会談

 新皇居の本来の囲いに設けられた立派な正門を潜り、お触り程度のボディーチェックが済むと、川口と野元は玩具のような銃を構えた一団に囲まれて、一つの建物へ連れて来られた。

 来年四月には天皇陛下が移られる皇居という特殊な場所を占拠していることから、自己顕示欲なども含め本殿の一室へと通されるものだと思っていたが、川口の予想はあっさりと裏切られた。

 川崎と名乗った私兵たちの長は、『目』の字に区切られた北の区画にある本殿には向かわず、中央の区画の施設の一つへと進んでいく。

 和風な瓦屋根の本殿とは違い、こちらは別荘地の洋風建築のホテルを思わせる。

 ――迎賓館といったところかな――

 立派な玄関をくぐると嫌味のない土落としがあり、その先は深い赤色のカーペットが敷かれてい、玄関ホールのそこここに品のある花台や燭台や置き物が見受けられた。

「こちらへ」

 玄関ホールからすぐの扉に歩み寄った川崎に促され、川口と野元が部屋に入ると、そこはシンプルながら雰囲気の良いティールームだった。

「こちらでお待ちを」

 恭しく頭を垂れた川崎は、私兵に小声で指示を出し、先程まで川口たちを囲っていた五人を見張りとして部屋内に残してドアを閉じた。

「よろしいのでありますか?」

「敵の懐に入っているのだから、そういうものだろう」

 白を基調とした室内の真ん中にある英国風の飾り彫りや貝殻が埋め込まれた楕円形のテーブルに着こうとチェアーを引いた川口に、野元は不服そうに「はあ」とだけ答える。

「軍隊の鉄壁さを見様見真似にやればこうなるのだ。特に、規律が成り立っていない創立期はな」

「なるほど」

「しかし、さすがは皇居の一室と言わねばならないな。玄関ホールの華々しさとは打って変わって、英国風のティールームの貴さと落ち着きよ。柱や窓枠の控え目な彫り物に職人のセンスが表れている」

「確かに」

「惜しむらくは花がないことかな」

「ははぁ。室内が落ち着いていますから、多少の彩りが欲しくなりますな」

「分かっているじゃないか」

 待ち時間の間、川口と野元は愚にもつかない雑談をひたすらに続ける。

 さり気なく部屋に残された私兵たちを見ているが、なかなか堂に入ったものだと感心してしまう。

 川口と野元の雑談をやめさせようとしたり、雑談に加わろうとしたり、退屈そうにあくびなどせず身じろぎ一つしないところを見るに、川崎という男は私兵たちを厳しく躾けているのだろう。

 だがやはり練度の高い集団ではないと評価せねばならない。

 入り口に銃を持った二人が立つのは正しいが、残りの三人は川口たちの向かい側に立ってしまっている。

 ティールームには玄関ホールへ通ずるドアが一つと、両開きの窓が一つと明り取りの出窓が一つ、更に隣室へのドアがある。

 それらをカバーしていないところに素人を感じてしまう。

「お待たせしました」

 川口が着席して十分。そろそろ話題が尽きかけた頃にドアがノックされ、ドアを開いて川崎が顔を出した。

「我々のリーダー、高橋智明が参りました」

 口上を述べた川崎だが、川口と野元が起立するまで待ったようで、二人が立ち上がるとようやくドアから部屋内へ入り、高橋智明を入室させた。

 川口はこの折に、川崎が私兵の一人を窓際に立たせ、残る二人を川口たちの後ろに回り込ませたのを見逃さなかった。

「初めまして。高橋智明です。川崎からは、お二方は自衛隊の高官だと聞きましたが?」

 白の半袖カッターシャツに濃紺のスラックス姿で現れた高橋智明は、予想よりも丁寧な口ぶりで問うてきた。

 川口はわざと上から答える。

「間違いない。私は此度の総指揮を執っている川口道心かわぐちどうしん一等陸佐。こちらは現場指揮を執らせている野元春正のもとはるただ一等陸佐」

「よろしく」

 川口に紹介され、野元は打ち合わせどおりに右手を差し出す。

「失礼ながら、まだ握手をするわけにはいきませんね。自衛隊が降伏し撤退されるというお話ならば喜んで手を取りますが、そういうお話ではないんでしょう?」

 高橋智明の口から想定された返事が返ってきたので、野元はあっさりと右手を戻し、川口も悠々と受ける。

「そうだな。部下の無礼をお詫びしよう」

「……いえ。こちらこそ銃を携えた警備を同席させています。気になさらなくて大丈夫です。どうぞ、掛けて下さい」

 高橋智明が促し、川口・野元・高橋智明・川崎の順で着席する。

「…………さて、こんな機会はもっと先だと思ってましたし、こちらにも多少主張したいことがある。ですが、そちらから出向いていただいたのだから、まずはそちらのお話から伺いましょう」

 着席して一拍間を置いた高橋智明だったが、川口らが口火を切らないので先に用件を話すように促してきた。

 と、玄関ホールとは別のドアから女性が入ってきて、トレイにのせていたカップを四人に配って退出する。

 見た感じ十代の女性のようだったが、バイクを乗り回したりチーム間の抗争に身をやつす雰囲気はなかった。身なりも落ち着いた黒のパンツスーツ姿で、カップを配る仕草も事務や接客などの社会経験があるように見えた。

