明日の天気

「ここで間違いない、よな?」

 視界に展開しているAR拡張現実表示のマップと照らし合わせ、黒田幸喜くろだこうきは自問した。

 都営淡路鉄道西淡せいだん線の一宮駅で播磨玲美はりまれみと別れ、伊弉諾神宮いざなぎじんぐうへ立ち寄る予定を変更して向かったのがここ、淡路警察多賀西警部派出所だ。

 ただ、一般的な派出所や交番をイメージしていた黒田は、乗用車が二十台は停められる駐車場を擁した四階建ての多賀西派出所を見て、ナビアプリがバグったのかと疑ったのだ。

「うちの仮設署より立派やんけ」

 世間話程度に取材の真似事をしてみようと訪れたのに、一般的な平屋に三間ほどの建物ではないということは、常駐している警官の人数も違ってくると予想でき、世間話や雑談が出来るか不安になってくる。

「ま、当たって砕けろやな」

 簡単に作戦を組み換え、黒田は立ち番も置かれていない入り口を通った。

「こんにちは。どうされました?」

 ポロシャツに綿パン姿の黒田を認め、若い警官がデスクから立ち上がりながら声をかけてきた。

 入り口を入ってすぐは銀行か郵便局のような待ち合いロビーになっていて、四人ほどが並んで座れるベンチが数脚置かれている。待ち合いと業務を行うデスクは長大なカウンターで区切られ、派出所というよりは本署の雰囲気だ。

 幸い訪れている人影はなく順番待ちもないようなので、黒田はカウンターに歩み寄る。カウンターからは奥のデスクを見通せ、先程の若い警官の他には三人ほどが書類の処理をしていた。

「すんまへんな。ちょっと身内とイックサンというとこで待ち合わせとんねけど、道に迷てもてん。近々ここらへんに移ってくっかもしれへんさかい、道聞くついでんこの辺のことを教えてもらおか思てよ」

 バッグからさり気なくタオルを出して汗を拭く演技をしつつ、カウンターまで迎えてくれた若い警官に適当な要件を伝えた。

 イックサンとは伊弉諾神宮の俗称で、建立が神代の頃とも謂われる伊弉諾神宮が一宮の一帯に深く根付いている証拠といえよう。

「左様ですか。道案内は自分でも出来るんですが、この辺のこととなるとどういったことをお聞きになりたいかによるんですが……」

「ほうじゃのぅ……。まあ、部屋なり家なりをなんして住もうかっちゅうとこやさかい、この辺の文化とか習慣とかも教えてもうたら助かんねけどの」

「そうですねぇ……」

 どうやらこの若い警官は多賀が地元ではないようで、黒田の大雑把な注文に当惑しているようだ。もっとも、黒田は地元の習慣や文化や習わしを知りたいなどとはこれっぽっちも思っておらず、適当な要件を突きつけて雑談に持ち込みたいのだ。

「誰ぞ分かる人おらんけ?」

 黒田の催促に若い警官は『応援頼む』の視線を同僚に向け、奥でデスクワークをしていた初老の警官が顔を上げる。

「……ワシ聞こけ?」

「すみません。榎本えのもとさん、お願いしてよろしいですか?」

「ああ、かんまんよ。ワシの出番はこんくらいっきゃあれへなれ」

「またまた、そんなそんな」

 若い警官に応じながら、よっこらせと腰を上げた初老の警官は、やや自嘲気味に笑っている。

 黒田の見立てでは、恐らく定年間際で長年に渡り地元の交番勤務を全うしてきた生き字引なのだろう。階級こそ黒田と同じ巡査部長だろうが、若輩に持て余されつつも警官を勤め上げた立派な先輩だ。

