コンタクト

「来たぞ!!」

 開け放った外苑前の門扉の影で、十人単位の班を指揮する班長が声を上げた。

 急ごしらえながら門柱に渡す形で塹壕ざんごう代わりの木板が立てられ、その影から三人が頭を出す。門扉の両翼に伸びる外塀には簡素な足場も組まれ、こちらからも三人ずつ外苑を覗いている。

「障壁があるうちは撃つなよ!」

 門扉の影から班長が声をかけると、外塀の裏で身を屈ませている数十人が、壁に張り付くように散開した。

 足場から顔を出している者の交代のためだろう。

「障壁って、どんなもんなんだ?」

「分からん」

 門扉から顔を出していた班長の足元で、塹壕に伏している仲間から問われたが、班長はその質問を切り捨てた。

 川崎からは『障壁がある』としか聞かされていないのだ。

「三人だけやな?」

「うん。……自衛隊って感じもしないな」

 同じく足元から掛けられた声に班長も勢いを無くした声で応じた。

 四車線の舗装路に覆いかぶさるような両側の林と、外苑と呼称している砂利の敷かれた更地の境を歩み寄ってきているのは、見慣れない防具に見を包んだ三人の人影だけだ。

 警察の機動隊であれば紺色の制服に濃紺の防具だし、陸上自衛隊であれば濃綠色と土色の迷彩柄制服と防具のはずだが、こちらに向かってくる三人は黒地の服に濃紺の防具を着け、両腕には金属質の手甲を装着しているように見える。

「アメリカの特殊部隊か?」

「んなアホな」

「日本にも秘密警察ってあるらしいぞ」

「お前、いくつだよ」

「コラッ! 集中しとかないと死ぬぞ!」

 私語を交わしていた仲間を叱った班長だが、川崎から聞いていた話とはずいぶん違う展開に動揺していた。

「うん? なんだ?」

 三人のうちの一人が片腕を持ち上げたかと思うと、外門の手前の空間が陽炎かげろうのように揺らいだ気がした。

「あれ?」

 外塀に張り付いて眺めていた一人も変な声を出す。

「なんだよ?」

「いや、なんか、雨が変な方に弾けたなと思ってよ?」

「水たまりで跳ねただけだろ」

 その間も外門の手前の空間はユラユラと景色が歪みまくる。

「これが、障壁ってやつなんだよな、たぶん」

 木板の塹壕越しに見ていた一人がつぶやいた。

「いや! やっぱり変だ! 