 髪色だけは明るく感じたが、それ以外に事件などを起こしそうな『不穏分子』と呼ばれるような印象は受けなかった。

「有り合わせですが用意させました。召し上がって下さい」

「ありがとう」

 女性が立ち去ったあと高橋智明は淀みなく告げて、自分の前のカップをすする。

 一瞬ためらって様子を見る野元をよそに、川口は迷いなくカップを口へ運ぶ。

「……温かいものがあると落ち着くな」

「そうですね」

 インスタントの紅茶だったので味はそこそこだが、雨で冷えていた体には有難かった。

「……さて、ここまでもてなしを受けてする話ではないのかもしれないが、正直なところ我々は困惑している」

 カップを置いて話し始めた川口に、川崎が聞き返した。

「困惑? ですとな?」

「その通り。言い換えるなら『不思議』とか『不可解』とか『意味不明』となるかな。聞きたいことや言いたいことはたくさんあるんだが、本題に絞っていうと、大勢の隊員が赤い光に撃ち抜かれたあと、青い光を浴びて元通りになった。これはどういうことなのか、何がしたかったのか、我々は理解に苦しんでいるのだ」

 言葉を切った川口のあとに野元が付け加える。

「戦っていた相手を捕縛し、治療を施すということは無くはないし、有り得る話だ。しかし、その背景には作戦や任務に関わる目的や意図がある。だがあの光線はそうした意図を感じなかったうえに、五分と経たず真逆の行為が行われた。まるで殴られたあとに手当てされたような、素直に納得できない違和感があった」

 それなりの立場にある五十代の大人二人の視線を受けていても、高橋智明に動揺や緊張の色はない。

「そうですね。いや、そうでしょう。こちらとしては赤い光による攻撃は、威嚇を含めた攻撃だったし、死傷者が出てしまうであろう結果もやむを得ないという覚悟のもと、行った。それは間違いありませんね」

 高橋智明が一旦言葉を切ったタイミングで、川崎が高橋智明をジロリと見やる。

「ですが、その後の青い光で治癒するというのも予め行う予定のものでした」

「予め決めていた? どういうことか?」

 感情的に問い返した野元を、川口は手で制しておく。

 攻撃の後に治療も計画されていたとはいえ、部下を傷付けられたという怒りは今ぶつけるべきではない。

「言葉が足りなかったようですね。すいません。……これは共感していただけない事だとは思うのですが、私が手に入れた力は本当に強力なものなのです。ちょっとした感情の爆発に触発されて、五十メートルほどのクレーターを作ってしまったことがあるくらいです。だからというわけではないんですが、圧倒的な戦力というか能力を見せつけ、撤退もしくは静観という状態にさせたいという考えがありました」

 高橋智明が何の感情すら見せずに淡々と話す様を見て、川口は演技をしていたり台本を読んでいるだけなのでは?と疑ったが、しかし彼の戦力や能力は確かに人間の持ちうる域を超えていると分かるし、感情を抑え事実を語ろうとしているのかもと思えた。

「それは我々を全滅させることも可能だった、可能だけれどしなかった、と言いたいのか?」

「野元君」

「そう捉えられても間違いではないです」

「このっ!!」

 野元の声に怒りが混じっているのを察し、諌めようとした川口を弄ぶように高橋智明は追認してしまった。

 チェアーを押し倒す勢いで立ち上がりかけた野元の胸ぐらを掴み、川口は野元に冷静になるように促す。

「野元! 落ち着け」

「しかし!」

「まだ話し始めたばかりだ! 落ち着け!」

 川口の一喝に、浮かせた腰を元に戻し野元は小さく会釈して詫びる。

「……失礼した」

「いえ」

「君の狙い、というか作戦がそういうものだったという事は理解した。しかし治療も行う意図はよく分からない」

 川口は野元の制服から手を離して非礼を詫びてから話を進めると、初めて高橋智明が困ったような表情を浮かべた。

「ちょっと、少し照れくさい話なんですが、私のパートナーの願いといいますか、頼みといいますか、そういう約束のようなものがあったんです。つまり殺傷はダメですよという甘っちょろいものなんですが」

