【幕間】 それぞれが見た真理
高橋智明
――ああ、気持ちいい――
目を閉じても真っ白な光に照らされている感覚は続き、光の温かさは丁度良く、体の浮遊感も優しくて、どこからも力を加えられていない心地良さに、智明は恍惚の言葉をもらした。
――リリー――
愛を語り合い、人体に許されるだけの密着を共にしていた恋人の渾名を呼ぶ。
心も、体も、鬼頭優里の体内と抱擁そのままの心地良さだったからだ。
――リリー?――
しかし、呼びかけに返事がない。
智明が訝しんだ途端、温かく満ちていた光は辺りから消え失せ、しっとりした湿度のある暗闇に切り替わった。
――〇〇〇〇?――
言葉を発したはずだったが、音として拾われず、代わりに背後から押し出されたような圧力を感じ、智明は暗闇の中を前へ前へと押し流された。
――!?――
暗がりを進むうちに、自分だけが押し飛ばされていると感じていた智明の視野に、白くボンヤリと光を宿した火の玉が無数に飛び込んできた。
どの火の玉も白く長い尾を引いていて、図鑑などで見たことがある彗星に似ている。
少し違うのは、全部が一様に真っ直ぐ進んでいるわけではなく、白く輝く尾をたなびかせて急旋回したり、力尽きたように失速していなくなるものがあることだ。
相変わらず優里からの抱擁や密着感は感じているが、智明にはこの感覚が夢か現かさえ分からなくなり始め、ただただ一方通行に押し飛ばされ続けていく。
――!!――
いつの間にか一緒に飛んでいた火の玉たちは半数ほどに減ってきていて、単調な暗がりだと思っていた景色は、遠い先に生まれた朧気な光によって、細く狭い洞穴のような通路だと知れた。
やがて、通路は曲がったりくねったりしたが、行く先の光は絶えず智明と火の玉たちの正面にいる。
――!!!――
やおら同道していた火の玉たちが著しく脱落し始め、智明は慌てた。
一定の幅に思えた通路が先細りになってい、大勢での進行を拒み始めたからだ。
周りの火の玉の様にはなるまいと、智明は足掻いた。必死に足掻き、努力し、全身のありとあらゆる力を使って推進し、壁を遠ざけて眼前の光を目指した。
――!?――
パッと眩い光が広がったかと思うと、辺りは一気に広い空間へと変わり、その中心には丸々とした巨大な球体があった。
智明は戸惑った。
この物体は何なのだ?
自分が押し飛ばされていたのは、ここへ来るためだったのか?
ここが俺の目的地か?
ここで俺は何をすればいい?
声にはならなかったが、ようやくに智明の思考は働き始めたようで、周囲を見回すことも叶った。
――なるほど? コイツに取り付いて潜り込んだ奴が勝ちなんだな?――
智明が停滞しているうちに火の玉たちは我先にと、丸い物体のあちこちにたかっていた。
そうと分かればとどまってはいられない。出遅れを取り返すように急いで球体へと飛びつき、表面を当て擦って掘り進もうとしてみる。
――手がないのか?――
ここに来て初めて自身の姿を見返し、驚愕する。
「これは精子か!」
自らの首根っこの後ろにたなびく尾を見つけ、蛇や鰻の様にニョロニョロと波打つ尾は間違いなくそれであった。
「じゃあ、これは卵子!? リリーの子宮に居るのか!」
自らが精子だとすれば、この巨大な物体は卵子だと想像した。
ただ、この状況が現実のものだと思うほど智明も平静を失っているわけではない。いかな人外の能力を保持したといっても、自身の意識を精子や細胞に憑依させて、愛する女性の体内を駆け巡る体験をするなど、バカバカしい。
だがこれが、夢にしろ、智明の作り上げたイメージの世界であるにしろ、周囲にはライバルが山ほど居るのだ。それも『居る』だけではなく、すでに智明同様、優里の分身たる卵子に群がり取り付いている。
「例え夢でも、このレースに負けるわけにはいかない!」
なるべく声に力を込めて気合いを入れ直し、手足のない智明は先程にも増して懸命に卵子の表面に自身を当て擦り、一番に卵子と結合しようと努力する。
と、卵子がぼんやりと光を宿し始め、智明の目の前にポッカリと穴が開いた。そこからは強い光線が照射され、智明を吸い込むようにして包んでいく。
「リリー!」
また視界が効かなくなるほどの眩い光の中に取り込まれ、助けを乞うように優里の名を呼んだ。
――?――
意識の戻った智明は、また何者かに背後から摘まれたような格好で、一方向に飛んでいた。
またしても辺りは、暗い。
しかし先程の様な優里からの甘やかな抱擁は感じられず、生々しい温かさもない。
温度も、光も、音も、匂いもない。
だが顔と思しき所から前方へ向けて運ばれていく感覚は、ある。
――なんだ?――
今度の空間はちゃんと思考が行えた。
真の暗闇の奥先に、ニョロリと糸くずのような物が生え、その訝しみは智明に知覚できたのだ。
ジッと凝視していると、その糸くずは長さと太さを増していき、何者かが引っ張り出しているようにスルスルと天に向かって伸びていく。
――今度は上からか?――
伸びていく糸くずを追って視線を上向かせると、同じ様な糸くずがタラタラと下に垂れてきていた。
ゆっくりと近寄っていく智明の視界の中で、その二本は同じ長さ、同じ太さに揃うと、絡まり合うように丸まって玉状の塊になった。
――毛玉? ではないか。いや、また解け始めたぞ?――
一旦まとまって毛玉になった二本の糸は、また上と下に抜け出し始め、僅かな間隔を開けて並んで長さを揃えた。
そして、コヨリを撚り合わせる様に捻れて絡み合い、絡み合ったままクルリと円を描いて智明の眼前に流れてきた。
