セルフ・コントロール

 滋賀県大津市の琵琶湖のほとり。

 七月に入っていよいよ夏本番となり、夏休みを前にして週末には比良の山々へのハイキングやピクニックの行楽客、琵琶湖のブラックバスを狙う釣り客など、それぞれのスポットではすでに人々が集まり賑わいを見せている。

 中でも、七月から八月にかけて行われる花火大会は豪勢で、湖岸から真上に上がる花火はダイナミックで見応えがある。

 だが今、別荘やペンションが建ち並ぶ地域に響いている轟音は花火のそれではない。

 光も瞬かなければ煙も立たず、だが琵琶湖の湖面や湖岸の街路樹は、轟音を伴った衝撃で波が立ち枝葉を揺らす。

「紀夫! 左だ!」

 田尻の指示で慌てて左を向く紀夫だったが、そこにはすでに何もなく、またキョロキョロと辺りを見回す。

「動いて!」

 地上から真の声が飛んだが、すでに遅かった。

「おわっ!?」

 何かが背中に触れたと思った刹那、急激に重みがかかって紀夫の体は地上へ向かって真っ直ぐに落ちていた。

 状況を判断しようと振り返った紀夫の視界に、自分とは反対方向に飛び去っていく少女の姿が映る。

「俺を踏み台にしたのか!?」

 怒りや腹立ちよりも圧倒的な能力差を受け入れるしかなかった。

 昼下がりの青空をバックに、少女の影はグングン小さくなって、急な方向転換をして紀夫の視界から消えた。

「うわっ!」

 エアジャイロを操作して着地の準備をしていると、ヘッドギアに内蔵されたスピーカーから田尻の悲鳴が響いた。

 視界の隅でゆっくりと変化していく高度計のAR拡張現実表示を気にしながら周囲を見渡すと、紀夫から百メートル離れた湖面に同心円のさざ波が生まれていた。

 ――田尻は琵琶湖に落とされたのか。あの子もやる事が派手だな……――

 新品の防具をいきなりずぶ濡れにした田尻をあわれみつつ、態勢を立て直せた自分の腕を鼻にかけながら、紀夫より早く湖岸へ降り立った少女を眺める。

 少女の名は藤島貴美ふじしまきみ

 淡路島の諭鶴羽山ゆづるはさんで修行を積んでいる修験者しゅげんしゃだ。幼い頃から厳しい修行を行い、修験者の中でも少数の者しか持ち得ない神通力や霊力といった不可思議な力を発揮できる。

 本来はそれらの能力は困窮する人々を救うために、加持かじ祈祷きとうで発揮されるが、今回は高橋智明の暴走を食い止めるという依頼を受け、偶然出会った鈴木沙耶香すずきさやかに連れられて城ヶ崎真じょうがさきまこと達と合流した。

 真らは、家族や知人のツテを辿って手に入れた身体を硬質化するナノマシンHDハーディーの真価を試すことと、同じくツテから手に入れた火薬に頼らない武器エアバレットの試用のために、琵琶湖を訪れている。

『アイテムは揃った。あとはレベル上げだ』とは真が憧れるバイクチームWSSウエストサイドストーリーズのリーダー本田鉄郎ほんだてつおの弁だが、これを達さなければ、真の高橋智明打倒も鬼頭優里きとうゆり救出も遠のいてしまう。

 付け加えるなら、真が貴美の仕事をサポートすることもままならないだろう。

 HDの効果は想像以上の成果だったし、エアバレットは少年の手には危険すぎるくらい威力があったが、しかし高橋智明の瞬間移動や空中浮遊の対抗策となるべきエアジャイロは、田尻と紀夫の無残な姿で分かる通りだ。

 バイクの運転で鍛えられた速度感覚は、高速で直進することに恐怖心を感じさせなかったが、上下左右のすべてがフリーな空中では街灯でクルクル回っている羽虫よりもチープな動作をしてしまい、貴美に踏みつけられひっくり返されてしまった。

「負けた、負けた! なんであんなに自由に飛び回れるんだ?」

 貴美の活躍を抱きついて喜んでいるサヤカの近くに降り立ち、紀夫は他人事のように貴美に問うていた。

「……法章ほうしょう様の教えでは、自然に溢れて漂っている『気』を足場にするとあった。すなわち、私のような守人は、自分が積み上げた徳に自然の気の助けを借りて力を使っている、のだそう……」

 法章とは、貴美の伯父にあたり、貴美の先代の守人であった人物だ。現在は修行から離れ、目を患いながらもミスティHOWホウSHOWショウとして大阪で占いや人生相談を生業なりわいとしている。

 法章は守人としての能力も高く、神通力や自然界の気にも精通している。

「『気』ねぇ……。空中で足場にしてるってことは、この辺にも『気』が漂ってるってことだろ? 何も感じないんだよなぁ……」

 紀夫は適当に近くの空中を手で探ってみたが、辛うじて琵琶湖から比良山地へ吹く風を感じた程度だ。

「もちろん、自然を受け入れ、共存し、ともに補い合うための修行をせねば感ぜられない」

「……だよなぁ」

 貴美の補足に紀夫はうなだれた。

「あ! 真、田尻を引き上げてやってくれ。エアジャイロは水中じゃ約立たずだからな」

「うっす!」

 テツオの指示を受け、真は返事一つで湖面に浮き沈みしている田尻の元へ飛んでいく。

 エアジャイロは、空気鉄砲の原理を進化させたエアバレットに、吸気と圧縮噴射の機能を付加した移動装置として試作された物だ。本来はホバークラフトやリニアモーターカーの競合ジャンルとして開発が進められたが、どんなに頑張っても金属を含む車体は浮き上がらなかった。ならば、と一人乗りモーターグライダーやホバースケート様の商品へと軌道修正され、個人用飛行ツールとして再生された。

