寸暇

 旧南あわじ市いちにあるバイクショップ『BIKELIFE南あわじ店』は、平成〜令和とごく普通の修理と一部販売を生業とする個人経営の修理工場だった。

 しかし三十年前に遷都が決まり、人口増加が見込まれることや国道28号線沿いという立地が大手販売店の目に止まり、店舗の改修費用を『BIKELIFE』本部が持つことを条件に、フランチャイズ契約が交わされた。

 以降、店舗の運営は店長を雇い、毎月一回訪れる『BIKELIFE』の経営アドバイザーに任せているが、父東庄喜兵衛ひがししょうきへえがオーナーに納まってその息子東庄淳平ひがししょうじゅんぺいは十八歳ながら代表取締役である。

 さすがに名前だけの取締役ではいけないということで、在学中は週末だけ店舗の手伝いをし、高校卒業後は実務を学んで店舗の運営も担っていく予定となっている。

 本来、日曜日の午前九時はオープン前の準備で忙しいのだが、淳平の姿は店舗裏の自宅にあった。

「オカン! タオルもうてくぞ!」

 国道に面したガラス張りの小洒落た店舗とは裏腹に、質素な二階建ての日本家屋に粗雑な声が響く。

「ジュン! ちゃんとキヨに言うんやで!」

 同じだけの声量で返ってきた母親の声を無視して、淳平はタオルや衣類を抱えて二階の自室へと入る。

 部屋にはずぶ濡れの男五人が棒立ちで待ち構えていた。

「悪いな。いきなり押しかけてタオルから服まで借りちまって」

 背の高い優男が代表して侘びたが、淳平はタオルを配りながら恐縮する。

「何を言ってんすかリーダー。俺こそ仕事で今日の招集に出向けなかったんすから。こんくらいのこと、なんでもないっすよ」

「仕事や学校を蹴ってまで出て来られても申し訳ないからな。そこはそれでいいんだよ」

 さっそく顔や頭を拭き始めた長身の男本田鉄郎ほんだてつおは、「あくまでホビーチームだからな」と付け足しもした。

 と、開けっ放しの淳平の部屋に少女が現れる。

「兄ちゃん。なんか用?」

 一階にタオルを取りに行く前にドアの外から呼びつけておいた淳平の妹の喜代子きよこだ。

「ああ、キヨ、すまんけど一階でオカンの手伝いしてくれんか? 兄ちゃんの友達の女の子が具合悪くて寝とるんやけど、びしょ濡れやから拭いたって欲しいねん」

「友達って……」

 喜代子は部屋にいる男五人を見回して不安そうな顔をする。

 なんなら一歩後退ったくらいだ。

 背の高い男に、金髪の男とスキンヘッドの男。更に茶髪の中学生。小柄だが厳つい人相の男が、物々しい防具姿で立っているのだ。

 警戒して当然だろう。

「キヨちゃん、ごめんな。よろしく頼むよ」

「男の俺らが触るわけにはいかないから、なんとかお願いします!」

