十一章

カーミラの捜索は夜を徹して行われました。


言うまでもなく、お城の使用人たちも総出で、お城の中や近くの森を隈なく探しました。


カーチスはその特権を利用し地元の警察官も動員して近隣の村々にも捜索の手を伸ばしましたが、遂には見つかることなく朝になったのでございます。


わたくしは件の病のせいで体力が衰えておりまして、夜中の間ずっとお城を駆け巡っていたせいでしょうか、遂には貧血のようにめまいを起こし、自分の寝室で気を失うように眠りました。その時には暗闇の中の会話も、悪夢もありませんでした。


目を覚ましますと、空はもう紅に染まり、遠くの空から夜が忍び迫っておりました。


呼鈴を鳴らしてメイドを呼びますと、目覚めの紅茶とグヤーシュが盛り付けられた皿を持ってまいりましたので、それを寝室で頂きました。


それからメイドに捜索の行方を聞きましたが、結局カーミラは姿をくらませたままでございました。


メイドの話によりますと、驚いたことにカーチスは我が家の電話を使い、夜のうちにご自分の部下である親衛隊の部隊を村に呼び寄せて、部隊が朝に到着いたしますとそのまま捜索に参加したそうなのでございます。


これには父を含めて城中の者が仰天したようで、話を聞いておりましたわたくしも大層驚きました。


ナチス党の、取り分けエリートと呼ばれる親衛隊の部隊が、行方知れずのお嬢さんの捜索に加わったというだけで信じられないものを聞いたような気持ちになりました。


ですが結局カーミラを発見するには至らず、わたくしは彼女の安否が心配で、気が気ではありませんでした。


彼女が行方不明になったあの夜、村ではまた一人、若い女性が血吸われ病で亡くなったとも聞かされました。もうこれで何人目の方でしょうか。事態はとうとう深刻な状況になっているようでございます。


こうしてわたくしがメイドから話を伺っておりますと部屋のドアがノックされました。


許しを出しますと、父が以前お城にいらっしゃった老紳士風のお医者様を伴って寝室を訪ねてまいりました。


父はわたくしに体調を尋ねましたので、少し取り乱して疲れてしまったのだと説明いたしました。


それから、先ほどメイドに教えていただいたことと全く同じ内容をわたくしにお話になると、父はメイドに席を外すように言われました。


人払いが済み、わたくしの寝室には三人だけが残されております。しばらくの沈黙の後、口火を切ったの父でした。


「ローラ。私はお前が心配なんだ。もちろんカーミラがいなくなったことも大事ではあるけれど、それは今は警察の仕事で我々にできることはただ無事を祈ることばかりだ。だけどお前は私の大事な娘なんだ。ここのところ日々やつれていくお前の姿を見る度に私の胸は痛むのだよ。どうかお願いだ。父さんの目の前で、こちらの先生に自分の体のことを話してはくれないだろうか。話して父さんを安心させて欲しい」


父の表情は真剣そのもので、じっとわたくしに心配する瞳を向けておられました。


父の嘆願にわたくしはようやく観念いたしまして、わたくしは自分の症状について白状いたしました。


初めはただ話を聞いていただけの先生でしたが、わたくしの話が進むにつれてそのお顔は険しくなっていきました。


先生は部屋の窓の前に立ち、話を聞いておりましたが、話が終わる頃には壁に背を預け、興味深そうにわたくしを見つめておられました。その瞳には微かに恐怖の色が混じっているようでございました。