「兄ちゃん、こっちでしょーか」

「榎本が伺いますので、こちらの方へどうぞ」

「世話かけてすまんな。よろしゅたのんま」

 少し腰の曲がった榎本が広間奥の応接セットへ歩んでいったので、若い警官もカウンターの仕切り戸を開いて黒田を誘導してくれた。

「まあ、ほっち座って」

「どもども」

 黒田がソファーに座ると、榎本は地図を開いて丁寧に伊弉諾神宮までの行き方を教えてくれた。

 他にも周辺の喫茶店やうどん屋や焼肉屋まで教えてくれ、黒田の『近くに越してくる』という意向に添って、周辺のスーパーや衣料品販売店や電気屋まで案内してくれた。

 微に入り細に入り懇切丁寧な榎本の説明に、これが地域に貢献している本物の警官の姿だと、黒田は交番勤務時代を思い出しながら勝手に感動していた。

「いや、大変参考になったわ。おおきに」

「まあの。ワシャ一宮で生まれ育って島離れたんは新婚旅行くらいじゃよっての。六十年間の集大成を授けたよってん、あんじょうつこたってや」

「ほらええもん授かったわ。大事にさしてもらうわ」

 黒田の喜んだ演技に、心の底から笑顔を見せる榎本に申し訳なく思いながら、黒田は本題へと舵を切る。

「ところで、この辺の治安ったあどんな感じで? お巡りさん見とったら平和そうなんは分かんねけど、一応の。聞いとかんと、嫁とか子供も住むさかいの」

 また榎本に嘘をつく事を詫びながら黒田は少し神妙な顔を作る。

「平和は平和じょの。大きい事件も起こらんし、事故も滅多んないわ。遷都や新都や言うてもの、淡路市ゃぁビル建ってんまだまだ昔のまんまじょ」

 少し古い、若かりし日の記憶を思い出しているのか、榎本は笑顔の中に懐かしさや物悲しさを含んだ目をした。

 彼の六十年の人生に様々なことがあったのだろうと想像させる表情だった。

「ほうなんじょ。……今、うちは洲本の方やねけどの、子供が単車に興味持ちだしよったんよ。ほんだらなんで? 大きいバイクチームがあるとか言うての。この辺にもほんなんあるんだぁか思てよ。晩方ばんがたにうるさあされてんなんやし、ほのへんどないで?」

「あ、ああ、なるほどのぅ……」

 黒田は、子供を案ずる父親の顔で本題をぶつけたつもりだったが、榎本の反応は微妙なもので、一言返事をしてからジッと黒田を値踏むように見つめてくる。

 思わず変な汗が出て黒田が先に言葉を足してしまう。

「……なんか、変なこと聞いてもうたけ?」

「いや、ほんなことはないんやけんどの……。アンタ、仕事は何をしょる人ぜ?」

 榎本はずいと顔を突き出し、明らかに黒田を怪しんだ、ように見えた。

 地図を指しながらニコニコと道案内をしてくれた目は、標的を狙う狙撃手のように鋭く細められている。

「いや、保険の外回りやで」

「…………ふうん、ほうか」

 高鳴る心臓を叱りながら、黒田の様子を伺う榎本の視線に耐える。

「保険の外交員やったあ言うとかなあかんの。この辺はクールキッズっちゅうバイクチームの縄張りなっとんのじゃれ。ほや言うても大昔の暴走族とちごうて暴れたり騒いだりはせえへんけどの」

 苦し紛れで口から出た出任せが功を奏したのか、榎本は警戒を解いて、淡路連合の一つ空留橘頭クールキッズの名前を出してくれた。

 思わず吐き出しかけた安堵のため息を噛み殺して応じる。

「……ほうなんじょ。危なぁないんやったぁかんまんねけどの」

「ほうでもないんじゃわれ。これから住もうっちゅう人にあんま言われへんけどの、小ずるいことしよんのじゃ。この辺で保険売って回らんと思うさかい言うねけどの、紛らわしい売り文句と読みにくい契約書で汚い金の集め方しよんのじゃ。保険だけやのうて、土地から車から何やかやの権利とかの、目に見えにくいもんを売って回っとんのじょれ」

 聞き捨てならない悪事に、さすがに黒田の正義感が反応してしまう。

「ほれ、対処せなあかんねーかれ。警察はどないしよん? ほこまで分かっとら逮捕できるやろが」

「そうもいかへんのよ。上手いことの、法の隙間を突きよるんよ。ホンモンの保険屋さんからしたぁ言語道断なんは分かっとっさかい、おっきょい声だしな。ちゃんと捜査はしよるさかい」