 テツオに続き茶髪頭の城ヶ崎真が頭を下げてお願いすると、喜代子の態度が少し和らぐ。

「ま、まあ、ええよ」

「後でな。ちゃんとな、お礼するから。な?」

 了解している喜代子にお礼の約束までして念押しし、淳平は喜代子の背中を押して一階へと向かわせた。

「女の子の方は、オカンと妹に任せとけば大丈夫ですから」

「あざっす!」

「うぷっ」

 勢いよく真が頭を下げたので、淳平の顔に水滴が飛んできて変な声が出た。

「と、とりあえず着替えちゃいましょ。俺の部屋、ビショビショになっちゃう」

 事前に「びしょ濡れで行くから」と連絡はあったが、玄関先で彼らの姿を見て言葉を失った。

 廊下や階段にタオルや新聞紙を敷いたりしたが、そんなものでは間に合わないくらい五人からは水が滴っている。

「すまんなー。着替えさしてもらうぜー」

 言うが早いか、チーム内では副リーダーとも言われる瀬名隼人せなはやといかめしい防具を外しにかかる。

「じゃ、お言葉に甘えて」

「ジンべ、すまんな」

「失礼します!」

 紀夫と田尻に続き、真もテツオも着替えを始めていく。

「ていうか、今更ですけど今日の招集は何だったんすか? なんかやたら危なかっしいモン着てますけど」

 急な早朝の招集に参加していないので、淳平はまだ諭鶴羽山の攻防を知らない。

「ああ、うん。あんまり詳しく言うとこの家に迷惑かかるからな。ちょっとな、色々あったのさ」

「生意気なグループともめたら警察沙汰になりかけたと思ってくれ」

 テツオが濁した言葉に瀬名が例えを付け加えた。

「ちょっ! それならなおさら俺が行かなきゃじゃないっすか!」

「ええ、なんで?」

「相変わらずアツイな、ジンべは」

 急に憤慨した淳平に紀夫が驚き、田尻はやや冷めた目で淳平を見てくる。

 普段はバイクのスペックやカスタムや修理の話さえしておけば常に笑顔の淳平だが、バイクチームWSSウエストサイドストーリーズへの愛着や入れ込みが一番強いのは自分だとの自負があり、抗争や縄張り争いには命知らずな行動も辞さない。

「ジンべ。ケンカはケンカでも今回は規模が違うんだ。それに一旦幕引きしたんだから蒸し返さなくていいよ」

「リーダー……。分かりました」

 柔らかい笑顔をたたえながら諌めるテツオに言い返せなくなり、淳平は仕方なく握った拳から力を抜いた。

 そこからは黙々と五人の着替えが進み、その間淳平はうつむき加減で考え事をしていた。

「終わりました。ありがとうございました」

「お? おお」

 真の元気な声に顔を上げると、自分のTシャツやハーフパンツやジャージに着替えた五人が立っていた。が、何分淳平とは体格の異なる五人なので、窮屈そうだったりダブついたりと着心地は良くなさそうだ。

