恋人たち
コーヒーカップに熱湯を注ぐと、インスタントコーヒーは瞬時に溶け広がって、立ち上った湯気に香ばしいコーヒーの香りが混じって
フレッシュミルクとシュガーシロップを加えてスプーンで混ぜ合わせると、コーヒーの香りも手伝って優里の気持ちもやや鎮まってきた。
「……ふふ」
役目を終えたスプーンを洗う際、左手の手首でくすんだ銀色の腕輪が揺れ動き、思わず優里は笑みを浮かべる。
外苑で演説を行った智明の姿を思い出したのだ。
外苑に集まってくれたバイクチームの面々は、贔屓目に見ても智明の言葉に共感してくれた様子はなかったが、優里にとっては初めて見る智明の姿で、他人が智明の演説をどのように評価しようとも、優里が智明を見直したり惚れ直したりしたことは揺るがない。
自分と智明だけのペアの腕輪も、優里を喜ばせた演出だった。
そうした想いがあったからこそ、優里は智明の無謀とも言える独立の宣言に、パートナーとして責任の半分を負うと公言できたのだ。
これを盲目的な恋路の果てなどと、誰にも言わせるつもりはない。
「モア?」
キッチンから一続きのリビングダイニングへ移り、センターテーブルにカップを置いてソファーに寝そべっている智明に声をかける。
「……ああ、ありがとう」
目を閉じていた智明は優里の呼びかけで瞼を開き、礼を言いながら体を起こしてソファーに座り直す。
「お疲れ様」
「はは。……なんか、柄にもないことをしたから変に疲れたよ」
うなだれるように膝の上に肘を乗せて、力なく笑う智明に、優里は労いを込めて微笑んでやる。
「でも、モアが人前で自分の気持ちとか、考えを言うてるの、カッコ良かったで。私と話してたこと、ちゃんと全部言うてたし」
寄り添うように智明の隣に腰掛け、優里の正直な感想を伝えたが、まだ智明の表情は冴えない。
「ありがとう。……でも正直なところ演説とか訓示って言えるレベルじゃなかったな。川崎さんやリリーが盛り上げてくれなかったら、もっと酷い雰囲気になってたと思うよ。リリーが居てくれて助かった。ありがとう」
「私なんか何にもしてへんよ。それより一山超えたんやし、今はリラックスする時間やで」
再度の智明の感謝に気恥ずかしくなり、謙遜の言葉で横に置いて、智明の前へコーヒーカップを引き寄せてやる。
「ん。そうする」
ようやく優里の気遣いを受け入れる気になったのか、カップを取り上げて智明はコーヒーをすすった。
ふと、背もたれにもたれていた優里は、前のめりになった智明の髪の毛が気になった。
「……モア、髪の毛伸びてきたね」
「そうかな? そうかも」
優里が左手を伸ばして髪を摘むのを気にも留めず、智明は無頓着な返事を返した。
「切ったげようか?」
「お? マジで?」
「ちょっと長くて陰気やもん。もう私らだけの冗談で言ってた王様やないんやし、短くして爽やかにした方がええと思う。私、モアは短い方がカッコええと思うし」
「そお? クイーンが言うんなら間違いないな」
ようやく優里の方を振り返って笑顔を見せた智明だが、少し冗談混じりでニヤけている。
「あ! コラ! その言い方は根性悪いで! 悪い子は坊主や!」
「
「あ、当たり前や。シバいたうえで坊主にするんや。逮捕してから罰を決めるんと一緒や」
小学生時代の名残が出てしまい、思わず智明の頭を引っ張たいてしまったのを誤魔化すために優里は適当な理屈を並べた。
「なんか久々にシバかれた気がするよ」
「ん? うん。そうやね。……コトが居らんねんもん。モアがふざけへんから、そら久しぶりやで」
智明のクイーン呼びも、優里の坊主発言も、小学生時代から続いている幼馴染み三人組のふざけ合いだ。