 しかし、絶対的な使用条件として空気を吸入し続けなければ飛び続けることができず、水中や雨の日はそのポテンシャルは著しく下がってしまう。

「次は俺と瀬名でやってみるか?」

「……ゼロヨンならやってみたいけどなぁ。空中戦って、どうも戦闘機かロボットのイメージを払拭できないんだよなー」

 テツオの誘いに瀬名は渋い顔をした。

 低速でノロノロと動きながら幼稚園児のような鬼ごっこではつまらないらしく、逆に高速で真っ直ぐ飛べるゼロヨンを提案していた。

 ゼロヨンとは、スタートラインに停止させた車やバイクで直線400メートルを疾走して勝敗を競うレースの事だ。単純明快で勝てば爽快感のあるゲームだが、車両の性能だけでなくシフトチェンジやアクセルワークなど洗練されたテクニックも必要で、小技を得意とする瀬名が最も好んでいるゲームだ。

 テツオと瀬名は小学生時代のボーイスカウトからの付き合いなので、二人の間に遠慮や上下関係はない。

 それでも、田植えの季節に農道を走っているトラクターのようにノソノソと湖面をなぞって飛んで行く真を眺めながら、『カッ飛ばしたい』と要求されるとテツオも苦笑せざるを得ない。

「んじゃあ、今から真のとこまで飛んで行って、アイツを追い越したらコッチまで引き返すってのを競わないか? それから空中戦ならテンション上がるだろ」

 丁度、真が田尻を湖面から引き上げるのを指差してテツオが持ちかける。

 と、湖岸にしゃがみこんでいた瀬名が立ち上がって身構えた。

「そうこなくっちゃな!」

「サヤカ!」

 テツオも瀬名と同じポーズで身構え、傍らで貴美と談笑していたサヤカに号令をかけるように命じる。

「ん。……レディ、ゴー!!」

 瞬時にテツオの意図を理解し、サヤカはボールを投げるように右手を振りかぶって、勢いよく真を指差す。

 HDで強化された身体能力の全てを脚力に変換し、二人は前方へと文字通りに飛び出す。

 跳躍の加速がかかっているうちにエアジャイロを最大出力で噴出させ、水柱を立てながら一瞬で真を通り過ぎる。

「何だぁ!?」

「テツオさん?」

 高速で飛び去ったテツオと瀬名は、∪ターンの動作に入る。

 瀬名は、左側を飛んでいるテツオにぶつからないために、右に旋回していく。

 一方のテツオはエアジャイロの出力を一瞬オフにし、背面飛びのように体を仰け反らせながら方向転換し、再び全力で圧縮空気を噴射させる。

「ノーブレーキのロスか!」

 テツオの軌道に度肝を抜かれながら、瀬名はノーブレーキで高速旋回したがために襲ってきた横向きのGと戦っていた。

「真っ直ぐ、飛べよ!」

 テツオもまた背面飛行という自分で演出したイレギュラーに怒っていたが、ゲームか映画で見た戦闘機同士のドッグファイトを参考に、体を回転させ続けて乱れたバランスを整えた。

「テツオさん!」

「瀬名さん、落ちる!」

 舞い戻ってきたテツオに真が叫び、田尻はすっぽ抜けそうな瀬名を案じた。

「くっそ! ったれ!」

 高速旋回で曲がりきれなくなってきた瀬名の体は外へ弾き出そうとする力に負けかけていた。が、行って来いというルールのないレースであることを思い出し、今更ながら湖面スレスレに手足を伸ばしてブレーキにし、同時にスタート時と同じ脚のバネを効かせて爆発的に飛び出し直す。

