無策 という 奇策

「――ありがとさん」

 少し疲れた声で通話を終えた瀬名隼人せなはやとが、ペットボトルのお茶を飲みながらチームリーダーの本田鉄郎ほんだてつおを見やる。

 当のテツオはまだ通話中で、胡座あぐらをかいた足元を睨みつけるようにした態勢のまま停止している。

「――分かりました。ありがとうございました」

 ようやく通話を終えたテツオは、緊張を解いて大きなため息を逃がし、瀬名と同じ様にお茶を口に含んだ。

「……さて、困ったぞ」

 まだ瀬名の報告を聞いていないのに、テツオは腕組みをして壁に寄りかかる。

 ここは旧南あわじ市いちにある大手バイク販売店のオーナーの自宅だが、テツオは気にした風はない。

 用事で留守にしている部屋の持ち主への気遣いよりも、右腕と頼る瀬名の困り顔の方が問題だ。

「そっちは手詰まりか?」

「いや、手詰まりってほどじゃない。そっちもそうだろ?」

「まあなー」

 瀬名には自衛隊に捕縛されたであろう仲間たちの行く先の情報収集を頼んでおいたが、彼の表情からあまり芳しい結果ではないと察せる。

 テツオの方では、ツテやネット検索を活用してバイクチームWSSウエストサイドストーリーズと洲本走連を合わせた総勢百二十名が集合し滞在できる施設を探していたのだが、日曜ということでどこからも良い返事はもらえなかった。

 新皇居での激闘は、バイク販売店経営者のジンべの自宅に転がり込むことで着替えや風呂を借り、昼にはご飯もごちそうになって疲れや緊張は消え去ったに等しい。

 そこから城ケ崎真じょうがさきまことと田尻と紀夫はジンべの運転する車に乗り、意識を取り戻さない鬼頭優里きとうゆりを医者に見せるために病院へと向かっている。

 彼らが戻ってくるまでに次の手を打っておきたかったが、順調とは言い難い。

「いつもならテリトリーに散らばってるメンバーから情報が取れるんだが、その『目と耳』が捕まっちまってるからなー。知り合いやツテじゃあ、信用度が低すぎるんだよなー」

「……だな。真らには『拠点を構える』なんて見栄切ったのに、あの大雨でもアチコチ予約だらけなんだよな。いつもならメンバーに直談判で頼んでもらったりもできるんだが、捕まっちまってるからな。『手足』を封じられた感はあるな」

 現状、WSSが他のバイクチームよりも所帯を大きくできた要因は、組織力とツテとコネに加え、旧南あわじ市というテリトリーの広さがある。

 ボーイスカウトや格闘技道場で知り合ったテツオと瀬名ら数人で立ち上げたバイクチームは、参加者それぞれがなんらかの集団や仲間との関係を保ち、そこに親類や縁者などのコネクションを加えることで情報収集力と多分野に渡る対応力を持った。

 また、淡路島の南西部に広がる三原平野をテリトリーに据えたことで、洲本平野に次ぐ開発と人口増加、更には都営の電鉄に地下鉄とリニア駅を含む交通の便も良く、大企業の移転は三原平野に集中していてその関連企業や工場も近隣に立ち並び始めている。