「洗濯が終わるまでチンチクリンは我慢してください」

「ああ。洗濯まで悪いな」

「いいっすよ。チームには世話になってるっすから」

 淳平は笑いながら濡れた服やタオルを集め、真顔に戻って話を変える。

「それで、これからどうするんスカ?」

「そうだなぁ……。とりあえずは情報収集だな。集まってくれたメンバーがどうなったか確かめなきゃだし、あの騒動がどうなったかも調べなきゃいけない」

 床にあぐらをかいて座り込み、腕組みをしながらテツオは神妙な顔で答える。

 そこへ真が口を挟む。

「あの、優里を医者に連れて行きたいんすけど、ダメっすか?」

「医者か……」

「ダメじゃないけどなー。かかりつけとかは危険だよな。誰が待ち受けてるか分からんから」

 真の要望にテツオが渋い顔をし、瀬名も警察や自衛隊の手が回っていることを危惧した。

「あ、そっか。優里の捜索願い出てるんだった。てか、俺が優里の母親にそうしろって言ったんだっけ……」

 真は自らの早計を悔しがるように自身の右腿を叩く。

 と、紀夫が控えめに手を挙げ全員の目を引く。

「あの、アレ。中島ちゅうとう病院はダメっすかね? チラッとだけ話しした女医さんが居るんすよ。ここからも近いし、あの人なら少しは事情も分かってるだろうし」

 紀夫の提案に、真と田尻はその女医を思い出して納得顔をしている。

「なんだ、次は女医さん狙ってるのか?」

 淳平が思わず紀夫をからかったが、真相は別の所から語られた。

「違う違う。その病院の看護師を狙ってるんだよ。ユリちゃんの件にかこつけて彼女に会いたがってるんだよ」

「うるせ! バカ!」

 田尻の解説に紀夫は殴るふりをしたが、淳平にも納得の構図が描けたのでそれ以上は紀夫をからかわずにおいた。

「よし。そういうツテがあるなら、お前らは病院に行ってきてくれ。ジンべ、悪いけど病院まで送ってやってくれ」

「ウッス」

 テツオのまとめに真・田尻・紀夫・淳平が返事をする。

「俺らはメンバーの現状確認と、近場に拠点作るとかしとくから」

 あっさりとした口調だが、テツオは拠点を持たねばならないほどの長期戦を見越していることを仲間に示唆した。


 誰の目があるわけでもないのに、智明は格好つけてお姫様抱っこで藤島貴美を三階の寝室まで運んだことを後悔した。

 念動力テレキネシスで運ぶことも考えたが、現在の精神力と体力とを秤にかけ、精神力の温存を選んだ結果だった。

 優里より小柄であったことは幸いだったが、貴美の雨に濡れた白衣はくえ一枚の姿は、やはり照れくさい。

 優里と体の交わりがあっても智明はまだまだ女性経験の浅い十五歳なのだ。

「……これで少しはマシか」

 両手に白い光を薄っすらと灯し、周囲の空気を温めて貴美の衣装を乾かしてやると、体に張り付いていた白衣から肌色も透けなくなった。

 安定した寝息を立てる貴美の顔を確かめ、彼女が目覚めないうちにと智明はシャワーと着替えを済ませる。

 その間に優里に伝心テレパシーを送ったり、川崎から報告と相談があったりと、まだ騒動の慌ただしさは収まっていない。

 ――思ったより自衛隊が強攻策を打ち出してこないな。雨のお陰だとしたら、止み始めか止んでから何かしてくる、かな?――

 ジーパンと白のTシャツという軽装に着替え、キッチンからコーヒーを寝室に持ち込んでスマートフォンを弄りながら考えを巡らせる。

 窓の外は一時間前より雨足が弱くなって見えたが、まだしばらくは止みそうにない。

「……う、うう……」

 キングサイズのベッドからかすかな呻き声が聞こえ、智明はリラックスチェアーから体を起こしてベッドへ近寄る。

「……高橋、智明」

「そうだよ。……藤島貴美さん、だよね」

「ここは?」

明里新宮あけさとしんぐうって言うと分かりにくいよね。新しい皇居の三階のプライベートスペースだよ」

 互いの身元を確かめた後、『皇居』の一言を聞いて貴美が勢いよく体を起こした。

「なぜ? マコトは!?」

「落ち着いて。あの、服、服!」

 智明にすがるようにした貴美の片袖が落ち、未成熟な胸元があらわになったので智明は顔を反らして指摘した。

「あっ! ……失礼した」

 恥らって小声で謝ったあと貴美が服の乱れを正す衣擦れがする。

「……とりあえず意識が戻って良かったよ。血塗れの傷だらけで倒れてるのを見かけた時は、手遅れかと思ったから」

「……感謝いたす」

 微妙な間があったが、智明は気にしないことにし貴美を振り返る。

 ベッドの上で姿勢よく正座した貴美は、和風な面立ちと艷やかな黒髪のせいもあり独特の雰囲気をまとっている。

「……とりあえず何か食べる? 人心地ついてから話しでもと思うんだけど」

「……はあ、……まあ、はい」

「お互いにその必要はあると思うから」

「……承知した」

 貴美が歯切れの悪い返事をしたため、少し強引だが先に席を立ってドアを開き、『ついて来い』と言わんばかりに智明は先に部屋を出てしまう。

 仕方なく追ってきた貴美を伴ってキッチンへ入り、冷蔵庫を漁る。

「貴美さん、確か修験者しゅげんしゃだったよね? 肉と魚はだめなんだっけ」

「うん。肉は食してはならない事になっている。魚は、自分であやめたものでなければ一応許されている。あ! それでも生は食べられない。あと、生卵や魚卵も禁止されている」