「……テッちゃんの勝ちぃ!!」

 個人用の飛行装置とは思えない噴射音を響かせながら、ものの五秒でテツオがサヤカの頭上を通過していった。

 テツオから一秒と遅れない間隔で瀬名も通り過ぎ、再びの噴射音とともに煽られた琵琶湖の湖水が雨のように辺り一帯に降り注いだ。

「……あんなにスピード出るのかよ」

 紀夫は二人が飛び去った上空を見上げながら、明らかにバイクより速いエアジャイロのポテンシャルに呆れた。

「おかえり」

「うっす。アレなんすか? 競争っすか?」

 田尻をぶら下げて戻ってきた真は、出迎えてくれたサヤカに直球で聞いた。

 水に浸かっていないはずの真も、テツオと瀬名の煽りで波飛沫をかぶりずぶ濡れだ。

「そうだよ。真くんを折り返し地点にして競争してたの。もちろん、テッちゃんの勝ちだよ」

 楽しそうに笑うサヤカに文句を言うわけにはいかないが、勝手に折り返し地点にされて水をかけられたら微妙な気分にはなった。

「……二人、戻って来ない」

 サヤカの後ろで貴美がボソッとつぶやき、全員がハッとなる。

 琵琶湖上空から貸し別荘を通過し、比良山地の方へ飛び去ってそこそこの時間が過ぎている。

 全員で空を見上げてみるが、テツオと瀬名らしき姿は見当たらない。

「アチチチチチ……」

「ああ、ヒリヒリする……」

 やたらのんびりした声が聞こえたのは別荘のウッドデッキからで、テツオも瀬名も顔や手などの肌が露出した部分をさすりながら歩み寄ってきた。

「え、歩きで帰ってきた」

「ど、どうしたの?」

「大丈夫っすか?」

 二人が近付いて来ると、防具や衣服で覆われていなかった肌の部分が真っ赤に腫れている。

「こりゃ、火傷だな」

「速度計見たら、もうちょっとで200出るとこだったぜー」

 笑いながら話す二人に、全員が口を開けたまま絶句してしまった。

 確かに競争ではあったが、エアジャイロを授けてくれた大佐や軍曹の説明では、時速200キロが出るような仕様やポテンシャルではなかったはずだ。

 そもそもバイクでも100キロを超えてくると、素顔では風圧で息がしにくいし目が乾いたり涙で霞んだりと、とても耐えられる状態ではない。

 皮膚が赤く腫れる程度で済んでいるのは、恐らくHD化していたからだろう。

「俺、今日はもうパス」

「俺も。真、キミとやってみな」

 すっかり『やりきったモード』のテツオと瀬名は芝生に座り込んでしまい、瀬名に至っては防具を外し始めている。

「いいっすけど……」

「私は、大丈夫だ」

 真の躊躇を貴美は違った意味に捉えたらしい。

 真が言い淀んだのは貴美と模擬戦をすることに躊躇いがあるのではなく、先程見た貴美とテツオと瀬名の動作に、閃くものがあったからだ。

「ちょっとごめん」

 真は閃きが残っているうちに脳内にインストールされているアプリケーションを検索し、使えそうな物をどんどん開いていく。

「何してるの?」

 右手を忙しく動かす真を不審がったサヤカに問われ、真はアチコチに視線を向けながら、仮想キーパッド上でアプリケーションの設定を行っていく。

「ちょっと、さっきのキミの動きを見てたら、テツオさんや瀬名さんの真似事をしてみようと思って……」

 答えた真に今度は田尻が驚く。

「お前、だからってそんなにいくつも開く必要あるか?」

 H・Bハーヴェーはスマートホンと同様に、デザリングやブルーツゥースで接続して他人に自分が開いている仮想モニターを共有することが出来るが、真はそんなことをしなくても分かるくらい忙しなく右手を動かしていた。

「昼前に篠崎さんと木村さんからアプリをいっぱいもらったでしょう? あの中にフライトシュミレーターや姿勢制御や重力感知とかあったのを思い出したんですよ。エアジャイロにも似たような設定項目はあるんですけど、瀬名さんが200キロで飛べたって言ってたから、元々組み込まれてるジャイロじゃそんな速度までフォローされてないなって思ったんです」

 真がつらつらと説明した内容に紀夫は舌を巻き、テツオはアゴに手を当てて感心する。

「なるほどなぁ。制御系をパフォーマンスに合ったものにアップグレードってのはなかなかの発想だな」

 と、真の手が急いで本のページをめくるように何度も横へスライドしていく。

「終わったか?」

「いえ。……誰か、GPS関連のアプリとか、三次元で計測できる高度計とか測定器とか持ってないですか? 出来たら三次元マッピングされた精細なマップアプリもあると嬉しいです」

「ああ、あるぞ」

「こっちもあるよー」

「これでいいのかな?」

 真の注文にテツオ・瀬名・サヤカが応え、メールで真の元に届けられる。

 真はその間に、複数のアプリ上で自身の現在地を自動でポイント表示できるアプリをダウンロードしておく。

「…………これでイケそうです。ありがとうございます!」

「すげ……」

 田尻は人が変わったような真の手腕に感嘆をもらす。

「これが上手く行ったらコピーさせてくれよ」

「いいですけど、かなり視界を塞ぎますよ? その辺も調整次第だとは思いますけど」

 気楽にコピーを申し込んだ紀夫だったが、真の返事を聞いて表情を強張らせた。

「真には使いやすくても紀夫には使いにくいなんて、ある種スマート端末あるあるだろ。そこは自分でやれ」

「……うっす」

 テツオにたしなめられて紀夫はしょんぼりしてしまう。

 少し真の見方が変わった一同をよそに、貴美が一歩踏み出す。

「もう、良いか?」

「もちろん。全力で逃げないとすぐに捕まえちゃうからな」

「……遅かったら私が捕まえに行く」

 不敵に笑った真に笑い返し、貴美は空を見上げて身構える。

 少し遅れて真も構えをとる。

「参る!」

 言い放つと同時に飛び上がり、貴美の体は一気に青空に吸い込まれるように小さくなっていく。

「せーのっ!」

 貴美から遅れること一秒、真も掛け声とともに虚空へと飛び上がる。

 音もなく飛び立った貴美に比べ、真は砂利や埃を舞い上げながらドンッ!という衝撃音を伴って飛び上がった。

「速え……!」

「貴美ちゃんも早くなってないか?」

 田尻と紀夫は目を凝らして二人の軌跡を追いながらこぼす。

「追いつきそうだな」

「あ!」

 後発の真が点のように小さくなりながらも、貴美と重なるように見えた刹那、貴美が進行方向と真逆の方向に切り返した。

「おお!?」

 全員が真は曲がりきれずに大回りをすると予想した直後、真はエアジャイロの噴射を弱めながら手足を振って方向転換し、慣性の法則に逆らうようにまたエアジャイロを噴出させて貴美同様の急ターンを成功させた。