 これら全てと繋がれるほどにWSSのコネクションは広く、深い。

「……それでもネタはあるぜ?」

 暗くなりがちな雰囲気を切り替えようとしたのか、瀬名が明るい声を出したが、テツオは渋い顔を向ける。

「自衛隊が公式発表なしに戦闘行動を行ったってニュースだろ? あんなもん、現場に居た俺らにゃ価値のない日記だ」

「いや、そうでもないぞ? そのニュースなんだが、速報で画像一枚貼り付いてるだけの記事とはいえ、細かいとこに小ネタが山盛りなんだぜー?」

 テツオの辛辣な言葉をひっくり返しながら瀬名は右手を動かし、仮想キーボードを操作してニュース記事を可視化させる。

 そこには新皇居を高い位置から見下ろすように撮影された画像と、数行の文章が添えられていて、出版社の社名も載っていた。

 記事の文面はこうだ。


『新皇居に立ち昇る煙 自衛隊の防衛行動か


 本日七月五日早朝、防衛省発表による陸上自衛隊の演習と思われる車列が、公式な実施の発表なく伊丹駐屯地を出発。午前八時三〇分頃に淡路島の国生こくしょう市に到着した。しかし到着と共に散開した隊員たちは、新皇居に対して実戦さながらの包囲網を敷き、風切り音を立てて煙幕弾の発射を数回行った。

 これは到底演習や訓練と思われるものではなく、実弾の使用こそ認められなかったが、完成前の新皇居において行われる演習ではないはずだ。

 記者の目には防衛行動、あるいは戦闘行為にしか映らなかった。

 政府及び防衛省が自衛隊の演習を提唱・発表した経緯をあらため、真相を追求しなければならないだろう。

 ましてや、御手洗みたらい政権が改正法案として提出していた「自衛隊を防衛軍へと引き上げる法案」の尖兵になどにしてはならない。


 月刊テイクアウト 編集部』


 テツオは瀬名に促される形で記事を読み直してみたが、瀬名のいう『小ネタ』が何を指しているのか読み解けなかった。

「俺がチラ見したのと同じやつだな。で?」

 顎をしゃくって瀬名に水を向けると、瀬名は一つ頷いて解説にかかる。

「まずこの画像なんだけどな。

 煙幕弾の煙が吹き上がってるけど、二本だけなんだ。確か、自衛隊は閃光弾一発と煙幕弾三発を発射したはずなんだ。

 その後には突風が吹いて、煙幕も雨雲も吹き散らされちまった。

 つまりこれは赤い光が光る前ってことになる」

 なるほど、とテツオの体が前のめりになり、画像の端々に目を走らせる。

「そういうことか。この記者は八時頃には諭鶴羽山に居て、九時頃に俺らが退散するまでずっと見てたってことだな。皇居の『目』の字の向きからすると、撮ってる向きは諭鶴羽神社あたりから北西を向いてるな」

 諭鶴羽神社は諭鶴羽山の頂上付近にある神社で、平安時代には修験道の聖地として栄えた神社だ。後に焼き討ちや廃仏毀釈などで廃れてしまったが、今なお地元に多くの参拝者を有している。

「神社は山頂の南側に建ってるみたいだから、山頂より北側の中継所とか電波塔の辺りだろうな」

 淡路島は四方を播磨灘・大阪湾・紀伊水道に囲まれ、諭鶴羽山地・津名山地・西淡山地などの山々があることで通信に多少の難があった。

 そのために標高のある頂き付近に中継設備や電波塔が建てられ、携帯電話回線や放送電波受信が補われている。

 加えて、新皇居建設にあたり諭鶴羽山は特別指定区域に設定され、道路脇から山林に分け入るような侵入は許されていない。施設や設備の管理を装って、道なりに登坂するしかすべがない。

