誤解

「――仰ることは理解しております。ですが、申し上げた事実も見過ごすことはできません」

 旧南あわじ市賀集かしゅうにある賀集スポーツセンターの管理事務所の応接室に、自衛隊の無線電話を引き込んで川口道心かわぐちどうしん一佐は小刻みに頭を下げていた。

「――いえ、それは相違ございません」

 八人も入れば窮屈さを感じる応接室で、野元春正のもとはるただ一佐の目も気にせず、川口は額に汗して必死の抗弁を続けている。

 扉一枚壁一枚向こうは公営スポーツセンターの事務所で、日曜の当番出勤している自治体職員の耳目もある。川口を見る野元の目はどこか冷ややかだ。

「――了解しました!」

 厳しい表情で声を張り、数十分に及んだ報告を終えて川口はようやく受話器を置いた。

 川口は無線電話を通信兵の方へ押しやって、重くなった両腕と両肩の凝りをほぐし、受話器を何度も当て直して痛んだ両耳を揉む。

「芳しいご様子ではありませんな」

「ああ。想定通りのお叱りをいただいたよ。こんなに長時間とは思わなかったがね」

 感情のない野元のご機嫌伺いに、川口は自嘲の笑みを漏らしながら応じた。

 数時間前の高橋智明とのやり取りを簡潔なメールにまとめて送信したのが昼前のこと。そこから公務特権で飛び込んだ賀集スポーツセンターと数日間貸し切る申し合わせを行い、捕縛したバイクチームの少年たちの処遇を検討している最中に、陸上幕僚監部から直通回線での聴取が始まってしまった。

 午後二時前から三時にかけ、川口は冷や汗と油汗をかき続けたことになる。

「陸幕はなんと?」

 他人事のように突き放した聞き方をする野元を捨ておき、氷が溶けてぬるくなったお茶を一口煽ってから川口は返事をした、

「どうもこうもない。ひたすらに判断の甘さと徹底抗戦を喚かれて、無能だなんだと罵られて嘆いておられたよ」

 やや捨鉢な言い草になってしまったが、川口の耳に届いたのはその通りなのだから仕方がない。

 自衛隊の指揮系統は、政府や防衛省から命令ないし要請が出され、防衛省内の統合幕僚監部でより明確な任務内容がまとめられて陸・海・空の幕僚監部へと下る。ここで動員される兵員や部隊・装備や車両が決定され、各方面隊・師団・連隊へと発令される。

 川口の立場からすればいくつか間が抜かれて直接のを言われたわけだが、気にはしていない。

 野元は川口の言動や行動に不信感を持ちつつ、川口が責任を取ると明言した以上半ば呆れているように冷めている。それも仕方がない、と理解を示しつつ、川口は川口に出来る仕事は十二分にこなした自負もある。

