感情 と 道理

 幹部会が終わり、戦闘で破壊された正門脇の外壁と区画を仕切る塀の修理を川崎に命じ、智明は川崎と本田鉄郎ほんだてつおが破壊した施設の壁の復元に向かった。

 軒下に散らばった瓦礫を立体パズルの要領で組み合わせるだけで良いと踏んでいた智明は、強度を高めるために通されている鉄筋や室温を安定させるために貼られていた断熱材を見て己の知識が不足していることを痛感し、空留橘頭クールキッズのメンバーで大工見習いだという男性を呼んでネット検索しながらどうにかこうにか復元を済ませた。

「専門知識のあるメンバーが居てくれて助かったよ。ありがとう」

「いえ、役に立てて良かったっす」

「また知恵を借りると思うから、よろしく頼みます。ああ、そうだ。正門と中門の方も助けてあげて下さい。川崎さんが建築やっててもアワボー全員が土建屋じゃないからね」

「了解っす!」

 智明はなるべく偉ぶって聞こえないように礼を言って男性メンバーを別の修繕作業へ向かわせ、智明自身は新宮本宮の正面玄関の復元に取り掛かる。

 先程の施設の壁より範囲が広いが、二度目ということでエネルギーを使いはしたが一応復元には成功した。

「こればっかりはさすがにな……」

「うん。仕方ないよね」

 足元に集められた布切れや木枠を眺めながら智明が嘆くと、玄関ホールの片付けを命じられていた淡路暴走団の女性メンバーが同意した。

 恐らくだが、鬼頭優里きとうゆり藤島貴美ふじしまきみが対峙した際、優里のやたらめったらな攻撃が命中してしまったのだろう。正面玄関の近くに掛けられていた絵画が数点、引き裂かれたり砕かれたりしていて智明の能力をもってしても復元は出来そうになかった。

「しかし捨てるわけにもいかないんだよね。……なるべく空気を抜いた袋に入れて、箱か何かで保管しておいてもらえますか?」

「えっと、布団圧縮袋みたいのでいいのかな……」

「そうそう。絵の具とか顔料って空気に触れちゃうと傷んだり崩れたりしちゃうからね。あ、箱には『玄関ホールの絵』とかなんとか分かりやすい表示つけてもらえると助かります」