「……今日のあの時間にその場所を狙って陣取ったんなら、そういう事を言いたいんだな?」

「ああ。偶然そんなとこに雑誌記者が居るはずないからなー。ちゃんと情報は流れてるわけだ」

 日曜日の早朝に人気のない山頂から完成前の新皇居にカメラを向ける。それがたまたま事件現場を撮影することになったなどと、普通に考えれば有り得ない。

 何かが起こる確証がなければ、記者がその場に赴くはずがないのだ。

「それにしてはこの記事しか出てないよな?」

 テツオの脳が回転を始め、徐々に瀬名の示した『小ネタ』に対して深堀りを始めていく。

「そこがなんだなー。

 記事全体の印象とか、この記事の主題とか主観とかテーマは、たった三つに絞られてるんだ。

 分かるだろ?」

 親友でありチームリーダーであるテツオを試すように瀬名はニヤリと笑って問うた。

「自衛隊と、御手洗総理大臣。それから自衛隊法改正法案、か」

 速報記事という端的で短い記事ゆえ、テツオが瀬名の意図を読み解くのは簡単だった。

「そういうことだなー」

「ふぅん。確かに先々週あたりにそんな話題もあったけどな。いや、だからこそこの記事を書いた記者には自衛隊の動きが伝わった、と考えてるんだな?」

「内通とか情報提供ってやつだ。まあ、うちらもそれがあったから大雨の中をマラソンするハメになったんだけどな」

 瀬名はテツオに向けて肩をすくめて見せながら、今朝の滋賀県から淡路島までのロングツーリングを茶化して言った。

 実際のところ、瀬名がツテやコネを辿って仕入れてきた一報によって早朝のツーリングを敢行しなければならなくなったわけだが、情報源は明らかに自衛隊内部からの情報でなければテツオらが先回りできなかったはずだ。

 この理屈を当てはめれば、この速報記事を書いた記者にも同様の情報提供者が居て、自衛隊が新皇居に到着する前に諭鶴羽山の山頂に陣取れた、となる。

「お互い人間だからな。そんなこともあるだろう。俺らはまだここまで政治色や思想にまみれちゃいないけどな」

「まあな。自衛隊が防衛軍になるだけなら俺らの生活に影響はあんまないからなー。威嚇射撃一発でニュースになるだろうけどな」

 間もなくニ一〇〇年を迎えるが、日本の領土問題や領海にまつわる摩擦は二十世紀の頃と大差はない。

 テツオや瀬名ら十代から二十代の若者は軽く捉えているが、自衛隊の防衛軍再編は日本のみならず周辺諸国に大変な影響のある改正案だ。

 領海侵犯と領空侵犯の観点で言えば、海上自衛隊及び航空自衛隊の出動そのものの意味が『交戦』へと直結することになる。また、自衛隊の駐屯地や分屯地は基地化されるであろうし、米軍基地との訓練や連携もより実戦に則したものになるだろう。

 ただでさえ米軍基地問題の解決がなされていない中、自衛隊の基地化などが行われようものなら国民の生活に影響しないはずはなく、反対運動や抗議活動は激しいものになるだろう。

 また周辺諸国も強い警戒と厳しい抗議を浴びせてくるに違いない。

 自衛から防衛への変化は、国内にも、国外にも波及する重大事だ。

「今はそれより仲間の方が大事なわけなんだが、自衛隊の内通者だけの話じゃないんだろ?」

「もちろんだ。

 自衛隊内部か周辺か関係者かは分からないけど、内通者や情報提供者が居るってわりには、この『テイクアウト』って雑誌しか速報を出してないんだよな。

 しかも短い戦闘の中で煙幕弾が吹き上がってる写真を使ってる。

 普通に考えたらあと二つ世間がビックリするスクープを見ているはずなんだよ」

 瀬名は一眼レフカメラを構えるような仕草をしたあと、右手の人差し指と中指を立ててテツオに見せる。

「……赤い光と青い光。それから俺らの事か」

 腕組みをしながらテツオが答えると、瀬名は両手を広げてオーバーにまくし立てる。

「ハッキリ言ってしまえば、高橋智明の超能力とエアジャイロで空飛んでた俺らだ。

 自衛隊のことと天秤にかけて、この二つを書かずに切り捨てる理由はないよな?

 雑誌記者なんてネタになって売り上げ上がるなら、芸能人のウンコシーンや政治家がツバ吐いたくらいでも記事にするんだからな。

 人間が空飛んでて、武器も持たずに攻撃ぽいことしてたなら、そっちの方が話題になるはずだろ?

 それをしなかった理由があるとしか思えないわけだ」

 こっそりマスコミ批判と個人的偏見を混ぜ込んできたが、瀬名の理屈はテツオの思考回路を強く刺激した。

「……裏付けを取っていないからとか、裏付けを確かなものにしてから記事にしたかった、とかか。

 ……オカルトに寄ってしまって自衛隊の問題行動を有耶無耶にしたくなかった?