 それでも前のめりになる黒田を、榎本は両手を挙げて制止する。

「……すまん。つい」

 保険の外交員と偽ったことを思い出し、なんとか自制してソファーに座り直した。

「しかし、俺が思とったんと違う危なさやな。ケンカとか物壊したりとか、ほっちや思とったわ」

 黒田は取り乱したことを繕うようにわざと日和見な言葉を足したが、榎本の表情は冴えない。

「ほれは岩屋とか東浦を縄張りにしよる淡路暴走団の方やわ。あいつらの方が分かりやすい暴れ方やよってん、クールキッズが根暗なん考えたぁまだカワイイ思われ。……やることはえげつないけんどの」

「なんじゃほりゃ? なんや、なんかの謎かけけ?」

 榎本の口調や表情に、淡路暴走団の暴力行為や破壊行為を好意的に捉えている気がして、少し探ってみる。

「まあ、これは定年間際のジジイの寝言やと思てくれよ? ……アイツらは義賊なんよ。警察でちゃまえられへん犯人を探し出してきたり、悪どい業者の実態暴いたり、バイクの乗り方間違まちごうとる奴を正したったりの。しよんのじゃ」

 思わず黒田は「ほう」と唸ってしまったが、榎本の表情は苦々しいことに気付く。

「……その割には、ちゅう顔やな?」

「うん。……アイツらぁ仕置きがキツイんよ。誰ぞが悪い商売しよるんやったぁコソッと警察におせてくれたぁええのに、手ぇ出しよる。犯罪の証拠だけキレイに残してどうでもええもんは壊すしの。エエモンなんかワルモンなんか、分からん時あられ」

 榎本の心情が理解できてしまったからか、話が進むうちに黒田はアゴに手をやって考え込んでしまった。

「クールキッズもほうなんよ。目に見えて小ズルイことしょんのに、寄付とか寄進とか支援とかマメなんよ。人騙しよんのも何で儲けとるんか分からん奴らに的絞っとるしの。……あんまり時代とか世代のせいにしたないけど、ここまで若い連中を理解できんようになったぁワシャ引退やなぁ思われ」

「……何を言うねんな。ちゃあんと俺は助けてもうた。ほれも警官の仕事ねーかれ」

「ありがとうよ」

 聞けば聞くほど黒田にも淡路暴走団と空留橘頭の本音が分からなくなったが、榎本への感謝は黒田の本心だ。

 とはいえ、裏表のある2チームの話を聞いているうちに、淡路連合の残りの2チームの噂を思い出していた。

 旧南あわじ市を縄張りにしているWSSウエストサイドストーリーズと旧洲本市を縄張りにしている洲本走連だが、どちらもボランティア活動や清掃活動や慈善事業に参加したりとクリーンなイメージのバイクチームだ。

 しかし、頻繁に公道レースを主催したり、新設のチームとの抗争や粛正や制裁などの暴力行為があるなど、黒い噂も絶えない。

 ――なるほど、だから淡路連合なんちゅう時代遅れなモンが存在しとるんか――

 どこか合点がいき、より本題へと近付けた気がした。

 皇居へと繋がる山道で遭遇した淡路暴走団と空留橘頭は、何らかの接点で高橋智明と結び付いた。

 その起点が淡路暴走団が高橋智明を利用しようとしているのか、それとも空留橘頭がこの機に乗じて悪巧みを仕掛けようとしているのか。それとも、高橋智明が彼らをどうにかしようとしているのか……。

