水入り
皇居上空に人影が現れて赤い光を何百と撃ち出し、自衛隊の投射した煙幕弾が突風に吹き散らされた時、
――あの赤いのが攻撃だとしたら、防ぎようも避けようもない。自衛隊が煙幕で視界を奪って慌てふためく間に囲っちまおうって作戦を、あんな簡単に打ち破るとか。ある程度のとこで退散するつもりだったけど、それも危うくないか?――
退散するタイミングを見誤ればテツオ達も自衛隊に囲まれてしまうし、死なばもろともで突撃しても有無を言わせない攻撃をされては命の無駄遣いだ。
かといって高橋智明や川崎実らに捕まってしまうのも御免だ。
「アレがうちのキングじゃ」
テツオが熱心に皇居上空に滞空している智明を見ていたせいか、テツオに倒されたままの川崎がどこか誇らしげに口走る。
「なるほどね。アレと比べられたら『キング』なんて通り名は返上しなきゃだね」
冗談混じりに流して答えたが、自分があのような攻撃力を手に入れたなら同じような騒動を起こしたかもしれない。
テツオは何不自由のない生活を送ってきたが、そのために起こる退屈や無感動な毎日に飽き飽きしていた。
そうした満ち足りない不満は、バイクや瀬名たちのような友人と出会うことで解消された。
そして欲張りになった。
野望を膨らませ、仲間を増やし、準備を整え、あと少しでスタートさせようとしている時にこの騒動に関わることになった。
「違う形で会いたかったなぁ」
「あん? ワシみたいなポジションでええんか? あの本田鉄郎が?」
「島一個で満足するんならそれでいいんじゃない? でも俺がアイツに付いたら、もっとイケる気がしただけだよ」
テツオの朗らかな笑顔に川崎は呆れてしまったようだが、テツオの頭の中には世界地図が開かれていた。
「てか、なんか様子おかしくない? キングさんが落ちていったよ」
「なんやと!?」
テツオの言葉に驚いた川崎は体を起き上がらせようとしたが無理だったようだ。
「お? 今度は女が飛んできた」
「……白いドレス着とんねやったぁクイーンやねけど……」
テツオの実況を解説した川崎だったが、そのニュアンスはやや疑問が含まれていた。
「防戦には出てこない予定だったとか?」
「ああ。キングからはそう聞いた。ワシもそないするさかい、変には思わんかってんけどの」
テツオも同じ考えなので川崎の言葉には返事をしなかった。
これは決してテツオがフェミニストなわけではなく、純粋に女性を戦いの場に立たせると気が散ってしまうからだ。守らなければとか傷つけたくないとかの甘い感情ではなく、純粋な戦力対比であったり弱点や切り崩されやすい点を考えてのことだ。
現にテツオは鈴木沙耶香を大日川ダムに置いてきている。
大事な存在であればこそ、サヤカをこのような試験的な戦いには立たせられない。
「今度は何だ? 青い光を作ってばら撒いてるけど?」
「わからん。ほやけど人を攻撃するような子とちゃうよってなぁ……」
川崎の知らない能力なのかと解釈して視線を戻した瞬間、テツオと川崎の方にも青い光が向かってきて、声を出す間もなく光が体にぶつかってきた。
「――! 何だコレ!?」
痛みや熱も感じなかったのですり抜けてしまったように思ったが、光が当たった所とは別の場所が少し熱を帯びて疼く感覚があった。
川崎との対決でできた切り傷や打ち身に優しく触れられた感じ。
「本田、お前顔が――」
「お? おお?」
おもむろに上半身を起こした川崎に驚いたが、その川崎の顔を見てもう一度驚いた。
「怪我、治ったのか? まさか、そういう光だったのか?」
相変わらず熊ともゴリラとも例えられる野生的な川崎の顔から、腫れや出血が収まっているのを見て、テツオも自身の顔や体に触れて怪我が完治していることに驚く。
「そういうことじょの。そういうことする子やさかいの」
まるで成績優秀な親戚を誇るような川崎の笑顔を不気味に思いながら、やはり怪我の具合を確かめている川崎を見て、信じられないことが起こったのだと改めて驚く。
「ホント、違う形で会いたかったよ」
「ほうかの? 今からでもコッチ混ざれるぞ。
急な勧誘に、本来ならテツオは懐疑的な目を向けなければならないはずだが、真顔で川崎の顔をマジマジと見つめてしまった。
