治安か 保護か

 七月にしては優しく涼しい風を受け、城ヶ崎真じょうがさきまことはゆるりと紫煙を吐き出した。

 本田鉄郎ほんだてつおが手配してくれた琵琶湖畔の貸し別荘の裏手、バーベキューコンロや丸太を割ったテーブルが並んでいるのにそれでも広々としているウッドデッキでタバコを吸いながら考えを巡らせていたのだ。波打つ琵琶湖の湖面を眺めてはいても、真の頭の中ではHDハーディーの進行度合いが本当のことだろうかと考えていた。

 食事の後に行われた篠崎と木村による検査では、骨の硬質補助化と筋肉の高反発樹脂化及び毛細管スプリング化も順調で、神経とけんと血管のコーティングにあと一晩かかるとのことだった。

 ――これがどれだけの成果になるか分からないけど、智明との能力差が埋まるなら、何だってやってみるしかない――

 結局、智明の能力を間近で体験したのは真しかおらず、普通の十五歳では智明を抑えられないことも真が一番分かっている。だからこそ可能性のある行動をしなければならないと考える。

 田尻や紀夫だけでなく、テツオや瀬名までHD化に巻き込んでしまったことは想定外だが、自分一人で不足ならば人数を揃えるというのも手段や作戦としてだと思えた。

 ――なんせ、相手は瞬間移動使えて、核分裂や核融合起こせるんだから――

 と、自分を奮い立たせようとした思考が、逆に怖さとなって真は身震いした。

「……あれ? 田尻、まだ終わらないのか」

「あ、ホントっすね」

 少し考え事に集中しすぎたのか、いつの間にか真の背後に紀夫が立っていて、ウッドデッキを眺め回したあと琵琶湖の湖面に目を向けて眩しそうに目を細めた。

「どうすっかな……」

「様子、見てきましょうか?」

「いや、いい。もうちょっと待ってみて、戻ってこなかったらバイクのメンテ行こう。田尻も俺らの姿が無かったらガレージに来るだろ」

 真の近くの椅子に腰掛け、タバコに火を着けて足を組む。

 しばらくして紀夫が同じセリフを口にする。

「……どうすっかな」

「どうしたんすか?」

「いや、別に」

 真が見ても作り笑いだと分かる笑い方で誤魔化したが、明らかに紀夫は田尻やバイクのことを考えていないと予想できた。

「赤坂さんでしたっけ、あの看護師さん」

「おお!?」

 真の推測が当たったのか、動揺した紀夫がタバコを落とした。

「おま、よく覚えてんな。人の彼女の名前なんか覚えるもんじゃねーぞ」

「す、スンマセン。美人じゃないけど可愛らしい人だったし、なんか印象強かったんで覚えちゃいました」

「……全くよぅ」

 アルミ製のアームチェアの下に転がっていったタバコを拾い上げて、仕方なさそうに紀夫は真を見やる。

「人をブス専みたいに言いやがって。恭子みたいな大人なのに可愛らしい顔って、なかなかいないんだぞ!

 ……と、そこじゃねーな。ただでさ未成年で無許可のH・Bハーヴェーやってんのに、今度は認可前のHDハーディーだぞ? 説明のしようがないだろ。悩ましいんだよ」

 真もH・Bの『種』を飲む時に厳しく注意されたのを思い出したのだが、未成年者のH・B化は法律で禁止されていて、診療の際に医者や看護師がその兆候や事実を突き止めた際は必ず通報しなければならないことも決められている。