だが今は智明と真が袂を割ってしまったため、優里は遠慮がちに真の名前を出さねばならなかった。
優里が智明によってこの明里新宮へと連れられてきた頃、真が居ないことを智明に聞いたが、智明はその問いをスルーしている。
長年の付き合いで智明と真の間に何かあったことは勘付いていたが、これまでその件には触れることはできなかったし、智明も真の話題が出ないようにしていた気配もある。
だが優里はいつまでも放置していていい話題ではないと思っていたし、智明と自分と新しい仲間で独立などという挑戦をするのならば、真も仲間として傍に居て欲しかった。そして今ここに真が居ない理由を確かめておかなければとも思っていた。
「……リリー。真のこと、気になってるのか?」
表情を曇らせた優里に気付き、智明が問うた。
優里の気持ちは固まっていたが、智明の表情からは悲しい結末しか想像できず、先に智明の右腕に抱きついた。
「やっぱり、友達やもん。幼馴染みやもん。やっぱり、セットの方が、心強いと思うねん」
ささやくような声だったが、優里はハッキリと訴えた。
智明は一瞬だけ構えるように体を強張らせたが、何も言わないまま左手を優里の手に添えた。智明の右腕を抱く優里の目の前で真新しい腕輪が二つ、重なって小さく音を立てる。
「……やっぱり、あかんの?」
「……うん。だってさ、真は普通の人間だもん。今呼んだら可哀そうだよ」
「そんなん……分からへんやん。私みたいに急にモアみたいなチカラが使えるようになるかもしれへんやん。……それに、居るだけでも違うと思う」
優里はもっとちゃんとした答えを欲していた。
智明が明確な理由もなく真を除け者にするようなことは今まで無かったし、気分や感情で仲違いをする性格でもないと信じていた。だから、食い下がった。
「リリー」
優里の渾名を呼びながら智明はゆっくりとソファーへもたれていく。
「多分だけど、真が俺と同じチカラを手に入れたら、真は俺と張り合うと思う。アイツの本音は分からないけど、アイツは俺を下に見ていたし、何でもかんでも俺より上手なんだっていう思い込みとか決めつけがある気がする」
智明の感情を押し殺した説明に、優里は思い当たる節があった。
真は交友関係の広さや末っ子の甘やかし特権などで、新しいゲームや新しいニュースに明るかった。対して控えめな智明は事あるごとに真から情報を得、新しいゲームやコミックなどはほぼ真から教えてもらっていたといっても過言ではない。加えて、真が智明に対して『そんなことも知らないのか』と威張ったりマウントを取ろうとする場面は何度もあった。
「だから、今、真とは会いたくないんだよ」
その一言に優里の胸の奥がギュッと締め付けられる。
言葉にはしなかったが、智明の中に怒りや復襲に似た黒い影が感じられたし、真の自慢やひけらかしに笑ったり驚いたりしていた智明の内側に、友情や絆を崩壊させかねない感情が押し込められていたことに悲しくなった。
優里がそれらに気付かなかったことも、気付いてあげられなかったことも、悲しかった。
――でも、今会いたくないということは、まだ関係を終わらせたくないってことやんね?――
ただの言葉尻を拾っただけかもしれないが、それは優里にとって一番の希望だと思える。
「分かった。……わがまま言うて、ごめん」
ややもすると涙がこぼれそうになるのを耐え、優里は出来る限りの笑顔で智明に笑顔を向ける。
少し右腕を抱く優里の力が弱まったので、智明は体の向きを変えて優里の肩を抱く。
「なんでやねん。わがまま言ってるのは俺の方だよ。すぐに真と会わせてあげられないけど、落ち着いたら二人で会いに行こう。な?」
瞬間移動が可能な二人なのに、『落ち着いたら』という念押しは陳腐でしかないが、独立が成功するまで会いたくないという智明の決意と優里への有無を言わさない念押しが感じられた。