「俺と川崎さんが肩並べて国取りするの? ……面白そうだけど。でも今回は俺主導じゃないからなぁ……」
もともとテツオの計画では淡路連合を一つのまとまった組織にする事が前提だったので、川崎や山場と共闘できるならこれ以上のものはない。
しかし今回は城ヶ崎真の私怨に乗じて計画を前倒ししたのだから、そう簡単に鞍替えとはいかない。
「ほうか」
「ごめんよ」
あっさりと勧誘を諦めた川崎にテツオは謝罪の言葉を投げかけたが、川崎から返事はなかった。
二人が見ている前で、青い光をばら撒き終えた鬼頭優里が重力に従って落下し始めたからだ。
急速に体が凍え始めたのは、雨に長く打たれていたからではない。
肩から先を切り落とされ、盛大に吹き出た血を見たせいだ。
視界が眠る前のように暗く狭くなり始めたのもそのせいだ。
――死ぬのか? 気絶するだけか?――
のたうち回るほど激しかった痛みはすでに麻痺し、脈打って吹き出していた血も、枯れかけの湧き水のように勢いはない。
――こんな感じで終わるのか――
智明に殺し合いだとふっかけたのは真だったが、智明のひと睨みで両腕を切り飛ばされ、死を意識するほどの痛手を被ったのは真だ。
少しずつ狭くなる視野に合わせて意識も遠のいていく。
さっき自分で呟いた『終わり』が、何を指したのかすら考えられなくなってくる。
智明との勝負の決着のことなのか。
真の人生のことなのか。
だんだんと頭が回らなくなり始め、意識が虚無へと落ちていく感覚に陥る。
と――。
胸の辺りに何かがぶつかってきた気がした。
ほんのり温かく、体の隅々に沁み入る感覚がある。
例えるなら、喉がカラカラになるまで走り回ったあとの水分補給のように、ジワジワと体内に入っていくイメージ。
例えるなら、血管が圧迫されしびれが切れた箇所に、血が流れ始めたようなイメージ。
――心地良いけど、気持ち悪いな――
当たり前のように頭の中に感想がよぎった瞬間、真は目を見開いて勢いよく体を起こした。
「あ、あれ? ……生きてる。まだ生きてる! え、腕がある!?」
死が目前に迫り、拒む暇もなく意識が遠のいたのを思い出し、また考えたり体を動かせることに驚き動揺した。
命が潰えなかったことを確かめようと、首から下を見たり触ったりしていて、切り飛ばされたはずの両腕が元通りになっていることに遅れて気付いた。
「なんで? 智明が治した? んな馬鹿な」
智明のあんな目は初めて見た。
殺意や暴力を振るう者の目は、あんなにも雰囲気が変わるのかと改めて思う。
加えて、そうして傷付けた自分を間を開けずに智明が治療するなどあり得ないだろうし、もしそうならば何がしたいのか訳が分からない。
そうなると他の要素で助かったのだと考え辺りに目をやると、先程までの雨が止んでいることに気付き空へ目を向ける。
「……あれは、優里、か?」
重黒い雨雲がポッカリと円形にくり抜かれ、七月の青空に白い服の女が滞空し、周囲に光の粒を放出している。
脈略なく名前も知らない人物が智明のように空に浮かんでいるとは考えにくく、自然と鬼頭優里の名前が出てきた。
「そんなことがあるのか?」
智明の獲得した超能力を初めて見た時よりは驚きや動揺は少ないが、身近な人間がそうそう何人も容易く超能力を使いこなせるのか、現実味のなさが言葉になった。
智明という前例を知っているから優里を否定することはできない。しかし目にしたものをすんなりとは受け入れ難い。
中途半端な気持ちのままだが、真が立ち上がろうとしていると空中にいた優里が足場を失ったように落下を始める。
「優里!!」
真は幼馴染みの名前を叫び、数歩駆け出して何も考えずに一直線に飛び上がる。
だが真が思うよりも優里の落下速度が早く、このままでは受け止められそうにない。
――もうちょい下っ!――
軌道修正をしなければと慌てたが、エアジャイロがあることを思い出して今更ながら微調整を行って、辛うじて優里を受け止められた。
さすがに抱き止めたりお姫様抱っこのようにはいかなかったが、左腕に優里の腹部を引っ掛ける感じで受け止め、優里に意識があるか確かめる。
「優里? 優里。優里!」
背中を軽く叩いたり、声をかけてみたが反応はない。
「真! その子がユリちゃんか?」
「あ、はい。そうっす……」