 いや、見て分からなかったから記事にしなかった線もあるな。赤いのや青いのは肉眼では見れたけど、カメラに映らなかったとかな。

 ……いや、まさか、それはないか……」

 独り言のように回答を列挙したテツオだが、最後の一言は口元を隠すように手を当てて、確証なさげに声を小さくした。

 その様子に瀬名が切り込む。

「おいおい。ここに来て『起こり得ないから信じない』なんて理屈はねーぞ? 少なくとも超能力者が実在して、俺たちは空を飛べる道具を手に入れてるんだからな」

 また大げさに両手を広げ、瀬名はテツオを挑発するように差し向けた指先を小刻みに動かして手招きをする。

 その様にテツオはフッと笑みを見せ声をひそめて予想を口にする。

「報道規制、か?」

 起こっていることや起こったことを報じない理由はそれしか思い付かなかった。

 ただこの場合、『超能力』と『未発表の技術』という趣の違う二者を同時に規制したとは考え難く、それゆえにテツオは口ごもってしまった。

「――しかないと俺は思ってる」

 いつものように瀬名はニヤニヤと笑うのかと思ったが、テツオの予想に反して瀬名はやおら真剣な表情で体を引いて答えた。

「よくよく考えてみるとな、自衛隊の事しか書かないってのはおかしいんだよなー。

 防衛行動を取るにしたって、戦闘行為を取るにしたって、相手が何かしでかしたからって理由がなきゃ、『自衛隊の行動がおかしい』『違憲だ』って話は出来ないと思うんだよ。

 でもこの記事にゃそのへんのことは一切触れられてない。むしろ防衛軍への布石にしたらアカン!って言う一点に絞ってる。

 それで思い出したのが『高橋智明』と『中島ちゅうとう病院』なんだよなー」

 一部関西弁を交えながらも私見を述べていった瀬名の言葉に、テツオがハッとした顔で背筋を伸ばして口を挟む。

「そういや病院襲撃事件って、十日くらい経つのに続報って出てないな」

「そこだよ。

 俺らは真から事件の真相とか見てきたことを聞いてたから気にもしてなかったけど、世間的には病院襲撃事件の続報って出てないんだよ。一応、病院の修繕が完了したから診察を再開したってのはあったけどなー。

 けど、これこそ初っ端から報道規制かかった報道だったし、続報の出しようもない事件でもあるだろ。

 犯人は十五歳の未成年。

 超能力を使って事件を起こした。

 その少年Aが新皇居を占拠して自衛隊と交戦した。

 そこには空を飛べる装備を身に着けた集団も加わっていた、なんてな」

 最後の一言を茶化した身振りで口にした瀬名に、テツオは短く笑ってから応じる。

「ハハハッ! そんなヒーローっぽく書いたら逆に嘘臭いだろ。しかし、確かに無い話じゃないどころか、有る線でしかないな。言えないことを言わずに、言いたいことだけを言う。っぽいっちゃぽいな」

 テツオは蔑称を使いながら一応の納得を示す。

「紀夫が中島病院のことを提案してなきゃ、こんな繋がり方はしなかったけどなー」

 紀夫のプレイボーイ的な素行を嘲笑わらいつつ、瀬名はいつも通りのニヤニヤ顔を浮かべる。

 対してテツオはより真剣な表情になる。

「ただな?

 その場合、どことどこが報道規制かけてるかが問題になって来ないか?