 だから、『私はお止めしましたよ』という野元の冷めた顔を見ていると、一言かけなければと思ってしまうのも仕方がない。

「……不服そうだな。今、この部屋に居る間は階級も年齢も除外しよう。腹の中を綺麗にしなければ次の任務に支障が出そうだ」

 川口は三人掛けソファーの背もたれにもたれながら、正面に座る野元と、その後ろに立つ普通科中隊長二人、そして入り口脇の小机に着いている通信兵を見回した。

「自分は依存ありません!」

「自分もであります!」

 本部付帯中隊長の中山が真っ先に述べると、隣にいた上野も彼に倣った。

 二人に追従する形で小机から立ち上がった通信兵の小浜だが、少し躊躇ってから口を開く。

「……自分には判断を超えたお話であります。発言を控えたいと思います!」

「ん。分かった。しかし、異論があれば発言してくれて構わない」

 陸曹りくそうの小浜からすれば関わりづらく口をはさみにくいのだろうと理解し、川口は責めることはせず、小浜だけではなく中山と上野にも忌憚のない発言を求めた。

「それで、君の意見を聞かせてもらおうか」

 川口は少し表情を堅くして野元を見る。

 指揮を執らせたり会談に同行させたりと、川口の心情や考えを一番近くで見ていた野元だからこそ、内に溜め込んだものがあるはずだ。

「……自分は、陸幕に背こうとも徹底抗戦を貫く気概でおりました。あの局面から一押し加えておれば、あのような会談も意味はなく、こんな状況にはならなかったと考えます」

 何かに耐えるようにして言葉を紡いだ野元を見、川口は嘆息をこぼしながら問う。

「全滅の憂き目を回復され、もう一度全滅を味わったとしても、かね?」

「自衛の信念は誓約の契りの通りです! 退いてはならない局面だったはずです!」

 拳を握りしめ吠えた野元に、川口は黙り込む。

「やり遂げるべきことをやり通せば、どこからも誰からも叱責などされるはずはない」

 付け加えられた野元の言葉に川口の目が細められる。

「それではただのいぬだよ。我々は飼い主に使いを頼まれたわけではない。ましてや命令に従って散るだけの存在ではない。従順であっても愚かであってはならない」

「それは貴方の自己弁護に過ぎない!」

 静かに放たれた川口の言葉に、野元は憤ってソファーから立ち上がった。

「目の前で示された超能力に戦意を折られただけでしょう! 逃げ出す口実にしているだけにしか聞こえませんよ!」

 指を差して唾を飛ばす野元に、しかし川口は慌てない。ソファーに座したまま野元を諌める。

「落ち着きたまえ。戦意を失った、ある意味ではそうかもしれない。しかしそれは正しい表現だとは思えないな。あの場に居た三百名近い隊員を、むざむざ死なせるわけにはいくまい? 彼らが隊員を回復させたということは、高橋智明が口にしたように圧倒的な能力差を知らしめることと、無益な殺傷を避ける意図があると感じたのだ。……それを逃げの口実と見られるのは心外だな」

 川口はあえて自身の信念に合致した理由だけを述べた。

 高橋智明が川口と野元の前で語った理屈には、幾分イレギュラーな過程も含んでいたがそこは川口は省いている。

「そうであったとしても政府への口利きを約束するような素振りや、数日間とはいえ自由を与えるような措置はやりすぎでしょう。いかなる場合であっても線引きというものに甘さがあってはならんはずです」

 少しだけ口調を抑えた野元は、川口を説得するように身振りを加えて言葉を吐くが、言い終わったあとには両手を体の側面に落ち着けている。

「……徹底抗戦を貫かねばならない時は、もちろん私にも手加減しない覚悟というものを持っている。だが彼らには少し違う感覚を持ったのだよ」

 吐き出すものを吐き出したからか、落ち着きを取り戻した野元に手を伸べて着席をすすめ、川口は続ける。

「彼らの旗印は独立という文言ではあったが、それだけの集団ではなかった。

 あれやこれやと理屈付けはしていたが、その辺の動機というのはどこの地域にもあるものだ。

 言ってしまえば世情に見せかけた居酒屋の愚痴のようなものだ。

 だが彼らには口には出なかった三つの都合がある、と私は考えている」

 川口に促されてソファーに座り直した野元が問い返す。

「三つの都合、でありますか?」

「そうだ。

 一つは、超能力然とした人外の力を持て余していること。

 これは、どちらが先なのかは分からないが、手にした人外の能力の使い道を模索してみたが、適当なものが見い出せなかったのではないかと思う。

 ほら、親戚か父親の友人からクリスマスプレゼントを貰ったはいいが、新発売のゲーム機だったから遊べるソフトを持ってないっていう、そんな感じの持て余し方だよ」

「はあ……」

 年齢の近い野元はなんとなく想像がついたようだが、その後ろに立つ中山と上野にはあまり伝わらなかったようだ。

 二十代の彼らにはゲームソフトを遊ぶためのゲーム機という存在が分からなかったのかもしれない。二十二世紀を目前に控えた今では、成人してH・Bを手に入れるまで子供は与えられたタブレットやスマートフォンなどの端末でゲームを楽しむのが主流だからだろう。