 だが貴美の背中を補足した真の視界の中で、それまで直線的に飛んでいた貴美が速度を落とさずにジグザグに空中を渡り歩き始めた。

 その無作為で滅茶苦茶な飛び方に、次に貴美がどこへ向かうが読みにくくなる。

「うお!?」

 また急角度の進路変更をするだろうなと思われた貴美が、真の方へ向かってきたので、真は急ブレーキをかけようと体を起こしてしまった。

「取った!」

 貴美の勝利を確信した笑顔が迫る。

「まだ!」

 急ブレーキをかけようとした体を更に後傾させ、琵琶湖上空を舞っている風を使って、先程のテツオの様に背面飛行で貴美から距離を取る。

 ならばと貴美はもう一つ跳躍を追加して真の上へ出ようとする。

 それを読んでいたのか、真は背中側に宙返りをして貴美をやり過ごし、体を半回転ロールさせて貴美の背後に付く。

「捕まえ――!」

「鋭!」

 貴美を背後から抱きとめようとした真の目の前で、貴美は気合いの声とともに両手を万歳させて体を丸め、一瞬のうちに真の視界から消える。

「嘘だろ!?」

 速度を落として周囲を見回すと、貴美は琵琶湖の湖面スレスレを貸し別荘の方へ飛んでいた。

 貴美はこれまでのジャンプの要領で、『気』を支えにして下方向へ急降下したと分かった。

 真も貸し別荘の方へ向かいつつ、貴美のジャンプを眺めやる。

 ――そういうことか!――

 貴美が一定の速度で飛ぶためには、一定の間隔ごとに同じ強さで『気』を蹴っていると想像し、真はエアジャイロに最大出力手前で一気に貴美に近寄っていく。

 一方の貴美は背後から迫る真の気配を感知し、湖面スレスレを保っていた高度を階段を上るように徐々に高くしていく。

 同時に、真より速度を少し落とす。

「鋭、矢!」

 真の手が届こうかという寸前、気合の声とともに貴美は全力で真上に飛び上がる。

「っだと思った!」

 視界から消え去ろうとする貴美をトレースするように、真も体を縮こまらせてバネを溜め、エアジャイロを最大出力にして真上に飛翔する。

「え? あっ……」

 さっきまで自分が居た場所を真が通過してしまっただろうと考えていた貴美の眼前に、真がふわりと現れて貴美を抱きしめた。

「捕まえた」

「……うん」

 楽しそうに微笑む真に見つめられ、貴美は観念して真に全てを委ねる。

 貴美はゆっくり優雅に真に抱きつき、目を閉じた。

 そこで真はエアジャイロの出力を落とし、低速で貸し別荘の方へ漂うように降下をしていく。

「……しないのか?」

「みんなが見てるよ」

「これだけ高ければ、見えないのでは?」

「それもそうか」

 真は更に速度を遅くしてゆっくりと降下し、その間ずっと貴美と唇を重ねていた。


 夕刻を迎えつつある諭鶴羽山に、耳慣れない音が響いていた。

 七月に入って小動物や昆虫の活動も活発になり、蝉の羽音が耳に付き始めたが、それらとはまた違った耳障りな音だった。

 その音は単一ではなく、高橋智明と鬼頭優里きとうゆりが名称を改めた明里新宮あけさとしんぐうの外苑から多数聞くことができ、時には連続して耳に届いた。

 智明らは皇居外苑に倣って新宮外苑と呼んでいるが、元は警察車両の侵入を防ぐために智明が築いた最外周の囲いに、これまた智明が半球状に彫り抜いた地表を復元した結果、期せずして円形の更地が生まれただけである。

 しかし、近日中に演習という名目で自衛隊の奪還作戦が行われるという情報に基づけば、その主要経路として大日川ダムから新宮へと続く舗装路を進むと予想でき、この外苑部が戦地となり得る。

「いつ、どんな状態でも当てられるようになっとけ! ゴーグルやヘルメット越しでも狙いを付けろ! もう一射、っ撃てぇー!」

 手製のメガホンでが鳴り立てているのは服装から見て淡路暴走団の一員だろう。要所要所に装着されたプロテクターの隙間に、淡路暴走団の揃いの特攻服が認められる。

「射撃後は間を開けずに射撃態勢に直れ! ガキの鉄砲遊びじゃないんだから、いちいち余韻に浸ったり命中の確認をするな!」

 教官を気取っているのか軍事マニアなのか、メガホンの男は熱い指示を連続して飛ばす。

 外苑に急遽設けられた射撃練習場は、先日智明が切り出した諭鶴羽山の木材から切り出した板を立てたもので、ラッカースプレーで人型が塗布されている。

 簡易の的に正対する位置に十人ほどが並んでい、揃いの防具と玩具のような質感の小銃を構えている。

「もう一射! 撃てぇー!」

 教官もどきがまたメガホンでが鳴ると、小銃の引き金が一斉に引かれて、ガシャンと機械的な音が響き、的からはパチンと乾いた音が鳴った。

 どうやら小銃は外見通りの模造品のようで、火薬やガス圧縮や電動で弾丸を発射していないようで、古来のボルトアクションライフルのように発射後にスプリングの巻き上げと次弾の装填の動作が行われている。

 弾丸も金属ではなく硬質ゴム製で、木の的を凹ませた弾丸は四方に跳ね返っている。

 ある意味で、弾丸の再利用が可能で専用の薬莢などを必要とせず、発射後のゴム弾を回収すれば弾数も制限されず、火薬の反動もなければガス切れや電池切れのない高効率な武器と言える。

 反面、どんなに強力なバネを使用しても殺傷能力は低いし、貫通力が低くライフリング回転しないゴム弾は照準の精度を欠いてしまう。

「まあ、あんなもんじょの」

「そうだね。あれくらいでいいと思う」

 教官もどきの号令や指導が飛ぶ傍らで、淡路暴走団の大将こと川崎実と高橋智明は射撃訓練を見学しながらつぶやいた。

 智明の考えでは、川崎率いる淡路暴走団の武装はあくまで防衛と抵抗であって、攻撃や侵略を想定したものではない。なので、殺傷能力が低く連射機能のない玩具のような小銃がちょうど良く、また弾丸の使い回しが出来たり火薬を扱うことで起こる事故も回避出来たりと、デメリットはないと思われた。