 使用者に厳罰が下るだけでなく、施術を施した者も事実を知りながら見過ごした者も厳罰に処される。

 それほどに未成年者への影響があると考えられ、流通や施術に重責を求めているのだ。

 そこに来て非認可のHDで体を作り変えたなどとなると、紀夫の恋人赤坂恭子あかさかきょうこの反応は読めないし予想できない。

「そんなこともあるんですね……」

 まだ恋人と交際したり両思いになったことのない真は返事がしにくく、なんとなく雰囲気のあってそうな言葉を答えておくことにした。

 ふとよぎった幼馴染み鬼頭優里きとうゆりの顔が、やや霞んで見えた。

 恐らく真の初恋の相手だし、今も優里への恋心は間違いなく真の中にある。

 ――一週間ほど顔を見てないだけで忘れかけるとか、うっすい愛情だな、おい――

 苦笑を通り越して苦渋の表情で真はつぶやく。

「悩ましいっすね」

「マジでな」

 紀夫に返事をされたが言葉を返すことができず、とりあえず真はヌルくなってきたコーラを飲んだ。


 ちょうどその頃、田尻はイライラの頂点に達していた。

「もう一回聞くぞ。『種』もらった時から思ってたけど、なんであんたらはそんなに嬉しそうに検査してるんだ? なんか隠してるだろ?」

 ウッドデッキから少し離れたリビングルームで、田尻はソファーに座ったまま篠崎と木村を睨みながら問いただしていた。

 だが何度声を荒げても篠崎と木村は薄く笑いながらやんわり否定するだけで、尚更田尻は怒りがこみ上げてくる。

 直情型で堅い性格だと自認しているが、こういう少し上から小馬鹿にされるのが心底気に入らない。

 淡路連合の集合時間に遅れそうだった時に、接触事故になりかけた軽自動車の運転手の鯨井くじらいとかいう医者と話した時もそうだった。理屈で遠回しに追い詰めてきて、最後には警察官のフリをしてきて、キレにくい脅し方をしてきた。篠崎と木村は鯨井と似たタイプに見えて、ずっとモヤモヤしたものがあったのだ。

「隠し事なんかしていないよ。なあ?」

「もちろんです。嬉しいのも当然ですしね。研究開発した商品が、こうして計画通りの成果を表しているんです。嬉しいに決まっているじゃないですか」

 本人達は田尻を落ち着かせるための笑顔のつもりかもしれないが、田尻からすれば実験動物を弄り回すマッドサイエンティストに見えるのだ。

「その『成果』ってのが怪しくて仕方ねーんだよ!」

 今までテツオが近くに居たので我慢していたが、ついに田尻は本心をぶつけた。

「おやおや」

「そこを疑っちゃいけないな。君達の利害と私達の商品は一致していたから、君は『種』を飲んだんじゃないのかね。そんなんじゃ、本田君が悲しむゾ」

 肩をすくめた木村にも腹が立ったが、それよりも篠崎がテツオを引き合いに出したことと語尾の『ゾ』のアクセントは完全に田尻を煽っていて、田尻の最後のブレーキがぶっ飛んだ。

「バイク乗り回して遊んでるだけのガキとか思ってんじゃねーぞ! お前らの腹ん中がどんなもんか、大体の予想はついてんだ!」

「ははは。元気がいいな」

 怒鳴りつけた田尻だが篠崎の余裕の笑みは変わらない。

「じゃあ、聞くぞ。HDは認可も販売許可もないんだよな? だから俺らで手っ取り早い人体実験をしようとしてる。その先にあるのはHDっていう市場の開拓と独占だろ。なんならHDとセット売りできる自分たちの作ったH・Bのシェア拡大とかも狙ってんだろ」

 声のトーンを抑え、早口で捲し立てた田尻に、篠崎と木村は黙り込んで顔を見合わせる。

 うなずき合うような素振りのあと、二人揃って小さな拍手をし篠崎は楽しそうに答える。

「いや素晴らしい。会社や企業というものをよく分かってるじゃないか。君の言うように、自社商品の実験であることは言わずもがなとして、我々だって企業の一員だからね。売れて金になる商品を開発するのが仕事だ」

「どいつもこいつもそんなふうに腹が黒いと思ったら反吐が出るぜ!」

 田尻が思う最大級の侮蔑や怒りを吐き捨てるも、木村は涼しい顔で言い返してきた。

「すべてニーズに応えた結果です。骨や筋肉が金属化や硬質化させることで、歩けなかった人が健常者と変わらぬ生活を送れるんです。老化という概念がなくなり、就業可能な年齢が引き上げられることで、労働力の確保や年金問題の打開策ともなりえるんですよ。その代価として支払われた金銭が企業の売上になり、さらなる商品の開発へと結びつくんです。騙したり偽ったり儲けすぎるわけじゃないですよ」