「プレイしたいが興味を引くタイトルがない。ならば自分の望むゲームを作ろうとした、と言い換えた方がいいかな」

 先程よりは伝わったようだが、完全な納得ではないようだ。

「まあ、いい。

 二つ目は、人を集めようとして本当に集まってしまったこと。

 陳腐な言い回しだが、資料では高橋智明は機動隊を五回も撤退させていて、機動隊員の証言では『少年二人による激しい抵抗』となっていた。

 つまりこの時点では新皇居に立て籠もって占拠し、警察に抵抗していたのは二人そこそこということになる。

 だが野元も聞いたと思うが、高橋智明の行使する超能力には使用回数に限度がある。要はガス欠が存在する。

 これを補うために川崎という男が組織していた集団を引き込んだ」

「その結果、独立という目的を持たなければならなくなった、と?」

 川口の言わんとすることを先回りした野元は、少しだけ前のめりになった。

「私はそう感じたな。これに関しては川崎とかいう暴走族のリーダーがそそのかした可能性も有り得るが、それにしては行動が受け身なのでな」

 川口はセンターテーブルのグラスをとって「後者より前者だろう」と付け足してお茶を含んだ。

「組織作りが整う前に我々と交戦した、ということはありませんでしょうか?」

 野元の後ろから中山が問うた。

「ああ。だがそうであるならば、私が総理との会合を提案する前にもっと強い主張をしただろうな。隊員の治癒なんてこともしなかったろう」

 川口の想像に中山は表情をハッとさせ、口を閉じた。

「三つ目はどうなのでありましょうか」

 と上野。

 しかしこれに答えたのは川口ではなく野元。

「……ナノマシンによる硬骨と筋肉のすげ替え、ですか?」

「と、私は考えている」

 川口は野元の予想を肯定し、グラスをテーブルに戻した。

「それは、どういう物でしょうか?」

「ああ、そうか。君達は知らなかったな」

 おずおずと問うた小浜に川口は軽く詫びる。

「彼らには切り札があるそうでな。なんでもトランスヒューマニズムという人間の機械化を謳った思想の一つなのだそうだ。H・Bハーヴェーと似たもので、ナノマシンで人間の骨や筋肉を作り変えるのだと説明していたな」

 曖昧な説明を端的に伝えたので三人からは釈然としない反応が漏れたが、ニュースで報じられていないような代物にはそういう反応しかできないだろう。

 ただ会談の時にも感じたが、どうもこの話題に関して野元の様子はおかしい。

「これの意味するところは大きくて、例えば義足や義手といったものが見た目だけの物ではなくなって体の一部のように馴染むだろうなと想像させる。そればかりか病気や怪我の対処も変わるかもしれない。そうした物を切り札として持っていると言っていたんだよ」

 中山と上野と小浜は未知の技術に感嘆の声を漏らしたが、やはり野元の様子がおかしい。

「ただな?