「分かった。私はモアを、キングを支えるクイーンやもん」
優里は真への想いを心の奥底に押し込め、智明を安心させるために自分からクイーンという呼称を使った。真のことを考えたがために宙ぶらりんになってしまっては、恐らく智明の起こした独立の機運を邪魔しかねないと思うからだ。
「ありがとう。リリー」
短く感謝を告げると、智明はゆっくりと顔を近付けキスをする。
優里はいつも通りに智明を受け入れ、ソファーにもたれたまま智明の全てを受け入れる。
明里新宮に住み着いてからの十日間、二人の心と体の交わりは欠かされたことがない。智明は何度も求めたし、その度に優里への好意と感謝と感激を口にした。優里も求められる度に智明を受け入れたし、智明が果てるよりも多く意識を光の向こうへと解き放っていた。
もちろん、二人の間には青臭いけれど確かな愛情と繋がりが結ばれている。
「ああ、モア! また、昇っていっちゃう!」
「リリー! 一緒に、行こう!」
一糸まとわぬ姿で心も体も繋がった二人は、意識が無くなるほどの高揚の中、全てを解き放つ。
その刹那、幾億の星粒の中を駆け上がる映像が二人の意識を占領した――
「命の輝き?」
真には貴美の言っていることの半分も理解できなかった。
アニメやライトノベルで『命』をそういった比喩で表現することはよくある。
だがそれを瞑想によって見ようとした貴美の動機を聞かなければ、何億という星粒に溢れた映像の説明には到達しないと思える。
「そう。前にも触れたことはあるが、私は
ややうつむき加減に話す貴美を、真は黙って見つめる。
「独りで真夜中の森に座し、眼を閉じて自然の全てを数えようと意識を無防備にしておいた」
話しながら貴美は当時を再現するように目を閉じ、ゆっくりとアゴを上げていく。
「じんわりとまっさらな暗闇が広がり、最初に植物の気配が浮かび始めた。……樹木だけではない。……花も、草も、土中の種も、だ。……次いで、草木と共生する昆虫たちが集まってきた。……草木に寄り添う虫だけでなく、宙を舞う羽虫も、木を彫り抜く虫たちも、土中で眠る虫たちも、だ。……昆虫たちが見えるということは、近くの動物たちが現れるのは当然のこと。……猿も、鹿も、リスも、鼠も、猫も、犬も、鳥たちも……」
物語を紡ぐような貴美の声に
真の頭の中でも、貴美の言葉を追いかけるように、木や、草や、虫や、動物が映像として浮かんでくる。
「ああ、これが自然なのだと、私は満足しかけた。……だが暗闇にはまだまだ余白があった。……私の座しているのは大地があるから。私が潤っているのは水があるから。私が呼吸しているのは大気があるから。そして、大地も、水も、大気も、必ずどこかで風とともに自身を存在させている。これが自然であった」
真の頭に、どこのものともしれない景色が浮かび上がってきた。
若い稲穂が揺れる田んぼとその脇を流れる水路。水路は遠くに盛り上がった山へと伸びてい、その山は沢山の木々が茂って目を焼くほどの緑だ。山の背景には夏真っ盛りの暑そうな青空が立ち、輝くように白い雲が風に流れている。
この一枚の風景に、虫や、鳥や、鹿や、猿や、魚や、その他たくさんの動物も潜んで生きている。
「ああ、草の一本にまで、命がみなぎっているんだな」
震えるような感動を伝えようとした真だが、貴美はそれを押し留めた。
「否。この風景には肝心なものが現れていない」
「肝心なもの?」
貴美に駆け寄ったはずの真は、突然の通行止めに困惑した。
空があって、大地があって、川が流れ、風が空を渡り、草木が繁茂し、動物や虫が生きている。
何が足りないというのか?
