第3話 鏡の中の誰か
「ああ、そういえば、セオ。君はさっき何を運んでいたんだ?」
ヴェスナは思い出したように言った。
「いえ、僕は別に何も……」
「そうか? 私の見間違いかな」
「僕は、他の生存者を探して部屋を覗いていただけですから」
「生存者?」
魔法使いの少年は聞き捨てならない事をさらりと言った。
「ヴェスナさんは、今まで意識を失っていたから知らないでしょうが、実は今、この研究施設がまずい状況になっているんです」
セオの説明はこうだ。
彼もよくわからないが施設内で何かが暴れているらしい。
鳴り続ける警報音も人が見当たらないのもそのせいなのだ。
すでに多くの人間が行方不明になっている。セオは、職員を探し回っている時にヴェスナと出会ったというだった。
「ヴェスナさんやって来たエリアに向かっていたんですけど……」
「いや、この先はよした方がいい。妙な血溜まりと何かを引きずったような跡があった」
「きっと、施設内で暴れている"何か"ですよ。それなら僕が来た通路を戻った方がいいですね」
「その方がいいのか?」
「途中まで戻るかたちになりますが、中央エリアに行こうと思います。いろいろ設備が集まっているところだし、まだ誰か残っているかも」
「私も同行していいかな?」
「も、もちろんです! "赤い目の魔女"と一緒なら心強いですから!」
「と言っても私は何も覚えていない魔女だぞ。使えたという魔法やら魔術とかいうのも」
「それでも心強いです!」
「そうなのか? 私は無力に近い。見習いとはいえ、魔法が使える君の方がよほど頼りになるのではないか?」
それを聞いたセオが嬉しそうに笑顔を見せる。
「だったら任せてください! ヴェスナさんは必ず僕がお守りします!」
張り切るセオがつい可愛らしく見えてしまう。
「ふふ……では、よろしく頼む、グリフィス君」
「だからセオでいいですよ。では行きまし……」
セオは、ヴェスナの格好に気がついた。
白い患者衣に裸足。暖房は効いているとはいえ、患者衣一枚。しかも廊下は冷たい。裸足でこのまま歩き回るにはつらいだろう。
「ヴェスナさん、その格好、少し寒くありませんか?」
セオ・グリフィスは、ヴェスナを職員たちのロッカーに連れて行った。
女性用のロッカールームの服を拝借するためだ。
「ここは女性の職員たちのロッカーです。きっとヴェスナさんが着れる服が見つかると思いますから、それを着てください。この後、どのくらい歩き回るかわからないしそのままじゃ少し寒いですからね」
「そうか、わざわざ気を使ってもらってすまないな。でも鍵が掛かっているんじゃないのか?」
「それなら心配しないでください」
セオが指を弾くと部屋の中のロッカーが一斉に扉を開けた。
「これが魔術か。すごいものだな」
感心するヴェスナにセオは照れ笑いを浮かべる。
「こんなの大した魔術ではありませんよ。驚かれるとはずかしくなちゃいますからやめてください」
「それでも助かる。ありがとう、少年……いや、セオ」
「気にしないでください。じゃあ、僕は外で待っていますから、着替え終わったら声をかけてください」
セオはそう言ってロッカー室から出た。
ひとり残されたヴェスナは、順にロッカーの中を覗いていき、服を探した。
動きやすいものを何着か選び、サイズを合わせていく。
ふとロッカーの扉の裏に備え付けられて鏡に映る自分の姿が目に入る。
肩まで伸びた茶色い髪。
左の前髪の方が長くしてあるのは火傷の跡を隠していたからなのかもしれない。
"赤い目の魔女"についてはもう知りたかったが、あの少年も"恐ろしい殺し屋"というくらいしか知らないだろう。
ヴェスナはロッカーの扉を閉めよう手を伸ばした。その時に鏡に誰かが映り込んだだのに気がつく。
セオか? 誰だ!