 先程まではしっかりと川口に合わせられていた高橋智明の視線が、親や友達に恋人を紹介する高校生のようにふらふらと泳ぐ。

 なんとも青臭い反応に川口の方が困ってしまって、隣に座る野元の方を向くと、野元も先程の怒りが吹き飛ばされた顔で川口を見返してきた。

 その視野にニヤニヤと笑う川崎の顔や、おやおやと呆れている私兵の顔も入ってくる。

「パートナーとは、君の恋人かなにかなのかい?」

「ええ、まあ――」

「我々のクイーンなんですわ」

 川口の問いに答えようとした高橋智明より先に川崎が答えてしまい、高橋智明が慌て始める。

「ちょちょちょ、川崎さん! クイーンって言わなくていいでしょ。まだ俺も彼女も呼ばれ慣れてないんだから」

「ほうけ? 揃いの上着あつらえとったよってん、その気になったんじょ思うてんけどの」

「ないないない! だったらこの場も『キング』で出るってば」

 少年らしいくだけた話し方の高橋智明と、淡路弁でやんわりと少年をからかう川崎を見て、私兵からは楽しそうな笑い声があがる。

「オホン! ウオッホン!」

 雰囲気が一変したことに呆けてしまった川口を呼び戻す意味でも、野元はわざとらしい咳払いを繰り返した。

「あ? ああ、これは失礼を」

「申し訳ない。まさか身内から場の空気を崩されるなんて思わなかったもので」

 高橋智明と川崎はチェアーに腰掛け直し、軽く会釈をして非礼を詫びた。

「いや構わないよ。……つまり高橋君がキングで、彼女さんがクイーンだと。それで治療を行う前提で攻撃も行った」

 こちらも立場を思い出した川口が会釈を返し、要点をまとめる。

 高橋智明がまたしっかりと川口を見返して口を開いた。

「そういうことです。当初、私は彼女が仲間の回復だけを行うのだと思っていましたが、治癒のやり方やタイミングなどを話していくうちに、敵味方に区別をつけるつもりがないことが分かりました。もともと公平で優しい性格でしたから、彼女のその考えはとても彼女らしくて、私に彼女の考えを変えさせたり制限したり封じてしまうようなことはできませんでした」

 言葉を切り一瞬だけ視線を外した高橋智明が、やや緊張を孕んだ視線をまた川口に向ける。

「ただ一点、勝敗が決したあとに治癒を行うようにとだけ約束してもらっていました。我々が優勢であれ、劣勢であれ、『戦い』というものが終わらないうちに、アチコチで何度も治癒を行って戦場に復帰させていては、それはただのイジメや拷問です。戦っている相手にも苦痛と混乱を生み、また味方だけではなく相手も何度も戦場に立たねばならず、そうなっては戦局というものは泥沼化して長引くだけで、収集がつかなくなる」

 喉が渇いたのか胸を締め付ける何かがあるのか、高橋智明の声は苦しそうに少しかすれている。

「……そうだな。何度も立ち上がってくるとなると、攻撃の手を強めねばならないし、戦意を失わせる程度の作戦から駆逐する作戦へと変えざるを得なくなる。何度も復活させられて戦場に立たされれば、精神的な負担は後の人生に影響しかねん」

 川口はあえて『駆逐』と表現したが、それの意味するところは『皆殺し』であり『容赦のない攻撃によって全滅させる』という意味だ。

「そういうことです。自衛隊の方々はそういったメンタリティも鍛えられていると思いますが、我々はそうではないです。そして我々の武器は私の能力であり、我々の切り札も私の能力しかありません」

 そう言って軽く右手を持ち上げ高橋智明が示した先は、玄関ホールへと通じるドアの前に立っている青年で、プラスチック製に見える玩具のような銃を抱えている。

「あの銃は本物か?」

 野元が冗談ぽくいやらしい聞き方をする。

「はは。本物といえば本物ですが、威力は大したものじゃありません。当たってもアザができるくらいのものです」

「だろうな」

 予想通りの銃の性能に野元は薄く笑い、腕組みをしてチェアーの背もたれにもたれる。

「本当はもっと強力なものも用意できると言われたんですが、この程度にとどめました。川崎をはじめ、私兵として働いてくれている彼らに人殺しをさせるつもりはありませんから」

 高橋智明は野元の嫌味に愛想笑いをした時よりも晴れやかにニッコリと笑う。

「その精神、マインドが根底にあるから、『勝敗が決したら治癒をして良い』という約束になった、と言いたいのか?」

 さすがの川口も高橋智明の言葉に独善的な色を認め、口調が厳しくなった。

 だがそれに対する動揺もなく答えは返ってきた。

「そうですね。私の目的は人を殺すことではないし、『俺は強いんだ』と主張することでもありません。ましてや目的のために戦争を仕掛けたいわけでもありません。殺したくない、しかし戦わなければならない。そしてパートナーは被った怪我だけでなく与えた怪我さえ癒やしたいと言うんです。相対した側からすれば理解不能かもしれませんが、こちら側としてはそういう落としどころが妥当だと思ったんです」

 少し話の要点がずれ始め、川口は言い負かすべきか断固とした否定をすべきか少し悩んだ。

 野元も同じだったようで、腕組みをしたまま音がするほどの鼻息で呼吸し、川口に任せるように目を閉じている。

 立場の違いや能力や戦力の違いというものはどのような戦場にもある。しかしこうした目的や見解の違いというものはあまりない。

 川口が見聞きしたことのある政治犯や革命家や反乱分子は、大抵はもっと見苦しく、自己中心的で偏った考えに寄り、主義主張のための手段として暴力や武力を前面に押し出しているものだ。

 ある意味で川口がこうした場を持とうと思ったことは正解に近いのではと思いつつ、そこに自身の趣向が乗ってしまわないように気を付けなければとも思う。

「少し……そうだな。筋が通っているとは言い難いが、圧倒的な攻撃のあとに隊員たちを癒してもらったという事実だけは確かなことだ。攻撃するものを排除するのが当たり前という、短絡的な対処に寄っていないことも多少なり評価はしたい。……感謝する」

 高橋智明の考えを素直に肯定するわけにはいかず、持って回って理由を話したあとで、川口はゆっくりと頭を下げる。

 隣りで腕組みをしていた野元も、癒やしを受けたことには感謝の気持ちがあるようで、腕組みを解いて川口と同じように頭を下げた。

「いえ。私も彼女の願いを尊重しただけですから、その言葉は彼女に言うべきものです」

「彼女さん、クイーンもいらっしゃっているのかな?」

「ああ、いや。……彼女は、少し疲れてしまったみたいで、今は休んでいます。あれだけの人数を治癒するのは疲れるし大変なことなのに、加えて身内の治癒も行いましたから、体調を崩してしまってるんです」

