二章
ことの始まり、つまりわたくしが体験しゆる奇妙な物語の発端はわたくしが記憶する限り、恐らく出会えば良き友人になれたはずのベルタ・ラインフェルト嬢の訃報を知らせる電報でございました。
それは夏が過ぎ、もう間も無く森の青々とした木々の葉が色づき始める季節だったでしょうか。
その日はすでに太陽が落ちて、辺りは狂おしくも幻想的な月の光が真珠のように純白のベールを森に被せておりました。木漏れ日のように射し込む月光の下、わたくしは父とお城の近くの森を散歩しておりましたが、その日の父のお顔はまるで哲学書を読んでいる学者のように皺が深くなっているのでございました。わたくしの父がそのような難しいお顔をなさる時は、大抵良くない知らせを受け取った時なのでございます。
電報の送り主は先にもご紹介致しました、父の友人のシュピールスドルフ卿でございます。シュピールスドルフ卿は近々わたくしどものお城へ数週間から一ヶ月ほど滞在されることになっておりまして、その際にご一緒される予定でありましたのが彼が後見人となっておられます、シュピールスドルフ卿の姪御さんのベルタ嬢でございました。
わたくしはベルタ嬢にお会いしたことはございませんが、それは大層美しく素敵なお嬢さんと聞き及んでおりましたので、きっとこのモノクロと呼ぶに相応しいわたくしの生活に、つかの間の楽しい日々が訪れるのだろうと思っておりましたから、この先父が語られるお話はわたくしを落胆させるに十分でございました。いえ、落胆などでは片付けることの出来ない悲しみであったと言っても差し支えありません。
わたくしどもは一休みにお城の門の前に据えられておりますベンチに腰掛けました。わたくしもほどよく疲れておりましたので座れることにほっとしつつも、何よりベンチへお誘いになった父のお顔は何かを決心なされたような、大変お硬い表情になっておられました。
「シュピールスドルフ卿の訪問はどうやらしばらく延期になるそうだよ」腰掛けにお座りになられて早々、父はわたくしを見つめながらそう言いました。
「ああ、そんな。わたくしは今では夢に見るほどシュピールスドルフ卿とお嬢さんがお城にいらっしゃるのを待ち遠しく思っておりましたのに」わたくしは尋ねました。「延期と言うからにはいずれいらっしゃるのでしょう? それはいつ頃になるのでしょうか」
「どうだろう。もしかしたら冬を待たなければならないかもしれない。すぐには無理だろうが、こうなってしまっては、おまえがラインフェルト嬢と知り合いではなかったことは幸運であったのかもしれない」
「なんて酷いことを仰いますの」わたくしは恥ずかしげもなく父に噛み付いたのでございます。「お父様はわたくしが新しい友達を作ることを反対なさいますの? わたくしがどれほど、この新しい出会いに胸を膨らませていたのか、お父様ならお分かり頂けていたと存じておりましたが」
「まぁ落ち着きなさい、ローラ」父はわたくしの名を呼び興奮したわたくしをなだめました。「おまえにはまだ話していなかったが、かわいそうにお嬢さんは亡くなってしまったそうだ。夕方に届いたのはシュピールスドルフ卿から送られた電報だったのだけど、その時におまえはいなかったものだから」
その父の言葉にわたくしは何も考えられなくなりました。思い返せば数週間前にシュピールスドルフ卿から届いた手紙にはベルタ嬢が何やら病に罹られたと書かれておりましたが、命に関わるような大きなものではなく、わたくしどものお城へ向かう頃には良くなっているだろうとのことでしたから、わたくしはてっきり元気なお姿のベルタ嬢を拝見できるとばかり思っておりました。
「伯爵は恐らく大変取り乱していたようだ。こんなに長い電報を受け取ったのは生まれて初めてだ。さぞ交換手も困惑したに違いない」そう言って父はわたくしに一通の手紙を差し出しました。「それに、私にもこの文章が何を言いたいのか理解出来ない」
わたくしどもが座るベンチのすぐ脇には、最近建てられたばかりの真新しい街灯の灯がチカチカとオレンジ色に染めておりました。びゅうと秋を運ぶ冷たい風は森をざわめきたて、まるでそれはシュピールスドルフ卿の嘆きのようにわたくしには聞こえました。
シュピールスドルフ卿の電報文は、控えめに申しましても支離滅裂でございました。直接お書きになった訳ではないはずですが、そこからはあまりに大きな激情と、悲しみと、そして矛盾を孕んだ複雑な感情が、シュピールスドルフ卿の口から語られたかのように書かれているのです。
わたくしは一度読んだだけでは理解が及ばず、二度三度読み直してなお、意味がわかりませんでした。
以下がその文面でございます。
愛しい我が姪であり、我が子同然に愛を注いだベルタを失った。ついに病に勝てなかったあの子を看取ってやるために、君に手紙を出すことは叶わなかった。
どうしてこんなことになってしまったのか。こうなってしまうまで、あの子の身が危ないと気づかなかった私は実に愚かであった。私はあの子を失うその直前まで、どうしてそのようなことが起ころうかとただ嘲笑するばかりだったのだ。
しかし全てが終わった時になって、ようやく私は事態を察することが出来たのだ。私がこの悲劇の海の中で唯一幸運であったと思えることがあるならば、それは愛しのベルタがこのことを何も知ることがなく、やがて来るであろう祝福された輝かしい未来への希望を抱きながら、安らかな眠りについたことだ。
何が諸悪の根源であったか、それを見つけることはさほど難しいことではない。私は家に悪魔を招き入れてしまったのだ。その悪魔は純真で、陽気で、素晴らしいベルタの友人になるはずだったのだ。神よ、私はあまりにも無知であった。
あの子が自分を蝕む病の正体に気がつかずに死んでいったのが、彼女にとって幸せだったかどうかはわからない。あの子は何も知らずに死んだのだ。あの病が何者であったのかを知らずに済んだのはやはり幸運であったか。
私も老い先はさほど長くはないだろう。しかし残された日々をあの化け物を探し出し、消し去るまでの時間として捧げられるのならば、これは私の運命と言えるだろう。しかし今のところは全て霧がかかっている。
今までの私の慢心や、傲慢さ故の意固地が悪魔に取り入る隙を生み出し、ベルタは殺された。それが紛れも無い事実だとわかった今では五臓六腑の全てが怒りで煮え滾っているのだ。私は今冷静さを失っている。予定通り私が君の城を訪ねて友情を確認し合うことは、私は偽りを演じて君に嘘を吐いてしまうことになるだろう。
いささか落ち着きを取り戻したら、私はベルリンに向かうことにする。君は私の唾棄すべき今の職業を知っているだろうが、ベルリンの本部にはこの手のことに精通している学者がいるのだ。私はそこでしばらく学び、そして調査のために再び戻るだろう。それがいつになるかはわからない。だが必ず冬までには君に会えることを約束しよう。その時に私はようやく、ここに記すことの出来ない恐ろし真相を君に話すことが出来る。
さようなら、親愛なる友よ。願わくば私のために神に祈りを捧げてくれたまえ。
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