 私にはそうした寿命や義足などの部分とは違う部分で『切り札』などと口にしているように思えてならない。

 少し考えてみて欲しい。

 骨が金属になり、筋肉が高反発で耐久性のある物質に変わり、神経パルスをより高速で伝達出来る物質で神経が作られ、簡単に切れたり破れたりしない血管が体に備わるんだ。

 どんな人間が出来上がって、どんな仕事が向いていると思う?」

 川口は部下の想像力を試すようにめつける。

「えっと、つまり体が丈夫になるわけですよね……」

「力持ちで疲れ知らず。あ、反応とか反射も早くなるわけだから――」

 指揮官の威圧に負けたのか小浜がうろたえながら呟き、補足するように中山が続けた。

 そして上野が結論を口にする。

「――機械人間の、兵士」

 全員の視線が上野に集まり、なんとも言えない静寂が横たわる。

 その静寂を破ったのはソファーに座り直した川口だった。

「まあ、そこまでの連想をさせる言い方ではなかったから、そうだと決めつけるわけにはいかんがな。

 しかしそんなことを考えてしまうような発言は端々にあったのは事実だ。

 例えば、彼らは機動隊とよく似た防具を着けていたし、格好だけだが小銃らしきものも携帯していた。

 オモチャ同然だと見て分かる代物だったが、もっと強力な武器も手に入る余地があるとも言っていた。

 神経質であったり過敏に反応すると、これを戦争準備だと捉えることもできる」

 誰かが生唾を飲む音がした。

「そこまで考えが及べば選択肢は二つしかない」

「即時対応か、話し合い、ですね」

 うつむき加減だった野元がボソリと答えた。

「そうだ。

 そこで私は話し合いを選択した。それもこの国のトップとの会合だ。

 なんせ彼は我々を一瞬で殲滅する能力を有している。即時対応は得策ではないだろう」

 また沈黙が訪れる。

 川口の選択にはまず隊員の殉職を避けたいという前提がある。

 これは超能力によって圧倒的強度で数百人が消えてなくなることを恐れているわけではない。同じルールで同じ土俵ならば戦力差があっても自衛の信念で戦うのが川口の根底にある。それは野元や中山たちとも同じだろう。

 しかし高橋智明は手にしている武器や土俵が違う。

 そんなものに部下をぶつけて死なせるつもりがない。

 その点が野元との溝を生んでいるのだろう。

「……一佐が即時対応の行き先は全滅しかないと考えているのは分かりました。では、話し合いになった場合の先行きは見通されているのでしょうか?」

 沈黙を破り、低いトーンで問うた野元に川口は肩をすくめる。

「それは、分からんな。

 高橋智明と話すのは御手洗首相ないし政府高官だからな。

 ただあそこまでもったいぶった『切り札』を、どこでどのように切って来るか。

 それ次第だと思える」

 無論、これには高橋智明側の戦略や知謀や趣味によって変化する要素がある。

 少し強い言葉を付加してしまえば簡単に抗争や戦争という危険な状態になってしまうし、上手くチラつかせれば波風なく独立を成してしまえるかもしれない。裏を返せば首相や日本国政府が取る姿勢でも結末は変化しうるものでもある。

 そんな裁量を川口が背負うつもりはない。

「そういう意図には見えませんでしたが」

 普段の野元であればここまで本音を漏らさなかったであろうが、場の雰囲気のためか目線を反らしてボソリと否定的な言葉が聞こえた。

 ――いささか不公平だったかな――

 野元の鬱憤を吐き出させ本音を語らせるまでは川口の想定にあったが、野元や中山らが任務や作戦の結末を気にしているだけではなく、川口の気持ちや判断を知ろうとしているのならば川口のとった手段は間違いだったと気付いた。

 階級や年齢を除外して腹を割ると前置きしても、川口道心個人の心情が明かされていなければ野元は納得できないのだろうと思い至る。

「そうだな。

 野元とはこの任務に就くにあたって、超能力や未確認生物なんかの話をしていたぶん誤解を生んでしまっているかもしれん。

 会談の途中でもそうした横道にそれた経緯もあったからな。

 それがゆえに私が高橋智明に肩入れしたり、恐れて怯んで逃げ腰になっているのではと思われても仕方がないかもしれん。

 …………。

 超能力。宇宙人。UFO。未確認生物。幽霊。妖怪。悪魔や黒魔術や神、そして魂うんぬんかんぬん……。

 確かに私はオカルトな現象や逸話や創作物に関心があったし、趣向として不確かで眉唾な話題に興味もあった。十代の頃の小遣いはほとんどそうした物に注ぎ込まれたと言えるな。

 しかし、それは十代までの話だよ。

 私がどんなに追い求めても、私の欲した真実は雑誌や映像の中にしかなかった。私自身が経験することも体験することもないまま、進学や就職をしなければならなくなった時、私の中のオカルト熱は『創作の中のモノ』として落ち着き、現実を見るようになった。