「なかなか厳しいね」

 答えつつ、智明はレタスやトマトやキュウリを取り出し、ドレッシングの成分表示とにらめっこをする。

「何かで読んだけど、卵も卵って分かる見た目はダメなんでしょ? 厳しいお寺は肉の成分が混じってるだけでも食べれないとか」

 コンソメや魚介出汁のドレッシングを除外すると味付けのしようがなくなり、仕方なくスマートフォンでレシピを探してオリーブオイルと岩塩を引っ張り出す。

「それは余程厳しい宗派の話。私達は御山で採れる恵みに限っていて、どうしても補い難い時のみ下界で買って済ましている」

「それはそれで厳しいね。じゃあ、米や麦や乳製品は平気なのかな」

『御山』とは諭鶴羽山のことだろうと想像し、そこでどれほどの物が採集できるのかと考えて智明は身震いしつつ、流しで手を洗ってレタスを千切っていく。

「……乳製品はできれば口にしない方が良い、と思う」

「ん、了解」

 食器棚からボウルを二つ取り出し千切ったレタスを敷き、トマトを輪切りにして三枚ずつのせ、キュウリをなるべく細く刻んでボウルの端に添える。

 オリーブオイルをひと回しして、岩塩をミルで削りかけて仕上げる。

「ほい。食パン焼いてないけど完成だよ。そっちで食べよう」

 キッチン横のダイニングテーブルを指し示し、貴美を座らせてサラダとパンを運んでやる。

「……器用なものだな。料理、するのだな」

「このくらいならね。ていうか、リリーの手伝いで覚えてただけだよ。はい、いただきます」

「い、イタダキマス」

 意外なところで褒められ、照れくささを感じながら手を合わせると、貴美も緊張気味ながら手を合わせてサラダに口を付ける。

「……美味しい」

「良かった」

 お世辞でもどこかホッとして智明もサラダを食べ、食パンをかじる。

「……なんか、不思議だ」

「ん? 何が?」

 食事がある程度進んでから、貴美が手を止めてポツリと呟いた。

「マコトと同じ年の幼馴染みなのに、ずいぶん違う」

「そうかな? どうだろ。よく分かんないよ。アイツも悪い奴じゃないし」

「それは勿論そうだ」

 はぐらかした智明の答えに、貴美が即答したので思わず苦笑してしまったが、幾つか思い付いたこともあった。

「貴美さん、真のこと好きなの?」

「ひっ!?」

 前ふり無しで突然聞いた智明に対し、貴美は変な声を出して驚いた顔のまま硬直して顔を赤く染めた。

「て、て、て、テレパシーというやつを使ったのか? ぶ、無礼な」

「あはは! いやいや、そんなの使わなくても分かるよ」

「そ、そうなのか?」

 うつむいて目を反らす貴美が可愛らしくなり、あまりいじめちゃいけないよなと思いつつ、やはり確かめなければならない事もある。

「そのせいかも知れないけど、俺と真の間に確執があるとか思ってるなら、それはちょっと違うなぁと思うんだよ」

 色恋の話から話題が切り替わったので、戸惑いを残しつつ貴美が視線を上げた。

「どういう、ことか?」

「……なんて言っていいか分からないけど、言ってしまえばってやつかな」

 貴美の問いに答え、何から話そうかと迷った智明はドリンクを持ってこなかったことを思い出し、手持ち無沙汰でテーブルに肘をついて手を組む。

「……俺は突然大きな力を使えるようになってのぼせ上がったんだな。だから一番近くに居た真に見せびらかすような行動をしてしまった。今思えば子供っぽいことをしたなって思うよ。力をひけらかして自慢したって、俺と真の精神的な関係性は変わるわけはないはずだからな」

 人外の能力を手にし、優里を連れて逃げ出し、川崎を巻き込んで淡路島の独立を掲げた今、自分がどこに向かおうとしているのか分からなくなり始めていた。

 ただ分かっているのは、淡路暴走団と空留橘頭クールキッズを従えたことで後戻りは出来なくなったし、警察や機動隊や自衛隊を跳ね除けたことで騒動はより大きくなってしまったということだけだ。

「トモアキの思うマコトとの『精神的な関係性』とは何だ?」

 顔色も落ち着き姿勢や表情も真剣になって貴美が問うた。

「昔から変わらないよ。アイツがリーダーで、リリーがツッコミ役のお姫様で、俺が二人の部下1で世話係」

 端的に答えた智明を、貴美はキョトンとした顔で見返してくる。

「それは一体、なんだ?」

「逆に分かりにくかったかな……。よく三人で探検ごっことか冒険ごっこみたいなのしててさ、真が隊長とかリーダーで『あっち行くぞ!』とか『ここを調べるぞ!』なんて言ってドンドン進んでくわけ。んで、リリーが『そこは人の家やからアカン』とか『お腹減ったからおやつにしよう』とかツッコミながらワガママ言うんだよ」