 まるで用意していたようにスラスラと並べ立てられたメリットに、田尻は負けそうになったが、もう一つだけ残しておいたワードをぶつけることにした。

「フン。じゃあ、H・Bに信号やプログラムを忍ばせてるって部分は大丈夫なんだな?」

 この問いは、実は田尻にとって諸刃の剣でもあり、できれば使いたくないワードだった。

 なぜなら、篠崎や木村がこれを認めたり肯定するということは、田尻の中にすでに組み込まれたプログラムが存在するということになるし、そのプログラムがどういった内容かを彼らが明かす可能性は低いと考えるからだ。

 また、何らかのスタートボタンが押されれば、田尻や他のメンバーの命が奪われる恐怖を孕んでいるかもしれない。いや、H・Bはスマートフォン同等以上の機能を内包した電脳なのだから、メール一つで発動しかねない。

 田尻が怒りと恐怖で見据えている先で、篠崎と木村は急に黙り込んだ。

 ――図星か? それともヤブヘビか?――

 成功と失敗の両方が田尻の頭の中を駆け巡る。

「なかなか想像力が豊かだ」

 篠崎がポツリと無表情で言った。

 それに木村が続ける。

「考え方としては正しい。ですが、我々への脅しとしては間違いですね」

 もともと表情の動かない木村が、田尻を蔑むような突き放すような視線を向け、一瞬田尻は寒気を感じた。

「やめろよ。本気で何かあるように思っちまうだろうが」

 田尻は小さな後悔とともに、座っていたソファーから僅かに腰を浮かせた。

 彼らより腕っぷしが強い自信はあるが、明らかに増してきた陰湿な雰囲気が気持ち悪い。

 そんな田尻に追い打ちをかけるように篠崎が不敵に笑って言う。

「安心していい。まだHDの経過を確かめているところだ。悪いようにはせんよ」

「あなたには『何も答えない』という対応が一番効きそうですしね」

 いつもの表情ながら木村は言い放ち、リビングルームから出るためのドアを開いた。

「……クソッ!」

 篠崎と木村を問い詰めてマウントを取っておこうという田尻の思惑は見事に打ち砕かれ、逆に彼らにマウントを取られてしまった。

 侮蔑の言葉を吐いて苛立ち紛れに立ち上がり、田尻はドアへ向かう。

「ああ、そうだ。田尻くん」

「ああん?」

 田尻を呼び止めた篠崎に、田尻は剣呑な声を返す。

 しかし篠崎は楽しそうに告げる。

「我々は君達の活躍を応援してるからね。頑張ってくれよ」

「……アンタらに応援されても関係ねーし!」

「そんなことはありません」

 今度は木村が営業スマイルを向けてくる。

「君達は我が社の広告塔ですからね。しっかり宣伝してもらわなければね」

 右手親指と人差し指で円を作って残りの指を開いてポーズを取る木村に、返す言葉も見つからず、田尻は中指を立てて部屋を出て行った。

 ――二十一世紀末に古臭いオーケーサインなんかしやがって! ……それとも銭金ぜにかねの方のサインか?――

 どちらにせよ田尻は彼らの事が益々嫌いになった反面、新商品の宣伝のためにある程度本気で手を貸しているのだとも分かり、怒りを燃やしていいのかいさめていいのか分からなくなってしまった。

「……テツオさんがグルだったら、ヤダな……」

 田尻は初めて憧れの男を疑ってしまった。


 旧東京都千代田区永田町。

 隣接する霞が関も含め、言わずとしれた日本最大の都市東京にある国政及び警視庁や消防庁など中枢機関の集合地である。

 現在では首都が淡路島へと移される準備が進み、淡路新都国生市という新住所が制定されたため、東京の住所は東京府と改定され、二十三区も東京府東京市へ改定。ようやく馴染み始めて来たところだ。

 来春に予定されている今上天皇の淡路島への転居に伴って、永田町と霞が関は戦々恐々の日々を送っている。

 まだ十ヶ月近い期間があるといえば準備期間に余裕もありそうだが、単純に人と物を移すだけでは終わらず、むしろ日常的な業務を行いつつ淡路島に移すものと東京に残すものを区分けしていかなければならない。