 それは野元にも分かるはずだ」

「……そうであります」

「ん。

 確かに新皇居に接近し、空中で戦っている人影を目にした時は動揺した。夢を見ているのではないかと放心してしまった。

 だがな、それでも私は自衛官として現実に向き合わなければと、慎重な接近や包囲へと切り替えたはずだ。

 結果として高橋智明の能力は強大で、百人単位の対象を一度に攻撃してみせた。それも即死や瀕死に及ぶ程のものだ。

 これに徹底抗戦を敢行する愚かさを感じた時、自衛の戦力では敵わないと判断したのだよ。

 だから高橋智明との会談を行い、首相との会合の機会を持てるように振る舞ったのだ。

 これは、高橋智明は、武力でどうにかなるものではない。そしてその現実を国や政府に見せなければならない。

 それまでに一人たりとも自衛隊員から犠牲を出したくなかった。

 凶弾に倒れることは遺憾ながら覚悟していても、想定外の死は納得できるものではあるまい?」

 川口の求めた同意に賛同の意を示す者はいなかったが、室内にいる全員が微妙な面持ちにはなった。

「ですが自分は、抗いもせずに強き者に負けを認め、ひれ伏す行為はしたくはありませんでした」

 少しだけ顔を上げて言い返した野元の表情は、怒りよりも悔しさが滲んで見えた。

「そうではない」

 川口は即座に否定して続ける。

「そうじゃないんだ野元。

 私は常にイエスとノーの二択で考えてはいるが、もう一つ、イレギュラーや想定外が起こった時のためのイフも考えるようにしているんだ。

 今回が正しくそのイフで、徹底抗戦と撤退の他に、武力以外の決着や進展はあり得ないかと考えていたのだ。

 その判断材料を得るために会談という手段を選択したし、会談によって戦闘でもなく撤退でもない方向を選択した。

 そういうことなんだ」

 説明できることを全て口にし、川口は野元が答えるまでじっと待った。

「…………頭では分かります。ですが、まだ気持ちの整理はつきません……」

 かなりの時間が開いてから、普段からは考えられない弱々しい声音で野元が答えた。

「いや、そういうものだ。私にだって時間が経ってから理解できることもあった。私の選択が正しいかどうかも、時間が経たなければ証明はされない。……すまない。お茶をもらえるかな」

 飲みきってしまった空のグラスを小浜に差し向ける。「はっ」といつも通りの小気味よい返事をして小浜が応接室から離れる。

「……一つだけ、一佐にお詫びしなければならないことを思い出しました」

 また顔を伏せて野元が呟く。

 川口は気に留めていた話題に及びそうだったので、察しが付いていたが知らないふりをする。

「詫び? 何のことだ?」

「お気付きだと思いますが、トランスヒューマンとやらの話の途中で、私が冷静さを失ってしまったことです」

 やはり、と川口は野元を見つめる。

 それまでは任務の遂行について川口に反論を示したり、高橋智明に対して異を唱えるといった場面でも、野元の思考や信念が通っているものだとして理解はできることだった。

 しかし、トランスヒューマンの一端である硬骨や筋肉のすげ替えの話に至った際、野元の高橋智明への追求は少し感情的であった。

 その一点を明かしたくて、川口がこのような席を設けたと言っても過言ではない。

「ああ、あの件か。確かに君らしくなかったな。……ああ、ありがとう。……何か事情があるのだろうとは思ったが、詫びるほどではないだろう」

 お茶のお代わりを持ってきた小浜に礼を言いつつ、川口は野元の謝罪をいなすように話す。

 任務に影響していなければプライベートな事情は深入りすべきではない。

「いえ、少し今回の事と関わりがあるのかもしれません」

「ほお?」

 野元に話の続きを促し、川口はお茶をふくむ。

「実は、私事で恐縮なのですが、自分の家系に先天性の前腕欠損で産まれた者がおりまして。トランスヒューマンの件でその者が義手に苦労していた姿がよぎり、悔しさというか私情が働いてしまいました」

 顔を伏せているとはいえ、なんとも言えない表情で語る野元に、川口も鎮痛な面持ちになってしまう。

 野元のみならず川口も五十余年の人生を送ってきたのだ。重病や難病に罹った親類を何人も見てきたし、自衛隊の活動の中で後天的に四肢の欠損に見舞われた人物とも巡り会ってきた。