「なんだと!?」

「俺のとこから真ん中の奴まで一直線なんだけど、雨が変な方に弾き飛ばされて、障壁かなんかに当たる時に雨が丸く無くなるんだよ」

 信じられない物を見た驚きの顔で話す仲間を、班長は信じられないことを言ってる人を見下ろす顔で見てしまう。

「見間違いちゃうんか?」

「こんな時に茶化すなよ。場所変わって見てみろよ」

 隣に居た関西弁の仲間に場所を開けてやる。

「本当ならとんでもないことだぞ」

 班長は、木板の塹壕の真ん中へ移動した関西弁の仲間と重なるように身を屈めながら、一人ごちた。

 ゆっくりと歩いてくる人影は武器らしい武器を所持していないように見えるからだ。

「……うーん?」

「……これ、やっぱり攻撃なんだよな?」

 関西弁の仲間はいまいち見分けられなかったのか、唸りながら首をひねっているが、班長は緊張感のない問いかけを誰とはなしに投げかけた。

 班長の問いかけに誰かが答える前に、向かってきていた三人全員が片腕を上げ、外門の手前で雨が弾かれ空間が歪み雨音とは違う水のかかる音が連続して響き始めた。

「大将! 敵は空気の弾を撃ってきてます!」

 班長は手元のゴム弾が頼りなく思え、敵の武器に震えながら報告を行った。


「まずは小手調べが定石だよなー」

 田尻と紀夫を左右に従えて、瀬名は無造作に右腕を上げてエアバレルの狙いをつけた。

 歩いて登ってきた舗装路は左右の山林が途切れると同時に開けた更地に出て、その正面奥には真新しい塀と門が見えた。

 事前の下調べで皇居の正門の位置は確認していたが、今日までに集めた情報通りに囲いと門が一つ増えている。

 さらに不確かながら『目に見えない壁がある』との情報もあって、テツオとの会議の結果、『智明の能力だろう』という予測に留まった。

 予測されたものが目の前にあるかもしれないのならば、試さなければならない。

 瀬名は最小の威力でエアバレルを撃った。

「……当たって、る?」

「あれが『透明の壁』ってやつっすか」

 雨音に消えてしまうような発射音のあと、銃口の前の雨粒が弾けたのが見えた。

 だが門の周辺の様子に変化がないため、田尻も紀夫も様子を伺うような発言をした。

「微妙。もうちょいやってみっかねー」

 歩みを止めずに瀬名がテンポ良く撃ち続ける。

 門扉や塀の影に人影が見え隠れしているのに、怯まずに連射する瀬名を見て両側を歩く田尻と紀夫が慌て始める。

「そんな感じでいいんスカ?」

「向こうから撃ってくるッスよ!」

 だが瀬名はこともなげに言い返した。

「障壁あるんなら、無理に撃たないって。クマゴリラが仕切ってんだからそーするはずだ」

 こともなげに返した瀬名に田尻と紀夫は納得してしまう。

 淡路暴走団の大将川崎は合理性と効率を求めるがゆえ、障壁に守られているうちは無駄撃ちをさせない男だ。事実、瀬名たちが近付いていても一発の反撃もない。

「でも、障壁があって効いてないなら意味なくないスカ?」

「なんかの拍子にって可能性はあるからなぁ」

 答えながら、瀬名はエアバレルの発射をやめない。

「じゃあ、俺らもそろそろ」

「ああ。アイツら生身かもしんないから弱めでなー?」

「ウッス」

 勇んで右腕を持ち上げた紀夫に助言しつつ、瀬名は門の影でうごめくく人影を注視する。

 雨の勢いが増してきたのか、エアバレルの威力を弱くしすぎているのか、待ち受ける敵にエアバレルの弾道を見極めるような動きが見えた。

 エアバレルは空気砲の要領で正しく空気の塊を発射する武器だ。晴れていたり水や埃のない場所では透明で目にする事はできない。

 しかし、樹木や草花の近くだと風圧でそよいでしまうし、砂埃や粉塵の舞う中ではそれらが押しのけられて弾道が明確になる。同様に水たまりなどにも波紋が立ってしまう。

 雨が降る中では視力の良い者にはエアバレルの弾道は目立つかもしれない。

「バレた、かな?」

 両隣で連射を始めた田尻と紀夫には聞こえない小声で、珍しく瀬名が気弱な言葉を呟いた。


 本宮の正面玄関を出てすぐ、上空を横切った飛行物体に動揺した智明だが、手近な柱の影に身を潜めてその飛行物体をやり過ごした。

「アメリカ軍が研究してるってのは聞いたことあるけど。自衛隊の装備にはあんなの無かったよな」

 動揺する心を落ち着けながら、智明は知識や記憶や今日のために備えた検索履歴を総動員した。

 先程見た飛行物体に合致する装備は、過去にアメリカ軍で研究開発されていたフライングプラットホームや一人用ヘリコプターに似ていたが、シルエットはアニメや漫画に登場する推進装置を有した宇宙服のようだった。

 フライングプラットホームのような土台や柵はなく、一人用ヘリコプターのようなプロペラも無い。ガスの噴射口のようなものは有ったが、NASAやJAXAなどが公開している宇宙服よりはスリムに見えた。

「なおさら自衛隊ぽくないよな」

 川崎が仕入れてきた情報では、陸上自衛隊が派遣されたという話だったし、空から隊員を降下させるならば関東から空挺団が来ていることになるが、そうであれば上空には隊員を輸送してきた航空機やヘリコプターが飛んでいるはずだ。