「分かった」

 気安く話してくれる女性メンバーに片付けの続きを任せ、智明は階段を使って三階へと上がる。

 テロなどの警戒のためか新宮本宮にはエレベーターは無く階段も折り返しを繰り返した作りではないため、正しい回り道をしてカーペット敷きの床をいつも通りのリズムで歩く。

 三階にたどり着くと皇居らしくないシンプルな木製ドアが一枚現れ、開いた先は少し広めの下足場だ。

 自衛隊司令官らとの急な会談のために大慌てで用意した革靴をシューズクロークに突っ込み、優里が買ってきてくれた百均の室内履きでキッチンへ向かう。

 慣れない作業で複雑な能力の使い方をしたせいか、小腹が減り冷蔵庫をあさりに来たのだ。

「ん? 貴美さんがやってくれたのかな?」

 使いくさしのポークウインナーをそのまま口へ放り込んだ時、流しにある水切りかごに洗い終わった皿やボウルを見つけた。

 会談前に藤島貴美との食事で使ったものだ。

 さすが修験者しゅげんしゃというべきか、さすが和風美少女というべきか、些細なことながら貴美への好感度は上がった。

「と、いうことは逃げ出してないってことかな?」

 少し意外な気がしたが、まだ貴美が本宮に居るならば探しておかなければならない。

 途中で話が途切れたままだし、見知らぬ建物に少女一人を数時間も放置してしまっているのは申し訳ない。

「あれ? おや?」

 キッチンから一続きになっているリビングダイニングに貴美の姿はなく、洗面所・脱衣所・風呂場・トイレのどこにも見当たらない。

 唯一の痕跡は脱衣所にあって、几帳面に畳まれた白衣はくえが脱衣籠に残っているのみだ。

 残る部屋は主寝室と書斎と子供部屋であろう洋室二間。

 しかし二間ある洋室には家具が入っていない完全な空室で、書斎はその真逆で二面ある壁は空の本棚で埋まり部屋の中央にはシングルベッドほどのデスクセットがあるだけだ。

「……あ、居た」

 消去法が示した通り、主寝室のドアを開けるとベッドの上に正座した貴美が居た。

 腰まである黒髪は自然に背中へ流し、瞑目した表情は穏やか。しゃんと伸びた背筋で正座し、両手はももの上で軽く丸めて置かれている。

 その様からは自然体でおおらかな雰囲気を感じるが、同時に強張りや緊張を感じないのに集中した印象を受け、智明を近寄り難くしている。

 ――そりゃそうか。悟りと救世ぐぜが本分だもんな。失礼しました――

 貴美の瞑想の邪魔をしないように心の中で詫び、智明は主寝室のドアを閉じようとした。

「……トモアキ、殿か?」

 控えめな呼びかけに智明はドアを閉じる手を止め、ベッドの上からこちらを真っ直ぐに見てくる貴美を見返す。

「ごめん。瞑想してたのに邪魔しちゃったね」

「そこまで集中はしていなかった。大丈夫。もう用は済んだのか?」

 小首を傾げて問うてきた貴美に、智明はありのままを話す。

「ああ。自衛隊の人が来てね。お互いの今後のための話をしてきたよ。その後は仲間と会議する必要があったから集まってて、ここに戻るついでに壊れた所を修理してきた。もう急ぎの用事はないかな」

「そうか」

 得心したのか、貴美は智明に頷きながら返事をしベッドから降りる。

「ちょ、カワイイな」

「……え? 何がだ?」

「いや、まあ、うん。こっちの受け取り方次第だから気にしなくていいよ」

 思わず漏れてしまった心の声をなかったことにできるはずもなく、不思議がる貴美にお愛想を述べておく。

 貴美はクローゼットにあった優里のスウェットを身に着けているのだが、手も足も丈が余っていて、貴美の童顔も手伝って大人用の服を着た幼女に見えてしまった。

「とりあえず危ないから少しまくっとこうか」

 言いながら貴美のそばまで歩み寄ってしゃがみこみ、袖を腕まくりして裾を内側へ折り込んでやる。

「あ、ありが、とう」

 貴美のぎこちない感謝を受け取りつつ、まだ仄かに香るシャンプーが智明の鼻孔をくすぐる。

 優里が普段使っている物を貴美も使ったはずなのだから同じ香りのはずなのだが、智明には少し刺激的だった。

「……さて、どうしよっか?」

「ど、ど、どうするとは、なな、何をだ?」

 なぜか怯えるように自分の体を抱く貴美に智明は慌てる。

「そんな深い意味はないってば。寝るには明るいし、夕飯にもまだ早いから。まだ三時だもん。ゲームとかテレビで暇を潰すタイプでもないだろうしさ」

 貴美は修験者である以上その生活は修行が中心で、文明との関わりは必要最小限だという知識から、智明はそう水を向けた。

 案の定、貴美は智明の決め付けを肯定した。

「それは、そうだ。文明を積極的に取り入れることは煩悩や欲望に触れることと同義。煩悩にまみれていては悟りも救世も疎かになってしまう」

 床にしゃがんだままの智明の前で貴美が仁王立ちできっぱりと言い放った。

 なぜだか説教や説法を受けた感じになってしまい、智明は背筋を伸ばして聞いている自身の姿に苦笑いを浮かべる。

 どうもこの絵面では対等に話せないと感じた智明は、立ち上がって貴美に右手を差し出す。

「……だよね。それじゃあ三時のおやつに付き合ってもらおうかな」

「お、おやつ?」

「お腹が減ってないならお茶でもいいよ」

「う、うん。……お茶なら、お付き合いします」

 顔を赤らめ視線をそらしてなぜか丁寧な言葉で誘いを受け、貴美は智明の右手を握った。

 そのまま手を繋いでリビングダイニングへと移ったのだが、見様見真似でエスコートをした智明も顔が熱を帯びているのを感じた。

 優里とは幼馴染みという前段階があったのでこうしたエスコートに照れを感じることはないのだが、ほぼ初対面と言っていい貴美が、智明の差し出した右手をしっかりと繋いだものだから智明の想定を超えてしまっている。