 遷都が決定してから三十年、関東圏の人口は企業の移転や支社・支店の新設と合わせて徐々に淡路島へと移動しているが、それでも一年弱の猶予があるためにまだまだ東京には一千万近い人々が生活している。

 経済学者や人口推移に詳しい専門家らによれば、年明けから夏にかけて企業も人も物もかつてない大移動が行われると予言するほどで、先乗りするか後追いするかの駆け引きは、今後の経済に大きく影響するとも説かれている。

 だが最も移転のタイミングを図り難いのが国会と日本政府及び関係省庁と日本銀行などの中枢機関で、今上天皇を後追いすることなど出来ないわけだが、先乗りするには国会の会期や年度末などの関係で調整が難航しているのが現状だ。

 現職の内閣総理大臣御手洗清みたらいきよしは、関西出身の力強い語り口とある種強引な論旨で人気を博し、参議院を四期続けて当選。その後、厚生労働大臣として閣議入りして二期を過ごし、遂に内閣総理大臣まで上り詰めた。

 これはひとえに師匠とも恩人とも慕う山路耕介やまじこうすけのお陰である。

 山路は天皇即位の騒動を引っ掻き回す形で、遷都による日本改造を押し通した人物であり、御手洗を厚生労働大臣へと引き上げてくれた。

 九州出身の山路は正しく九州男児で、御手洗も学ぶところが多く、政治に資金集めに根回しにと様々なことを学ばせてもらった。

 しかしその山路も遷都に絡んだ様々な憶測やゴシップに打ちのめされ、更には資金調達の面であらぬ疑いをかけられて失脚。現在は持病の悪化に伴って地元で隠棲している。

 そうして御手洗へとお鉢が回ってきたわけだが、師匠が師匠なら弟子も弟子である。

 六月の通常国会で自衛隊法改正案を提出し、自衛隊をより明確な行動指針を持った防衛軍へと引き上げようとした。

 当然、国会だけでなく日本国中から猛烈な批判と批難を受け、三日に渡って熱弁を奮ったが改正案は見送りとなった。

 それでも『見送り』であって『廃案』ではないところが師匠譲りの豪腕なのかもしれない。

「失礼します」

「……なんだね?」

 千代田区永田町にある内閣総理大臣官邸の五階にある総理大臣執務室の扉を開け、内閣官房長官定岡誠二さだおかせいじが入室した。

 御手洗はデスクに座して手元の書籍から顔だけを向けて定岡を見やる。

 風貌こそロマンスグレーとなった御手洗だが、齢六十五にしてまだまだその眼光は鋭く、年の変わらぬはずの定岡はいつも気後れしてしまう。

 それでも重厚なデスクまで近寄り、要件を申し立てる。

「南あわじ市からの自衛隊派遣要請をお受けになられたそうで……」

「ああ。何か問題あるんかね?」

 半ば喧嘩腰に聞こえるが、国会答弁や記者会見以外ではこれが御手洗の普段着である。

「件の改正法案で国民もマスコミも過敏になっている今ですか?」

「オブラートには包んだつもりだ。防衛大臣にも筋は通したし、彼も納得してくれとる。なにか落ち度があったかな?」

「大ありです。そもそも市長には自衛隊派遣を要請する権限もありませんし、国内では災害派遣以外で自衛隊を派遣した前例がありません」

 定岡の並べ立てる理由を聞き、御手洗は書籍を閉じてデスクに置く。

「君も要請の子細を聞いているだろう? すでに機動隊が五回も突入して歯が立たなかった。この異常事態に対処できる機関が他にあるんかね。それに、今、新都には知事に相当する行政機関は設置されていないし、問題は南あわじ市の行政区分で起きている。誰が要請したかは関係なく、要請せねばならない事態だというところを軽視してはいかん」

 自衛隊法第八十一条では、自衛隊の派遣要請は都道府県知事が内閣総理大臣に対して行えるとある。だが御手洗の言う通り、現状淡路新都国生市という住所は発布されたが、行政機関は存在していない。