「ローラさん。私の質問には答えていただけますかな?」


「はい、先生。何なりと」先生の問いにわたくしはそう答えました。


「では伺いますが、最初に恐ろしい夢を見た後に二本の鋭い牙に突き立てられたような痛みを感じたと仰いましたが、まだ痛みは残っていますか?」


「いいえ、それきりですわ」


「場所を示していただけますか?」


わたくしは喉の下辺りを手で指し示しました。


「ローラ、その場所を父さんが確かめても構わないかな?」そう言ったのは父でございます。


わたくしは承知いたしますと、ドレスの襟を下げてその部分を露出いたしました。


すると父と先生は二人揃って青ざめたようなお顔になったのでございます。


「どうかなさいましたか?」わたくしは怪訝に思い尋ねました。


すると父は鏡台の上にあった手鏡をわたくしに手渡しました。


「自分で確かめてみなさい」


父に言われるがまま手鏡で首の下辺りを確かめてみますと、ちょうど痛みを感じた部分に小指の先くらいの小さな青あざが二つ並んでおりました。


「いや、大したものじゃありませんよ。ただの青あざです。しばらく安静にしていればそのあざも消えますし、ローラさんの体調も良くなるでしょう。私はお父様と少しお話がありますが、どうか必要以上に考えてはいけませんよ。お体に障りますからね」


先生は明らかにわたくしを安心させるための嘘を吐いておられましたが、わたくしは黙っておりました。そうしているうちに父と先生は出て行かれましたが、やはりそのお顔に晴れるようなものはございませんでした。


一人残されたわたくしは、ベッドから立ち上がり窓の景色を眺めようといたしましたが、体は予想以上に悪くなっていたようで、思い通りに歩くことが出来ませんでした。


陽の光が犯され、陰と陽が入り乱れる黄昏の時間。


すっかり葉が落ちて枯れ木の群のようになってしまった森と、遠くの方で沈む太陽に影を作っている廃城カルシュタインの景色はどこか退廃的で、けれどどこか幻想的な雰囲気を漂わせておりました。


しばらくそれを眺めてから、わたくしは漆黒の空がやって来る前に眠りについたのでございます。


明くる朝目を覚ましますと、わたくしは体調の変化に驚きました。毎朝感じていた身体を包む倦怠感が無くなっていたからでございます。


それどころか、この数週間で衰えていた体力もすっかり元に戻り、名実共に回復していたのでございます。


この急激な回復には流石の父も驚き、神に感謝の祈りを捧げるほどでございました。


わたくしは久々に自分の言う通りに動く体が面白く、ふらふらとお城のあちこちを散歩しては、その度にすれ違う使用人の驚いた顔を見て楽しんでおりました。


しかしそれは束の間の喜びで、やはりカーミラがいなくなってしまった悲しみはどうしようもなく、わたくしに暗い影を差しておりました。


父にカーミラの捜索状況を尋ねても、未だ見つかっていないと答えるばかりで、あまり多くを語ろうとしませんでした。


それどころか、カーミラの話をしようとしてもあからさまに話題を逸らしたりと、まるでわたくしが彼女の名前を発することを嫌っているようでございました。


「お父様。どうしてカーミラのことをもっと心配されないの? わたくしがどれだけカーミラを愛しているか、お父様にはわからないでしょうね」そう言ってからわたくしは、自らの失言に気がついたのでした。


「そうか。やはりお前はカーミラに恋をしていたのだな」父は少し青ざめたように言いました。


わたくしは知られてしまったことによる動揺はなく、それよりも父から初めて向けられる冷たい目線に、半ば開き直ったように答えました。


「ええそうよ。わたくしは彼女を……カーミラを愛していますわ。今でもそう。だから彼女がいなくなってわたくしは寂しいのです。これが神の理に反していることはわかっております。だからと言って素直になれるほど良い子ではありません」


「ローラ、よく聞きなさい。今まで私はお前に深い愛情を注いで育ててきた。それは偏にお前が大切な娘だからだ。私は常にお前のことを第一に考えているし、お前はわたしが思っていた以上に賢くあり、そして美しく育った。私はそれを誇りに思う。本当だ。私はお前が誰を好きになって、誰と恋に落ちようと構わない。だけど、カーミラだけは駄目だ。他の我儘ならいくらでも許そう。だからどうかカーミラのことは忘れて欲しい」