 貴美の手は体型に合わせて小さく、それでいて緊張のせいか強張っているところにさえ可愛さを感じてしまう。

 ――もしかするとこの人は他人に好意を抱かせる天才なのかもしれない――

 小柄で黒髪ロングで純和風な童顔という容姿だけでなく、言動や振る舞いが心も体も純白なのだろうと思わせるのだ。

 ただ二人とも顔を赤らめてぎこちなく歩いている様は、学芸会並みのお遊戯に見えるんじゃなかろうかと微妙な気持ちもよぎる。

「テーブルよりソファーの方が落ち着くかな。座って待ってて」

「う、うん」

 リビングダイニングへ入ったところで声をかけると貴美はこっくりと首を動かして手を放したので、智明はお茶の支度のためにキッチンへ向かう。

 優里とくつろぐ時はたいていコーヒーなのだが、修験者にコーヒーでは刺激がキツすぎるだろうと考え、日本茶か紅茶の買い置きを探し、ついでにお茶受けも物色する。

 幸いにも紅茶とあんドーナツを発見したので、湯を沸かして白無地のティーカップと小皿を用意し、ティーバッグをカップに放り込んで小皿にはキッチンペーパーを敷いてあんドーナツを乗っける。

 支度できたカップと小皿をトレイに乗せ、貴美の元へと運んでいく。

「……お待たせ」

「どうも」

「えっと、足崩していいよ?」

「すまない。普段がこうなものだから」

 センターテーブルにカップと小皿を置きつつ貴美に声をかけた。

 普段の癖、と言われてしまえば納得せざるを得ないが、ソファーの座面に正座していてはテーブルのカップまで手が届かないはずなので、申し訳ないが座り直してもらう。

 貴美もその意図を察したのか、智明の座り方を真似るようにソファーに浅く腰掛け直す。

 少し内股で膝を付けて両手を腿に置くのは変わらない。

「……えっと、さっき何の話をしてたっけ」

「……マコトとトモアキの精神的関係とかだと思うが?」

「ああ、そっかそっか」

 互いに紅茶を一口すすり、数時間前に途切れた話を再開する。

「そうだ、俺と真はすれ違ってるよねって話だったよね。

 正直なところ、今、真に会いにくい状況になっちゃったなと思ってる。

 俺が大きな力を持ったからとか、リリーと暮らし始めたからとか、それだけのことじゃなくて、ここで暮らし始めてから俺にも想像できない方向に進んじゃってるんだよね。だから真に謝ったり仲直りしたりってタイミングを失ったし、警察とか機動隊を追い払ってるうちにここから離れられなくなったっていうのもある」

 膝の上に肘をのせ背中を丸めて話す智明を貴美はじっと見ている。

「教会の懺悔室ってわけじゃないけど、能力を手に入れて今日までに十人以上の命を奪ってしまってる。

 どれも殺意があってやったものじゃなくて、能力を扱いきれていなかったり平常心を失って暴走させた結果なんだけど、それは言い訳にならない。

 だからってわけじゃないけど、俺が能力を使わなくていいように人を集めたりしたんだけど、それが返って俺の身動きを封じるんだよね」

「兵隊のように鉄砲を持っていた連中のことか?」

 貴美の問いに智明は苦笑を浮かべる。どうやら揃いの防具と武器が兵隊に見えたらしい。

「そうだよ。元は淡路島のバイクチームの人達なんだけどね。真がそういう人達と遊んでるって聞いてたから、大勢を一度に仲間にするって考えた時にピッタリだなって思ってね。他に俺が人数を集める方法も思い付かなかったし、無闇に能力を使ってまた人を殺してしまうようなことは避けたかったからね」

 少し伏し目がちに話す智明につられたのか、それとも亡くなった者達に心を寄り添わせたのか、貴美の表情も少し曇る。

「人を、あやめてしまったのか……」

「……ああ。……正当防衛とか言い訳したいけど、問題はそこじゃないからな」

「そうだな」

 やはり命や魂や生き方というものを考える機会が多いせいか、智明の後悔や懺悔に対する貴美の返事は早い。

 智明も、優里と能力の使い方について話し合ったり、命やその償いについて考えてきたし、そのガイドラインとして宗教や文学書なども目にしていた。

 結果として智明は法律や刑罰の問題ではなく、人の心にわだかまったり衝動的に爆発する『殺意』と、それを抑制できない意識や情緒の不安定さ、そして行ってしまった『事実』と向き合わなければならない。そういうところへと行き着いた。