「まだ半日ほどしか訓練してないのに、様になってるね」

「うちは社会人ばぁやし、空留橘頭クルキの縄張りは山が多いよっての。サバゲーの経験者が頑張ってくれとんのよ」

 川崎が指差した先を見ると、防具の下に赤いライダースジャケットを着た教官役が、別の一隊を指導している姿があった。

「意外だな。サバイバルゲームの愛好者が結構いるんだね」

「アワジらしいっちゃアワジらしいんやけどの。人数分のエアガンがあったらどこでもフィールドになる土地やよっての」

「言われてみればそうだね」

 淡路島には山や丘もあるし浜辺や寺社も多くある。私有地や自然の危険などを気にもしない小学生は安価なエアガンやスプリングガンを携えて撃ち合いに興じれる環境ではある(数年で土に返るバイオBB弾が普及していてこその話だが)

 さすがに高校生にもなると私有地への不法侵入を気にしたり行動の大胆さから大人達に咎められたりもして、友人や親族の所有する竹林に集ったり公用地か専用のフィールドを提供する店舗の世話になるなど、戦争ごっこや撃ち合いにも知識と金を使っていかざるを得なくなるが、そうした環境は豊富といえる。

 そうした遊びや趣味がこんな形で生きてくるのも不思議な話だが。

「……女の人もいるんだね?」

「ああ、少ないけどな」

 また別の人溜まりを見た智明が、髪型や体型や声から女性の存在があることを気にした。

「ああーっと、そっちの心配はせんでええど。淡路暴走団うちのも空留橘頭クルキのもチーム内に彼氏がおるさかい」

 即座に川崎は風紀を気にしていると悟り、智明が何か言う前に先回りをしておく。

「さすがだね。もしそういう乱れが問題になるなら、外苑の内と外に分けるとか、なんなら正門の内側で働いてもらうとかも考えないとだね」

 智明は川崎がそうした機微まで把握していることを褒めたつもりだが、川崎は一瞬ムッとした顔になりつつ一応の理解は示す。

「どうにもならん時はその対処でええと思う。……ただ、キングよ。クイーンの事もあってフェミニストになるんは構わんが、男女間の風紀の乱れなんぞは無い方がおかしいもんや。逆に、立場や階級以外の部分を不平等にあつこうたら、それは組織も統率もひっくり返ってまう。空留橘頭クルキを下の立場にしてても働きを正当評価するのと同じで、何かにつけて平等や公正・公平を欠く判断は、ワシは反対や」

 川崎は智明の立場を立ててはいるが、明らかな反対意見を臆さずに述べた。

 企業の社長とチームの長をこなしている大人の態度だ。

「……フェミニストってつもりじゃなかったけど、そう見えたのなら直すよ。ありがとう」

 智明は複雑な表情ながら川崎の意見を尊重し、注意と進言に素直な態度をとった。

 こうした組織の作り方や育て方を担い、智明と優里にはない能力を補ってもらうために川崎を招いたのだから、智明は川崎の発言に対して信用や信頼に近いものを持っている。

 平たく言ってしまえば頼った上に甘えてしまっているのだが、そこにつけ入る川崎ではないから、新宮の上下関係は成り立っている。

「……モア。こんな感じで良かったんかな?」

 智明と川崎が訓練の様子を一通り見回り終えた頃、優里がフラリと現れて純白のスカートの裾を摘んでみせた。

 体のラインを強調したワンピースタイプのロングドレスで、足元のパンプスもワンピースに合わせてホワイトで合わせている。

 ただ、ノースリーブで腕が出ていることと体のラインが強調されているのを恥ずかしがってか、肩にエンジ色のストールをかけている。

「いいね。大人っぽい」

「ほほぉ。ごっつええやん。キングが用意したんけ?」

「いや。これはリリーの見立てだよ。お姫様か女王っぽくってリクエストはしたけどね」

 智明と川崎から手放しで褒められ、優里は少し頬を赤らめる。

「やり方はモアに習ったのでやってみたけど、見本を探すのが大変やったわ。ミス・ユニバースとか見たらスタイルが全然違うんやもん」

 今更ながらヒップラインを気にして覗き込みながら、優里は比べようのないことを口にする。

「いやあ、クイーンぽくてなかなかのもんやで」

「あ、ありがとう……」

「川崎さん、鼻の下が伸びてるよ。……それじゃ、そろそろ始めようかな。一旦、門の向こうに隠れるから、良きタイミングで呼び込んでもらえるかな」

 明らかにニヤついた川崎に注意しつつ、智明は指示を出して優里と共に外苑の門へと歩を向ける。

「了解。…………よおし! 全員集合だ! 訓練してた班ごとでええから、一列に並んでくれ!」

 智明と優里が門の向こうへ隠れてしまうのを見送ってから、川崎は大きく二度柏手かしわでを打って大声を張り上げた。

 訓練の雑音に溢れていた外苑だったが、川崎の太くて低い声はよく通り、黒い特攻服を着込んだ淡路暴走団のメンバーはキビキビと指図を全うした。

 しかし赤いライダースジャケットは一旦不思議そうに手を止め、淡路暴走団が列を作り始めてから互いの顔を見合わせ、ゾロゾロと歩み始める。

 川崎は近くに居た教官役のメガホンをひったくり、強く指図する。

「駆け足や!! ガキの遊びで戦争ごっこやっとるんやないぞ! 団体行動のとれんモンは飯も給料も減ると思え!」

 川崎の怒声の効果か、空留橘頭のメンバーは渋々ながら歩みを早くした。

 しかし淡路暴走団の様に十人ずつ真っ直ぐに並ぶことが出来ず、見兼ねた淡路暴走団の教官役が個別に指示をしてなんとか形だけの整列を終えた。

「……ここまではノーカンにしといたる。だがこの先は、団体行動を乱す行為や態度、秩序を乱す行動には罰が課せられると思え! 淡路暴走団アワボーには先に事情や流れを話してあるが、空留橘頭クルキもその傘下に入った以上、この明里新宮の親衛隊とみなされる! 軍隊みたいなことを言うなと思うかもしれんが、軍隊同然の規律にのっとって行動してもらう!」