「……それはこの景色を見ている『自分』。そして、自然と共生しつつ破壊し、再生し、造成し、育てようとしている、『人間』。人間もまた、自然の一部」
「人間が、自然の一部、だって?」
真は驚いて目を見開いた、はずだった。
しかし寄り添っているはずの貴美の姿はなく、訪れた事のないどこかの都会のスクランブル交差点の雑踏の中に立ち尽くしていた。
空を塞ぐように高く伸びたビルディング。アスファルトで覆われた大地。水の流れは側溝の汚水。風には車の排ガスとエアコンから排出された熱気。動物や虫は、物陰にチラチラと蠢く害獣と害虫。草木は道路脇の色あせた植え込みと街路樹と雑草。
「こんな景色の中に、自然があるものか!」
真は目を閉じてかぶりを振った。
――全て作りものばかりじゃないか――
全否定した真の意識に、また暗闇が広がったが、ポツリポツリと、光の粒が点き始める。
夕暮れ時に家々の窓に電灯が点き始めるイメージ。
「……この一つ一つが、命」
暗闇に光は生まれ続け、あっという間に真の周りは光の粒で埋め尽くされていく。
「全て、命?」
貴美の言葉をなぞった真は、あることに思い至って目線を上へと向けた。
そこには何万、何億という光の粒が星空のように広がり、竜巻のようにうねり、雨のように降り注ぎ、暴風となって真を襲った。
「これは、貴美に見せてもらった星空と同じだ」
「そう。もっと高い所から見下ろしてみるといい」
貴美に導かれて上昇し、その通りに真が振り返ると、コンピュターグラフィックスで描画された地球儀のように、光の粒が大陸や島を形どっていた。
「もしかして、地球はこれだけの命の輝きに満たされているってことなのか?」
「数千億、もしかすると兆を超えるやもしらん」
真の当惑や感動をよそに、貴美の声は少し低い。
「俺は、あの中のちっぽけな点よりも小さいんだな……」
「そうではない。光は全て等価。命に大きさの違いは、ない」
消沈しかけた気持ちを温かく抱きしめられた。
目を開けると、貸し別荘のベッドに寝転んだ真に覆いかぶさるようにして、貴美が真を見つめていた。
「……さっきのが、貴美が見た本当の世界なんだな?」
「そう。私が辿ったままを真に見せた。全員に共有しなかった理由は、わかってもらえた、かな……」
「そう、だね。テツオさんやクイーンは大丈夫だろうけど。普通は混乱しちゃうかも」
テツオとサヤカを少し英雄のような扱いをしているのは真の良くない部分ではあったが、動揺の大きさを考えれば、普通は整理のつかない体験だろう。
真の場合、貴美に導かれたという前提があるからこの程度で済んでいる、とまとめる。
「瀬名さんじゃないけど、人生観変わっちゃうな」
「それは、この後にどのようなことを考えるかによるのでは? この先に悟りという領域や世界があるのだから」
「な、なるほど」
少し話がマクロに拡大してきて、真では処理できなくなってきた。
「今のが二つ目。……問題は三つ目、なのだ」
真のお腹の上にまたがっている貴美は、さっきまでまっすぐに真を見つめていた目を、脇にそらした。
少し顔が赤い、気がする。
「ああ、そっか。三つあるって言ってたっけ。……どんな話?」
貴美が視線を反らしたことが気になりながらも、真は貴美に話しの続きを促した。
「わ、私は、マコトが好きだ」
「あ、ありがとう……。お、俺も、キミが好きだよ?」
視線を彷徨わせながら急な告白をした貴美に対し、真も唐突に投げられた直球の告白を真っ直ぐに返す。
「そ、それで、だな……。一つ目の話に戻ってしまうのだが、私は、その、テツオと共鳴というか、共感というか、感覚や半生を共有、したのだ」
目に見えてしどろもどろになりながら、貴美は続ける。
「その、半生を共有すると、だな。記憶や感情や考え方も相手に倣ってしまう部分があって、だな。……つまり、テツオがサッチンとどの様な愛情の交感をしているかなども、実体験のように記憶してしまうわけで……」
顔を真っ赤にして話す貴美を見上げていて、真もだんだんと話の向かう先が読め始め、高揚や期待が膨れ上がるのと同時に、焦燥・動揺・緊張といった混乱に支配される。
「二人の、してることを、見たの?」
健康な十代男子の知りたい気持ちが先走る。
「う、ん。……だから、心配になったのだ」
暴走しかけた真から逃れるように、貴美の声は急にトーンダウンした。