 そして貴美が即答で智明の答えを認めたことで、智明から貴美へと語る言葉を失い無言になる。

「……一つ、聞いても良いか?」

「ああ、うん。なに?」

「集まった人達は智明の考えに納得してここに居るのか?」

 静かな口調で貴美は智明の一番痛いところを突いてくる。

「……半々、ってところじゃないかな。集めてすぐはその場しのぎで、対策できたつもりになっちゃったんだよね。

 でも幸運なことに組織作りや集団をまとめるのに詳しい人が居てね? 『目標を掲げて目的や考えを伝えなきゃついてきてくれない』って教えてくれたんだ。

 それで演説めいたことやって俺の気持ちとか考えはみんなには伝えたんだけどね」

 当初、智明は川崎と山場を懐柔することで、淡路暴走団と空留橘頭は彼らを通して動かすことができると考えていた。組織や規律や目標や目的などなくとも、川崎や山場の指示でこなすべきことをこなしてくれると思っていたのだ。

 しかし山場は裏方や汚れ役を望み、川崎は智明に訓練風景を見せることで組織作りの必要性を訴えてきた。事実、淡路暴走団と空留橘頭のメンバーからは半信半疑な態度や表情が伺えたし、積極的な者と消極的な者とに分かれ個々人の温度差は激しかった。

「……ただ、それはますます俺の先行きを決定付けてしまって、俺の想定した状態からはかけ離れたばかりか、俺の身動きを縛ってきてる」

 ますます下降していく気持ちにとどめを刺すように貴美が問う。

「だから真にも会えないでいた、と?」

「そう、だね。貴美さんはウエストサイドストーリーズって知ってる?」

「え? あ、あのテツオのチーム、かな?」

 急な質問に慌てたようだが、WSSウエストサイドストーリーズを知っていると答えた貴美に智明は少し驚き納得もした。

「そうそう。なるほどやっぱり、真はウエッサイに頼ったんだな。……実は人を集めようって思った時に一番最初にウエッサイのことを考えたんだけど、ウエッサイは真が出入りしていたグループだし、リーダーの本田鉄郎ほんどてつおさんはスキのない人だから話しかけられなくてね。真に会わないためにも他のチームをスカウトしたっていう経緯はある」

 言葉を切って智明は紅茶をすすり、カップを置いてソファーにもたれる。

「そんなに会いにくいものなのか?」

「普通に学校とかで必ず顔を会わせるならそんなことないんだろうけどね。俺は今お尋ね者だし、リリーをさらった感じになってるからね。……一応、リリーとは同意の上でここに居るんだけど、そこも真に誤解させてしまってるかもしれない」

「そう、か……」

 ソファーの背もたれにもたれていた智明は、貴美の反応を見ておや?となる。

「……俺からも少し聞いていいかな?」

「うん、はい。どうぞ?」

 反らしていた目線を智明に戻し貴美は構えるように背筋を伸ばした。

「もしかしてだけど、リリーとなんかあった?」

「…………どうして、そう思う?」

 一瞬、目を見開いて驚いたあと口元を緩めて呆けた表情を見せ、沈黙のあとに貴美は聞き返してきた。

 何かあったとしか思えない反応だ。

「単純にリリーは言葉でも行動でも人を傷付ける性格じゃないからね。なのに、俺が貴美さんを見つけた時は結構な怪我だったからさ。うちのオモチャみたいな銃じゃ、貴美さんにあんな怪我をさせれないから、リリーが力を使ったのかなって思うんだけど。

 でも、リリーがそういう行動をするんだとしたら、余程のことがあったんだろうなって思うから」

 智明が予想や憶測を並べていくほど貴美の表情は沈んでいくのが見ていて分かる。

 しかし、智明が優里のことと貴美のことを理解するためにも、貴美の目的やそこに至った理由を知っておかねばとも思う。

 真を知る人物として新宮に現れ、貴美が優里と対峙した理由や原因は、智明と優里と真の関係に少なからず影響するだろうと思えるからだ。

「……私は、守人として人々の依頼や願いを承る務めがある」

 少しの沈黙のあと伏し目がちに貴美が語り始める。

「あの日、恐らくトモアキ殿が暴走したという日に、私は今までに感じたことのない恐怖や絶望を感じ取った。

 それこそ何人もの人間が死の恐怖や生への絶望を悲鳴として叫んだようなおぞまさしさと言えるものだった。

 震えや涙がとどまらず、胸が傷むような重大事であった。どうにかこうにか気持ちを落ち着かせ、導かれるようにここまでやってきた時、えぐり取られた大地や消し飛んでしまった木々や生き物たちが、私に沢山の事を語ってくれた」