 メガホン越しの川崎の訓示は門の裏手にいた智明と優里にも届いており、衣装を作り変えていた智明をニヤリとさせた。

「何笑ってるん?」

「いや、あんなに嫌がってたのに、やっぱり川崎さんは大将の器なんだなって思ってさ」

 淡い光を体に宿しながら、智明は詰め襟の白いシャツと揃いのスラックス、軍服風の紅いジャケットとブーツを身にまとう。

「もう。なんで他人事なん。モアは川崎さんより上の立場やねんから、もっとカッコエエこと言わなあかんねんで」

「分かってる」

 古いアニメからイメージして作った衣装の出来に満足しつつ、智明は呆れ顔の優里に近寄って軽い抱擁をした。

 その耳にまた川崎の声が届く。

「静かに!!」

 少しずつ大きくなリ始めていたざわめきが、川崎の一喝で徐々に小さくなる。

 静まり返るまで待って川崎は再びメガホンでのたまう。

だましたりおどしたりして従わせる訳やない。事情を知らない空留橘頭だけやなく、淡路暴走団にも馴れ合いや付き合いでここに来たモンもおるやろう。そういったハンパな気持ちは、このあと容赦のない出来事を目の当たりにして、後悔や反感となってこの集まりの害になる。付き合いきれんと思うモンは今夜中にこの場を去った方がええ。だが明日の朝、ここに残ったモンには仕事が与えられ、給料が出て飯も出る! そしてワシがキングとしてヒザを折った男の為に働き、その志に意義をいだける! その志にはこの集団は少なすぎるかもしれん。だがやってみる価値があると、ワシは思っとる!」

 すっかり静まり返った百余名を眺め渡し、川崎は一度言葉を切った。

 自らが率いてきた淡路暴走団の面々は、常日頃と変わらぬ川崎節にニヤけたり追随の意志を示す表情が見られた。

 対して、山場俊一やまばしゅんいちに引き連れられてこの場に立っている空留橘頭の面々は、懐疑的な目や反抗的な表情、あからさまな敵意を見せていて、川崎の言葉に乗ろうという者は僅かしか認められなかった。

 予想通り過ぎるほど予想通りの反応に苦笑しつつ、川崎は外苑とともに設けられた外門を振り返る。

「キング、こんなもんでええけ? いけっけ?」

 メガホンを使わずささやいた川崎に智明は苦笑する。

 まさかこんな煽りで登場になるとは思っていなかった。

「……行くか」

「う、うん」

 智明は優里にささやきかけ、どこか学芸会か発表会に登壇するような緊張を感じながら外門を押し開く。

「! ワシらを導くキングとクイーンや!」

 もう一山盛り上げようとしていたところに智明と優里が現れてしまい、仕方なく川崎は段取りを一つ飛ばして二人を声高に招じた。

 これにはさすがの淡路暴走団も乗り遅れ、所々から散発的な拍手が起こったのみだ。

 それでも拍手は徐々に広まり、智明と優里が門から川崎の隣に進み出るまで続く。

 川崎はそれを手で制し、再びメガホンで用意していた煽りを付け足していく。

「……皆も知っての通り、ここは今上天皇の居所となる地やった。今日、ここにワシらが集えたのは、キングとクイーンがこの地に立ち、五度にわたる警察の突入を弾き返したからや。この最外周の囲いも、キングが警察の突入を阻むために作り給うたもんや。そうして自らの居所を守り、ワシらを導く拠点としてくれやった。この地の名を明里新宮と決められたのもキングや。これからキングより何が行われるか、何を目指すのか、ワシらに何を命じられるかのお言葉をいただく! このお言葉を聞いた後、本日の零時までに各々の進退を決めてくれ!」

 川崎がメガホンを下ろしても一同は静まったままだ。

「……ここで出て来て欲しかったんじょれ」

「なるほど、ごめん。まだ慣れてなくてね」

「しゃーないけどの。……ちょっと演説とか訓示垂れてもらえっけ。ほんでどっかで一発チカラ見せたって」

「うん」

 ささやき声で短い打ち合わせをし、川崎は三歩離れた。

 そのせいか一同の注目は一気に智明に集まり、智明は喉が詰まるような緊張を覚える。

「えぇーっと……」

 それでも何か喋らねばと顔を上げてみるが、目の前には智明よりも大柄な男女が居並んでいて、ますます圧迫感を感じてしまった。

 それもそのはずで、この中では智明と優里が最年少だし淡路暴走団に至ってはほとんどが社会人だ。全員を見ようとしても智明の目線では列の先頭から数人がやっとだ。

「後ろ、見えてるかな?」

 なんとも威厳のないキングの呼びかけに答える者は居なかった。

「ふむ……。リリー、上に上がろう」

「ええ!? 私、スカートやねんけど!」

 優里の抗議も聞かずに智明はフワリと体を浮かせる。仕方なく優里もスカートを押さえながらゆっくりと体を浮上させた。

「おお!」

「なんだ!?」

「手品か?」

「はっは! いきなり宴会芸かよ!」

「浮いてるぞ……」

 集まっていた全員が口々に言葉を発したため、外苑は一気に騒々しくなったが、智明は門の上に立って全員を眺め渡すことが出来た。

「これは、ちょっと、恥ずかしいね」

 優里は少し遅れて智明の傍に降り立ち、半身を隠すように智明の左腕に抱きつく。

「さて……。

 自己紹介が遅れて申し訳ない。俺は高橋智明! こっちは鬼頭優里! 川崎さんからはキングとかクイーンなんて呼ばれてるけど、まだ十五のガキだ。……だけど色々と思うことがある。

 例えば、淡路島に遷都が決まったが現実はどうだろう? ビルが建ったりリニアモーターが走ったり、地下鉄が走って便利にはなって来てる。でもその一方で変えられないものと変わらないものがのさばっていないか?