「なるほどな」

 同情の念が湧いたが、表面的な慰めはかけることはできない。安易な慰めは失礼でありその人を尊重していないように捉えられてはいけない。

「その者はなんとか社会にも適応してやっているのですが、なんの因果か、自分の娘にも先天性の難病が降りかかってしまったのです」

「それは……。大変だな」

 今度こそ川口は言葉を失った。

 野元に子供がいることは知っていたが、難病を患っているという話は初耳だ。

「その娘も昨年、亡くなってしまいました」

「そうか。そんなことがあったのか……」

 こればかりは川口から野元にかけてやれる言葉はなかった。

 川口にも息子と娘が居るが、幸いなことに病気や事故に見舞われずに育ち、息子も娘も家庭を築いて元気にやっている。

 親戚に義手を必要とする者を持ち、難病を背負って他界してしまった子供が居たとなれば、トランスヒューマンの思想を聞くことで野元の心中は乱れて当然だろう。

「……しかし話はここからです」

 娘の死を悼む表情であったが、野元は声のトーンを変えて川口に訴えた。

「どういうことだ?」

「ある日、娘の担当医が私にトランスヒューマンと取れる治療法を勧めてきたのです」

 野元の言葉に川口の背筋が伸びた。

「医者が? はっきりとトランスヒューマンと口にしたのか?」

 高橋智明との会談でも野元は明確な反応を示していなかったので確認の言葉を投げかける。

 確か高橋智明もトランスヒューマニズムという思想は一部で囁かれる程度のものだと言っていたはずだ。

「いえ、そこまでは言っていませんでした。ただ、今にして思えばそちらに寄った内容だったと思えるのです。担当医がその話を持ちかけてきた時、見慣れないスーツの男も同席していましたから」

「なんだと? いつ頃のことだ?」

 川口は前のめりに問いただす。

「二年から三年前のことです。自分も妻も、娘もこの話を受けるかで随分と悩み、何度も話し合いを持ちました。結局は『自然のままでいたい』という娘の意思を尊重してこの話は断ったのですが……」

「そうか。そんなことが……」

 川口は腕を組み、ソファーに背を預けて唸る。野元の気持ちや自分が野元の立場であったならと考えてしまう一方で、野元の窮状にすり寄る怪しい影に良からぬ想像が膨らんでしまう。

「……いや、そうした背景があるのならば、野元が私に詫びることなど何一つないではないか。むしろ口にしにくい事を言わせてしまった私が詫びなければならないくらいだ」

 頭の中で膨らみ始めた疑惑や疑念を振り払い、川口は体を起こして野元へ向き直る。

 実際、会談の場で野元が感情を乱した部分は、任務とは外れた余談の一場面に過ぎない。事情が事情でもあるし、彼を責めてどうなるものでもなければ、野元には咎を受ける要素はない。

「そんなことは、ありません。冷静さを欠いてしまったのは事実です。申し訳ありませんでした」

「いや構わんよ。その件はここまでにしよう。君たちも口外はしないようにな」

「ハッ!」

 野元のプライバシーのため川口は話を切り上げて、同席している隊員に部外秘の念押しをした。

 小気味よく踵を合わせて敬礼する隊員たちに頷きかけ、川口はお茶を飲む。

 グラスをテーブルに戻して難しい顔でもう一つ念押しをする。

「……しかしな、その硬骨や筋肉を金属や樹脂にすげ替えるという『切り札』だが、どうも出所に怪しさを感じる。この件についても高橋智明の超能力と同じく、政府の調査や警戒というものが必要なように感じてならない」

 顔を俯けていた野元が驚いた表情で顔をあげる。

「一佐? それはもしや一部企業の違法な研究開発や、政府や政治団体が関係しているやもしれないという意味でありますか?」

 少し声が大きくなった野元に、川口は口の前で人差し指を立てて答える。

「まだ分からない。だから他言は無用だ。分かるな?」

 川口の視線が野元・中山・上野・小浜へと巡り、室内を重い緊張が支配する。

「……了解、しました」

 辛うじて座したまま敬礼を取る野元に対し、背後に立つ隊員からは生唾を飲む音がしたのみだった。


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