 例えば、高橋智明に関して言えば警察か政府だろうと検討はつく。未成年の犯罪だとか、完成前の皇居を占拠されてるとか、超能力者の起こした犯罪なんてのはどっちの立場でも公にしたくないはずだからな。

 じゃあ、エアジャイロやエアバレットを報道規制してんのは誰なんだよって話になる。

 大尉の会社がそんなことできるはずないからな。俺らの目的を教えていないんだし、マスコミはテレビに雑誌に新聞社にってくらい沢山あるから、規制のしようがない。それどころか規制しようとしたら逆に秘密を広めることにもなり得る。

 じゃあ、自衛隊とか日本政府が規制してるのかってなったら、防衛軍とか扱ってる時点で記事はもみ消されてるはずだ。

 でも記事は五時間経っても残ってる」

 テツオは想像を並べ立てたあと「どう考える?」と瀬名を追い込む。

 すぐさま瀬名は人差し指を一本立てて返す。

「もう一つだけ可能性があるなー」

 立てた指先を自身のこめかみの方へ動かしていき、トントンと二度つついて見せる。

H・Bハーヴェーか? いや! HDハーディーか!」

 瀬名の考察に追い付いたテツオは声を上げて瀬名を指差した。

「残ってるピースはそれくらいだなー」

 ここ最近で最大級に勝ち誇った瀬名のニヤニヤ顔を見て、テツオは更にその先へと考察を深める。

 第七世代の通信革命とも言われるH・Bは、今では世界的に広まったナノマシンによる脳の機械化という大革命である。二十世紀の携帯電話端末や二十一世紀初頭のスマートフォン端末同様、基本構造や理念は同一でありながらその提供は世界各国の電子機器メーカーが製造と開発と販売を行っており、八十億を超える人口のうち成人のほとんどがH・B化を済ませていると言われている。

 今更H・Bの開発や販売を手掛ける企業が規制などする意味はない。

 だがHDは違う。

 テツオらがコネを使って接触した某電子機器メーカーは、人体の硬骨や筋肉や神経組織をナノマシンによって金属や樹脂にすげ替えるという新しい技術を開発していた。テツオらはその実験体にも等しい条件で新技術を自らの体内に取り込んだ。

 結果、生身の肉体よりも高い運動能力と筋力を手に入れられた。

 こうした画期的で革新的で様々な分野に波及しうるHDという技術は、考えようによっては報道規制する必要のある『ネタ』であるかもしれない。

 それは企業にとっても、政府にとっても、防衛軍にとっても。

「……フランソワーズ・モリシャン」

 ギロリッと虚空を睨み付けたテツオに、瀬名は指差して不器用なウインクを投げる。

「どこと繋がっててもおかしくないのはその一点しかない」

 テツオは頭の中でイタリア系ハーフの青年の顔を思い浮かべながら、そう断定した。

「……まさかって部分はあったけど、そこまでのヤツだったとしたら怖いけどな」

「でも憶測であれ色々繋がるとこはあるからなー」

 壁にもたれて信じられないと言うテツオに、瀬名は腕組みをしてウンウン首を振りながら自分の考えを正しいことのように言い放った。

 確かにフランソワーズ・モリシャンの素行を知る限り並べてみると、開発中で未発表のHDをテツオらに百セット以上与えたり、そればかりか対抗している淡路暴走団と空留橘頭クールキッズにも同等の施しをした形跡もある。