皇居上空を漂っていた真の元へテツオも飛行してきて声をかけてきた。
「よし。トモアキとは決着つかなかったみたいだけど、ここらで退散するぞ」
「退散? え、でも――」
「自衛隊がすぐそこまで来てるんだ。チームのメンバーもどうにかされてるはずだ。今が引き時なんだ」
「……分かりました」
優里を抱え直しながらテツオの指示を拒もうとした真だが、テツオの言い分を渋々ながら承知した。
自衛隊が皇居に接近しているということは、大日川ダム周辺と牛内ダム周辺の道路を封鎖してくれていた
琵琶湖畔の貸し別荘を離れる際、テツオから『チームで動く時の心構え』を説かれたばかりなので、今は真が我を通していい時ではないと分かる。
〈瀬名! 田尻! 紀夫! 退散だ!〉
テツオは複数同時通話で撤退を告げ、真にも手招きをして西の方へと舵を切る。
〈うーい。てか、どこに逃げるんだぁ?〉
変に間延びした瀬名の返事にテツオはあやふやな答えを返す。
〈確か、28号線沿いでバイク屋やってるメンバーが居たろ? 名前なんだっけな……〉
〈リーダー、名前覚えてあげてくださいよ〉
〈いつも『バイク屋』って呼んでるから覚えられないんすよ〉
〈ああ、ジンべのとこかー〉
〈そうそう。ジンべだ〉
田尻や紀夫に冷やかされつつ、瀬名が思い出してくれたので事なきを得たようだ。
優里を抱いた真とテツオが西へと飛び始めてすぐ瀬名たちも舞い上がってきて、五人が固まって高度を取る。
〈田尻。紀夫。真が女の子抱えてるから、サポートしてやってくれ。雨の中を人抱えて飛んだらエアジャイロが保たない〉
〈ウッス!〉
智明によって雨雲が吹き飛ばされ晴れていた区域を脱するので、テツオが指示をした。
〈ありがとうございます〉
田尻と紀夫が、真の肩の防具のあたりを持ち上げるようにして支えてくれたので、真は素直に礼を言った。
その時にチラリと皇居の方を振り向き、大事なことを思い出す。
――キミも脱出しただろうか?――
少しずつ小さくなっていく皇居を眺めたあと、自分の腕に抱かれた優里を見て、真は自分の行動が正しかったのかを考え始めていた。
智明は一瞬だけ迷ってしまった。
意識を失ってしまった優里を助けに飛び出すべきか。
意識を失っている藤島貴美に、始めてしまった
本来なら迷うことなく優里を助けに飛び出していただろうが、貴美を治癒しなければと意識を振り向けていたために迷いが生じた。
怪我の度合いが軽ければ治癒は後回しにすることもできる。
だが智明が見る限り藤島貴美の怪我はひどく、体中に裂傷や打撲があり出血もかなりある。放置したり後回しにすると彼女の生命が危うい。
そのために優里を助けねばと腰を浮かせかけた智明は、飛び出すに飛び出せなくなってしまっていた。
「真!?」
智明が一旦浮かせた腰を治癒のために沈めたタイミングで、優里に向かって一直線に飛び出した人影が、空中で優里をキャッチしたのを目にし、人影が飛び出してきた方向やそういった行動に出る人物は城ヶ崎真しか思い当たらなかった。
自分の手で優里を助けられなかったことを悔しく思う反面、優里が真の行動で救われたという安堵を感じる。
しかしよりによって真に手柄を奪われたという嫉妬もある。
「……やっぱり連れて行っちゃうのか」
今日の対峙の際にも真は優里の奪還をほのめかしていた。
その通りに優里を抱き直した真の元へ別の人影が現れ、短い会話をして西の方へと飛び去ろうとしている。
――取り戻したいけど……。今は出来ないか――
藤島貴美の治癒はまだ終わっていない。
加えて、智明の体力が回復したとはいえ全快ではなく、自衛隊が間近に迫る中で優里を取り戻すためにひと暴れするというわけにもいかない。
――最悪、リリーの意識が戻った頃に
智明は自身の有している能力の強みを並べ立てることで自分を納得させたが、そうしなければ心の中は敗北感でいっぱいで腐ってしまいそうになる。
飛び去ろうとした真には更に三人の仲間らしき人影も加わっている。
それを見送りながら、智明は『キング』として迫りくる自衛隊の対処を考えなくてはならないことに歯噛みした。
――こんなことなら完膚なきまでにやられた方がマシだぜ!――