 片手をあげてクイーンの不在を説明する高橋智明は、どこか慌てているように感じたが、川口の望んだ方向に話題が流れたのでよしとする。

「そうなのか。では我々からの感謝はそちらで伝えておいてもらえると嬉しい。あと、お大事にと」

「……ありがとうございます。伝えておきましょう」

 高橋智明は若干の戸惑いを見せながらも軽く会釈を返してきた。

「ところで、超能力にも疲労やガス欠のようなものがあるのだな」

 雑談のように話題を変え、川口は紅茶をすすると、高橋智明と川崎もカップを口元へ運ぶ。

「……それはもちろん有ります。走ったり考えたりするのと同じで、やはり体内のエネルギーを使って能力に変えるわけですから、漫画や小説のように無限に使い続ける訳にはいきません。それは兵器にも言えることですよね?」

「確かにな」

 自衛隊に配備されている車両はガソリンがなければ走らせることはできないし、自動小銃や迫撃砲も弾薬を打ち尽くしてしまえば金属の塊に過ぎない。

 大陸間弾道ミサイルも、原子爆弾も、発射や起爆までに相応のエネルギーがなければならない。

「話が逸れるが、私は少年時代に少しオカルトにかぶれたことがあってね。超能力やUFO、UMAや幽霊を扱った雑誌やサイトをよく漁ったものだよ。そこからファンタジックな物語の世界に踏み入った結果、国を守るという志に目覚めて自衛隊員になった。隣に居る野元も私に近い経緯を持っている」

「自分はUFOに魅了されたクチなので、少し違うかもしれませんが……」

 川口は照れや恥ずかしさで口元が緩むのを堪えながら、自分一人が幼き日の憧憬を晒すことを恥ずかしく思い、隣に座る野元を巻き込んだ。

 案の定、野元は川口の暴露を嫌がったが、高橋智明の表情を柔らかくすることはできた。

「そこは、お互いに少年時代を通ってきたということですから。中二病真っ盛りの私にはお二人の趣向をどうこう言えませんよ。川崎さんも多少そういう部分あるでしょ?」

「んなぁ? ワシかえ!? ま、まあ、この歳でバイクチームやっとるくらいじゃよってん、心当たりがあるにはあるんやけんど……」

 高橋智明に巻き込まれた川崎はよもや自分に矛先が向くと思っていなかったようで、変な声を出して頭をかきながらしどろもどろに答えた。

「キング、勘弁してぇな。あくまで仲間と趣味のツーリングしょるだけやねんから」

「ははは。ごめんごめん」

「ツーリングか。良い趣味をお持ちなんだね」

「淡路島を一周するコースがあると聞いたことがある。海があって山があって、気分が良さそうだ」

「へへ。ありがとうございます」

 川崎のリアクションに相好を崩した高橋智明に便乗し、川口と野元も川崎の趣味を肯定したので川崎も笑みを見せる。

 だが、川口は和やかになった部屋にあえて厳しい言葉を投げかける。

「……それで、高橋君はその強大な能力で何をするつもりなんだい? 皇居の占拠だけでも重大な罪だし、警察や自衛隊員に抵抗するということは罪に罪を重ねていくだけだ。それなりの目的や主張があると思うが、聞かせてもらえないか」

 背筋を伸ばして問いかける川口に追従するように野元も姿勢を正す。

 川口と野元の変容に川崎も表情を引き締め、キングと仰ぐ高橋智明を見る。

「……淡路島の独立を考えています」

 和んだ笑顔から挑戦的な笑みへと表情を変え、高橋智明ははっきりと答える。

「独立、か。言葉ほど易しいものではないと思うが?」

「そう思います。しかし、私は淡路島の産業の行く末や遷都に係る都市化の弊害を案じていますし、急に降って湧いた私の能力の活かし方を考えての決断です」

「……都市化の弊害とは何を指すのやら」

 明らかに未成年の高橋智明の口から出た言葉に、野元がせせら笑うような態度をとったので、川口はテーブルの下で彼の足を叩きやめさせた。

「……確か、遷都が決定して淡路島が開発され始めたのは三十年も前のはずだ。まだ君は生まれていないはずだし、ニュースや新聞でそういった記事を目にしたにしても、独立を掲げるほどに問題が明確になっているとは思えないが?」

 川口の指摘に高橋智明の笑顔は消える。

「確かに私はまだ十五歳ですが、誰かに教えられて何かを知るだけの子供ではないつもりです。現に島内では田畑の減反が問題視され、酪農や畜産農家の肩身が狭くなり、急な開発の影響で近海の漁業に影響が出ているのにニュースにすらなっていません。島内の産業や経済のニュースは、どうしても大企業の移転や新設される拠点の話題ばかりになってしまうし、それらの分野で雇用が増えたことで島全体が右肩上がりに見られている。経済はまだ大人の都合や判断の範疇なのであとからどうとでもなるかもしれませんが、学校や保育には世間の目が向けられていません。これは待機児童と保育園の数や小中高の学校の分布を調べていただければ明白です。他にも自然保護を重視する法案は施行されていても、土地売買はかなりギリギリのやり取りがあるとも聞きます。雇用の話に戻ってしまいますが、企業の移転で正規雇用は増加していても、リニア建設や首都中枢機構に係る主要施設の建設が落ち着いてきたことで、実は非正規雇用や期間工の失業も増えているんです。文化や伝統の面でも問題はたくさん出てきています。近年、地域に根付いていた祭りや催しが軒並み規模を縮小せざるを得なくなっているそうです。宅地の造成や工場やショッピングモールなどが増えたことで道路事情が変わり、交通量などの変化で地車だんじり神輿みこしが出せないばかりか、獅子舞や氏子うじこを煙たがって、土着の人々と転入してきた人々の間でトラブルも起こっています。諭鶴羽山からの眺望や慶野松原・五色浜周辺の景観、洲本城跡から洲本温泉郷の雰囲気もそれぞれ評価が下がっているそうです」