「付け加えれば、機動隊が通用しなかったという情報が世間に出ないように手を回しているが、それも時間の問題だろう? ならば明確な証拠がバラまかれる前に処理してしまわないと、自衛隊だけでなく国政というものが真意失墜の憂き目に合う。そのために『新皇居の防衛訓練』なんていう想定外の斜め後ろなでっち上げまで仕立てたんだ。先の国会で改正法案が通ってたら、淡路島近海を埋め立てて基地を作りたかったくらいなんだぞ」

 御手洗の熱量と剣幕に押されながら定岡は苦笑し、対論を示す。

「さすがに基地建設はこの場だけの冗談だとさせていただきますが。……総理の判断が概ね正しいと納得はいたします。ですが、本当にそんな化物のような生物が暴れているとお考えなので?」

 今更な確認に御手洗は右眉を跳ね上げて肩をすくめる。

「超能力なんて、信じてはいない。だが、ゼロだとは思ってないな」

「ほお?」

「考えてもみろ。時代はもう頭の中に機械を内包しとる。電脳やサイボーグやアンドロイドなんぞ、ハリウッド映画とかSF小説だけのもんやったはずだ。宇宙人や異星人や霊魂すらその信度が上がってきている。……もう何が起こっても驚きはせんよ」

 御手洗はつまらなさそうに口を『へ』の字に曲げて書斎チェアを回して、背後の窓を向いた。

 御手洗がこうした行動を取る場合は、大抵話題に飽きて話し相手に退室を促したい時だと定岡は学び取っている。

 しかしどうしてもあと一つ確かめておかなければならないことがあった。

「……あと一つだけよろしいですか」

「なんだ?」

「今回の自衛隊派遣ですが、事件解決後に派遣理由を明かさねばなりません」

 自衛隊法第八十一条にて都道府県知事が内閣総理大臣に自衛隊派遣を要請できることは先に述べた通りだが、その要請は国会の決議を行わずに総理大臣の判断で受理し派遣することができる反面、後日その派遣理由や派遣に至った経緯を国会で説明せねばならない。

だ」

 定岡は驚いてすぐに言葉が出なかった。

 防衛派遣とは、他国からの武力侵攻が認められた場合もしくは明らかな武力侵攻の兆候があった場合に、自衛隊に防衛及び対抗を指示するもので、平たくいえば戦争状態での出動を意味する。

 御手洗は国内の一事件を戦争同然に扱ったと言ったのだ。

「それは、さすがに……。正気ですか?」

 動揺を隠さない定岡に、御手洗はチェアを回して向き直る。

「高橋智明だったか? 皇居に立て籠もってる少年の動機次第ではそうなる」

「さすがに、それは……」

 定岡は考えがまとまらないのか、意味のない言葉を継ぐだけだ。

 仕方なく御手洗は折れてやる。

「まあ、しかし子供のすることだ。良くて治安維持派遣。少年の動向とマスコミの煽り方次第じゃ国民保護等派遣だな」

 治安維持派遣とは、警察力では抑え込めない著しい騒動や混乱、または安保闘争レベルの暴動に対して自衛隊を派遣することである。

 国民保護等派遣は、テロや武装集団の侵攻などから国民を保護する目的のもので、兵力や武力ではなく避難支援や救助活動・物資輸送や化学物質の除染などを行うことを指す。

 御手洗が態度を軟化させたことに安心し、定岡は小さく息をつく。

「なんとか、演習で片付いて欲しいものです」

「ふん。俺としては自衛隊を防衛軍に切り替えるチャンスなんだがな」

 ニヤリとほくそ笑む御手洗に対し、定岡は心底嫌そうな顔をする。

 内閣官房長官の立場としては総理大臣の意向を元に、法案を作り上げたり答弁書を作成しなければならないのだから、天地をひっくり返して爆破するような言い樣は心臓に悪いのだ。

