一章

このオーストリアのシュタイアーマルク帝国大管区(わたくしがとりわけ幼かった頃はシュタイエルシュカ地方と呼ばれておりました)に暮らすわたくしどもは、この地方では由緒ある一族ではありませんでしたが、こちらの方々が呼ぶところの「シュロス」という古びたお城に住んでおります。


わたくしどもはパリやロンドンといった都会のように絢爛豪華な暮らしをする程豊かではありませんでしたが、この地方であれば僅かな収入であっても立派な暮らしが出来るとあって、生まれてこの方生活に不満を抱いたことはございません。


これが本国であったならば、こう贅沢は望めなかったことでしょう。


わたくしが本国と申しましたのは、偏にわたくしの父がイギリス人であるからです。かつて父はヨークシャーに大きなお屋敷と広大で肥沃な領地をお持ちになられていたそうですが、先の戦争で領地の運営がままならなくなり、止む無く家財や資産を売りに出しこのシュタイアーマルクへとやって来たのでございます。


それはわたくしが生まれる前の出来事でございまして、わたくし自身はイギリス名を授かっているものの、彼の地をこの目で見たことはございません。


ですが、わたくしはそのような領地と華やかな暮らしぶりを想像しても憧れを抱いたことは一度もなく、何故ならこの雄大な自然広がるシュタイアーマルクで手に入るものは全てが安く、例え英国貴族の暮らしを今一度取り戻したとしても、わたくしが貴族の令嬢たる振る舞いを出来るかどうか疑問だからです。


さて、英国の没落貴族であるわたくしの父(当然ではございますが父はこの表現を大層嫌っております)がどのようにして、この古城と周辺の敷地を手に入れたかどうかは定かではありません。しかしながら子供の身で察するのであれば、この辺りの“父と同様の”領主様から安値で譲って頂いたということは想像に難くありません。英国の爵位というものは、このオーストリアの地でもそれなりの敬意を受けるらしいのでございます。


この安値でありながら、とても美しく何もない土地をわたくしは愛しております。生まれの故郷ということもありましょうが、森に囲まれた小高い丘にございますわたくしどものお城から見渡す景色は、四季の折にふれ多様な表情を見せるのです。


そうでなくともこのお城はとても古く──聞いたお話によりますと十二世紀後半当時の最新の建築法によって建てられたお城だとか──先ほどお話致しました森を通る細い一本道がお城の周りを通る小川に掛かる吊り橋へと通じております。


小川に浮かぶ水草や睡蓮の花々を横目にお城の正面を伺いますと、かつての古びた監視塔とゴシック様式の礼拝堂を備えた荘厳な門構えが威風堂々たる佇まいでその歴史を語っているかのようでございます。


時折わたくしはその景色がまるで絵画のように思えて仕方ありませんでした。見慣れた土地ではありますが、その息を飲んでしまうような美しさの中で暮らせる幸せを神に感謝したほどです。


ですが唯一の不満と申しますか、わたくしが常日頃寂しいと感じてしまうのが、この森の広大さに尽きるというものです。


いくら景色が美しいとはいうものの、右手に二十五キロ、左手に二十キロ広がりますこの森では滅多に人が訪れないのです。当然この地域にも村落はございますが、それはこのお城から左手に十一キロ先であり、気軽に人と交わることも叶いません。


その他の人が住んでいる村落といえば、三十キロ右手にもございまして、そちらには父の友人であるシュピールスドルフ卿が立派なお屋敷に住まわれております。


残りの村落と申しますは、もはや人が住んでいない廃村が一つ、こちらはシュピールスドルフ卿のお屋敷があります方角へ五キロほどのところにございますが、朽ち果てた礼拝堂と、かつてこの地域の領主で今は絶えてしまわれた高貴なカルシュタイン一族の荒れ果てたお墓を残すばかり。村と同じように朽ちたお城は寒々と村を見下ろしております。今でこそわたくしはその村と、その村で起きた数々の悲劇と愛の賛歌への黙示録に想いを馳せておりますが、その故を知るまではただ不気味に思うばかりでございました。


さて、ここまではわたくしが住むお城とその周辺について書きましたが、これからはわたくしが暮らすお城の住人について触れたいと思います。


お城と聞くと皆様はさぞ大勢の家族を想像されると思いますが、わたくしどもの場合はそうではありませんでした。使用人などは数には含めませんが、このお城に住んでいるのはわたくしを愛してくださる尊敬する父と、そして今この遺言と言うべき手記をしたためております、十九の小娘に過ぎないわたくしの二人でございます。


わたくしの母はこの地の出身で、かつてはこのお城に住まわれていた一族の者でしたが、わたくしが幼少の折に身罷りました。


そんなわたくしの母親代わりに世話を焼いてくださるのがスイス出身のペドロン夫人でございます。ペドロン夫人はわたくしの家庭教師なのですが、人の良さそうな丸顔に似合った世話焼きな性格をしておりまして、わたくしが跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘程度で済んでいるのは、間違いなく彼女のおかげでございます。


さらにわたくしにとってかけがえのない家族と呼べるお方がもう一人、「花嫁教育」担当のデ・ラフォンテーヌ女史でございます。花嫁教育と申しますのは、良家の子女に必要な礼儀作法と教養を指導してくださるのですが、わたくしの自由主義的な言動には些か手を焼いていらっしゃる様子でございました。


わたくしと父、そしてペドロン夫人とラフォンテーヌ先生の四人が、晩餐を囲む主たる面々であり、わたくしのお話相手でございます。わたくしがいかに日頃から新しいお話を聞きたくてうずうずしていたかは、ここから察して頂けると存じます。


わたくしという娘は自分でも呆れてしまうほどのわがままでございます。今でさえも自分のわがままを突き通そうとしておりますのが可笑しくなりますが、そういう意味ではわたくしのお二人の先生方は全ての事柄について上手にわたくしの手綱を引いていたと思います。何でも言うことを聞いてしまう片親に甘やかされて育った娘を預かる立場となれば、それは当然のことと、ここで述懐いたします。


ここで述べた以外の交流がなかったと言ったら嘘になってしまいますが──時折村落から同い年の女友達が訪ねてくることもあり、わたくしから訪ねることもございます──寂しい日々を送っております。


ですので、新しい出会いというものはわたくしにとって何よりの楽しみでございました。

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