 近付いた分だけ複雑になり分かりにくくなったかもしれない。

「……長々と付きおうてもろてすまなんだ。新居選びの参考になったわれ」

 そろそろ潮時と感じ、黒田は席を立って榎本に右手を差し出した。

「かんまんよ。ほない言うてもったらやり甲斐あられ。ワシャ人と話すんが趣味みたいなもんやよっての」

 榎本も立ち上がって黒田と握手を交わす。肉が削げ落ちた細い指と手だったが、何十年も地域を見守ってきた手だと思うと、温かくて頼りになる手だった。

「ほな、おいとましょうぞれ」

「気ぃつけての。……ああ、そうや。晩から雨降るよってん、傘もっときよ」

「ああ、おおきに」

 多賀西派出所の玄関まで見送りに出てくれた榎本は、黒田の姿が見えなくなるまで笑顔で見送ってくれた。

 田舎の良さ、人の良さを身近に感じ、黒田は交番勤務時代を思い出して少し感傷的になる。

「……なんや、懐かしい感じやったのぅ。ホンマに雨、降るんかいな……」

 昼を過ぎた淡路島の空は夏真っ盛りの青空だ。

「そろそろ梅雨さんには明けてもらいたいわ」

 空の青さに相応しくないジットリと湿気を含んだ空気に、黒田は思わず文句を言った。


 夕暮れの琵琶湖のほとりで少年たちは車座になって座っていた。

 それぞれ隣の者と手を繋ぎ、瞼を閉じて少しうつむき加減だ。

 言葉も発さずに座っている七人は、閉じた瞼の裏に満天の星空を見ていた。

「――そろそろ元の世界へ戻りましょう」

 七人の中で一番小柄な藤島貴美ふじしまきみがゆるりと声をかけ、残りの者たちを誘導するように大きな深呼吸をした。

 午後から始めた神通力とHDハーディーの模擬戦闘のあと、昨夜の貴美との体験を全員にも体感させたいと申し出た本田鉄郎ほんだてつおに応じ、急きょ貴美による瞑想体験が行われた。

「…………どうだった? なかなかの体験ができたろ?」

 全員を見回すようにテツオが言うと、皆が口々に感想をこぼす。

「すっごく穏やかな気持ちになれたよ」

「目で見る星よりキラキラしてたっす!」

「こんなの、本当にあるんすね」

「ちょっと人生を反省しちまいましたよ……」

「ああ。人生観が変わるよなー」

 感動や感慨を抱く中、田尻だけ少し凹み気味だ。

「貴美ちゃんから教えてもらった時は俺もビビったよ。集中力とか感情とか精神がどうとか、そんなお題目は関係ないんだもんな。圧倒的だよ」

 自身の感想を語りなから、テツオは全員で瞑想の先にある精神世界を共有出来たことを喜んでいた。

 だが貴美は一応の注釈を添えておく。

「僭越ながら、今日のこれは私の精神世界を共有・感応したに過ぎないことを覚えておいて欲しい。幻影や白昼夢に近いものであって、独力で辿り着くには相応の修行と精神集中が必要なゆえ、取り違わないようにお頼み申す」

 正座したヒザの上に手を乗せ、貴美は小さく頭を下げた。

 貴美も守人もりびとの力を得るまでに苛烈な修行を日常的に行い、文明的な生活や人間としての欲望や煩悩を切り捨てて、ここまでの境地に至ったのだ。

 その彼女の精神世界を垣間見ることは、ここに集った少年たちには意義となると信ずるがゆえ、テツオの申し出を受けた。もし、前夜にテツオと瞑想についてのやり取りがなければ、こういった会は持たれなかっただろうし、テツオや真の目的を知っていなければ断っていた。

「キミの精神世界ってことは、もしも私がキミと同じ事をしても、同じモノが見えるわけじゃないってこと?」

 鈴木沙耶香すずきさやかが貴美を覗き込むようにして聞くと、一つうなずいて貴美は答えた。

「そう。これは私が世界を見ようとして辿り着いた映像でしかない。サヤカやテツオが違う観点で意識を飛ばせば、違ったモノが覗けるはず」

 言葉を選ぶように慎重に話す貴美を見て、紀夫が足を崩しながら問う。

「てことは、もし欲張った気持ちでイメージしちゃったら、とんでもないことになるわけだ?」

「そうはならない」

 貴美の即答に紀夫の下卑た表情は恥ずかしそうに崩れる。

「瞑想や悟りは、感情や思考を捨て去らねば高められないし、我が物と出来ない。ましてや、欲望や願望、煩悩や悪心があっては精神は高まってくれない」

「な、なるほど」

 紀夫は調子に乗った分だけ指摘を受け、小さくなってしまう。

「日頃の行いだなー」

 瀬名は紀夫のテンションの下がり具合いを見て楽しそうに笑いながら追い打ちをかけた。

「……でも奇麗な世界だった。世界中の人間みんなが、アレを見れたら良いのに」

「ああ。アレを見て何も感じないヤツは居ないだろ」

 瞳を輝かせるようにして空を見上げた城ヶ崎真じょうがさきまことに、田尻が思いつめた感じで受けた。今更ながら田尻が犯したサヤカへの罪は、大きな悔いとなって彼を苛んでいるようだ。

