ボーイスカウト
淡路島の北部一帯は二十一世紀初頭に市町村合併され、淡路市として再出発した。
当時の淡路島は人口流出などを要因とする過疎が懸念され始め、ゆくゆくは全島を合併して淡路市とする気運が高まっていたが、南部が南あわじ市と成り、中央部が洲本市と成り、北部の名称に注目が集まる中で先んじて淡路市を名乗ったことで、一部批判や抗議が起こったいわくがある。
そんな淡路市も一世紀の歴史を数え、今度は新都の中心地に含まれなかった事に批判と抗議が集中した。
正確には東京二十三区のような区割りから漏れて国生市の隣接市となっただけなのだが、三十年経って開発や人工の増加が進んでも一定の不満と軋轢は残っている。
当初の政府公式見解では、人口の集中や都市化が整えば淡路市も区割りを行い、副都心として扱う旨を示したが、専門家らは望み薄としている。
その理由として、平野部が少なく山が多い地形とそれに則した地場産業、更には物流の基点ともなる明石海峡大橋の存在など、民意とは別の問題が影響していると解説されている。
世間的にも微妙な立ち位置と扱いの淡路市だが、それでも新都に属し国生市と隣接する土地であるから、企業の移転や工場や施設の建設も続々と増え、マンションや住宅も建設ラッシュを迎えている。
淡路市東浦に本社を構える株式会社カワサキは、淡路島北部を中心に土木工事を請け負っていた
もとは第二次大戦後に土建屋として興り、昭和・平成・令和と生き延びて遷都を迎えたことで土木・建築ともに発注が増え、淡路島及び近県の同業種の中でも急成長を遂げた。
結果川崎実は用意されたレールを実直に突き進み、工業系の高校から経営が学べる大学へと進学し、平日は大学に通い週末や長期休暇は現場で建築を学ぶという青春を過ごし、二十八歳にして年商十億とも言われる企業の取締役となった。
「
「あ! ゲンさん、ごめんやけどワシャ用事でけたよって、例の打ち合わせはゲンさんとセイさんで行ってくれっけ? セイさん! 二時から出れる? ゲンさんと打ち合わせ行ってほしいねけど!」
「おん、ええど。ええねけんど、オラ夕方に別件あんで?」
「ホンマにか。……ええわ。夕方のんはアワジの会社やろ? カミの会社やったぁ約束にうっさいけど、アワジやよってん『遅れる』言うといたらなんでんならいの。マチコぉ! ナンしといてぇ」
「社長。ええ加減ヨメみたいな呼び方やめれ。 私、社長の女や思われて彼氏にフラレとられ。ええ迷惑じょ」
「ほなワシがもうたるさかい身一つでおいで。ええ暮らしさしたんぞ」
「ゴリラは願い下げ!」
「ありゃりゃ。見た目くらい金で目ぇつぶってくれよ……。ほなごめんやけど、直帰しょーわ!」
淡路弁の飛び交う清潔感のあるオフィスを、川崎は右手を挙げて颯爽と通り抜け、大阪湾が臨める淡路市東浦の楠本地区の山あいの社屋を出て、愛車kawasakiVN2000バルカンにまたがる。日本国内で走るには持て余しがちな大排気量の大型バイクだが、ポテンシャルを活かせずとも強大なスペックを有していることが川崎を満足させるのだ。このバイクで何かをするのではなく、このバイクはもっとすごい力を温存しているんだぞと思えることで満たされるのだ。
緩斜面を二速でゆったりと下りきり、国道28号線に出て津名港へと向かう。
父親の代から働いてくれている社員や幼馴染みの事務員たちとご陽気なやり取りをしていたが、川崎の頭の中では静かにイライラが募っている。
――なんでワシが行ったらなあかんねん――
週始めの午後の国道は空いていたが、気分の晴れるツーリングではない。
これから落ち合う相手は、突然川崎の自宅に電話をかけてきて、名前も名乗らずに半ば脅すような文言で今日の会談を持ちかけてきたのだ。
声から察するに恐らく子供なのだが、イタズラでは済ませられない煽り文句は、バイクチーム淡路暴走団の大将として許せるものではなかった。
そうでなければ仕事よりも優先したりはしないし、もしこれで下らない内容ならば、社員達に合わせる顔がない。
川崎にとって社長職とバイクチームは等価値で、社員を雇って金を稼ぐことと、メンバーを揃えて影響力を持つことは、形は違っても同種のゲームなのだ。ゲームの様に楽しめるぶんゲームの様に真剣になれる。