 ――あんなのが何人も居るなら、武器もそれなりのはずだよな――

 プロペラやプラットホームを有さずに自由な飛行を行えるなら、当然手にしている武器も先進的なものだろうと予想できた。智明の頭でっかちが無駄に用心深くさせる。

 ――外苑には、三人? ……北からも何人か居るのか?――

 外周の障壁を維持しつつ意識の目を飛ばすと、外苑の更地を悠然と歩む人影が見え、新宮の北にある牛内ダム周辺にバイクの集団も見えた。

 と、先程よりゆっくりとした速さで、また上空を人影が舞った。

「……? さっきは一直線に外苑の方へ飛んで行ったのに、今度はゆっくり戻ってきた。新宮を一周するコースだな?」

 飛行物体を目で追っていると、ゆるくカーブしながら飛行している。

 ――なんか探してるのか? 探してるなら、俺かリリーか?――

 死角に入り込んだ飛行物体が逆側から現れたことで全てが繋がった気がした。

「真か!」

 智明は思い至った結論を口にし、カッと頭に血が上るのをなんとか抑え込み、川崎に伝心テレパシーを送る。

《川崎さん! 空飛んでるやつとぶつかるから、障壁を維持できない。十秒後に障壁が消えると思ってくれ!》

《マジか!? 分かった!》

 この短いやり取りでも川崎は智明がしてほしい事と、自分がしなければならない事を理解してくれたようで、すぐに明瞭な返事が返ってきた。

 ――五、四、三、ニ、一……――

 声を出さずにカウントし、ゼロのタイミングで障壁を解除して智明自身は空中へと飛び上がる。

 丁度、飛行物体が行き過ぎたところへ舞い上がったので、相手はまだ智明に気付いていないようだ。

 新宮の屋根を回り込んだあたりで気付いたようで、急旋回し、智明の前へ飛んできた。

 智明は腰に両手を当てて彼を迎える。

「よお」

「よお。久しぶりだな」

 ヘッドギアのバイザーを持ち上げて顔を晒し、気安い挨拶をしたのは、やはり真だった。

 智明も気負いせずに同じトーンで挨拶を返す。

「お前、何やってんだ?」

「何ってほどのことはしてないよ」

 智明と真の距離は十メートルとない。

「なんか人集めて戦争ごっこみたいになってるのに、何ってことはないのかよ」

「能力に見合ったことをやるだけだからな。それより、ずいぶん勇ましいな。そっちこそ戦争ごっこじゃないのか?」

 智明は、近未来物の戦闘ゲームに出てきそうな真の防具姿を揶揄した。

 雨音に混じって遠くから人の叫び声が聞こえ始めた。

「ああ。知り合いから借りたんだよ。幼馴染みが暴走してるみたいだから、喝入れてやろうと思ってな」

 真はヘッドギアのバイザーを下ろし、空中で身構えて智明に右手人差し指を突きつける。

 真の気合の入りようが滑稽に見え、智明は腕組みをして微笑みながら応じる。

「効いたらいいな」

 言い終わりに顎をしゃくって挑発すると、真は一気に前進する。

「その舐めた根性、ぶっ飛ばしてやる!」

 降り続く雨を蹴散らすように迫る真は、智明が思っているよりも速い速度で向かってきた。


〈イレギュラーや! もうすぐ障壁が無くなる! 外苑は防戦してくれ! 裏側! そっちからも攻撃あるぞ! 警戒しとけ!〉

 智明からの一方的な伝心を受け、川崎は即座に外苑の部隊に戦闘を指示し、同時に北側の部隊に注意を呼びかけた。

 自衛隊との交戦を念頭に置いていただけに、障壁が通用しなかったケースを想定していたのが功を奏した言える。が、外苑で敵の姿を目視した仲間からの報告には、にわかには信じられないものがあった。

『警察とも自衛隊とも違う佇まいで、空気の弾を撃ってきた』

 川崎の想定にはないものばかりだ。

 自衛隊でも警察でもないのに、攻撃してくる者とは何者なのか?