 加えて高橋智明が立て籠もる新皇居に飛行体を飛ばして物資を送り届けたニュースもあったし、それらに係る費用は彼個人のポケットマネーの域ではない。

 そもそも新皇居に物資を送り届けたニュースも不自然極まりないのだ。

 テツオはフランソワーズと直接通話した折に物資を送り届けた件の裏付けを取れただけで、世間的には所属不明の飛行体が淡路島の空を通り過ぎただけと伝わっている。

 しかし、その事をテツオに問い詰められたフランソワーズは、テツオを煽るように話し、高橋智明の元へ絡ませるようにした節がある。

 そこに政府の意志が働いているのか、自衛隊が関与しているのか、はたまた篠崎と木村が所属する電子機器メーカーが関わっているのか、フランソワーズの背後は見通せない。

「……これは賭けだな」

 ジンべの私室の天井を見上げるようにしながらポツリとテツオが呟く。

「なんか思い付いたのか?」

「いいや」

 打開策を期待した瀬名をすげなく切り捨てたが、テツオは笑いながら続ける。

「見えないモンを想像して追いかけても捕まえられないからな。それならいっそ真っ黒な疑惑の真ん中に飛び込んでみるのもいいかなって思ってな」

「オイオイ……」

 いつものテツオらしくない言葉に瀬名は少し慌てる。が、テツオが不敵な微笑みを浮かべながら瀬名を真っ向から見返すと、瀬名は抗議を取りやめた。

「今はまず仲間のとこに行って、バイクと仲間を取り戻すのを優先しよう」

「……リョーカイ」

 行動を決めてしまったテツオに瀬名が逆らう事はない。

 テツオが無策であっても瀬名の座右の銘はいつだって変わらない。

 テツオが石橋を叩いてぶっ壊し、新しい橋を掛けて渡る。その後ろを付いていくのだ。


 旧南あわじ市西淡地区松帆西路まつほにしじにある三原ICインターチェンジ

 二十一世紀初頭までは田畑が広がる中に神戸淡路鳴門縦貫道が横たり、ICを通って高速道路に乗るためだけの信号があるという景色だったが、遷都が決まってからは一挙に様変わりをした一帯だ。

 特に神戸淡路鳴門縦貫道と31号淡路サンセットラインと大日川で囲まれた三角地帯は、早々に大手アミューズメント会社が買収し、広大な駐車場を擁するショッピングモールが建てられ娯楽施設と外食チェーン店が博覧会並みにテナント契約して軒を連ねた。

 その駐車場の一画に『BIKELIFE南あわじ店』のロゴが入った白いワゴン車が停まっている。

 車窓には一組の男女が座っているのが伺えるが、厳密には後部座席に横たえられた少女が居るので三人が乗車している形になる。

「また巻き込んじゃってゴメンな」

「その話はもういいよ。半分は仕事だし、使命みたいなものだから」

 運転席の金髪リーゼント頭の男・紀夫が詫びると、助手席に座っているゴシック調の衣服を着た女・赤坂恭子が答えた。

「それでもな、言うべきことは言わなきゃだから」

 紀夫はチラチラと落ち着きなく車外に目を走らせながら言わずもがなの受け答えをする。

 後部座席に横たえられている優里を非合法的に病院で診てもらうために、紀夫は恭子に連絡を取ったが、診察が可能になるまで時間が空いてしまったため、社用車の持ち主であるジンべと優里の付き添いである真を食事に行かせ、紀夫が恭子と二人きりになるために田尻も車から追い出した。

 紀夫には彼らが戻ってくるまでしか時間がなく、そういう意味で余裕と落ち着きをなくしている。

 対して恭子も恭子で、播磨玲美はりまれみ医師に院内規定に違反する診察を持ちかけた負い目や、中島病院から解雇や減給などの処罰を受けるであろう動揺が渦巻いている。

 それを分かっていながら二人の関係を確かめずにはおれない紀夫の葛藤は、今までの彼の女性遍歴にはなかったものだ。

「……こんな時に言うことじゃないって分かってるんだけど、俺はやっぱり恭子とその、もっとちゃんと付き合うっていうか、恋人ってのになりたいと思うんだよ」

 手持ち無沙汰でハンドルに手をかけて打ち明ける紀夫だが、中型二輪は十六歳で取得できても普通自動車免許は十八歳からなので形だけの運転手だ。

 ちなみに50cc以下の原動機付自転車免許と125cc以下の軽二輪免許は十六歳から、400cc以上の大型二輪と900cc以上の重二輪及び二輪限定解除免許は十八歳から取得できるように改正されている。