「トモアキは何をするのだ?」

「俺? 俺は二人からの命令とか指示とかワガママの通りにするんだよ。ああ、二人が知らないことを知ってたら口出しはしてたけどね」

「そうなのか。よく分からないが、その……楽しそうだな」

 いつからか貴美も頬杖をついて微笑みながら聞いていた。

「楽しかったな。小学校の時はずっとそんな感じで、三人セットで遊び回ってたからな。貴美さんはそういう幼馴染みとか友達はいなかったの?」

 リラックスしてダイニングチェアーに背を預けた智明は、貴美に話をふってみる。

「……私は、物心ついた時にはもう、御山で修行を行っていた。だから学校や友達というものを知らない」

 伏し目がちに答えた貴美に申し訳なくなり、智明は背もたれから背中を離す。

「そうなんだ。なんか、ごめん……。ちょっと待ってね」

 頭の中に針でつつかれたような刺激を感じ、貴美から視線を外してその理由を探る。

「……貴美さん、ごめん。ちょっと用事が出来たみたいだ。さっきの部屋に服とかタオルがあるから、シャワーでも浴びて着替えてゆっくりしててよ」

「それは、良いのか? 私は、敵だぞ?」

 立ち上がってリビングダイニングから立ち去ろうとしている智明に、貴美から戸惑った声が投げかけられた。

「敵なら逃げ出されても仕方がないかな。でも――」

 ドアを開け、照れ臭いので背中を向けて告げる。

「でも、友達の彼女なら捕虜みたいな扱いはしないよ」

 貴美の返事を待たずにリビングダイニングから立ち去り、智明は廊下を歩きながら合図を送ってきた相手へ伝心を返す。

《川崎さん。何かあったの?》

《キング! 自衛隊が来よった!》

 気焦りのある川崎の意識が飛び込んできて、どこかで聞いた台詞に笑いそうになったが、少し違うニュアンスがあったので問い直す。

《なんか攻撃とかじゃなさそうだね》

《白旗や! 武装解除して白旗提げて来よった!》

 想定外の出来事に智明の歩みも止まってしまった。


「そこまでだ! そこで止まれ!」

 防具の上に雨合羽代わりのビニール袋を纏った班長が怒鳴ると、防具もガンベルトも外している自衛隊員二人が足を止めた。

 新宮正門の横の崩れた壁と反対側の壁の上からはゴム弾を装填したスプリングガンが突き出ているが、自衛隊員は気にした様子はない。

「見ての通りの丸腰だ」

「君達のリーダーと話がしたい」

 背の高い隊員が急ごしらえらしい白旗を軽く持ち上げ、もう一人が手の平を開いて非武装をアピールする。

「動くな! 今、責任者を呼んでいる!」

 実直すぎる班長の言葉に自衛隊員二人は苦笑したが、目を合わせて頷き合い、楽な姿勢で立ち尽くしている。

「すまん。あの二人か?」

「そうッス。見た感じ、武器は持ってないみたいっすけど、リーダーと話がしたいと言ってます」

 ゆっくりとした歩みで正門に近付いた川崎が班長に状況を聞きつつ、崩れた壁から顔を出す。

 小降りになった雨の中、上下迷彩柄の制服を着込み撥水加工の外套を羽織った立ち姿は、間違いなく自衛隊員で、顔の印象からそれなりの年齢と地位にいる者だと思えた。

 ふむ、とひと呼吸し川崎は自衛隊員に見える位置に立って声を上げる。

「ワシは、この私兵をまとめとる川崎っちゅー者や。お二方の所属と氏名を教えていただきたい!」

 川崎の口上に背の低い方が一歩前に出る。

「私は陸上自衛隊中部方面隊所属、第三十六普通科連隊司令官の川口一等陸佐」

 続いて背の高い方も一歩前に出る。

