第2話 魔術士見習い
血溜まりに恐怖を感じたわけではない。
ただ、何か面倒なことが起きそうな気がしただけだ。
それは血を流した人間を運んだ者は、彼女にとって敵対する可能性。
彼女は、自分が誰かもわからないが、脅威を避ける本能は残っていた。
しばらく歩いていくと誰かが部屋から出てきた。
小柄で非力そうな姿だ。
それを見つけた彼女は声をかけてみた。
「おい、君」
声をかけると相手が驚いて振り向く。それは少年だった。
「あ、あなた……ヴェスナさんですか?」
少年は彼女をそう呼んた。どうやらヴェスナの事を知っているらしい
「君は、私を知っているのか?」
少年はにこりとして頷いた。
「はい、だってヴェスナさんは有名ですから」
少年らしい無邪気さの残る笑顔だった。
「少年、ちょっと聞きたいのだが……」
「なんでしょうか?」
「ここはどこなんだ?」
「二号棟の……」
「いや、そういうことではなく。この建物は何だということなんだが」
少年は意味がわからないのか、きょとんとしてヴェスナの顔を見つめた。
「ああ……すまない。実はここへ来た記憶が曖昧でこが何の建物なのかも覚えていないんだ」
そいうことならと少年は説明してくれた。
「ここは、研究施設です。外は氷点下の世界です」
「氷点下?」
「南極なんです」
「南極?」
彼女は思わず聞き返した。
「なぜ南極なんだ?」
「えっ?」
「私は記憶が曖昧だが、南極にこういった設備を建てるのはいろいろと非効率で困難だというのはわかる」
「その理由は僕もよく知りません。噂ではウィルスの研究だとか、南極で発見される何かを目的にしているから、というものもあります。けれど、正直な所、誰も理由は知らないと思います。何しろ、把握できないくらい研究のプロジェクトが多くて……」
そう言って笑ってみせる少年は幼い顔も相まってか何か冗談を言っているように見える。
「で、その研究施設で君は何の仕事をしているんだ? もしかして科学者なのか?」
「科学者じゃありませんよ。僕は"魔術士"です」
そう言って笑ってみせる。
「"魔術士"?」
ヴェスナは思わず聞き返した。
「魔術士といっても見習いなんですけどね」
「魔術士いっていうのはあれか? 空を飛んだり、何もないところから何かを出したり……」
ヴェスナが真面目な顔で尋ねた。
「ちょ、ちょっと違うかな。でも、特別な能力を使えるといった点では合っているかも。あはは……」
少年は、困ったような顔で笑った。
「そうなのか? でも、その"魔術士"がなんで研究施設に?」
「魔術を科学的に汎用しようというプロジェクトがあるんです。僕はそのプロジェクトに呼ばれて実験とかに参加しているんです。でも、暇な時間の方が多いので、実験以外に雑用のような仕事もしていますが」
「そうか……しかし"魔術士"なんて本当にいるんだな」
「何を言っているんですか?」
魔術士見習いの少年は驚いた顔で彼女を見た。
「だって、ヴェスナさんは"魔法使い"ですよ。それもとびきり上位クラスのです」
「私が"魔法使い"?」
少年の言葉にヴェスナは驚く。
「君と同じということか?」
「いえ、少し違います。僕のような"魔術士"は、精霊とか古代の神の力を借りて魔力を使うんです。だけど、ヴェスナさんのような"魔法使い"は、それらに頼らなくても魔力を行使できるんです」
「なるほど……そういうものなのか。面白いな」
ヴェスナは、少年の説明に頷いた。
「どうやら、君は私について詳しく知っているようだな」
「え……? 噂程度なら……あっ」
少年はヴェスナが記憶に問題にあることを思い出した。
「ごめんなさい。僕、気が利かなくて……ヴェスナさんは記憶が曖昧なんですよね。僕つい……」
「気にしないでいいよ、少年」
ヴェスナは優しく少年に向かって微笑んだ。その微笑みに少年はどきりとする。
「ところで、魔術士見習い君。名前は?」
ヴェスナがそう尋ねると少年は、緊張しながら答える。
「ぼ、僕は、セオ・グリフィス。クロウリー系の魔術を学んでいます」
「いろいろありがとう、助かるよ。グリフィス君」
「いえ、そんな……」
セオは照れ笑いを浮かべた。
「で、君が聞いたという私の噂っていうのはどんな話なのだ?」
「"赤い目の魔女"が運ばれてきてここで治療を受けるって」
「"赤い目の魔女"?」
「ヴェスナさんの異名です。"春の魔道士"とも呼ばれているみたいですけど、"赤い目の魔女"の方が有名です。あることで……その……」
「気を使わなくていいよ。私はとにかく自分についてできるだけ知りたいんだ」
セオは、言いにくそうに口を開いた。
「"赤い目の魔女"は、すごく、恐ろしい殺し屋だって……」
セオは、言いにくそうに口を開いた。
「殺し屋……」
「ごめんなさい!」
「君が謝る必要はないぞ、少年」
自分が殺し屋だと言われてもヴェスナは動揺も驚きもなかった。何かがしっくりすしたからだ。
「僕、"赤い目の魔女"って悪魔みたいな人だと思ってたんです。でも違ってました。ヴェスナさんは……その……笑ってくれるし、すごく、きれいだから」
魔術士見習いの少年は顔を赤らめながらそう言った。
「私が綺麗……」
「あっ! ごめんなさい、変なこと言って」
「いや、違うんだ。逆に聞きたいんだが、私がここへ来たとき私の顔の左側に火傷はあったか?」
「火傷? いえ、そんなものありませんでしたよ。実は僕、ヴェスナさんがやって来た日にも姿を見ているんです」
「その時の私は、どんな様子だった?」
「車椅子に乗っていました」
「意識はあったようだったか?」
「はい、そう見えました。誰かと話していたし」
「そうか。私はずっと意識不明だったわけではないのだな。だが、そのことに覚えがない」
「もしかしたら治療の為に投与された薬のせいなのかも。それなら、時間が経てば記憶も戻るかもしれません」
「そうだな……ありがとう。君はいい子だな、少年」
「え?」
「私にいろいろと教えてくれながらも気を使ってくれる」
セオは顔を赤くした。
「あの、ヴェスナさん。僕の事はセオと呼んでください。少年だとなんだか……」
「それは、すまない。少年……いや、セオ」
「ヘヘ……」
名前を呼ばれたセオは嬉しそうに笑顔を見せる。
しかし、セオの話が本当だとすると、あのカルテの写真。
私の顔に火傷があったのは一体、いつ事なのだろう……?
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