ヴェスナは後ろを振り向いて見たが誰もいない。
鏡を見直すと鏡の中の女はまだいた。
それは美しい黒い髪の女だった。ショートヘアの黒髪に雪のように白い肌。その瞳は奇妙な藤色だった。
誰だ? 幻を見ているのか? それとも……
混乱しているヴェスナに鏡の中の女が話しかけてきた。
「時間がない……聞いて」
ヴェスナはぎょっとして女の顔を見る。
「これは私からの忠告。ここにいる誰も信じではいけない」
「そう言うお前を信じる理由がないが……」
ヴェスナは鏡の中の女を睨みつける
「私を信じて。私はあなたの古い友人」
言われてみればどこかで見覚えがある顔であった。
「私はあなたの……」
「私に構うな!」
女が何かを言いかけた時、突然、ヴェスナの感情が爆発した。
鏡は粉々に飛び散った。同時に部屋のロッカーが一斉にすべてひしゃげてしまう。
「どうしました!」
騒ぎを聞いてセオがロッカールームに駆け込んできた。中の様子を見て唖然とする。
「一体、何か……あっ」
ヴェスナの姿を見てはっとする。
ヴェスナがまだ着替えの途中だったのだ。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて視線を外して背を向けるセオ。
「あ……」
その時、ヴェスナは自分がシャツを一枚羽織っただけで、その下には何も着ていない事に気がついた。
「私こそすまない。また君に気を使わせてしまったようだ」
「い、いえ! でも何があったんですか?」
「何か揺れたようだな。地震ではないのか?」
「南極で地震?」
「ああ、セオ。私はまだ着替え中なのだが……」
「ご、ごめんなさいっ!」
慌ててロッカールームから出ていくセオだった。
ヴェスナ自身は着替え中の姿を見られた事を気にしていなかったが、少年を慌てさせてしまったことには少し罪悪感を覚えていた。
あの少年には何か礼をしないといけないな……
そんな事を思いながら、シャツのボタンを締めた後、ロッカーで見つけた黒いセーターを着てみた。
これならあの少年に気を使わせることもないだろう。
ヴェスナはロッカールームの中を見渡した。
全てのロッカーは何かに押しつぶされたかのようにひしゃげ、いくつかは倒れている。揺らしたからといって決してなる状態ではない。
これが、私の魔力というやつなのか?
それにあの女……一体、誰だ?
更衣室の前ではセオが落ち着かない様子でヴェスナが出てくるのを待っていた。
「待たせたな、少年」
「いえ、気にしないでく……」
セオはロッカールームから出てきたヴェスナの姿に見とれてしまう。
ジーンズに黒いセーター、その上から赤い革ジャンを羽織った姿が妙に似合っている。
「おかしいかな……?」
呆然としていたセオに気が付き、ヴェスナが尋ねた。
「い、いえ! そんな……とっても似合ってます。その……すごくかっこいいです」
「そうか? 履くものがこのブーツしか見当たらなかった。あとはサイズが合わなくてね。この赤いジャンバーは男子ロッカーに置きっぱなしになっていたのを拝借してきたんだ。サイズもちょうと良かった」
「似合ってます。でも鍵はどうやって……?」
ヴェスナは拳を見せてにこりとした。
「ああ……なるほど」
「そこでこれも見つけたんだが」
そう言って、ヴェスナはナイフを見せた。
「人を襲っているという奴に使えるかわからないが、ないよりましだと思って」
「あはは……そうですね」
「私は君のように便利な魔術は使えないからな」
「そういえば、さっきのあれ、地震なんかでは……」
「すまない。とっさに馬鹿な言い訳をしてしまった。どうやら私が起こしたものらしいが、正直よくわからない」
「きっと、ヴェスナさんの魔力ですよ」
「かもしれないが、コントロールされたものではないからな。お粗末なものだ」
「そんなぁ……ヴェスナさんは、"赤い目の魔女"なのに」
「それは私が知らない私だ。さあ、行こうか」
そう言ってヴェスナは歩き始めた。
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