「心配? なんの?」
「……父様から
貴美は真剣な眼差しで語り始めたが、言葉を切る前にやや苦渋の表情を伺わせた。
貴美がそういった後ろ向きな表情を見せたのは初めてだったので、真も真剣に貴美と向き合う。
「今は、違うの?」
「違う。圧倒的に違う。……私はマコトが好きだ。初めての感情だ。マコトと一緒にいたいし、マコトがずっと一緒にいてくれるなら、大変嬉しい。マコトとならセックスを求められても抵抗なく差し出せる。……そういう、欲が生まれても、いる」
これまでの純粋無垢な貴美の印象から外れた『セックス』という一語に真は慌てたが、その後に続いた『欲』という言葉に、貴美の迷いや逡巡が絡み合った動揺を目にし、男のスケベ心は一旦抑えねばと努める。
「欲を持っちゃいけないのか?」
それは真にとっては些細なことだと思えたからそう聞いた。
真にとっては『欲』というものは、朝起きたときから一日を過ごして眠りに就くまで、絶えず生まれ続けている普通のことだからだ。
腹が減ったから何か食べたい。喉が渇いたから何か飲みたい。新しいゲームや漫画の最新話に早く触れたい。つまらない授業は早く終わってほしいし、友達や仲間との楽しい時間は永遠に続いてほしい。今手にしている持ち物よりも多少高価な物を手に入れたい。誰からもオシャレだと言ってもらえる服や靴がほしい。わずかな刺激で勃起する性欲を発散したい……。
数え上げればきりがない。
「……人の感情には、煩悩という欲や願望が百八あると言われている。それらは真っ当な人生を歪め、死後に待つ罪と罰の裁定の対象になるという。そして、死後に極楽浄土へと昇るためには人生を全うするうちに煩悩を廃し、悟りを開くことが第一だと考えられておるのだ。だから、私たち修験者は文明を遠ざけ、自然を敬い、動物を殺めず、人々の救済によって徳を高めようとしている」
これまでにも何度か貴美の口から語られていた『教義』の根本がこれなのだろう。
なるほど、と真は貴美が何に苦しんでいるのかが分かったような気がした。
「俺と付き合ったり、その、イチャイチャするのは『欲』に突き動かされてることになるから、教義とか教えから外れるって、ことかな?」
「それも、ある。……私が辛いと感じるのは、マコトへの気持ちが抑えられないことだ。サッチンの言葉で言えば『抱かれたい』のだ。マコトの望むままに私を差し出したい」
一瞬、真の脳内に、テツオにセックスを求めるサヤカのイメージが浮かんでしまい、慌てて意識の外へ追い出す。
今は貴美のことだけを考えなければいけない時間のはずだ。
「俺も、キミとそうなれるなら嬉しいけど……」
「この先が、悩ましい」
「え? この先?」
真の想像とは違う流れに向かい始め、間を開けずに問い返してしまった。
「元来、神道でも仏教でも女には清らかさが求められてきた。巫女は
真は貴美の言葉に「言われてみれば」と納得してしまう。
ヒンズーでは男性が女性に触れることを禁じていたり、イスラムでは家族以外に女性が容姿を晒すことも禁じられていたりする。
それほどに世界は女性に対してピュアを求めているとも考えられた。
反面、月に一度の月経に伴う出血は不浄とされたり、出産を神秘的に捉えながらも性交や妊娠に対する男の認識は低俗だ。
「えっと、なんて言ったらいいか……」
「私は不安なのだ」
貴美の言いたいことが分からなくなってきて戸惑う真に、貴美は短く告げた。
「マコトにこの身も心も差し出すことで、守人の力を失ったり、教えから逸脱し、悟りを開き人々の救済を行うという本懐が遂げられなくなるのではと、思うのだ……。マコトを愛しつつ、力も残すなど、欲の極みではないか……」
急に表情をしかめ、貴美はもみくちゃな顔から涙をこぼして真の上に倒れ込んだ。
昨日もこんな感じに貴美が涙を流していたことを思い出し、ともかくも彼女を落ち着かせるために、真は貴美の細い体を抱いた。
「分かった。分かったよ、キミ。キミにとって教えがすごく大事で、俺のことも好きでいてくれてるのが、すごく嬉しい。けどさ、俺はまだ十五だし、キミも十七だろ? 好きだからってホイホイ簡単にセックスしなくたっていいんだよ。……俺も我慢するし、そもそも守人の力を残しながら恋をしようってのも欲張りなんじゃないかな」