「同じく、野元一等陸佐」

 自衛隊員二人の答えに、川崎を始め正門に居たバイクチームのメンバー三十人のうち何人かが驚きの声を漏らす。

「……すごいんすか?」

「当たり前や。一個連隊の司令官やぞ。一等陸佐言うたら現場指揮のトップや。最大で千五百人の兵隊を動かすんやぞ」

「スゲー……」

 傍らの部下に答えながら川崎自身が自分の説明に震えが来た。

 日夜訓練に励んでいるプロを相手に、たった百人の素人がどこまで抗えるのだろうかと、今更ながらに恐れを抱いたのだ。

「……丁重な返答、痛みいる! ワシらのリーダーに会いたいとのことやが、どのような用件なのか聞かせてもらいたい!」

 相手が佐官だと知って口調を改めてしまったのは情けないが、『長い物に巻かれよう』とする三十手前の社長職の癖が出たと自分に言い訳しておく。

「大仰なものではない。君達の目的や主張を聞かせて欲しいだけだよ」

「見ての通りの丸腰だ。ボディーチェックも受けるし、こちらはこの二人のみで伺う。そちらは警護も見張りも自由にしてもらって構わない」

 柔らかな物言いの川口司令官に対し、野元と名乗った陸佐はやや高圧的な感じだ。

 ――キング。こんな感じやが、どないしょうぜ?――

 川崎は考え込むポーズを取りながら、恐らく意識の目で先程の要求を聞いていたであろう智明に伺いを立てた。

 口伝えでは変化してしまう現状を、川崎が目印となって直接智明に見せて判断してもらえるのは非常に助かる能力だ。

 実務として手間と時間を幾つか省けるというのは川崎にとってこの上ない喜びでもある。

「……ふむ。彼らが門を潜ったら、C班の五名は彼らを囲ってワシについてきてくれ。残りの五名は横一列で後ろからついて来い。ワシと彼らが部屋に入ったら部屋の前で見張りや」

 智明からの返事を承服し、警護を指名してそれぞれと目を合わせていく。

 川崎が漂わせた緊張感や重要度を感じ取ったのか、C班の十名は無言で重々しく頷く。

「了解した! 門を通ってボディーチェックの後、リーダーの元へ案内する! 開門!!」

 川崎はわざと声を張り上げ、大袈裟な動作で命令を下し、正門の方へ隠れる。

「壁に張り付いてるメンバーはそのままろといてくれ。C班以外の皆は通路の両側でや」

 小声でまくし立て、身振り手振りも交えて周辺の仲間を動かしてから門を開く。

 川崎なりに統率や統制を演出したかったのだが、少し時間がかかってしまった。

「失礼するよ」

「手はこんな感じでいいかな?」

 ゆっくりと歩いて門を潜った川口と野元は、口元に笑みを浮かべながら軽く両手を上げている。

 ボディーチェックを受け入れるポーズなのだろうが、余裕ぶっていて小馬鹿にされたように見える。

「オイ。……それなりの立場の方々だ。失礼のないようにな」

 ボディーチェックのために近寄っていったメンバーが、ハリウッド映画で演出される『粗雑な警官が犯罪者をいたぶるようなボディーチェック』の雰囲気で向かったため、川崎は先んじて注意しなければならなかった。

 指摘を受けたメンバーは「ヘヘッ」と笑って真っ当に見えるボディーチェックを行ってくれたが、川崎は冷や汗ものの緊張を味わう。

 ――真似事でかまんのやけど、ワシが言わんかったら無茶しよるからな――

 本物の自衛隊員を相手に演技を仕掛けること自体ヒヤヒヤするのに、この先、こういった些末な事もにしていかなければならないと思うと、まだまだ声を張り上げていかなければならないだろう。