 空気の弾とは何なのか?

 外苑の動揺や混乱を丸投げされたようで、川崎も何をどうするべきか判断がつきかねた。

 ただ、智明からの伝心でいくつか分かったことはある。

 先程から空を舞っている物体は人であり、智明は明確に『敵』と判断したこと。

 空を飛行する敵と空気の弾を撃つ敵は、タイミング的に連携しているだろうから仲間であろうということ。

 そして、そうした連携を取る連中であれば、正面と空中に加え、裏手からも攻め入るだろうということだ。

「大将、俺らはどないする?」

 川崎と一緒に正門から内側の囲いを見回っていた淡路暴走団の黒い特攻服を着た班長が聞いてきた。

 その後ろには空留橘頭の赤いライダースを着た班長もいる。

「前と空中から来とる。後ろもそのうちおっ始まるやろ。やとしたら、どこ守らなあかんねや?」

 周囲に視線を走らせながらサバイバルゲームなどで取るべき戦術を問うた川崎に、空留橘頭の班長が答える。

「二正面に加えて空からもってなったら、本陣でしょう」

「ほうじゃの。キングが空で頑張ってたら、その次の狙いどころはクイーンやろ」

 続いて答えた淡路暴走団の班長に、川崎も頷いて同意を示す。

「よっしゃ! 正門封鎖して本宮行くぞ! 全方位警戒しながらや。空も見とかんと、いきなりドタマやられっぞ!」

「オウッ!」

 即席の部隊ながら、川崎の指示に気合の入った声が返ってきたことに満足しつつ、止みそうにない雨空を見上げながら早足で正門へ向かう。


「よしっ!」

 雨粒のカーテンの向こうで門柱に立て掛けたような木板の一部が爆ぜるのを認め、瀬名は快哉を叫んだ。

 相手に何があったのかは分からないが、障壁が無くなったのが目に見えて判明したのだ。

「田尻! 紀夫! 広がれ! 反撃来るぞー!」

 両サイドのチームメンバーに指示しながら、瀬名は歩みを止めずにエアバレットを撃ち込んでいく。

 ただ、この状況下になってエアバレットの弱点の一つが明らかになった。

 ――射程が短いから、狙いが定まらねーぞ――

 比良山での訓練で薄々は感じていたが、最弱の威力で雨中の使用ということも相まって、バイザーに転写している照準レティクルには捉えられていても、その通りには命中してくれない。