慰めていたはずの真の言葉に、抱かれたままの貴美の背中がピクリと跳ねた。
「欲張り……。そうかもしれない」
押し殺した嗚咽の合間に、貴美が力なく応じた。
「ん。一つずつクリアしていけばいいんじゃないかな。もしかしたら今までの守人にも恋愛とか出産しても力を失わなかった人がいるかもしれないし、恋愛やセックスが教義に反してない可能性もあるんじゃないか?」
なんとか貴美を元気づけようと真は想像を並べ立てる。
貴美が頭の向きを変えて真の耳元でささやく。
「教義とセックスがケンカしないなんて、あり得るのかな……」
「かもしれないよ。……だってさ、人々を救済したいってのも、思いが強すぎたり自分中心になってしまったら、それも『欲』になりかねないよ。セックスも、気持ち良さとか手に入れる喜びみたいな部分は『欲』だけど、好きな人とくっついてたいっていうのは、本能とか人間や動物の使命でもあるんだし」
「使命、か」
「そう、使命」
「種の存続。命の連鎖。血の代替わり」
真の腕を押しのけるように貴美が上半身を起こし、真の目を見ながらつぶやく。
おもむろに貴美が真の顔に両手を添えて、キスをした。
「ならば、私はマコトの命と血を宿したい」
「う、うん。でも、先にキミの依頼とか俺の目的を終わらせてからの方が良くないかな」
「そうだった」
大事な用件を忘れていた貴美は照れ笑いをし、また真の胸に寝そべってキスをする。
「めっちゃキスするな」
「キスは大丈夫。昨日からたくさんしてるけど、今日はちゃんと力が使えた」
「なるほど。お墨付きが出たね」
そうなると真も遠慮がなくなり、貴美を抱き寄せて唇を重ねる。
何度も何度も唇を重ね、互いの体を確かめるようにほうぼうに手を這わせていく。
貴美を仰向けに寝かせ、覆いかぶさって真は貴美の全身にキスをしていく。
真のキスの乱れ打ちを浴びながら、貴美の中ではテツオの追想がフラッシュバックし、サヤカの息遣いや感情をトレースしてしまう。
真も、頭のどこかで制御しようとする自分と、空腹に耐えきれず捕食しようとする獣の自分とを同居させつつ、本能が指し示す一本道を駆け抜ける。
「マコト!」
「キミ!」
互いの上気した顔を見つめ合っていたはずなのに、目を閉じて唇を重ねた刹那、真っ白な眩い光が二人を包んだ――
「雨、降ってきたみたい」
室内の明かりはとっくに消していたが、スマートフォンの充電ランプか何かの光を受け、暗闇でもサヤカの体のラインが見て取れた。
「瀬名の予報どおりだな」
テツオはベッドに寝転んだまま、全裸で窓辺に立つサヤカを眺めて言った。
「テッちゃんも何か飲む?」
「いや、今はいいよ」
「はい」
カーテンを閉じて窓から離れたサヤカは、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、一口飲んでからベッドへ戻ってきた。
「なんか、変な感じだね」
「変? 何が?」
ベッドのヘッドボードにペットボトルを置き、サヤカはお尻だけベッドに乗せて言う。
「私らはさ、チームの事があるからレースとか勝負とかになっても、どっかで腹くくってるとこあるじゃない? でも、キミは本当に暴力や争いとは無縁の生活だったわけでしょ?」
「確かにな」
テツオも上半身を起こしてサヤカに答える。
「真もそうだよ。アイツはまだ中学生だし、チームにも入ってない。今回のことが無けりゃ、あんな重荷を背負うこともなかったろうからな」
部屋が暗いので互いの表情はハッキリ見えないが、声のトーンでそれぞれの知人への心配度は判断できた。
サヤカが足もベッドに上げてきてテツオに詰め寄る。
「ねえ、真君を次のリーダーにするとか、本気?」
「なんだよ? サヤカが気にすることか?」
「そういうんじゃないけど。さっき、私も後見するようなこと言っちゃったからさ。テッちゃんの本心は聞いておきたいかなって」
シテツオはーツの中で片ヒザを立て、そこへヒジを乗っけて頬杖をついてサヤカの問いに答える。
「次のリーダーなんて、指名する気なんか全くないな。ウチは誰にだってリーダーをやる可能性があるし、真もウチに入るつもりならそんくらいの意気で入って来いって感じだよ」
「そうなの?」