 貴美の言葉に、智明は警察官八人に囲まれた時のことだなと思い至る。

 貴美はその時の心情や傷みを思い出したのか、表情を歪めたまま続ける。

「何やら異常なことが起こっていると感じてはいたが、私には積極的に関わっていくことはできなかった。

 それから毎日、新居所の様子を見に来るようになるうちに、警察の機動隊が訪れては追い返される様を見て、何かしなければと思い始めていた折、私の元に依頼が舞い込み申した」

「……どんな依頼?」

 想像はついたが、あえて智明は貴美を促す。

「病院襲撃犯であり、皇居を違法占拠している高橋智明の確保、または、排除」

 真剣な目を智明に向け、貴美は淀みなく答えた。

 智明は「やっぱりか……」と呟き、脱力してソファーの背もたれに倒れ込む。

 智明の想像や想定の中に様々な障害や攻撃というものは予想していたし、ほぼその通りの展開が現実に起こっていた。

 ただ一点、貴美のような隠密行動を取る刺客のような存在は、想定はしても実在しないだろうと思っていた。

「そういうのは創作の中だけだと思ってたんだけどな」

 ハッキリと『有り得る』と意識したのは、実は昨夜のことだ。

 優里とともにトランス状態となり、夢ともうつつともつかない星空の中で藤島貴美という存在と出会った。その時から、なぜこのタイミングで修験者の彼女が現れ、自分たちに関わることになったのかの意味を考えてきた。