 エアバレットが圧縮空気の放出である限り、風や雨の影響を受けるとレクチャーされていても、ここまで減衰するとは思っていなかった。

 足元の更地は五十メートル程あり、障壁があるうちに十メートルほど進んだが、先程木板に命中したのは何十と撃ったうちの一発に過ぎない。

「瀬名さん! 反撃来た!」

「イテッ!」

 紀夫の叫び声とほぼ同時に田尻の悲鳴も聞こえ、瀬名の足元に何かが跳ねた気配もあった。

「林に入れ! 木を盾にして大回りで近付くんだ!」

 両サイドの二人に指示しながら、瀬名は命中精度を上げるために、伸ばした右腕に左手を添えて固定する。

 その左手の防具に何かが当たって跳ねた。

 ――銃声がしない? てことは、そこまで強力じゃないのかなー?――

 防具を貫通しなかったことも含め瀬名は勝機を見い出した。

「数が多いぜ」

「結構なメクラ撃ちだぞ」

 瀬名の指示に従って手近な林へと移動して行く田尻と紀夫を視界の端に捉えながら、瀬名はH・Bハーヴェー化した脳内から複数同時通話を行う。

〈こっからは通話で済ますぞー。二人はそのまま林つたいに壁まで取り付いてくれ〉

〈ウッス〉

〈瀬名さんは?〉

〈俺は真ん中で引きつける。技巧派の真骨頂、見せてやるよ〉

 普段の飄々とした言い回しを封じ込め、瀬名はエアジャイロを吹き上がらせて体を宙空へ持ち上げた。


 打ち込んだはずの拳は何とも言えない感触の壁に阻まれ、相手まで届かぬまま弾き返された。

 一発目のパンチで結果が分かったにも関わらず、真は気が済むまで柔らかいのに硬い空中を殴り続けた。

「クソッ!」

「通用しないなら潔く引けばいいのに」

 侮蔑の言を吐いて飛び退った真へ、智明は呆れ気味に呟いた。

 カチンと来たが、深呼吸を一つして感情を落ち着ける。

「超能力みたいに言ってたのは、どうやら本物みたいだな」

「まあな。こういう感じで使うのは初めてだけどな」

 余裕の笑みを浮かべる智明を見て、真は少し焦りを感じた。

 トラウマ、というほど根深いものではないが、実家の近くで水素爆弾様の爆発を間近で見せられたことを思い出した。

 眩しい輝きとその後に起こった爆発と爆風で真は天地も分からないようなメチャクチャな吹き飛ばされ方を食らった。

 あの凶暴で凶悪な現象を自分に向けられたらと考えると、智明の有している能力はどこまでのものか想像できなくなる。

 智明を睨みつけるように体を正対させて空中に浮かぶ真へ、智明から声がかかる。

「ちゅーかさ、てっきり自衛隊が来ると思ってたのに、意外な登場で驚いてるんだよ」

「ああ、らしいな。結構な強行軍で追い抜いてきたんだよ。お前を止めるのは俺の役目だからな」

 呼吸が整ってきたので、真は見様見真似の構えを取る。

「止める? お前が? 俺を?」

「ああ」

「さっきのパンチは体に当たってないんだぞ」

 腕組みを解いて両手を腰に当て、挑発するように智明が笑う。

「いきなり手の内を全部見せると思うか? さっきのは普通の人間の力で試しただけだ」

「普通の人間の力?」

 自信のこもった真の言葉に、一瞬智明が訝しむような顔をしたが、すぐにまた挑発した笑顔へと戻った。

「夢見がちなとこ、真らしいな」

「うるせぇ! とにかく俺はお前を一発ぶん殴らなきゃ収まらねんだ!」

 蔑みが込められた智明の一言に叫び返し、真は空を蹴るようにして飛び出した。

 十メートルとない距離をHDハーディーで強化された脚力とエアジャイロの瞬間的高出力で一瞬で詰め、左肩からボスンと障壁へぶつかる。

「くっ!」

 智明の想定を超えた突進力だったのか、障壁の中で智明が小さく呻き、滞空を維持しようと真を押し返した。

 が、真はこれだけでは終わらせない。

 すぐさま脇に用意していた右拳を叩き込む。

 拳には先程のような貫き通せない硬さや勢いを削ぐような柔らかさは感じず、粘土に押し付けたようなズシリとした手応えが生まれた。

 だが智明は障壁ごと後退することで拳の威力を殺し、ダメージを感じさせない。

「……へえ、対抗策を練ってきたじゃないか」

 また真との間に十メートルほどの距離を取り、智明も障壁の中で緩くファイティングポーズをとりながら減らず口を叩く。

「間に合わせにしちゃなかなかのもんだろ」

 真も負けずに言い返し、両手に着けた手甲を操作する。

「ちょっと楽しくなってきたな」

「あん?」

 距離があり雨も降っているので智明の呟きが聞き取れず、真は聞き返す。

「楽しくなってきたって言ったんだよ。今までゲームや遊びや勉強なんかで競うことはあったけど、こんなふうに力と力で『戦う』っていうのは初めてだろ? 今まで殴り合いなんかしたことなかったからな」