「ああ。……俺が『後はコイツに任せる』なんて指名したら、そいつに付いていけないメンバーは不満が出るだろ? それはあの規模のチームじゃマイナスだ。だからもし俺があのチームから身を引くってなったら、残りのメンバーで話し合って次のリーダーを決めてもらうつもりだ」
テツオは考える姿勢を崩してサヤカに向き直る。
「決まったら引き継ぎしてバイバイだけどな」
「なるほどね」
サヤカはテツオの考えに一応の納得をし、枕を引っ張ってきて抱くようにする。
「その割には、真君への援助がすごいね?」
「んー? 前も言ったろ? この騒動は俺の野望の取っ掛かりにできそうだって。そうじゃなきゃ
多少照れくさいニュアンスを含ませながら言い放ち、テツオは枕をヒジで潰して体を横たえる。
「ふふ。テッちゃんがあんな感じとか想像できないなぁ。カワイイテッちゃんも見てみたかったかも」
「よせよ」
意地悪く笑ったサヤカをたしなめながら、テツオはサヤカの手を取って引き寄せる。
「あん」
「……サヤカはサヤカで、キミをどうするつもりなんだ?」
「……うん? どうもしないよ。普通に友達だもん。ああ、もちろんキミの目的が達成できるように応援はしてるけどさ」
テツオの胸元に引き倒されたサヤカは、枕を体の下から定位置に置き直し、モゾモゾと態勢を正す。
「友達か。……そういや、サヤカの友達って、紹介されたことなかったな」
「そりゃそうよ。居ないものを紹介なんかできないもの」
珍しくサヤカがククッと忍び笑いをもらした。部屋が暗いので、自嘲で笑ったのかジョークにしようとして笑ったのかはわからない。
「……中学まではね、遊んだり話したりする友達も居たけど、高校でゼロになっちゃったなぁ。進学のことしか考えてない人と話が合わなくなっちゃったし、学校以外が楽しくなっちゃったからね」
「からの、キミか?」
「おもしろいじゃない? 全く世界が違うんだもん。薄っぺらい会話だけするクラスメイトより、よっぽど親しくできてると思うよ」
「そうか」
サヤカの話を聞きながらテツオはサヤカの栗色の髪を整えるように撫でる。
「つまんないこと、言っていい?」
「ん、なんだよ」
「……死んじゃったりしないよね?」
「当たり前だ。ロサンゼルスで挙式して、初めての共同作業はルート66の走破だったろ? 他にも予定と約束が山ほどあるんだ」
「うん。安心した」
「ハニー、愛してるぞ」
「私もです。ダーリン」
テツオの伸ばした片腕に頭を乗せ、サヤカから熱い口付けを送り、テツオの逞しい胸に体を預ける。
明日からはきっと忙しくなるだろうと理解しているから、二人は早めに眠りに付いた。
微かに雨が窓ガラスを叩いていた。
〈もしもし〉
〈やっと繋がった! 仕事、忙しかったのか?〉
〈……そうじゃないけど〉
〈やっぱり、電話だけじゃ彼氏感が薄いよな。ごめんな〉
〈そこは、いいよ。用事で淡路島を離れてるんだもん。まだ『会いに来て』なんて言うほど寂しくないし〉
〈……そうか。俺は会いたくて仕方ない〉
〈…………〉
〈あの、そこ、黙らないでくれる? 恭子の太陽みたいな笑顔が見たいんだよ〉
〈またまた〉
〈ホントだってば。本気だから、内緒話をいっぱいしたろ〉
〈…………〉
〈恭子? 恭子さん?〉
〈……ノリクンは、そのために私が悩んでるとかは、考えてくれないのかな〉
〈…………〉
〈秘密を共有するから本気とか。……それは何も証明していないんだよ〉
〈……そうか〉
〈…………じゃあね〉
〈待って! ちょっとだけ! 言っとかなきゃいけないことがあんだよ〉
〈何?〉
〈……とりあえず、明日アワジに戻るってのと、もう一回恭子に会いたい〉
〈うん、分かった〉
〈それから!〉
〈まだあるの?〉
〈まだある。これは結構大事だから! 少ししたらアワジはちょっと騒々しくというか、慌ただしくなるというか、きな臭くなる、んだよ〉
〈……ああ、例の自衛隊がどうとかのニュース?〉
〈それも、ある。だから、病院とかはバタバタすることになるかもしれないし、ちょっと危なくなるかもしれない……〉
〈そう……。アリガトウ〉
〈うん〉
〈……じゃあね?〉
〈あ、うん。……愛してるよ!〉
〈……〉
〈愛してる〉
〈私もだよ。愛してる。じゃあね〉
〈じゃあ……〉
通話を終えた紀夫の部屋には、雨音だけが響いた。
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