 何十年もかかって首都が移る、それは分かる。

 ……だけど人の心や考え方はまだまだ農業や畜産や漁業に根付いた暮らし方をしているんじゃないか? ビルが建ったから首都ではないし、田んぼが無くなれば都会になるってもんじゃないはずだ。

 ……来年の今頃にはここに天皇陛下が引っ越してきて、『遷都は成った』と宣言するだろうけど、それは本当に首都に成ったのだろうか?

 俺は本来なら高校受験に向けて勉強してなきゃならない時期だ。だが来年の春に合格したとしても、首都となって生徒の転入や転校があれば学校の価値やレベルはあっという間に変わっちまう。学校に限らず仕事だってそうだろう。今は好調な職種も、新規参入や業務拡大はアチコチで繰り広げられて、競合店が現れたと思ったら業績なんて一夜にして逆転してしまうだろう。

 それは良い変化も見込めることだけど、決して良いことばかりじゃないはずだ。

 みんなバイクで走っていて感じているんじゃないかな。

 百年を費やしてブランド化したアワジの玉ねぎは、収穫量が半減した。

 同じく、淡路牛も淡路島の牛乳も、その生産量や出荷量は減ってきている。

 漁業や海産物だって無縁じゃない。海岸や港の開発は行われていないけど、島で工事やってりゃ川から海へと少なからず影響は出ていて、海苔や若芽やシラス干しは年々質と量を落としてるらしい。

 都市化が進めば仕事はある。

 でも、これでいいのかな? 淡路島はこれでいいのか?」

 新宮の最外周の門の上から語りかけた智明の弁に、一同は静まり返っていた。智明の問題提起に関心があるというよりも、このあと彼がどういった行動指針を示すかを待つためだ。

「そこで俺は国に問うてみようと思った。行政や政府じゃなく、日本国の国民全てにだ。

 みんなも思ったことはないだろうか?

『もっとこうなればいいのに』

『もっとこうしたら暮らしは変わるのに』

『このルールは正しくないんじゃないか』

 そういうのを直接ぶつけたい!

 ただ、俺は世間的には受験を控えた中学生だ。だから当然普通の手段じゃ、発言の機会も与えられないだろうし、真剣な返答も得られないだろう。

 ……だから俺は、正当な質疑の機会を得るために、淡路島を独立させることに決めた!

 新都のシンボルともなるべき皇居を占拠し、度重なる警察の圧力を跳ね返して来た! そしてニュースなんかにもなっているけど、近々自衛隊が淡路島へとやってくる。

 目的は何か?

 この明里新宮の奪還と見て間違いない……」

 一同にさざ波のようなざわめきが広がった。今日、自分達が手にした武器と防具が誰に向けるための物かに気付き、今日の訓練がなぜ行われたかを理解したのだろう。

「……もう気付いていると思うけど、みんなが持っている銃は、自衛隊とその後ろに控える国へと向けるための銃だ! 身に付けている防具は、俺の独立を阻もうとする暴力から見を守るための防具だ!

 ……だが安心して欲しい」

 一際大きくなったざわめきを、智明は手を挙げて制する。

「その防具は機動隊で使われているものと遜色ない能力がある。反対に銃は玩具同然で殺傷能力は低い。独立だ、抵抗だという割にチャチな武装に留めたのは、みんなに人殺しをさせるためじゃないからだ。

 俺のしようとしている事は日本国への反逆と抵抗だ。だからこの新宮に身を置くだけでも罪になる。その上で強力な武器を持っていれば、みんなも酷い刑罰に処されてしまう。それを避けるためにあえて武装は弱くしている。

 裁かれるのは俺だけでいい。俺が首謀者なのだから、それで良い。

 だけど、俺一人では独立は叶わない。中学生一人が騒いだだけで国を動かせるはずはないし、俺一人で国を興して作り上げることは出来ない。

 そう! 独立国家は旗を振った人間だけでは成り立たない! 志を同じくした仲間と、担ぎ上げてくれる国民が居なければ国は生まれない!

 日本や世界を征服するような大それたことは出来ない。だけど、国会や行政にのさばっている骨董品に、二十二世紀を生きる俺達の何が理解できるだろう?

 何を理解してくれるだろう?

 あえて言うなら、ジジイ共に俺達の明日を決めさせない! 俺達の国を作り、俺達のルールを作ろう!

 その独立の一歩にみんなの協力が必要だ!