「お戯れを……。では、失礼します」

 ようやっと言い返して定岡は総理大臣執務室を退室した。

「まだまだ、これからだよ」

 先程の定岡の顔を思い出しながら、御手洗は楽しそうに笑ってデスクの書籍を開き直して目を落とす。

 愛読書、山路耕介著『三度目の日本改造論』の第一章『真実の自衛は防衛軍から』は、御手洗が一番好きなテーマだった。


「すごい音……!」

 続々と走り込んできたバイクの大群に、鬼頭優里きたうゆりは両耳を塞いだ。

 先程、高橋智明とともに国生警察の刑事を見送ったばかりだが、入れ替わりで現れたバイクの集団は五十人以上だ。

 先頭の大型バイクから、バイクに見合った大柄な男性がエンジンを止めて智明と優里に歩み寄る。

「キングの命令通り、連れてこれるだけ連れてきたった。それなりのもんやろ」

 仁王立ちで腰に手を当てて何故だか自慢げな淡路暴走団大将川崎実かわさきみのるに、『キング』などと呼ばれた智明は苦笑混じりに答える。

「さすが、淡路連合の一角だね。……ところで、アレも川崎さんの手配なの?」

 ポイッと智明が指差した先に目を向けると、2ストロークエンジンの甲高いエンジン音を立てながら、オフロードバイクの一団が走り込んできた。

「あらぁ空留橘頭クールキッズやんけ。ワシャ知らんど? キングの手配ちゃうんけ?」

 黒の特攻服で揃えた淡路暴走団を回り込むように、外門の空きスペースにまた四十台ほどのバイクが停車した。

 揃いの赤いライダースジャケットは空留橘頭のトレードマークだ。

「俺も知らない。てか、キングとか恥ずいからやめてよ」

「ワシ社長やよってん、ほの上ったぁ王様だあの? 王様言うんはこっちが照れくさいよってんキングにしたんじょれ。ワシがほこまで服しとるんはわかるやろ」

 呼び名に拘るほど中二病ではないつもりの智明だが、何故だか誇らしげな川崎は智明の恥じらいに気付いてくれそうにない。

「ところで、隣の可愛いネエチャンは誰なん? キングの彼女け?」

 年上の傲慢というか、ボス基質の気安さか、川崎は優里を指して問うた。

「はじめまして。まあ、そのぉ、モアの彼女、でいいんやんね?」

「もちろんだ」

 智明が紹介する前に挨拶し始めておきながら、尻すぼみに智明に振ってきた優里に、智明は苦笑しながらもハッキリとうなずいた。

 予想通り川崎はいやらしくニヤニヤと笑いだし「んじゃ、クイーンじゃの」と言い放つ。

「えええ? ちょっとモア! こうなる思ったから私の紹介せんかったんやろ! なあ!」

「いて! いて! だって俺だけキングとか恥ずかしいもん。彼女なんだから付き合ってくれよ」

 優里が智明の左腕をペシペシ叩く光景に、淡路暴走団から口笛や野次や冷やかしが飛ぶ。

「邪魔してもええかな?」

「邪魔するんやったら帰って」

「ほな! ……って何やらすねん! 俺、そーゆーキャラちゃうし」

 時代錯誤な金髪のリーゼントを揺らしながら、横から割り込んできた男は川崎に抗議した。

 先程は古典的な新喜劇ギャグを振った川崎だったが、金髪リーゼントを見る目は冷ややかだ。

「呼ばれてへんのにるからじゃ。お前のシマちゃうねから早よ帰れ」

「そんなん言わんと混ぜてよ」

 智明は、あからさまに追い払おうとする川崎と、なんとか食い下がろうとする金髪リーゼントを黙って見つめている。優里は智明に手を引かれて智明の背中に隠れてしまう。

山場やまばよぉ。ワケ分かってないやろ? 空留橘頭キッズが面白半分で噛んでええ話しちゃうんじゃ。帰れ!」

「川崎さんがちゃんと言うてくれたら帰るわ。ここで何すんの?」

「ウッザイなぁ! しまいにゃどつきまわっそ!」

 とうとう短気を起こして川崎が一歩踏み込む。

「はい、ストップ」

 おどけながらも川崎に対して戦闘態勢をとった山場俊一やまばしゅんいちに向け、智明は手を上げて制した。

「川崎さん、それでこそうちの尖兵だ。ありがとう。山場さんでいいよね? アンタの考えてるようなことよりもっと酷い事がこれから起こる。大人しく帰ったほうがいいよ」

「そうはいかへんな」

 なるべくやんわりと拒絶したつもりだったが、智明の言葉を聞き入れずに山場はしゃくりあげるように睨みを利かせる。

「情報は入ってるんや。お前が機動隊を手玉に取って、次は自衛隊と一戦交えようっちゅうんやろ? そんな楽しそうな話、俺抜きでやらせるわけにいかんわ。ああ、そりゃあかんで」