「ほんと、今言うことじゃないよね」

 助手席から窓の外を見ながら突き放した恭子に紀夫は慌てる。

「だけど言わなきゃいけないことは言っとかなきゃ、後悔もできねーし、後悔してる時点で手遅れだろ!」

「怒鳴らんで! あんたなんでそなぁに焦っとるんか? 死にに行くん? 落ち着いてつかぁさい!」

 つい声を荒げてしまった紀夫を制するように、普段の恭子からは聞いたことのない声の調子と訛りが飛び出し、紀夫の勢いは削がれた。

「……ごめん」

「……謝らなくていいけどさ。秘密とか内緒話なんかより、なんでこんなことになってるのかを話してくれる方がよっぽど愛されてると思えるんだよ。隠し事がある素振りより、隠し事しない人の方が上手くやっていけると思わん?」

「それは、まあ、そうだけど」

 すぐに謝った紀夫に恭子もトーンを落として口調も変えてくれたが、紀夫はつい口ごもってしまう。

 バイクチームの仲間からはプレイボーイだの女遊びだのと揶揄されることはあるが、紀夫自身の心構えはそうした遊びのつもりは実はない。

 悪ぶった外見や口調も手伝ってモテる方だし、一つの恋が終わってもまた新しい出会いがあって、紀夫の周りに女性が居ない期間はほぼないに等しい。それゆえに次々と女性を口説いて回ってとっかえひっかえして見えるのだろうが、実際は一つの恋の期間が短いだけなのだ。

 その際に女性の容姿や性格は問題ではなく、皆一様に同じ理由で紀夫の元を離れていく。

「つまんないこだわりかも知れないけどさ、ノリクンは私のこと、どれだけ知ってる? 私はノリクンのこと、ちょっとしか知らないんだよ? 会いたいとか好きとかはとっくに分かってるのに、私達はその程度なんだよ」

 これまでに何度か聞いたことのある言葉を浴びせられ、とうとう紀夫は黙ってしまう。

 出会い、言葉を交わし、好意を伝えてセックスも済ませた。それじゃあ付き合いましょうという段になると、紀夫はいつもこうした説教をいただき、そこでプツリと関係は途絶えてしまう。

「……えっと、看護師さんで、愛媛の出身で、太陽みたいに明るく笑う人で、日向ぼっこしてる時みたいにホンワリ優しい人で、ノリが良くて積極的なのに、意外と恥ずかしがりやさん……て感じかな」

「……何の話をしてるよのよ」

 照れているのか慌てているのか、恭子は微妙な表情で視線を彷徨わせる。

 そのスキを突くように紀夫は恭子の肩に手をかけ、振り向かせて短いキスを見舞う。

 紀夫が顔を近付けると、恭子は目を閉じて顎をあげて抵抗なくキスを待っていた。

「……急に、なによ……。バカ」

「そういうとこ、すごく気に入ってる」

 唇が離れるとまた恭子は挙動が乱れ、紀夫の茶化したような言葉を受けて黙って紀夫の肩を叩いた。

「いてて。……要はお互いを知っていけるような会話とかデートをしなきゃってことだよな?」

「まあね。今更だけどね」

 恭子はまた窓の外に視線を逃して冷たく答えた。

 その様子に、また怒らせてしまったかもと紀夫は慌てるが、フロントガラスから見える駐車場の車列の向こうに田尻とジンべと真の姿を見つけ、時間切れを悟った。

「……俺、恭子の事をもっと知りたいし、俺の本気も知ってもらいたいって思ってる。だから、もう一度ちゃんと会ってお互いの話をしたいと思う。努力するし、変えられるとこは変えるつもりもある」

 なるべく沢山のメッセージを届けたいと思い、紀夫は早口になって口数が多くなる。

 恭子の視線はまだ紀夫には向かない。

「だから、もう一度、ちゃんと会って話そう」

「……うん。そうだね」

 ギリギリ聞き取れるくらいの小さな声だったが、そっぽを向いたまま恭子が小さく頷いてくれたのが髪の揺れ方で分かった。

 紀夫はガッツポーズを取りたかったが、運転席の窓をジンべにノックされたのでなんとか堪えた。

 望みは繋いだ、その事実だけで今はいい。

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