「……マコト。そこは少し後で話そうと思う。少し込み入っているので、ここでは全てを伝えられない」

「お? おお、分かった」

 少し照れくさそうにしながら貴美が申し出たので、断る理由のなかった真は快く了承した。

「……さてっと!」

 真の返事を聞くとテツオが立ち上がり、「飯にするか」と切り出す。

 時刻的にはまだ夕刻前なのだが、訓練で腹ペコの少年たちからは賛成の声しかない。

 全員が芝生から立ち上がり、雑談をしながら貸し別荘へと入っていく中、貴美だけが西の空を見上げて立ち止まっていた。

 それに気付いたサヤカが貴美を呼ぶ。

「…………キミ?」

「雨が近付いている」

「マジで? こんなに晴れてるのに?」

 貴美の予報を聞いて紀夫が空を見上げ、清々しいほど雲のない空だったので尚更貴美の予報が信じられなかった。

 今日は早朝から訓練や模擬戦闘を行ってきた真たちだが、一日を通して雲ひとつない快晴で、梅雨の晴れ間どころか梅雨は明けてしまったと思うほどの夏空だった。

「あ、九州とか四国に大きな雨雲がかかってるな」

「この感じだと、夜中からしばらく雨だな……」

 田尻やテツオはH・Bハーヴェーでアプリを開き、天気予報や雨雲レーダーを見ながらつまらなそうな顔をする。バイク乗りにとって雨や雪は歓迎できないどころか、天敵と言っても過言ではない。視界が悪いし、レインコートや撥水加工のアウターを用意せねばならないし、雨粒が肌に当たると意外と痛い。路面が滑りやすいので事故の危険もあるし、何より体が冷えてしまう。

 良いことなど一つもないのだ。

「明日には戻ろうかって時に、これだもんなぁ」

 肩をすくめながら瀬名がぼやき、「雨男でもいるんじゃないか?」と紀夫を見ながらつぶやく。

「うえ!? ちゃいますよ!」

「そおかぁー? なあ、メシの前にコンビニ行って来ていいかなー? みんなレインコートなんか用意してないだろ」

 紀夫をからかいながら、瀬名はテツオに向けてこめかみのあたりを指差しながら申し出る。

「……ああ、頼めるか?」

「もちろんだ。任せてよー」

 テツオも瀬名と同じ様にこめかみを指差しながら応じた。

 二人だけに通じるサインを交わしたようだ。

「ん、頼む。さあ、風呂とメシだ!」

 止まってしまった足を貸し別荘へと向けるために、テツオは全員に宣言するように声をあげて歩き始める。

「キミ、行こう」

「うん」

 空を見上げたままだった貴美を促し、真と貴美は一番最後に貸し別荘へと入った。

 男子勢が防具やエアジャイロの手入れと片付けをしている間に、サヤカと貴美は食事の手配をしてから風呂で一日の疲れを取る。

 女子が上がるのを待って男子が風呂を使い、その間にサヤカと貴美で届いたデリバリーを配膳してしまう。

 食事中は決起集会とまではいかなかったが、エアバレットやエアジャイロの使い方を話し合ったり、真や貴美の空中での動きを参考にしたりと、高橋智明との決戦に向けた具体的な話題が中心となった。

 その途中に瀬名が戻ってきて、やや深刻な顔を見て一同の緊張感が増した。

「……あんまり楽しい話じゃなさそうだな?」

 代表してテツオが水を向けると、瀬名は席に着きながら収集してきた情報の一部を話す。

「うん。どうやら明日か明後日には陸上自衛隊が動くみたいだ。一個連隊って情報だから、かなりの規模らしい」

 いつもの飄々とした話し方はなりを潜め、入手した情報をそのまま話している感じだ。

「どこからだ?」

「伊丹だそうだ」

 ここ数日のテツオと瀬名の予想では、徳島・安芸・伊丹・泉市にある駐屯地のどれかだろうと踏んではいたが、兵員の輸送や経路を鑑みて、一番妥当な地域からの派遣だと思えた。

「演習なんてお題目をつけるだけあって本気だな。でもまあ、そうなるか。智明の事もあるだろうけど、ここで自衛とか防衛に突っ込んでる戦力ってやつを外国にアピールしようって狙いもあるんだろうな。じゃなきゃ、マスコミ使ってまで大々的にやる意味がないもんな」

