第29話

 ようやく母親が荒れている原因が分かった。

 そりゃ5歳の子供が自分で婚約を決めてきたら荒れるわけだわ。


「ど、どど、どうしよう!?」


 いまさら、無かったことになんて出来ないよな?

 当主である父親が確認を取ってきて、それでも俺は彼女がいいと言ってしまっているのだ。

 逃げるわけにはいかないし、そんなことをしたら母親は喜ぶかも知れないが父親は怒るだろうしアリサ先生は傷つくはずだ。

 彼女が傷つく姿は見たくない。

 あんなに嬉しそうに俺を膝の上に乗せて歌を歌っていたくらいだ。

 ここは……。

 男として責任を取るべきだろう。

 

「それにしても5歳にして、婚約者ができるなんて……。俺の47年の人生経験も大したことなったというか……さすが異世界というべきか……」


 まずは、そうだな……。


「アリサ先生に、きちんとプロポーズをすることから始めないといけないか。自分の自覚してないところで結婚が決まっていたなんて、それはいやだからな……」


 ――自分の気持ちは固まった。


 問題は、自分の気持ちをどうやってアリサ先生に伝えるかだが……。

 そう、すでにアリサ先生は俺からのプロポーズを受けている。

 つまり、再度、アリサ先生に「結婚してください!」と、言うのはおかしい。


 俺は、両手で頭を押さえ「ああー……。もう本当に、俺ってバカだ!」と、叫びながら川原の岩場の上で転がり続ける。

 自分で自分のした事の重大さが分かるほど、自分が深く考えずに、その場のノリで適当に考えて、適当に答えていたということが分かってしまう。


「どちらにしても、俺のすることは決まっている。きちんと責任を取ることだ! それが社会人としての最低限の礼儀ってもんだ!」


 冷たい川の中に顔を突っ込む。

 そして、多くのことを考えて熱くなっていた頭を冷やす。


「さて! いくか!」


 俺は、自分が起こした問題にケジメをつけるため家に向かって歩いていく。

 家までの距離は数分だが、その数分がやけに長く感じられた。


 シューバッハ騎士爵邸――。

 俺は、その正面の玄関の戸を横に動かして家に入る。

 すると、サンダルを履こうとしていたアリサ先生と視線が合う。

 彼女は右手に木の杖を持っていた。


 彼女は一瞬、呆けたあと「アルス!」と言いながら、立ち上がると抱きついてくる。


「どこに行っていたの? すごく心配したのよ?」


 涙声で俺に訴えかけてくる彼女の表情は、儚く見えて……とても美しい。

 それだけに、彼女をこれから傷つけるかも知れないという現実は、俺から決意という意志を削いでいくには十分な効果を持っている。

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