 どこか自信満々で、時折煽るように下卑た笑いを浮かべながら話す山場を、智明は冷めた目で見つめる。

「なるほどね。……けど、どんだけ俺のスキを突いてもアンタが大将になることはないし、最悪淡路暴走団アワボーを壊滅させて淡路市を牛耳るってのも無い話だ」

 智明が淡々と断言していくうちに山場は黙り込み、川崎は呆れ顔になる。

「まぁたそんなしょーもないこと考えとったんじょ。相変わらずじゃの」

「黙れ! 適当なこと言うな!」

「ついでに、俺の女には指一本触れさせないし、たっぷり可愛がってから仲間でマワスとか、不可能だからやめといた方がいいよ。そんなことを考える奴を近くに置くほど俺は人間が出来ていない」

 川崎への対抗意識か、怒鳴り声をあげた山場へ智明は本気の警告を行った。

 言葉だけでは通じないと思い、山場が手にしていたヘルメットを激しい破裂音とともに粉々にしてやる。

「ヒッ!?」

 大仰に驚いてたたらを踏み、山場は態勢を崩して無様に尻もちをついた。

「なんや? なんや? 何をした?」

 消え去ってしまったヘルメットを探しつつ、腰が抜けたのか態勢を立て直せないままジタバタと地面でもがく。

 そんな山場の胸ぐらを掴んで吊し上げ、川崎は怒気を込めた声で忠告する。

「うちのキングはおどれの心なんかお見通しなんじゃ。謀反や騙し討ちを考えるクズはお呼びやない。分かったか!」

「グッ!……うえっ……ぷっは……!」

 川崎に吊り上げられているせいで地に足がつかず、山場は聞き心地の悪い声とも音ともつかぬ悲鳴を発してもがいている。

「川崎さん。淡路暴走団アワボーの手下としてなら置いといてもいいけど、どうかな? もちろん、この門から中には入らせないけど」

「正気か? 今まで淡路連合があったよってん口にせえへんかったけど、コイツの根性は腐っとるぞ? 情けや優しさなんぞ、恩にも感じへん。むしろそういうスキに付け入るためにオチャラケたり弱いフリをする。クズやカスやクソですら表せんくらいのゴミやぞ?」

 川崎が積年の恨み節を吐き出している間、当の山場はもがいている風を装って川崎の足に何発か蹴りを見舞っている。

「ほらな? ……んっせと。ほれでも使ってみせろ言うんなら、使わんでもないけんどの」

 面倒くさそうに智明にその様を見せてから、山場を拘束している腕を替えて、襟元が締まるように奥襟を引き絞って背中合わせに背負いあげる。

「くうぅっう! えおおっの!」

 どうやら本気で気道が圧迫されているようで、先程より苦しそうな音を鳴らす。

「兵隊や壁にも使えないってなると邪魔なだけだけど。……褒美でも出したらマシにならないかな?」

 智明は背中で震えている優里を気にしながら、少しだけ条件を緩和させた。

 国生警察の黒田刑事から自衛隊の派遣されるような情報もあるため、人手があるに越したことはないからだ。

「逆やろ。逆らえんくらい大事なもんを取り上げて、脅しながら言いなりにするくらいやないと、コイツらはすぐにでも裏切りよる」

「ごこ……が、ボ……げあ……」

 いよいよ山場の体が震えて痙攣を起こし始めたので、川崎は地面に下ろして呼吸をさせてやる。

「……なるほど。こんな状況でも俺と取って代わろうって考えるんだな。ちょっと山場さんとは後でちゃんと話を付けるよ。他のメンバーはいい感じにビビッてくれてるみたいだし、川崎さんに丸投げしちゃおう」