 ずらずらと例を並べ立てる高橋智明を静かに見つめ、いつしか川口は腕組みをし、例として挙げられた一つ一つに対して自分が情報を持っていないか照らし合わせていた。

「……すいません。少し喋りすぎてしまいましたね」

「いや、構わんよ。人と人とのコミュニケーションなのだから、言葉にせねば熱意や心中は表現できないのだから」

 腕組みを解いて片手で不問にふす川口に、高橋智明は軽く頭を下げる。

「ありがとうございます」

「ただ、な。確かに一つ一つの例示は問題や弊害と呼べるものであるかもしれない。しかしその解決や改善のために淡路島を独立させるという方向性は、以前の淡路島のままでいたいという意思なのか、それとも単なる都市化への反発であるのか。もっと言ってしまえば、独立することで解決したり改善するものであるのか、という疑問や対立を生む。そもそも淡路島の住民の総意ではないわけで、独立を進める中心人物が『キング』を名乗るのだぞ? それに超能力でどうにかなる話とも思えない」

 川口の思う常識や一般論と照らし合わせてみたが、やはり高橋智明の問題提起には無理があり、その解決策や取りまとめ方として『導き手が超能力を有している』というだけでは賛意は得られないだろう。

「もちろんです。自分が特別であるから周囲を従わせたり、ニュースになっていないことを問題提起したからといってリーダーシップを執っていることにはなりません。人間以上に成ったとしても、起きている問題や困難は人や制度や施策によるものだし、『誰がやるか』よりも『どう対処するか』が大事だと考えています」

 至極真っ当で一般的な考えに思えるが、五十代半ばを迎えた川口には、高橋智明の言葉はどれも『若者の理想論に多少色がついたもの』にしか聞こえない。

 政治家ほどの舌先三寸ではないし、詐欺師のような言い回しも感じない。

 ただ、理想論には落ち度や思慮不足がつきまとうことを川口は知っているし、政治には主義主張だけでは乗り越えられない絶対的な限界がある。

 それを十五歳の若者が理解して行動や発言をしているのかと、勝手に浅はかさや不安を抱いてしまう。

 と、紅茶を啜った高橋智明が話題を変えた。

「……川口さん、野元さん。トランスヒューマニズムというものをご存知ですか?」

「……いや、知らないな。野元は知っているか?」

「いえ。自分も存じません」

 急な話題転換に加え、聞き慣れない言葉に川口も野元も首を横に振る。

「それはどういうものかね? さっきの話と関係があるのかな?」

「少しだけ関係してきますね。まあ、その初手はすでに皆さんは知っておられるはずなんです」

「我々も知っている? どういうことだ?」

 持って回った言い方に野元が焦れて強い口調で問うた。

「お二人ともH・Bハーヴェー化されていますよね? 川崎さんも」

「ああ」

「……一応は」

「それが何だと言うんだ?」

 川口と、また急に引き合いに出された川崎も首を縦に一つ動かして肯定したが、野元はイライラを募らせただけのようだ。

「つまりそういうことです。人体の機械化、その第一歩はナノマシンによる脳の機械化という形で成し遂げられました」

 勝ち誇ったように言い切った高橋智明に、大人三人が絶句してしまう。

 世界にH・Bが登場してから数十年が経ち、成人と共に脳をH・B化することはすでに庶民の通過儀礼となっているが、その申請から契約を経て施術を行い使用するにあたって『トランスヒューマニズム』などという言葉は一切耳にしなかった。

 知らず知らずのうちに自分が聞き慣れない状況に居ると知らされると、驚きよりも混乱のほうが勝ってしまって言葉は出てこないようだ。

「な、何を言っているのか!」

「キング、もうちょっと詳しい言うてくれっけ? ほれじゃ伝わらんわ……」

 怒鳴りつける野元に対して、川崎は混乱の中でも説明を求める冷静さはあるようだ。

 そんな中で川口だけは高橋智明を見つめながら口を開く。

「……機械人間。……サイボーグ。そういうことなのか?」

 高橋智明はにっこり微笑んで川口を肯定し、突拍子のない川口の言葉に川崎と野元は、川口と高橋智明を交互に見るようにする。

「その通りです。……結構古くからある願望、悲願とも言えるものですけど、一部の人間は人体の機械化を夢見てきました。特に顕著なのはSF小説やアニメや漫画なんかの創作物でしょう。……宇宙の果てまで旅をして体を機械化してもらう物語や、事故にあって瀕死の息子を救うために科学者である父親がサイボーグ化を施したり、義手や義足の発展として電脳と義体に記憶や人格をコピーしたり、切り飛ばされた腕を再生するために機械の腕を義手としてくっ付けるのもありましたね。……面白いところでは改造手術をして改造人間になって悪と戦う特撮もあります」