百人近い部下を持ってしまった動きにくさを痛感しつつ、不甲斐ない自身を罵倒する。
《川崎さん! 防具を付けた連中は逃げたみたいだけど、そっちはどうなってる? 本気で自衛隊が近付いてるぞ!》
《そうみたいやな。……外苑の仲間は正門まで戻ってきたわ。北の方は、さっき連絡取れたさかい、本宮に戻るように指示はした》
自身の不甲斐なさが苛立ちとなって川崎に強い言葉を使ってしまったが、川崎からは今までと変わらない態度の返事が返ってきた。
川崎の器の大きさと大人の態度に、八つ当たりをしてしまったと気付かされ、智明は深呼吸をして返事をする。
《……そう。そうか。……ありがとう。流石だね。少し余裕が出てからでいいから、怪我人や壊れた建物がないかの報告が欲しいかな》
《分かった。……ところで、さっきの青い光見たけ? 多分クイーンがやったんやと思うねけどの。あれのお陰で怪我とか疲労とか気絶は回復したわれ。ほやよってん負傷者はゼロやな》
幾分普段通りの口調に戻った智明に、川崎の意識も柔らかくなる。
《ただ、建物の被害は多少あるわ。まずワシとウエッサイのリーダーでやり合って壁に穴開いたとこがある。あと、外苑から新宮に引き返っしょる時に正門の横が崩されたらしい》
《マジか。いや、でもそうか。アイツらの武器はそのくらいのパワーはあるか》
川崎の報告に智明は一旦は驚いたが、真との対峙の際に、真の放った空気砲は智明の空気弾と正面からぶつかり合って相殺されたことを思い出し、新宮の囲いを崩すほどの武装に一応の納得ができた。
《北側からはそういう報告は聞いてへなれ。キング、どないする?》
川崎から仰がれ、休む間を与えてくれないことに
《そうだね……。俺も少し時間をもらわないと修繕とかに向かえない。正門と北側に監視を置いて、三交代くらいで着替えとか食事を取ろうか。幸いというか、自衛隊の攻撃とか接近のないうちに出来ることをしておこう》
川崎に指示を出しつつ、ようやく藤島貴美の治癒が終わったので、智明は少しだけ気を緩めることができた。
自身の疲弊に沿った指示になってしまったかもしれないが、バイクチームの面々もひと心地つきたいだろうと想像してのことだ。
付け加えるなら、藤島貴美をこのままにしておけないという意味もある。
《ん。ほうじゃの。ほこはこっちで上手いことやろぞ》
智明の指示は川崎の思うところでもあったのか、反論や質問もなく受け入れてくれ、川崎の意識は離れていった。
「……ふう。……さて、すぐには起きてくれそうにはないな」
まだ慣れない支持命令や指揮を終え詰まった息を逃した智明は、新宮本宮正面玄関から南の区画へと駆けていくバイクチームのメンバーを見送ったあと、足元に横たわる藤島貴美の処遇に苦慮する。
彼女が何の目的でここに現れ、何があってここで倒れていたのか、そういった事情が全く見えない。
ただ正面玄関周辺が破壊され、その瓦礫に埋もれて彼女が生死の狭間を彷徨うような怪我をしてしまった事実があるだけだ。
――とりあえず三階へ連れて行くしかないか――
今更ながら雨と血に濡れた小柄な少女に照れながら、智明は藤島貴美を抱き起こして玄関ホールへ入っていった。
「隊列整え! 点呼! 損害や負傷を報告!」
指揮車の近くで各小隊長の指揮の声があがる。
「川口一佐。進行すべきですか? 待機すべきですか?」
新皇居外側の囲いに入った所で足が止まってしまっている現状を気にして、野元が川口に次の指示を求めてきた。
野元が現状確認の指示を発した間も、腕組みをして黙ったままだった川口の態度に不安になったようだ。
「無論、進行すべきだ。現状確認が済んだら進行の指示を出そう。ただし、攻撃ではなく包囲に留める」
「包囲、でありますか?」
承服できなかったのか、野元の顔が疑問系になる。
「ああ。有無を言わさない攻撃のあとに、全員を回復させるという、敵の行動に一貫性がないところが腑に落ちない。ただ、隊員を治してもらったのは事実だ。その意図を直接確かめたい」
「直接? ということは、一佐が協議や説得に向かわれるということでありますか?」
今度こそ野元は川口に懐疑の目を向ける。
「そんな目をするな。司令室で個人的な趣味の話をしたが、任務にそうした感情を持ち込んでいるつもりはない。だがな、赤い光が隊員の体を貫く様を見ただろう? あんなものに真正面から挑む意味はあるのか?」