――これは! DNAの二重螺旋か!――
捻れた二本の太い白線と、その間で繋ぎ合わされている青・赤・黄・緑の塩基の列は、少し前に化学か生物の授業で見た模型のそのままだった。
ということは、この空間は智明の記憶や知識から形作られたイメージの世界だと断じることができた。なぜなら、智明の見た物がそのままの形で現れているからだ。
これが他者から投影されたり植え付けられ見せつけられている場面であるならば、眼前の二重螺旋は別の形状や色彩であるはずだ。
――はは。受胎から遺伝子を想像したってわけだ。となると、次は卵子が割れて赤ちゃんになって、て感じか?――
智明が予想を展開させた直後、首根っこを引っ張られて二重螺旋の模型は小さく遠のいていく。
――ほらな――
予想通りの場面転換に智明は得意になったが、先程見た巨大な卵子は再登場しなかった。
代わりに、眼下にはチラチラと瞬く光点が認められた。暗闇の中で、智明をからかうように所々に点在して、夜空の星の様に瞬く。
――なんだ? なんかの演出か?――
あてが外れた智明は、その光点を注視する。
すると、最初に目にした光点の瞬きは強く大きな点で、目を凝らせば、中くらいのものや塵や粉のような大きさのもの、白く輝くものもあれば赤や青や黄色の輝きのものも見え始める。
――夜空の星、なのか? しかし、俺の知ってる星座の形に結べない――
智明は実際の星空を見上げるのも好きだったし、天体を扱った図鑑を眺めたり解説や紹介を扱った動画なども視聴したことがある。同年代の天体好きには負けないくらいの知識や興味があるつもりだ。
しかし、眼下に広がる光点のどれを起点にしても、智明の知る星座を見つけられなかったし、そもそもどの季節のどの方角の夜空であるかも判別できなかった。
その要因は、瞬く光のどれを見ても見知った一等星や二等星だと断定できなかったことにある。
日本から見上げた空には、アルタイルやベガ、シリウス、ペテルギウス、デネブなどの星が見つけやすいが、それらさえも判別できないとなると、今智明が目にしているものは星空ではないと考えなければならない。
――だとしたら、これはなんだ?――
様々な考えや予想を巡らせた智明だが、コレという正解にはなかなかたどり着けない。それどころか、見続けているうちに光点は増え続け、場所によっては極端に光点が集まっていたり、またまばらに瞬いていたりする。
さらに増え続けていく光点は、やがて過密する光点の塊と塊が繋がり始め、密度の低い辺りがまだら模様に取り残されていく。
「グレートウォールとボイド構造!」
思い至った智明の強い意識は声となって表現された。
天体をより広くより詳しく学んでいくと、銀河の集団が集中し壁を形成するグレートウォールの存在が観測によって発見されている事実にたどり着く。またグレートウォールは言葉通りの壁状に展開しているが、壁に囲われる形で銀河などが存在しない暗黒の空間が生まれている。銀河の集まる明るいグレートウォールに対して、暗黒色の水溜まりか気泡のようなまだら模様をボイド(空洞)と呼ぶ。
智明の眼下に広がる光と闇のまだら模様は、その例図によく似ていた。
「そうなるとさっきまでの光の点は星ってことになるから、宇宙を神の視点から見渡していたことになるけど。……そんな感じじゃないぞ?」
宇宙の広さを表す場合、光の速さで一年間進み続けた距離を『一光年』として基準にしたりするが、地球のある銀河から宇宙の端までで何百億光年などと想定される広さがある。また、別の計算式では10の27乗などという手持ちの電卓では表示できない計算式も存在する。
そういったものが眼下に広がっているなど、例え夢の一場面であっても現実離れしすぎている。
それどころか智明の視点はどんどんと星の輝きから遠ざけられているようで、光と闇のまだらも縮小されていって編み物や反物の織り目に似た模様になってしまう。
「こんなに引き目になるとボイドなんかただの濃淡くらいにしか見えないな。銀河団の光で塗りつぶされたみたいだ」
言葉にしてから智明は視界に映るものの変容に気が付く。
ボイドの様な暗黒やすき間はとっくに判別できないほど消え失せ、グレートウォールの輝きは一面に広がる雪原のごとく白々として見えた。ただ、その表面はそよ風を受けてなびく純白のカーテンのように、微かに上下したり波打っている。
「ああ、これは、リリーの、優里の働きなのか!」
カーテンと思われた白布は優里の肌であり、表面の波打つ様は、智明に抱かれ官能に打ち震える優里の機微であった。
「精子となって優里の子宮に飛び込み、受胎という神秘を二重螺旋で感じた、ということか。
……だとしたら、星のような瞬きはなんだ?
人間を形作っている原子や分子とでもいうのか?
ボイド構造は細胞、だとしたら人間の体は何千兆とか何千
混乱する思考をなんとか文章としてまとめてみるが、先を急ぐ思考に口が追いつかず、一段飛ばし二段飛ばしで考えが進んでいく。
そしてまた星の輝く世界で思考が帰結する。
――俺は、人の体内に宇宙を見たのか? 人間は内側に宇宙を孕んでいる、持っている?
なんの為に?
なぜ俺はそんなものを見た?――
解答を導き出せた喜びは、すぐさま新しい疑問を生んでしまった。
しかし智明の心は興奮と高揚で満たされている。
だから、呼ぶ。
この真理と思しき到達点を分かち合いたいから。
――リリー! 聞いてほしいことがあるんだ!――
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