「異常なし! です!」

「……ご苦労。では、こちらへ」

 ボディーチェックを終えたメンバーの取ってつけた敬礼に吹き出しそうになりつつ、川崎は行き先を手で示し、きびすを返して歩き出す。

「よろしく」

 複数の足音に紛れて呟かれた川口の一言に、川崎はこっそりと冷や汗を流した。

 ――後はキングの役目やからな。しっかり頼むぞ――


「……さすがにちょっと蒸すわね」

「湿度が高いですから。窓、開けてもらうように言いましょうか?」

「……よっぽど我慢できなくなったらにしようかな。ありがとう」

「そう、ですね」

 鈴木沙耶香すずきさやかはボツリと呟いた独り言に気を遣ってくれた女性に申し訳なく思いながら、体育館に充満した湿気を払うように自身の左腕を撫でた。

 恋人と慕うWSSウエストサイドストーリーズのリーダー本田鉄郎ほんだてつおからは、自宅に戻るように諭されていたが、それを是とするほどサヤカは乙女ではない。

 仮にも洲本走連を牽引するクイーンであるし、テツオの向かった戦地には友人である藤島貴美も出向いているのだ。

 サヤカ一人だけが自宅でくつろぐわけにはいかない。

 結果、WSSのメンバーと共に牛内ダム周辺の道路封鎖に加担し、やって来た自衛隊に拘束されて、今は彼らと一緒に諭鶴羽山近隣の体育館までトラックで運ばれてきた。

 さすが訓練された自衛隊員たちの行動は鮮やかでぬかりがなく、トラックごとに小分けされたバイクチームの面々を威嚇しながらテキパキと体育館に誘導していった。

 その際に、身分証の提示と名簿への署名をさせられたが、その口調は意外にも丁寧だった。

 ――それにしても、暇ね――

 サヤカは体育館の中を一周見回して心の中でため息をつく。

 バスケットボールのコートが二面取れる程度の小さい体育館だが、一段高く設けられた舞台と出入り口には銃を携えた自衛隊員が立ち、チームのメンバーは五人から十人を一塊に座らせて、その間を自衛隊員が五人ほど巡回している。

 念入りなことにインターネット接続が遮断ジャミングされており、電話やメールで外部と連絡が取れないばかりか、暇潰しにネットサーフィンすら出来ない。

「そこ! 静かに!」

「へへ。すんません」

 おまけに小声の会話は見逃してくれても、笑い声や大声は素早く注意される。

 ――軟禁だっけ? 拘束かな? なんにせよこんな状態じゃ我慢するしかないか――

 ヒソヒソとした囁き声があちこちから聞こえる中、サヤカは胸に滑り落ちてきた栗色の髪を背中へと跳ね除けた。

 一瞬だけ。

 ほんの一瞬だけ、旧洲本市の市議会議員をしている父親に連絡を取って開放してもらおうと考えたが、こんなところで父親の庇護を受けようと考えた自分が汚らしく思え、奥歯を強く噛み締めて自分を戒めた。

 ――親が出してくれるお金には甘んじるけど、私から助けてなんて言いたくない。テッちゃんが禁じてることは私もしない。そこを曲げたら私は親に飼われてることになる――

 独立心といえば格好つけた虚栄に見られそうだが、反抗している訳でもなければ自分勝手を貫いている訳でもない。

 保護者から下される庇護は遠慮なく頂戴しても、血縁者だからと束縛してくる古臭さには抗いたいのだ。

 そもそも父・鈴木洋一の態度や仕事ぶりを見ていると、とても何万と居る市民のために骨身を砕いて働いているように見えない。

 運転手や秘書を雇い、企業や著名人や後援団体から囃され、ことあるごとに視察や会食に出掛ける。

 会社や事務所や書斎でふんぞりかえるのは勝手だが、リビングでの王様然とした態度はサヤカには受け入れられなかった。

 ――私の王様はテッちゃんだけ。もう私の中では代替わりしてるのよ――

 体育館に移されてそろそろ二時間ほど経ったろうか。

 自分やチームのメンバーと連絡が取れないとなれば、きっと本田鉄郎は様々なコネや情報源を頼って、アレコレと策を練っているだろう。

 その様を想像すると、サヤカの心に不安という言葉は浮かんでこない。

 これまでも不可避の窮地を打破し、連戦連勝を重ね、『キング』の通り名に恥じぬ伝説を残してきたのがテツオだ。

 ――だから、今は騒がずに待てばいい――

 サヤカはもう一度体育館の中を見渡し、WSSのメンバーが誰一人として不安や危険を感じていないことが嬉しくなった。

 皆、本田鉄郎の新しい伝説が生まれる瞬間を、期待し信じているのだと分かったから。


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