 智明の軽い雰囲気に川崎は一瞬呆けた顔をしたが、足元の山場の拘束は解かず、空留橘頭のメンバー達を振り返る。

 一旦は山場に駆け寄ろうとしていた彼らだが、智明と川崎の会話に戸惑い、山場の劣勢を見てすっかり萎縮してしまっている。

 淡路暴走団が睨みを効かせていたのもあるが、そもそも空留橘頭は淡路暴走団やWSSウエストサイドストーリーズのような武闘派ではなく、陰険な作戦で陥れたり焚き付けたりと暗躍が得意なタイプだ。

 落とし穴も掘れないような正面切ってのぶつかり合いには向かなかったようだ。

「……やれやれ、早速の無茶振りじゃの。まあこれでキングの希望通りの頭数が揃ったんやし、給料のアテもでけたしな」

 少し疲れた顔をしながら川崎は不器用なウインクを智明に仕向けてくる。

「……まさか、俺らをハメたんか!」

「さあな。けど、お前らだけが頭使って生きとると思わんこっちゃぞ」

 川崎に両腕を縛られながら、山場は人生最大の失態を演じたことを知ってありったけの暴言を吐いたが、即座に川崎に延髄を打たれ、失神した。

「クイーンの前で荒っぽいことしてごめんやで。けどな、こうでもせんと統率っちゅうもんは簡単に破綻してまうんじょれ。ごめんやで」

「いえ。覚悟はしてますから」

 中世の騎士のように畏まって詫びる川崎へ、優里は震える声でそれを許す。智明と短絡的な逃避行を企てたのは優里だし、警察官や機動隊を退却させたことで何かしらの波乱は起こると想像はしていた。智明が味方や仲間を増やすと言い出した時から、今日のこの見苦しい光景に立ち会わねばならないと覚悟してもいた。何かに抗ったり自身の主張を通す時、それが力ずくであるならば綺麗事だけで済まないことも授業で習っていた。

 ――でも、やっぱり目の前でっていうのは、気分のいいもんやないなぁ――

 心で呟き、優里は少し強く智明の手を握りしめたが、この気持ちは伝わらないでほしいとも思っていた。

「……ともあれ、寝起きする建物はあるから案内するよ」

「そりゃ助かるわ」

 智明は空留橘頭の処遇なども含めて考えなければならないことが増えたので、話題を変えて一旦落ち着こうと考えた。

 川崎もそれに習うつもりのようで、気絶した山場を淡路暴走団のメンバーに任せて少し笑顔を見せる。

「しかし、こんなに上手くいくとは思わなかったよ。川崎さんに声をかけて良かったよ」

「いや、正確にはワシとちゃうねん。風来坊みたいにフラッと訪ねてくる情報屋がおるんじょ。普段は連絡もつかん不義理な奴やけど、いっちゃん大事な局面には必ず関わってくる奴なんよ」

 周りで移動の準備が進む中、なんの気無しに交わした雑談を智明は無視できなくなる。

 どこで何をしているか連絡も取れないのに、大事な時には必ず居るというのは、これからの智明にとって足りない部分だと考えていたからだ。情報や資金や人材は、イメージだけでは手に入らない。

「それそれ。俺の欲しい人材! 作戦考えたり行動してくれたりって部分は川崎さんに頼れるけど、情報とか人脈とかは限界あるからね。山場さんは陰謀と隠密性と嫌らしさだから、ちょっと違うから」

 以前の勧誘の時も感じたが、智明は正直過ぎるくらい川崎に本音を明かしてくる。

 もっと支配者や独裁者っぽく偉ぶっててくれた方が川崎の性分に合うのだが、年下の上司に従うと決めた以上、川崎にも出し惜しみはない。

「紹介したいけど、なんせ連絡つかへんからなぁ。まあ、そのうちに引き合わせるわ。……ちなみに、名前はフランク守山もりやまって言って、名前のまんまのハーフっぽい兄ちゃんやねん」

「ふーん。こっち側についてくれたら嬉しいなぁ」

 のんびりとした返事を返したが、智明の頭の中には対処すべき事案がまた一つ増えた。




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