 テツオが予想する通り、第一の目的は警察力では解決できなかった新皇居を奪還することであるが、マスコミを使って寝耳に水である『皇居防衛を想定した演習』などという名目を立てる裏には、国民のみならず諸外国への防衛力の誇示も含まれるのだろう。

 二十一世紀以前に比べ、北方領土・竹島・尖閣諸島などの領土問題は一定の落ち着きを見せてはいるが、二十二世紀を目前にしても完全な解決には至っていない。

 だから、とはならないが、そういった緊張状態の抑止や解消にと自衛隊の組織改変も度々叫ばれるのだが、自衛隊が軍隊に寄ることで近隣諸国が警戒を強め、より緊張が高まるのではという懸念もある。

 それらとはかけ離れたところで、日本が資源や物資のほとんどを輸入に頼っているなどの事情もあり、上手く立ち回らねばと強硬な姿勢や意見ができないことも見落としてはいけないだろう。弱みがあるとは言わなくとも自国の領土権を強く主張しきれない立ち位置は、弱点や欠点とも捉えられ、緩やかにご機嫌を伺ってしまう体質は本懐を遠のかせているように映る。それは日本国の美徳足り得ないだろう。

「テツオさん、どうするんですか?」

 気の逸る真は、テツオの一声で飛び出せるように腰を浮かせてしまっている。

 テツオは真の気持ちを理解しつつも、焦りに似た真の催促を微笑みで押し留めてやる。

「急ぐなよ。今日の訓練の疲れも取らなきゃだし、アワジに戻ってもすぐに智明のとこに乗り込める訳じゃない。今夜一晩はゆっくり休んで、明日のうちにアワジに帰ろう」

「……ハイ」

 テツオの言葉をなんとか受け入れて真はチェアーに座り直したが、すぐさま行動できない歯がゆさは消えない。

「今夜一晩で、チームのメンバー動かしてまた情報を集めるよ。じれったいのは分かるけど、我慢するのも作戦のうちだぜー」

「う、うっす!」

 瀬名の言葉にはバイクチームWSSウエストサイドストーリーズの多くのメンバーが協力してくれているニュアンスが含まれており、真一人の身勝手を許さない厳しさがあった。それと同時に、真の本懐を遂げさせるための根回しが行われていることも示していて、真一人で智明に挑んでいるわけではないことを教えていた。

「真」

 テツオが真を呼んだが、呼ばれた真が顔をあげず、ジッとテーブルに視線を落としたままなので言葉は続かなかった。

「真」

 もう一度呼ばれたが真は動かない。

 普段の他愛ない雑談の最中なら田尻や紀夫が注意するのだが、真の雰囲気もテツオの雰囲気もいつもとは違うため、彼らははばかったようで無言だ。

 と、貴美がそっと真のヒザへ手を置いた。

 真はようやく噛み締めていた口元を緩め、貴美の手を見、顔を見、その瞳に促されてテツオと目を合わせる。

「……先走ってしまいました。すみません」

「いや、いい。……俺もお前くらいの時は誰に何を言われても聞かなかったからな。お前の気持ちが分かるから、お前を責めたりはしないよ」

 無鉄砲な弟をなだめるような、優しげな表情と声音でテツオは続ける。

「ただな、誰かを頼って誰かの流儀にのっとっているなら、事が終わるまではその人の流儀を通せ。通せない時はその理由を説明しなきゃだ。……わかるよな?」

 こくり、と真の頭が動く。

「なら、それでいい。……こんなタイミングで言うことじゃないかもしれないけど、俺はお前をウチの二代目か三代目のリーダーになる奴だと思ってる」

 穏やかな表情のまま明言したテツオに、田尻と紀夫はチェアーを跳ね飛ばす勢いで立ち上がった。名指しされた真はテツオの言葉が唐突すぎて呆けている。

「ああ、いや、今すぐ代替わりしようって話じゃないよ。落ち着いてくれ。……これから先、真が経験を積んでその器になればの話だ」

「……あ、焦ったぜ」

「心臓に悪いっすよ……」

 田尻と紀夫はチェアーを引き戻してまた席に着く。田尻や紀夫だけでなく、WSSのほとんどのメンバーはテツオの魅力やカリスマ性に憧れてチームに入ったというのがほとんどだ。そのテツオが引退や代替わりを口にした事に驚いたのもあるが、そういった気配をこれまで感じさせることもなかったため、田尻や紀夫の驚きや動揺は当然のものだろう。

