葉に、何となく胡散臭いものを感じてしまった。


『私は法に違反していない限り、大抵の依頼は引き受けるつもりではいますが・・・・』俺は腕を組み、しばらく考え、彼の様子を観察した。


 俺は自分も武道をやっていた癖に、こういう跡目争いがどうのとか、宗家がどうのといったものが好きになれない。

 強ければそれでいいなどとは思わないが、跡目を誰が継ごうと、それほど問題ではないんじゃないか。

 そういう思いが、胡散臭いという気持ちを起こさせたのかもしれない。


『まあ、いいでしょう。安藤君は私の後輩でもあり、在隊時代の友人でもありますからな。ギャラについては彼からも聞いているかと思いますが、基本六万円。他に必要経費、仮に拳銃がいるような仕事であれば、危険手当として四万円の割増し料金を頂きます。仕事の進め方については、私の手順でやらさせて頂きます。これが契約書です』


 俺はそう言って、上着のポケットから封筒に入った契約書を取り出し、卓子テーブルの上に置いた。


『それをお読みになって、納得出来たらサインをお願いします』


 彼はわかりましたと短く言い、取り出した万年筆で手早くサインをして返した。








 

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