伊丹駐屯地にある司令室で、川口と野元は今回の任務に就くにあたって、超能力やオカルトについて個人的な見解や各々の思想を語り合っていた。
そのせいで任務中の川口の発言が気弱に見えたり、圧倒的で不可解な現象に対して神聖視に見える発言もしてしまった。
しかしそれは川口からすれば純粋な損益計算に過ぎない。目の当たりにした圧倒的な攻撃力が超能力であるというだけで、これが原子爆弾やICBMなどの精度の高い超長距離誘導弾であれ、脅威を脅威と感じて隊員の損失を避けたいだけだ。
「しかしそれは――」
「我々は自衛隊だ。軍ではない。命を賭して戦うが、その前提には国があって国民の平和がある。隊員もその国民の一人だ。私も、あの力を恐れて話し合いで有耶無耶にしようというのではないんだよ。敵が、高橋智明が敵対する者を容赦なく廃していくという考えの人物なら、躊躇なく突撃の命令をするのだ。しかし、圧倒的攻撃のあとに全員を回復させるという行動は、『話を聞かなければならないのではないか』と思わされたのだ」
言い返そうとした野元を遮って川口は一気にまくし立て、自身の考えの全てを語る。
「隊員の休息、捕縛したバイクチームの移動、そういったものを含めて時間も欲しい」
「……了解しました」
川口の強硬な姿勢に根負けしたのか、野元は不詳不詳ながら受け入れ、運転席の陸曹と通信兵にバイクチームの拘束に適した施設を探すように命じた。
「野元一佐。近隣に公営のスポーツ施設があります。住所が
割りとすぐに陸曹から返事があり、野元は即座に専有できるかの確認するように命じた。
「天候ですが、正午には雨が止みそうです」
陸曹がスポーツ施設に確認を取っている合い間に、通信兵がまた気象予報を伝えてくれた。
「賀集スポーツセンターに快諾をいただきました」
「結構。牛内ダムで待機中の別働隊は、捕縛したバイクチームと共に賀集スポーツセンターで彼らの監視と拘束を! バイクチームの監視に当たっていた中隊は雨天装備で本部中隊と交代! 本部中隊は新皇居手前の更地まで下り、兵員輸送車で休息を取れ!」
野元は一気に采配を下し、一息ついてから川口を見やる。
「ん。移動や交代が完了し、雨足が落ち着いてきたら前進しよう」
「私も同行いたしたいのですが、構いませんか?」
「勿論だ。この任務に最後まで関わりたいと言ったのは君じゃないか」
「ありがとうございます」
川口は野元の申し出を快く受け入れ、やましいことなどないと証明する意味で歯を見せて笑ってやる。
恐縮して頭を垂れた野元は、すぐに通信兵や中隊長からの報告に体の向きを変えてしまったが、時折川口へと視線が向く。
――上官への態度ではないな。しかし、それは私の迷いのせいだから、仕方がないことか――
自身の発言や態度を棚上げするわけにもいかず、川口は指揮車の外へと視線を向けた。
青い光が輝いた時のポッカリと開いた雨雲の穴は、もうすでに周りの雨雲で埋め尽くされ、相変わらずの雨が降り続いている。
まるでこの任務の先行きが決まりきっていないことを表しているようで、川口は嫌な胸騒ぎを覚えた。
「見ましたか?」
雨水を滴らせた透明ビニール傘を運転席のドアポケットに突っ込みながら、雑誌記者
「なんや、とんでもないことが起こったんは分かった」
助手席から新皇居を眺めていた黒田には子細まで見通すことは出来なかったが、雨粒に打たれるフロントガラス越しでも、照明弾が輝き煙幕が立ち込め、雨雲が消し飛ばされて赤や青の光が放たれたことは分かった。
早朝に電話の着信音で叩き起こされ、高田に諭鶴羽山まで連れて来られたが、雑誌記者として月刊誌と週刊誌にページを持つ高田が興奮する理由も納得できる。
ただ、黒田はこんな土砂降りの中にビニール傘一本で出て行って、写真や動画を撮影しようとまでは思わない。
刑事魂と記者魂の違いを見た気がした。
「正式発表もなしに自衛隊が駐屯地を出たと聞いて、もしや!と思ったのは正解でしたよ。もっと近くで取材したかったんですが、警備が厳しくてここからしか見れなかったのが残念です」
「いや充分やろ」