 しかしこうして目の前で本人から『確保または排除』という依頼があったことを明かされると、それなりのショックを感じる。

 そしてその依頼の出どころが気になる。

「それは誰からの依頼なのかな?」

「す、すまない。それは明かすわけにいかぬ」

「そりゃそうか。ごめん」

「いや……」

 依頼の対象となっている智明に依頼者のことなど明かせるはずがないと納得し、あっさりと謝った智明に貴美は申し訳なさそうな顔をする。

「でも、だからってリリーと戦う理由にはならないよね?」

「それは、そうだ」

 個人情報保護や守秘義務などもあるだろうと考え、智明から話を変えてみると、貴美はあからさまに困惑して視線を泳がせた。

「……少し、長い話になるが、良いか?」

「いいよ。他にやることもないし、こんな機会もあんまりないしね。聞かせてもらえるなら全部聞いておきたい」

 貴美を促すように右手を翻すと、貴美は一旦瞑目して深呼吸をし、姿勢を正して話し始める。

「……この依頼を承ってトモアキ殿のことを見ているうち、私は恐怖を感じ、不安や悪寒を払いのけられなくなってしまった。

 私はイザナミ信仰の一派として霊力を授かった守人であるから、この依頼は私にしか請け負うことはできない。

 しかし、君はあまりにも異質。

 私のような自然の気を下支えにしていない。

 武道家が体内で練る気功とも違う。

 陰陽師や黒術師の使う、式やまじないでもない。

 私はまだ出会ったことはないが、エスパーと呼ばれる超越者の力とも違う、気がする……」

 智明に合わせていたはずの視線はいつの間にか腿の上の両手を見下ろしてい、貴美は言いようのない不安からか、両手を小さく素早く閃かせて印を切った。

「ともあれ、そうした不安を打ち消すために私は大阪へと向かった。

 大阪にいる先代の守人から、トモアキ殿との対し方を学ぼうと思ったのだ」

 貴美は一定のリズムで話を進めていくが、智明は少しずつ微妙な気持ちになってくる。

 今、貴美が話していることは智明を討ち取る算段なのだから、楽しい話としては聞けない。

「無事に教えを会得した私は訓練の場を求めた。

 そこに丁度都合よく同行していた友人から、『仲間が修行している場所がある』と明かされ、そこでマコトと出会い申した」

「そこで真かぁ……」

 思わず智明は腕組みをして唸った。

 真の目的と貴美の務めが近いことを考えると、二人が接点を持つことで色々なことに合点がいく。

「そう。

 ……私は先代の守人からトモアキ殿と戦う術を学んだけれど、人と争ったり戦ったりという経験を持たぬ。

 その不安は友人にも打ち明けられなんだ。

 けれどマコトは私を理解し、心配し、励ましてくれ、守ると言ってくれた。

 私がトモアキ殿を討てぬのであれば、自分が成し遂げると、言ってくれたのだ」

 切なげに拳を握りしめて語る貴美を見て、智明にはその時の真の行動や言動が手に取るように見えた。

 真は惚れっぽく女子の前でチャラく振る舞うのだが、一対一でシリアスな話の時には妙にキザになる男だ。

 膝に手を置いて涙を流す女子の肩を抱いて格好つけたセリフを言ったに違いない。

 ――まあ、貴美さんがそんな状態なら大抵の男はそうするだろうけどさ――

 体を起こして貴美の方へ右手を伸ばしかけた智明は、真を糾弾しつつ弁護もして己の反射的な行動を自重する。

 貴美の話がまだ本題に達していないから。

「……そういう繋がりがあったわけか。その、真との約束というか、打ち合わせというか、話はそれだけ?」

 我ながらドライで冷たい言い方だとは思いつつ、なんとか優里との対決に至った経緯を聞き出そうとしてみる。

「約束は、あと一つ、ある」

「どんな?」

「……鬼頭優里を連れ出してほしい、と」

 恐る恐る紡ぎ出された貴美の言葉を聞いて、智明は「ああ……」とソファーに倒れ込んだ。

 ――そっちも行き違っちゃったのか――

 正しく『悔恨』の一語に尽きた。

 真が智明と優里のやり取りを知らなかったとはいえ、智明と真と優里の関係を把握していない貴美にそんなことを頼むなど真の考えが浅いと言わねばならない。

 真を思う貴美の気持ちを大切にするならば、なおのこと二人がぶつかり合うキッカケを作るべきではない。

「……ごめん」

「なぜ、トモアキが謝るのだ?」

 小首を傾げ訝しむ貴美に答える。

「真の代わりに謝らなきゃいけないから。ごめん」

 智明はソファーに倒していた体を起こして床まで滑り降り、膝を付いて土下座のように深く頭を下げた。

「ど、どうしたのだ? まだ全てを話していないが?」

「いや! 真とリリーがどんなやり取りしたのかは知らないけど、真が貴美さんにリリーを救い出してほしいなんて頼むこと自体、おかしいことなんだよ。それはホントにダメなことだから、真に代わって謝るよ。ゴメン!」

 もう一度頭を下げた智明に、貴美は明らかな困惑を見せた。

「よく、分からない。まだちゃんと話していないぞ」

 ソファーから降りて智明の謝罪をやめさせようとする貴美は、智明のそばで膝を付く。

「いや、もう、その時の状況が分かるんだよ」

「そうなのか?」

「貴美さんはきっと真に言われたまま『連れ戻しに来た』とか言ったはずだ。

 そうしたらリリーは『自分の意志でここに居る』と答える。

 言いにくいけど、貴美さんは自分の気持ちを抑えて『真の気持ちを考えろ』って言うはずだよ。

 気の強いリリーは『今更、真の気持ちは関係ない』とか言ったはずだよ。

 真は、俺ともすれ違ってるけど、リリーとも間違った感情で貴美さんにお願いしちゃってるんだ」

「…………そんなこと……」

 智明の口にしたことはただの予想でしかない。しかし貴美が言葉を詰まらせたということは事実に近いものだったのだろう。

「だから、ゴメン! 貴美さんは真のことが好きなのに、真が変な頼み事をしたから、真の余計な拘りで貴美さんを傷付けてしまってる……」

「……うっ、……く……」

 頭を下げていた智明の耳に、何かを押し込めて耐えるような声が漏れ聞こえた。

「やっぱり……そうなんだ、な……」

 震える声で小さく呟かれた声に智明が顔を上げると、貴美の両頬に大粒の涙が流れていた。

「うん。ごめん。……でも、真は気付いてないだけだと、思う。真がリリーに拘ってるのは、幼馴染みだからとか関係が近かったからとか、そういうにすがってるだけだと思う。もしかしたら焦りとか欲なのかもしれないけど……。

 でも、アイツは貴美さんのことを本気で好きになったから、信用してるからそんな頼みごとをしたんだと思う。

 今のアイツにとっては、俺をぶん殴るのと同じレベルでリリーを連れ戻したいって思ってるはずだから――」

「グッ……! うぅっ!」

 なんとか貴美の涙を途切れさせようと言葉を並べてみたが、智明の努力のかいなく貴美はとうとう嗚咽を漏らして泣き崩れてしまった。

 女の子の泣きべそは優里で慣れているはずだが、やはり智明は何もしてやることができず、優里の時と同じように抱き寄せて泣き止むまでそばにいることしか思い付かない。

 ――真。リリーを連れて行ったことと、貴美さんをなだめたことで、貸し二つだからな――

 貴美の背中や頭を撫でてやりながら、智明は幼馴染みに恨み言を投げかけておいた。

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