「そいうやそうだ。まあ、体を使う競技は俺が勝つからな」

 真が挑発するように智明を嘲笑い、ファイティングポーズをとる。

「テストの点は俺の方が良かったぞ」

「ゲームは俺のが上手い」

「へへ。最終的にはやり込んだ俺に負けてたじゃん」

 先に意固地になったのは真だが、智明は流さずにしっかりとファイティングポーズをとり、表情を険しくする。

「優里を返せ!」

「結局そこかよ。お前が今更リリーを追いかけたって遅いんだよ」

 心なしか智明がズイッと迫った。

「連れ去った奴が言うな!」

 叫び返しながら真は攻撃のタイミングに備えて全身に力を込める。

「リリーに向き合わなかったお前が言うな!」

 真が初めて聞くような智明の叫びとともに、智明は棒切れを放り投げるような動作をとった。

 瞬間的に智明の攻撃だと判断した真は、両手のエアバレットを発射する。

 両者の中間で空気の塊同士がぶつかり合い、爆発音とも破裂音ともつかない轟音が生じ、辺り一帯の雨が同心円状に吹き飛ばされた。


 ――動いた!――

 新皇居北側の斜面に伏せていたテツオは、行動を起こすべきタイミングと知り、降り注ぐ雨水と下草に溜まった露を弾き飛ばす勢いで立ち上がった。

 流れてくる泥水のお陰で胸や腹の防具は泥だらけだが、気にしている場合ではない。

 真が皇居上空を飛び回ることで智明を引きずり出し、智明が戦闘状態となることで皇居周辺の障壁を除去できたのだ。

 瀬名が複数同時通話を開始したことでテツオが飛び出すべきタイミングを測ることができた。

 ――何人だ?――

 HDで強化された脚力を有効に発揮し、斜面を一足飛びに登りきったテツオは、そのまま皇居の外壁も飛び越してしまう。

 ――二十ちょい!――

 人間の背丈よりも高い塀を飛び越え、着地するまでの数瞬のうちに目に映った人数を把握し、エアバレットではなく体術で処理すべきと判断する。

 ブーツのゴム底がぬかるんだ山肌を感じるより早く、体を起こして手近な人影に右膝を当て込む。

 膝を引いた流れで真横へたいを滑らせ、次の標的に右足踵を埋め込む。

 そのまま勢い任せに敵を押し倒し、次の標的の顎に左膝を見舞い、体を浮かせたまま両手の逆捻りを使って回し蹴りを放ち、四人を昏倒させて初めて地に足を落ち着けた。

 ――チッ! 三十も居たか――

 人数の読み違いを修正しつつ、声を上げられる前に素早く飛び出す。

 膝を鳩尾みぞおちに埋め込み、顎を蹴り上げ、延髄に手刀を打ち込み、拳で鼻を潰し、肘で胸を突いて、目に見えた標的を早々になぎ倒していく。

「――ふうぅ。……大人しく寝てればこれ以上は何もしない」

 詰めていた息を逃がし、呻き声を発し泡を吹いて痙攣している敵に告げる。

 幸い、と言うべきか当然の結果と言うべきか、倒れ伏して人の山となった敵からは異論は出なかった。

 ――そういやここはキミの庭みたいなもんだったな。じゃあ、真の心配だけしとけばいいか――

 修験者しゅげんしゃとして神通力を備えた藤島貴美ふじしまきみの能力を信じ、テツオが北側の守りを崩して注意を引く間に貴美には東から侵入してもらう段取りをとっていたが、よくよく考えれば諭鶴羽山ゆづるはさんは貴美を含めた修験者の修行の場であることに思い至った。