 そんなチームメンバーをからかうように瀬名が付け足す。

「俺が見てても真はテツオに似てるからなー。昨日の訓練と、今日の訓練見てたらそう思わないか?」

 言われて田尻と紀夫は、HDハーディーの基礎能力測定や、エアバレットとエアジャイロの訓練を思い出す。

 最年長の十八歳で生ける伝説とも呼ばれるテツオが総合一位は納得の結果だとしても、最年少十五歳で総合二位の真の成績には驚かされた。

 加えて、エアバレットの射撃に関する精度も高く、エアジャイロの使い方に至っては他の誰にも真似できない柔軟な使い方をしていた。

「みんな忘れてるかもしれないけど、ウォーミングアップのテニスも技巧派の瀬名と渡り合ったくらいだからな」

 午前中の瀬名と真のプロ顔負けの高速ラリーを思い出し、田尻は小さく呻き紀夫は真を凝視してしまう。

「そ、そんな、俺には、そういうのは……分かんないっすよ」

「そうかな? そんなことはないと思うよ」

 謙遜も含め真は否定したが、それをサヤカが後押しする。

「なんだろ、熱量って言うのかな? 今回のことだって真君がトモアキをなんとかしたいって思って行動したから、田尻君や紀夫君が付き添ってくれたんでしょう? テッちゃんに聞いたけど、最初にテッちゃんがした指示よりすごく深く関わってたらしいじゃない。ちょっとの手助けのはずだったのに、田尻君たちにそこまで手伝わせるような気持ちにさせたってことだよね? ……それはすごくリーダーとか集団の長に必要なことだと思うな」

「そんな。……たまたまですよ」

 サヤカの話に腕組みをしながらイチイチうなずくテツオを見て、真はまた謙遜して顔をうつむけた。

「ただな? さっきみたいに気持ちが逸って独断専行みたいになるのはリーダーとして良くない。部下とか後輩としても問題あるんだが、大勢を引っ張っていくなら尚更良くないっていう話だ。そこは分かるだろ?」

 丁寧に教え導くテツオの言葉に、真は無言でうなずく。

「ん。それでいい。まあ、逆もあって、どうでもいいような事にすぐ動かなきゃいけないこともあるんだけどな。それはまたこれから学んでってくれ。……さて、話がそれちまったが、明日はアワジまでのロングライドだ。ここを引き払う前に片付けもしなきゃだから、今日は早めに寝ようか」