 指折り数えながら例を上げていった高橋智明だが、片手に達したところで数えるのをやめて一旦言葉を切った。

「……超能力でそんなこともできる、とでも?」

「バカバカしい!」

 恐る恐る訪ねた川口の隣りで野元は声を荒げて切り捨てた。

「まさか。私の能力とは別の話です。ですが、『トランスヒューマニズム』の第ニ歩とも言える硬骨の金属変換と筋肉の高伸縮樹脂化は完成されつつある。そういう情報を知っているということです」

 口調を乱さずに淡々と話す高橋智明に、そっぽを向いた野元の体がピクリと反応する。

「……その口振り、第ニ歩とやらが人類にどのように作用するかを知っている、と言いたげだな?」

「もちろんです。効果や効用も知らずにバラ撒いたり、思わせぶりに知らして回るのは悪であり罪です。端的に言えば、寿命や病気から人類を開放しうる進歩なんです。『トランスヒューマニズム』という思想は、それこそ病気や寿命や老化から脱したいという願望です。少し違う方向性として、先天性や事故などによる四肢欠損や半身不随、植物状態の回復などの要素もありますが、それは第三歩目の『記憶の複製と移し替え』が達成されなければならないですから、ここでは別の話としておきましょう。……似たものにクローン人間を培養して記憶を移し、長寿を得ようという思想もありますが、それも別の話としておきましょう」

 川口の問いに淀みなく答えた高橋智明へ、川口はさすがに慌てた。

「分からぬではないが、なんともな……」

 五十代半ばとなり定年を間近に控えた川口としては、老いや寿命に抗おうとする人々の気持ちは分からなくはない。

 日々、陸上自衛隊の訓練に関わるにあたり、ハツラツとした若者たちの動きや声には、二十代や三十代では感じることのなかった可愛さと羨ましさを感じることがある。

 思わず自身の若かりし頃と重ね合わせてしまい、時代の移り変わりや錯誤が文言に現れて、揺らいではならない信念や理念が爺臭くなったと反省してしまう。

 だが、だからといって川口は機械化やクローン培養した体を用意してまでのさばろうとは考えたことはない。

 祖父母や両親、先達たちがそうであったように、自然に歳を取り譲るべきものを譲って穏やかな老後に納まろうと思う。

 だからこそ野元を引き連れてこの席にも参じたのだ。

 生まれたのだから死ぬ。

 責任や立場を譲ることはできても、人生をとにかく永くというのは、川口からすれば強欲の極みと思える。

「君はすでに手に入れたというのか?」

 川口が言葉に詰まる隙きに、どういった感情かは分からないが震える声で野元が問うた。

「私は自分の能力があります。この上、体を機械化などしようものなら罰が当たりますよ。なので、私の信用する者に与えています」

「バカな!」

 また高橋智明を罵った野元を見て、川口はおや?と思う。

 これほどまでに野元が憤る道理が分からない。

「どこからだ? どこから入手した? 誰からだ!」

 不必要にまくし立てる野元を見て高橋智明も怪訝な顔色を浮かべている。

「……申し訳ない。さすがにそれはお教えできません。私たちの切り札の一つであるし、提供元の安全を守る約束もあります。申し訳ありません」

 真摯な態度で野元の質問を拒否し、高橋智明は深めに頭を下げた。

「クッ!!」

「野元。何か事情があるようだが、ここは控えろ」

「…………了解、しました」

 川口は、力のこもった腕を振り上げそうな野元を制止し、なんとか野元も聞き入れてくれた。

「失礼した。任務や信念に実直な男なのだ。許してやってほしい」

 野元とともに川口は頭を下げると、高橋智明は意外にもあっさりと受け流した。

「構いませんよ。私たちはお叱りや注意を受けるような非合法なことをしています。敵、もしくは反乱分子である私達に、感情的にならないことの方がおかしいのです。……それよりも、『トランスヒューマニズム』に加えてこちらからお伝えしたいことがもう一つあるんです」

 先程までの笑みを消し去り、やや緊張気味の面持ちで高橋智明が付け加える。

 自然と川口の視線も厳しくなる。

「この会談の冒頭でも言っていたな。まさかここまでの騒ぎを起こしておいて身代金や海外渡航などと言い出さないだろうが」

「そんなことのために独立という旗は振れませんよ」

 声を出さず口元だけ歪めた愛想笑いをする高橋智明を、川口はジッと見つめて先を促す。

「……先程の『トランスヒューマニズム』もそうなんですが、この世の中には私のような特異な体質の人間は沢山いると考えています。超能力者、気功の達人、霊能者、陰陽師、魔術師、ミュータント……。それらのは、普通の人々に紛れて普通の人として生きていくのは辛いだろうなと思うのです。ですから、私はそういったを迎え入れられる場所を手に入れたいとも考えているのです。私が振っている独立という旗には、そうした人々も抱え込める国でありたいと思っているのです」

 真っ直ぐな目で語る高橋智明を、川口は視線を外さずに見ていたせいか、彼の真剣さに毒されてしまったかのような妙な納得をしてしまった。

 ――淡路島を特殊能力者の理想郷にしてしまおうというのか――

 高橋智明の話を心の中で要約してみて川口は一瞬身震いをした。

「……それは、そういった人達を集めるだけという夢なのか。それとも、統制し支配し君の思う方向へ導くものなのか。まさかそんな混沌とした者達を集めて理想郷をでっち上げて『国』だと宣うのか」