28号線を左折して橋を渡り、腹に響く低音を奏でながら津名港ターミナルビル前の駐車場へバイクを侵入させる。
バイクを止め、ヘルメットを脱いで辺りを伺うが、川崎を呼びつけたらしい人影はない。
――イタズラか?――
「やあ、どうも」
「なぬ!?」
川崎が子供におちょくられたのではと疑い始めた瞬間に、すぐ近くから声がして心臓が跳ね上がるほど驚いた。
「お前が呼び出したんか?」
さっき辺りを見渡した時には周囲に人影はなかったが、声の主は川崎からニメートルと離れていない場所に立っていた。
「急に電話してごめんなさい」
川崎の問いかけにすんなりと答えられて逆に川崎は困惑した。
緊張も気負いもなく自然体で立つ少年は、青いTシャツに白のボタンシャツを重ね着してジーパンにスニーカーという出で立ちで、顔も髪型も声まで少年らしい幼さしか感じない。
淡路島では何番目かに大きい会社の社長であり、社会人中心とはいえ淡路市で最大のバイクチームの大将である自分に、子供風情が物怖じせずに話しかけてくるのだ。恐れを知らないにしても程があるし、そうでなければ小馬鹿にされている感覚になる。
「電話の件はまあええわ。それより、ワシが何者か知ってて呼び出したんか? それとも、度胸試しか悪ふざけか? 返事によっちゃボッコボコやど?」
「どれでもないよ。電話で話した通り、川崎さんの野望を叶えるために手を組もうって話だよ」
こともなげに言い放つ少年に、川崎は油断のない視線を向けて警戒を強める。
――何かがおかしい――
「野望ってなんやねん。人を暴走族かヤクザみたいに言うなよ、ガキ」
明らかに少年は川崎を同列か下に見た立ち位置を取っている気がして、威嚇するように川崎は言葉を荒げる。
少年の言う『野望』が何を指すのかは分からないが、当てずっぽうにしても図星をつかれて感情的になった。
「そうは思ってないけど、そうなりたい願望はあるよね。遷都のタイミングを利用して会社が大きくなれば、淡路島だけじゃなく近畿から関西の経済界で大きな顔ができる。多少の荒事ならバイクチームを兵隊にできるしさ」
表情を変えずにスラスラと述べた少年に対し、川崎は不気味さを感じてわずかに後ずさる。
「なんや、人聞き悪いことをぬかすな!」
どうにか言い返したが川崎の心は動揺でごった返す。
――なんや? 誰や? ワシの計画は親父にしか話したことないぞ? 親父が誰かに話したんか? 誰や? ワシを裏切ったんは、誰や?――
「違う違う。誰も裏切ってないよ」
「なっ!!」
今度こそ川崎は少年から飛び退いて、戦闘態勢を取って体を緊張させる。
不気味を通り越して恐怖すら感じたからだ。
「お前、ワシが考えとることが分かんのか?」
少年より頭二つは上背のある川崎が、獲物を狙う猛獣のように体を丸く縮めて、いつでも戦える態勢を整える。
だがそんな川崎を目の前にしても少年の表情や態度は変わらず、自然体で立っている。
「ハッキリとは分からないけどね。川崎さんはガードが固いから。でもこれで俺が電話で話したことは信じてもらえるよね」
ニヤリと口元を歪めた少年に、川崎は少年との電話の内容を思い出す。
「ワシを思い通りの地位に据えてやる代わりに手下になれ、やったな」
おずおずと返した川崎にうなずきかけ、少年は右手を差し出す。
「正直、俺一人の力で出来ることは沢山あるんだけど、一人ってやっぱり限界があるからね。仲間とか部下って必要だなって思うんだ。川崎さんもそうだろ?」
少年の言う『出来ること』が何であるかが気になったが、考え方にはうなずかざるを得ない。
一部上場企業を除けば、川崎の経営する会社は淡路島では最大規模だ。父親の代までに築き上げた建築と土木だけではなく、川崎は保険や介護などの業種にも手を広げたためにここまでの地位へと上り詰めた。遷都が完了して国生市に東京証券取引所が移転ないし同等の証券取引所が設置されれば、上場の手続きを行う準備も進めているくらいだ。
それでも淡路暴走団のようなチームを持つのは、会社として表立った対処が困難な局面を処理するためと、若年層にも影響力を持つためだ。