「ああ、そうだ。さっき貴美ちゃんも言ってたが、今夜からしばらく雨が続くみたいだ。しっかり寝とかないと事故るからなー」

 テツオの発したスケジュールに瀬名が補足をし、残りの全員が了解の返事をする。

「よし! んじゃあ解散!」

 全員の返事を待って、テツオは柏手かしわでを一つ打って食事の終了を告げた。

 すぐさま全員が席を立って食事の後片付けを始め、それが終わると各々自由に行動していく。

 テツオとサヤカと瀬名はリビングへ。

 田尻と紀夫はウッドデッキへ。

 真は与えられている部屋へと戻った。

「マコト」

 真が部屋のドアを開けるのと同時に、後ろから名前を呼ばれ、振り返る。

「キミ? どうしたの?」

「少し、話そう」

「うえ? お、うん……」

 貴美は有無を言わさぬ雰囲気で真の背中に手を添え、部屋に入るように促した。

 力尽くではなかったが、貴美に押し切られる形で部屋に入り、真が照明を点けると貴美がドアを閉じた。

 室内にはソファーやチェアーも設けられていたが、なんとはなしにベッドに腰掛けると貴美も真の隣に腰掛けた。

 しばらく待ってみたが、『話をしよう』と言った貴美が黙ったままなので、真から口を開いた。

「キミ? 何か話がしたかったんじゃないの?」

「……うん」

 真の方は見ずに貴美が小さくうなずく。

「……三つ、ある」

「ん? うん。……何?」

「まずは、ごめんなさい」

 相変わらず真の方は見ずに、貴美が綺麗な姿勢のまま腰を折って謝意を示した。

「あ、うん。……いや、何についてかな」

 貴美が真に対して謝らなければならないような行動や発言はなかったはずなので、聞き返す。

「……その、マコトではなくテツオと、してしまったから……」

「なん!?」

 頬を赤らめながら申し訳なさそうに打ち明けた貴美に、真は仰け反るほど驚きながらマジマジと貴美を見た。

「し、しちゃったの!? え、しかもテツオさんと? え、いや、ちょっと待って! なんでそうなったか意味がわからない。……え、しちゃったの?」

 貴美の口から出た想定外の言葉に、真の動揺と混乱はなかなか収まらない。

「昨夜、テツオと瞑想の話になったので、それは瞑想ではないと教えたくて、つい……」

 ここまで聞いてようやく真は自分の勘違いに気付いた。

「あ、瞑想? 瞑想の話か! び、ビックリした……。いつの間に、しかもテツオさんとって……。ああ、焦った。変な汗かいた……」

 態勢を戻して速くなった動悸を落ち着けている真へ、貴美はハテナ顔を向けてくる。

「す、すまない。勘違いをさせた、か?」

「うん。ビックリしたよ。昨日さ、キミは恋愛とか男女のことはわからないって言ってただろ? なのに『しちゃった』なんて言うから……。てっきりテツオさんとアレをしたのかと……」

 真は自分の早合点を詫びるように言ったつもりだが、未経験者の恥じらいで明確な単語は避けた。

 それでも貴美には真の勘違いが何かは伝わったようで、見る間に顔を紅潮させながら貴美は全力で否定する。

「…………あ! あ! 違う! そうでは、ない!」

「だ、だよな。だよな。クイーンも来てるんだもんな」

 頭をかいたり服を正したりと落ち着きなく答えながら、真はチラチラと貴美の様子を伺う。貴美も真の様子を伺いながら、太ももの上で両手を組んで指をモジモジとさせている。

「あの、その、サッチンとテツオみたいに ま、交わったり、か、重なったりは、まだ――」

「ちょちょちょ! 詳しく言うのはやめとこっ! ひ、他人ひとの事を想像しちゃいけないよ。うん、いけないよ」

 具体的な表現をし始めた貴美を制止し、危うく昨日のテツオとサヤカのラブシーン以上の光景を想像しかけてしまい、真は慌てた。

 厳密に言えば、貴美が語りかけた内容はテツオとの感応で得たテツオの実体験の追想なので、貴美の想像ではないことを真は知らない。

「そ、そうだな。すまぬ」

「謝らなくていいよ。先に勘違いしたのは俺だし。……てかさ、テツオさんと貴美が瞑想の話をしてたから、今日、俺達はさっきのビジョンとかイメージを体験させてもらえたんだし。アレがなかったら貴美も俺達に瞑想の話なんかしなかったんじゃないか?」

「それは、間違いない。そのことも話そうと思っていたのだ」

 真の言葉に貴美も落ち着きを取り戻したようで、姿勢を正して切り出す。

「……実は、皆には細かな説明を省いて瞑想と説明したのだが、それは正しくないのだ」

「どういうこと?」

「先程のアレは、私が過去に瞑想を行って垣間見た精神世界の映像を、皆と共有しただけなのだ。テツオが見たものもそうなのだが、なので、皆がアレを真理であるとか悟りであると勘違いしてしまうと誤解を生んでしまう」

 貴美の言葉遣いもあってか、真はすんなりと理解することはできなかった。しかし、耳に入った言葉を頭の中で繰り返すうちにボンヤリと答えが浮かんできた。

「えっと、つまり、貴美が見たものをみんなに見せただけで、みんなが同じものを見ようとしても見れない、ということ?」

「……それに近い、と思う。要は、何を見ようとしたかの説明をしていないから、皆は星空だと思ったけれど、私は違うものを見ていたのだ」

 申し訳なさそうに告げた貴美の言葉に驚き、真は貴美の真意を確かめるようにやや顔を寄せて問う。

「そうなの? じゃあ、貴美は何を見ようとしてたんだ?」

 真の問いを受け、貴美は凛とした表情で胸に手を当てて答える。

「私は、全ての命の輝きを見ようとしたのだ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る