父の言葉に、わたくしはこれでもかと言う程の憤りを感じました。わたくしが父に対して憎しみにも似たこの感情を抱いたのは初めてだったように思います。


「いくらお父様でもあんまりだわ!」わたくしは我を忘れて父に掴み掛かりました。


「どうして他の方は良くてカーミラはいけないのです! わたくしは生まれてこの方恋をしたことなどございません。ようやく知ったこの恋を、お父様は理由も話さず諦めろと仰います。こんな不条理をわたくしが受け入れると思って? お父様はさぞカーミラがいなくなったことを幸運だと思っておいでなんでしょうね。わたくしの気持ちなどはお構いなしに!」


「ローラ! 父さんに向かってなんて口の利き方をするんだ」


「それはお互い様でしょう? ならばお話ください。お父様は何を知って、何を隠しているのです。わたくしは確かにお父様にとって子供ですけれど、もう小娘と呼ばれる年ではありません! これ以上わたくしを侮辱しなで!」 


わたくしは激情に身を任せたまま居間を立ち去ろうと扉へ向かいました。


「どこへ行くんだ!」背中から父の声が聞こえました。わたくしは振り返りもせずに答えました。


「荷物を纏めるの。もうお父様の下にはいられないわ」わたくしはそう吐き捨てて居間を出ました。


何も言わず追っても来ない父に対して一抹の寂しさを感じましたが、この寂しいと思う感情こそ、肉親に感じる最後の情であると言うのであるならば、わたくしにはもう必要の無い感情でございます。


わたくしを制止しようと必死になる使用人達を半ば強引に押しのけて、そそくさと簡単な着替えだけを用意して、お城を後にしました。


森に入ったわたくしを、使用人達はもう追いかけ来ません。父が追うことを禁じたのでしょうか。しかしわたくしにとっては好都合でございました。もう生まれ育ったあのお城に未練はございません。


カーミラにもう一度出会うその一心だけが、わたくしを動かしていたのでございます。


いくら体力が元に戻ったとはいえ、日頃あまり体を動かさないわたくしにとっては、慣れ親しんだ森の広さは過酷なものでございました。


わたくしは一先ずお城から一番近い村を目指して歩いておりましたが、普段は車を使って向かうような道のりは、わたくしには永遠のように感じられました。


歩けば歩くほど足は痛くなり、途中何度も休みを挟みながら、時が経つ程重くなる自分の体を引きずり、わたくしは森の中を進んでおりました。


お城を飛び出した時にはまだ太陽が昇っておりましたが、段々と辺りは薄暗くなり、窓の外から眺めていたあの美しい森は、言い知れぬ孤独と恐怖を煽る、薄気味悪い場所へと変化してまいりました。


恐らく夜の暗さに目が惑わされたのでしょう。気がつけばわたくしは、道を間違えたようでございます。


わたくしが今いるこの場所には道と呼べるようなものがなく、ただ生い茂る草を踏み分けて彷徨っておりました。


短絡的なわたくしは食料といった類を一切持たずにいたため、極度の空腹感に襲われておりました。


また、冬の夜の森に吹く風の冷たさは、孤独と空腹に震えるわたくしの体を切りつけるように、びゅうびゅうと音を立てております。


体の芯まで冷え切ったわたくしに、もう体を動かす余裕はありませんでした。冷たさは一段と酷くなるばかりで、ついに力尽きたわたくしは、倒れこむように木に体を預けて座り込みました。


体が地面の上で安定すると、わたくしは強烈な眠気に襲われたのです。


夜に慣れていた視界は少しずつ闇に飲み込まれ、意識も朦朧としてまいりました。


自分の体は氷のように冷たく、もはや立ち上がることすら叶いません。まるでこのまま海の中に沈んでいくような錯覚に陥っていたのは、もうすぐ自分に死が近づいていることの知らせでしょう。


わたくしは暗い森の中で、独りきりで死ぬ。病気に犯されていた時に感じていたものが、今はっきりを身を蝕んでいたのです。


願わくばもう一度、愛おしいカーミラの顔が最後に見たい。


暗澹へと堕ちゆく最後の景色の先に、誰かがわたくしの近くへ来ている様でありましたが、わたくしがその人物が誰であるかを遂に知ることはありませんでした。

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