 こんなガキの戯言を『面白そう』だとか、『付き合ってやろう』と思ったら、この地に残って欲しい!」

 いつの間にか言葉に熱がこもり始め、智明は身振り手振りを交えながら訴えかけていた。

 そのせいか喉が痛くなり始め、脇腹を汗が伝っていく。

 言いたい事を言い切って外苑に整列した人々を端から順に見ていった、のだが、反応はイマイチで、拍手や歓声が上がる気配も無ければ、賛同してくれている様子もない。

 スベった、と感じて気恥ずかしさが膨れ上がった智明は、足元に立っていた川崎を見やる。

 と、強面の川崎が作り笑いで白い歯を覗かせながらしきりにウインクを投げてくる。

「ん、うん?」

「モア、能力見せてやってって、言うてはったよ」

 当惑し始めた智明に、優里がそっと耳打ちをしてくれた。

 なるほど、と合点がいき智明は周囲を見渡し、適当な端材やゴミがないかと考える。

「お! アレでいいや」

 射撃訓練の的のそばに転がっていた鉄パイプを見つけ、手元へと引き付ける。

「おお……!」

 更地の表層に敷かれた砂利の上を、何者かに引きずられるように斜めになって、地についた片側からカラカラと音を立てて進む鉄パイプに驚きの声が上がった。門の前まで引き摺られた鉄パイプは、また何者かに蹴り上げられたか投げ上げられたように宙に跳ね上がって、回転しながら智明の前まで浮かび上がる。

「こんくらいかな?」

 回り続けていた鉄パイプを眼前で横一文字にピタリと停止させ、智明は独りごちて一端から1センチほどの輪切りを二つ切り出す。そしておもむろに掌をかざし、淡い光を振りかけるようにして輪切りにされた鉄パイプを細く引き伸ばし、羽を広げた二羽の鶴が彫り込まれた腕輪を造り上げる。

「形が変わったぞ!」

「ただの鉄パイプを!?」

「手品、じゃねーよな……」

「光って伸びたらもう出来上がってた、よな?」

 一同の目に触れるように腕輪を掲げると、ざわめきから感嘆の声へと変わり、小さな拍手が起こった。

「……川崎さんがキング、キングって持ち上げてくれるから王冠にしようと思ったけど、さすがに国王とか独裁者っていうほど中二病じゃない。だけど、みんなを引っ張っていく首謀者として、このチカラを示す」

 智明は声高に宣言し、空中に浮かせたままの腕輪の一つを取り上げて自身の左手へ通した。

「……私は、キングのサポートとして、その責任の半分を背負います」

 智明が優里を促す前に、優里も宣誓をして空中の腕輪を取り左手へ通す。

「……いいのか?」

「今更やなぁ。モアがイザナギやったら、私はイザナミやんか」

「ありがとう」

 智明と優里がささやきあったあと、優里が左手を差し上げると、二人を冷やかすような口笛と拍手が起こった。

「……ありがとう! 最後に一つ、付け加えておくよ。実は昨日届いた荷物の中に、新しい時代へと繋がる『タネ』が入っていた。さっき見てもらった俺のチカラ程じゃないけど、人間を人間以上に強化してくれるモノだ。ただ、残念ながら数に限りがあるから、この地を去る人には譲れない……」

 智明は一旦言葉を切り、先程の鉄パイプを今度は5ミリほどの輪切りにし、また一同に見える状態で百個の腕輪を造り上げる(さすがに鶴の彫り物はなく、シンプルな平打に幾何学的文様と通し番号が掘られているのみだ)

「ふう……。川崎さん!」

「うお? お、おう!」

 智明は額の汗を拭ってから、リレーで使うバトンほどに短くなった鉄パイプを川崎へと投げ、川崎が受け取った鉄パイプへ百個の腕輪を輪投げよろしく全て投げかけた。

「明日の朝、この地に残り同士となったメンバーには『タネ』と一緒にこの腕輪を配る。この腕輪が独立の志を共にした証拠となり、人間を超えた人間の証明になる」

 再び智明は熱を込めて手を差し上げてみたが、イマイチ締まらなかった。と、足元でガシャリッと小さな金属が一斉にぶつかり合う音がする。

「独立のために!!」

 たくさんの腕輪がかかった鉄パイプを差し上げて川崎が大音声で叫び、もう一度腕輪を打ち鳴らす。

「独立のために!」

 川崎に呼応して淡路暴走団が声を揃えて右手を突き上げた。

「独立のために!!」

 また川崎が腕輪を打ち鳴らし、空留橘頭を煽るように、指揮するように手を振り回して叫ぶ。

「……独立の、ために!」

 やや乱れながらも半数以上が声を上げた。

「独立のために!!」

「独立のために!」

 川崎は腕輪を打ち鳴らしながら空留橘頭の列の中へ歩んでいき、手近な者と目を合わせ、肩を叩き、背中に手を添えてやりながら、リズムを揃えボルテージを上げていく。

「独立のために!!」

「もっとだ!」

「独立のために!!」

「気合入れろ!」

 空留橘頭の声が揃い始めると、淡路暴走団は乱れなく足を踏み鳴らし、右手を突き上げて熱量をさらに上げ、川崎は列を回り込みながらさらに煽る。

「俺たちの国を作るぞ!」

「独立のために!」

「新しい国だ!」

「独立のために!」

 いつの間にか智明と優里も右手を振り上げ、突き出し、声を張り上げて煽っていた。

 独立のコールが続く中、智明は更地の小石を二つ舞い上がらせ、天高く打ち上げて空間ごと圧縮していく。

 限界以上に押しつぶされ圧縮された二つの小石は、粉々に潰れても圧縮されたので熱を帯び始め、融解されてガラス質へと変異し、さらに押しつぶされて破裂し、ちり以下の大きさとなって明里新宮に降る注ぐ。

 ガラス瓶を内側から割ったような破裂音が響き、上空を見上げた同士達は、七月の陽射しを反射する幾千の煌めきを目撃した。


 うおおおおおおお……!!


 一同が沸き立ち、独立とキングを称える歓声は木霊となって諭鶴羽の山々に轟いた。

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