 川口の言葉ははっきりとまとまりきらなかったが、恐れや危険視がニュアンスとして混じり、高橋智明を警戒し遠ざける言い回しになった。

 対して高橋智明は川口の言葉を咀嚼するように、顎に手を当てて目を伏せて考えを巡らせたが、再び目を開けると元の姿勢に戻って口を開く。

「……例えばですが、スポーツのプロフェッショナルはその集団の中で彼らだけの特殊なルールを設けていますよね。格闘技であれば禁じ手があったりファイトマネーの仕組みがそうです。プロ野球であればドラフトやプロテストやファーム落ちや年俸制度です。他にも陸上競技や水泳などの世界大会ではコンマ一秒の記録を尊重するために厳しいドーピング検査がありますよね。……そういうふうに対象が限定された法律や制度を国や地域で定めると同時に、本来の能力を限定された範囲で活かすことにも意味はあると思うんです。『ハワイが気に入ったから永住権を得てハワイで老後を過ごす』。そのレベル感で私の国に住みたいと思ってもらえるなら、理想郷と呼ばれることは嬉しいことです」

 彼の返事を受け、川口は腕組みをしてチェアーの背もたれに背を預ける。

 今度は川口が高橋智明の言い分を咀嚼し、その真意を測る番だ。

「なんというか……」

 わざと鼻から大きな音で息を吐き、川口は互いに相容れない意見の相違を表す。

「君の目標とするところは分かった。しかし、その全てに納得ができたわけではない。理想はいつも正しく見えるものだから、若さ故に突っ走りたくなるのだろう。だが、だからこそ、我々はそうした暴走や凶行を止め周囲の日本国民を守る役割にある。君の考えは『危険だ』と判断せざるを得ない」

 今まで絵空事でしかないと思いつつ憧れや夢想の対象であった超能力やトランスヒューマンを目の当たりにし、川口の少年の部分が疼いたのは間違いない。

 しかしどれほど高橋智明の主張を噛み砕いても、川口の中にある常識や倫理では否定的にならざるを得ない。現代世界は、戦国時代や世界征服などが横行した時代とはルールや戦場が違うのだ。日本の領土に居ながら国を興そうという思想には、かなりの無理がある。

 日本を牛耳ろうとすることさえ易々とはいかないはずだ。

「そうですか。残念です。……けれど、私も一度振り始めた旗を簡単に降ろすことはできません」

 本当に残念そうにする高橋智明だが、その表情は川口に明確な意思を示すように促してくる。

「これからどうするつもりだ? 君たちが武力によった独立運動を続けるならば、我々陸上自衛隊は全力で阻止することになる。それだけの脅威を見せつけられたのだからな」

 川口は当たり前のことを言ったつもりだったが、高橋智明の表情がおや?と傾げられた。

「もしかしてそれ以外の道がある、ということですか?」

 高橋智明の指摘に川口は自身のミスに気付く。

「……今のはテレパシーか?」

「使ってませんよ。こう見えてズルは嫌いなんです」

「そうか」

 テレパシーで心の中を見通したのではないなら、やはり川口の胸の奥底にはまだ少年時代のオカルト趣味が燻っているということになる。

 高橋智明の思想を『危険だ』と断じながらも、彼が主張できる場があることを考えてしまっていたからだ。

 武力侵攻や建物の占拠などで主張の場を得ようとした事件は、日本のみならず世界各所で過去に沢山事例がある。またその逆で、主張や発言の場もあるにはある。

「……これは君への肩入れではないことを先に断っておく。どちらかといえば隊員の傷を癒やしてくれたクイーンへの恩返しと思って欲しい」

「……分かりました」

「この会談が終わった後、私は任務遂行の失敗、または頓挫を報告しなければならない。その折に、君の考えや主張を合わせて報告することが可能だ」

「一佐!」

 腕組みを解いて静かに語り始めた川口を、野元は制止しようとするが、川口は野元を黙らせる。

「静かに! ……今回の任務は自治体からの派遣要請に対して内閣総理大臣権限で承認された防衛派遣だ。ということは、現状の報告は自衛隊幕僚を通して防衛大臣に伝わり、防衛大臣から総理大臣へ報告され、再度の派遣もまた総理大臣の判断のもとに行われる」

「もし、そこに私が滑り込めるならば――」

「――ということも出来る可能性はある。ただし、どこでどのような形で主張できるかは分からない。何人もから銃を突きつけられ、拘束具やロープで縛りあげられているかもしれないし、裸にされて壁に梁つけられているかもしれない。それ以前にこの一画を空爆して爆破されるかもしれない」

 現代の日本でそのような非人道的な扱いは行われないだろうが、それはあくまで真っ当な手続きを通過しているか、対象者の態度次第だ。

 抵抗や筋の通らない暴力には相応の対処がなされる。

 川口の例えは脅しであって脅しではない。

「さすがに空爆は有り得ないし、仲間のためにもご近所のためにも勘弁してほしいですけど。私個人への辱め程度ならば覚悟はしています。が、これが人体実験や解剖などとなるとそれなりの抵抗はしますけどね」