興奮しながらも悔しさを滲ませる高田に、思わずツッコんでしまったのは関西人の黒田には仕方のないことだ。
諭鶴羽山の頂上付近に建てられた電波塔には、高田の乗用車以外に車や人影はない。
黒田には独占スクープだろうと思える。
「いやいや。そんなに甘い世界じゃありませんよ。ここには僕らしか居なくても、他の場所やドローンなんかで撮影されていたら、そっちの方が画的に良いかもしれない。そうなったら後はどんな記事をどんな速さで出すかなんです」
黒田のツッコミを跳ね返しつつ、高田はデジタルカメラを自身の膝に置くなり、仮想キーボードを展開して両手の指全てを忙しく動かし始める。
「おいおい。報道規制かかっとるやろ。ええんか?」
「それは
タイピングの手を止め、黒田を見やった高田の目は、警察発表に食らいつく報道記者の熱意がこもっていた。
「違わなくはないが……」
「……大丈夫です。高橋少年と結び付けるような文面にはしませんし、情報の提供元にアシがつくようなこともしませんよ。ただ、多少オカルトな内容になリますけど、追求したいのは現政権の自衛隊の取り扱いです。防衛軍どうこうの話の前に、こんな大事を事後発表で済まそうというのは、
やたら力のこもった高田の声と指の動きに、黒田は置いてきぼりにされてしまっているが、半分は理解できたので何も言い返さないでおいた。
――俺らは、犯罪者が犯した罪を法で裁くためにホシを追うけど、それと同じなんだぁかのぅ。……だからっちゅーて裁く方法がないから、世間に広めよう伝えようっちゅーのはどうなんやろ……――
あくまで黒田が追求してきた刑事という仕事は、正義感と法律に則した犯罪者の検挙であり、検察に送致するまでが警察にできることだ。
それに比べて、高田のような記者は世間へと公知させようとし、法ではなく世論や批判によって騒動や事件の当事者を責め立てる。
その違いには、刑事と記者で通じるものと相反するものがあると感じる。
刑事から記者への転身を考えた黒田だが、自身が記者となって記事を書く場合、どのようなスタンスを取らねばならないか、どういったことを取材し世間に示さなければならないかを考え始める。
「……そういえば、お知り合いの方を呼ばれたようでしたけど、どうなりました?」
記事の執筆が一段落したのか、高田が手を止めて黒田に問うた。
「んあ? ああ。……なんや用事が出来たらしくてな。始発で帰ってきて昼に合流するはずが、午後の便に変更になったらしい。やから、夕方に合流になるんやないかな」
考えを中断させられ、黒田は適当に答える。
そもそもなんの用事があったのか知らないが、昨夜の連絡で『京都から最速で帰るから会おう』と言い出した
黒田が鯨井を高田に会わせたかった訳でもないし、取り繕ってやる義理もない。
強いて言えば、高橋智明の遺伝子解析と野々村美保との関わりで負い目があるから連絡をとっているに過ぎない。
「そうですか。じゃあ買い出しもしてありますから、夕方までここで張り込みですね」
デジタルカメラを操作しながらあっさりと言い放った高田に、黒田は少しうんざりした気分になる。
「ホシの内定で張り込むならまだしも、俺らは何を捕まえようとしとるんやろな」
しかし助手席をリクライニングさせた黒田に高田はハッキリと答える。
「真実と真相ですよ」
リクライニングに合わせて後方に倒れていった黒田からは高田の顔は見えなかった。が、高田の声にはジョークや格好つけた色はなかった。
――またデカイもんを掲げたなぁ。真実とか真相なんぞ、当事者と部外者で捉え方が変わるやろうに――
まだ部外者のつもりでいた黒田は高田の考えをどこか突き放して考えてしまったが、フロントガラスの雨粒の合い間から臨める新皇居を見てハッとする。
――高橋智明と鬼頭優里。あの二人が自衛隊とひと騒動起こした。それを見ている俺がなんで部外者やねん? なんで鯨井のオッサンに声かけたんや?――
そう思い直した黒田は助手席を元の位置に戻し、数百メートル先の皇居本殿の瓦屋根を見つめる。
――とっくの昔に俺らも当事者やないか!――
黒田の目には刑事魂とはまた別の光が宿っていた。
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