 そうであるならば道に迷うこともないだろうし、正面で瀬名が注意を引き、空中では真が智明を引き付けているなら、貴美を気にしてやる必要はない。

 むしろテツオが出遅れた形になっている可能性の方が高いかもしれない。

「……あっちか」

 周囲の風景と斜面の様子を確かめ、木々の向こうに見え隠れする皇居の屋根を目安にしてテツオは駆け出した。

 ――真をほったらかすのが一番心配なんだよな――

 心で毒ついたタイミングで、皇居の方から巨大な風船が破裂したような轟音が響いた。


 本来の皇居の外壁よりも広い範囲を囲うように増設された外塀にピタリと背を付け、自身が残してきた足跡を確かめるように貴美が呟いた。

「ここまでは、良し」

 幼い頃から修行の場としてきた御山おやまであっても、余人に悟られずに行動するという作業は貴美に緊張を強いていた。

 高橋智明が騒動を起こしてから数日間、諭鶴羽山の山頂から様子を伺ったこともあったが、これほど人がうごめく場所で気配を消すというのは、貴美にとって初めてのことだ。

 また自然の気を鋭敏に感じ取れるがゆえ、今日のように強い雨の日は晴天よりも感覚がぼやけ、気持ちも重く沈みがちになってしまう。

 それでも着慣れない洋服で雨に打たれるよりは、自身の本領を発揮できていると感じる。

「やはり高橋智明の波動は相容れぬな。真が近くに居ることで刺激されているのやもしれぬ」

 滋賀県から淡路島に近付くにつれて増してきていた違和感。存在感とも、圧迫感とも、異物感とも表せる高橋智明の異質な『気』は、その能力の行使に同調しているのか、人に在らざる大きさとうねりと重さで貴美に襲いかかってくる。

 その強弱と間隔が『波長』としてより異様だった。

「まずは懐へ迫らねば」

 一人ごちて貴美は用心深く辺りを探り、ひと飛びに塀を飛び越える。

 視界には、空中で対峙している真と智明を捉えてもいるが、今、貴美が目指すべきは彼らではない。

 怪しげな智明の波動とそれに向き合う真の『気』。その二つの間近で燻っているもう一つの『波長』が貴美の目指すべき目標なのだろう。

 ――昨夜の美しい女性ひと。多分、真が本当に好きな女性――

 落ち続ける雨粒を乱さず、濡れ煙る大地を揺らさず、風の邪魔をせずに駆け抜けながら貴美は想う。

 ――真に頼まれずとも、私は彼女に会わなければならぬ――

 智明の『波長』と比べれば、静かで、重みもなく、清らかで、打ち寄せるリズムも一定だが、その白く燻る『気』が智明と同等に大きいことは既に貴美は見抜いている。

 だから貴美は一直線に駆ける。

鬼頭優里きとうゆり。今、何を考えんや?」

 木々の間を走り抜け、今度こそ皇居の囲いを飛び越えた貴美の目に、皇居本殿の前にたむろする一団が飛び込んできた。

「ご容赦!」

 晴れていれば立派な庭が見通せたであろう高さのうちに呟き、手早く『気』を練って両手へ宿し、貴美は空中で跳ね飛んで一団の真ん中を突き抜ける。

「な、なんじゃ!?」

 悲鳴もなく倒れていく仲間の心配よりも、突然に襲いかかった貴美への誰何すいかに、貴美はこの一団の戦意を見て取って身構えた。

「高橋智明にくみするものと見た。峰打ちゆえ許し給う」

「ああん?」

 黒い衣装の上に防具を着けた一際体格の良い男が言い返そうとしたようだが、貴美はとうに駆け始め、『気』を宿した手で片端から急所を打っていく。

 貴美の風のように俊敏な動きに二十数名の男女は追うこともできず、電光のように打ち込まれた手刀や掌底はうめき声さえ立たせずに彼らの意識を奪った。

「ぐ、ぬぬっ!」

「無理はするな。覚めた時に辛くなる」

 倒れ伏した集団の中でただ一人立っている大柄な男に貴美は気遣いの言葉をかけたつもりだったが、男はそうは取らなかったようだ。

「アワボーの川崎実が、女にのされてたまっかいや!」

 気を吐き挑みかかってくる川崎へ、貴美は呼び鈴を鳴らすようにフワリッと右手を突き伸ばす。

「あ、あぁ、うっ……」

 緩やかに鳩尾を突かれた川崎は、弱々しい声を漏らして膝を付き、ゆっくりと横倒しに転がった。

「すまぬ」

 貴美は全員が昏倒したことを確かめ、短く印を切って詫びた。

 さっと周囲を改め、本殿の玄関ドアに手をかけた時、貴美の背後で爆発音が響いて雨粒が不自然に飛散した。

 貴美が初めて目にした高橋智明の姿は、柔らかな光を纏い、神か天使のような浮世離れした姿だった。

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