 川口の脅しなど気にした様子もなく答えた高橋智明だが、後半は冗談めかしつつ脅しと取れる言葉を混ぜてきた。

「そこまで私がお膳立てできるのではない。機会や場を提案することはできても、そこから先は総理大臣の思うようにしかならん」

「そりゃそうですね」

 肩をすくめた川口に高橋智明も同調し小さく笑う。

 そのタイミングで川崎が横入りする。

「……その機会なり場が整うまでどのくらいかかりますかな?」

「うん? 三日から一週間、総理の都合次第ではもう少しかかると思うが。なぜだね?」

 幾分表情を緩めて問い返すと、川崎は頭をかきながら答えた。

「現在、我々の備蓄は数日分となっておりまして。あまり長引くと百人強の仲間たちが飢えてしまいますから」

「そうか。そんなことも考えなきゃだね」

 川崎の顔を見ながら高橋智明は困った顔をする。

「申し訳ないが、君らは罪人だ。犯罪者だ。主張の場を与えられるだけでも幸運なのだ。もし首相がそういった会合を許さなければ、相応の処罰を受ける立場なのだ。要望のすべてが通るなどと厚かましいことを考えられるものか」

 川口が高橋智明に主張の場を与えようとしたせいか、野元の言葉は興奮気味で少し強い。

「そうだな。我々陸上自衛隊としても任務を放棄するつもりはない。撤退の命令が下るまでは、この新居所一帯の包囲を解く気はない」

 川口は高橋智明らに聞かせるというよりも野元を納得させるためにあえて方針を明かす。

「だが人命は尊重されなければならない。三日後までに結論が出なければ、人数や時間を限定しての外出は認めよう」

「川口一佐!」

「無論、手放しで素通りさせたり見送りはしない。出入りの際はこちらで検閲させてもらうし、当然ながら追跡も行う。野元が言ったように現状君達は犯罪者だ。これ以上の留意はしない」

 チェアーから腰を浮かせて抗議しようとする野元を抑え込むように断定し、川口は高橋智明を見据える。

「ご厚意に感謝します」

「ありがとうございます」

 そろって頭を下げた高橋智明と川崎は心底安心したのか、二人とも始めてチェアーに背を預けている。

「今日、こうやってお話ができてよかった」

「停戦協定みたいなもんですからな」

「ふざけるな!」

 緊張を緩めた高橋智明と川崎の発言に、とうとう野元が立ち上がって怒鳴りつけてしまう。

「陸自が犯罪者の集団と停戦などするものか!」

 顔を怒らせ指を突きつけて声を荒げる野元に、川口も同調する。

「勘違いしてはいけない。停戦というものはもっとはっきりとした戦争状態を鎮めるための協議をした上での状態を指す。そもそもの対峙が国同士や地域間などの大きな組織の話だよ。百そこらの烏合の衆とでは停戦とは呼ばない。私が取りなしとも取れる言い方をしたのも、部下の命を救ってくれた恩があるからだ。ましてや独立の基盤にこの土地の未来を憂いている節があるからこそだ。そうでなければこのような席を持ちたいとは思わないし、君らの処遇が決まるまで包囲に留めることもない」

 さすがの川口も厳しい言葉を浴びせねばならなかった。

 この席上ではまだ彼らの立場は、犯罪者か新興国の兆しかが半々なのだから、どちらの判断を下されるにしても、川口らが甘い顔ばかりをしていてはならない。

「なるほど。罪に問われるか、国を興した英雄になるか、まだ分からないですもんね」

「そういう事だ。次にまみえる時は敵同士の公算が高いくらいだ」

 川口が立ち上がり、互いの立場を明確にする言い方をしたので、ようやく野元も突き付けていた指を下ろした。

 高橋智明と川崎も会の終わりを察したのか、顔を見合わせてチェアーから立ち上がる。

「今日はお話ができて良かった」

「握手で終われなかったことが残念ですが」

 場を締めくくるように呟いて会釈する二人に、川口も微妙な心境をもらす。

「時代は変わる。ゆっくりであれ、突然であれ、な」

「……そうかもしれません」

 大した意味を持たせずに呟いた言葉に、高橋智明は肯定とも否定ともつかない言葉を返してきた。

 その意味を考えようとする間に、高橋智明は川崎に川口らの帰路を先導するように命じていたので、川口はそこで考えるのをやめた。

 迎賓館へ連れられた時と同じ様に私兵らに囲まれ、川口と野元は新居所正門まで丁重に送り出される。

「――ではまた」

「ああ、ありがとう」

 冗談や機嫌取りではないだろうが、正門から出た川口らに、川崎は敬礼を送ってきた。

 なんとも返す言葉が思いつかず、川口が当たり障りない謝意を込めて返礼すると、川崎の周囲に居た私兵たちが彼に倣って敬礼をした。

「ご武運を!」

 さらに一言付け足して川崎が敬礼から直ると、私兵らも直って音がする程の直立になる。

「……諸君らにも幸運を!」

 川口の返事とともに礼を収めると、隣りに立つ野元の腕が下りるのが見えた。

「門を閉じろ!」

 川崎の命令が響き、ゆっくりと新居所の正門が閉じていく。

「……野元。責任はすべて私にある。君の汚点にはしない」

「いえ! 自分も同席したのです。一佐一人のこととは言えません」

「……そうか」

 雨は止んでいたが、正門から更地までの舗装路はまだ乾ききっておらず、二人の足の運びに合わせて湿った音や水に浮いた砂の音がする。

 雨雲はいくらか流れてしまって七月らしい青空が割合を大きくしているが、所々にまだ灰色の雲がわだかまっている。

「完全には晴れんか」

「もうしばらくかかるようです」

 川口は自身の心の内を呟いたつもりだったが、野元の返事が天気のことを言ったのか川口の心持ちのことを言ったのかは分からなかった。

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