先程、少年の煽りに対して『暴力団や暴走族ではない』と切り捨ててはいるが、二十二世紀を目前とした今でも社会的な地位を築くためには正攻法のみとはいかないことを川崎は知っているし、光は必ず闇を生み、光の届かぬ場所で取り引きや行動することも必要だと父から教わってもいるし、その通りの局面も経験している。
「……心を読める相手に嘘はつけんわな。で? ワシを手下にするってか? ちょっと舐め過ぎちゃうか?」
怯んで下がりかけた拳を構え直し、強面の顔面をさらに険しくする。
「そんなことはないよ。色々出来るって言ったでしょ。例えば、殴り合いを成立させないこともできるんだ」
不敵な笑みを消して少年は軽く右手を持ち上げて、手の平を川崎に向ける。
「ぬ? ……ぐ、うん?」
最初は突風が吹いたような弱い圧力がかかったが、足を踏ん張って耐えた。が、徐々に圧力は強まり、台風に揺さぶられる街路樹のように体全体が押し込まれる。咄嗟に右足を引いて態勢を整えるが、さらに強い力に押されて尻もちをついてしまう。
「このっ! ……うん?」
急いで立ち上がろうと手をついて力を込めるが、どんなに力を込めても体はピクリとも動かない。
「何をした? これがお前の仕業なんか!?」
前後にも左右にも動かない体で、なんとか態勢を変えようと力を込めるが、不可視の力を押し返せない。
「そうだよ。分かりやすく手をかざしたけど、そんなことしなくても同じことは出来る。どうだろう? 大人しく俺の手足になってくれないかな」
川崎にかざしていた手を下ろし、少年は再度勧誘の言葉をかける。
地面に手を付き少しだけ尻を浮かせた不自然な態勢のまま、一方的な選択を迫られて川崎は迷った。
少年に屈服することは簡単だし、野望が叶うならばなんの申し分もない。だが川崎自身の事は約束できても、社員やメンバーの事まで確約するわけにはいかない。
「……ワシ一人がお前の言うことを聞くのは簡単や。けど、俺の会社やチームがお前の言いなりになるかは保証できんぞ。頭おかしなった思われたら、簡単に見限られるんが社会ゆうもんやし、自分の考えでワシから離れていくモンを引き止められへんのが日本の民主主義や」
川崎はすでに蜘蛛の巣に引っかかった羽虫に過ぎないが、一般的な詭弁を並べて一応の抵抗はしておく。
会社もバイクチームも川崎の成そうとすることならば川崎に異を唱える者は少数だろうと踏んではいる。そういった場合は意見を聞いて説得したりもするが、社員やメンバーにも拒否する権限と選択の自由があるから、無理強いしないのが川崎の流儀だ。
「ある程度は仕方ないと思ってるけどね。でも、早いか遅いかだから無意味だと思う。まあ、そこは川崎さんに任せるよ」
少年の中抜きして飛躍した言葉は何を指しているのか理解できなかったが、一つだけ川崎は思い付いたことがある。
――理由はなんであれ、とにかく手っ取り早く仲間とか部下が欲しいってことだな?――
《正解。世界を破壊するのは簡単だけど、それじゃあ俺のパートナーが悲しむんでね。もう少し穏便に俺達の居場所を作りたいんだ》
「な、なんや!?」
川崎の頭に突然響いた少年の声に、驚きのあまり腰を抜かしてしまった。
少年は川崎の体から力が抜けたのを認めると、川崎を押し固めていた力を緩めて再び川崎に尻もちをつかせた。
「色々出来るって言ったでしょ」
「なん、おま、も、マンガか映画みたいやな……。ワケ分からん過ぎてなんや、どうでもようなってったわ」
恐怖よりも混乱や動揺が大きくなってしまった川崎は、ものすごい勢いで頭をかきむしったあと両手で自分の頬を張った。
「分かるよ。俺も最初は混乱したから。……とりあえず、スカウトは成功したと思っていいのかな?」
朗らかに笑いながら右手を差し出してくる少年に、川崎は精一杯の渋面を作って答える。
「荒っぽいスカウトじゃの。うちの会社も淡路暴走団もお前の好きにすればええ。一応、ワシの方が年上やよってん、敬語は使わんぞ?」
「こっちこそ指示や命令をする側だからタメ口を通すよ」
少年の返事に川崎は心底嫌そうな顔をし、立ち上がりながら嫌味を返す。
「まるで王様か支配者気取りやな」
「そう思ってくれて構わないよ。
少年は握手の様に差し伸べていた手を引っ込めて真面目な顔で言い放ち、顎をしゃくって川崎を睨みつけた。
その一挙動で川崎は己の立場を認識し、ゆっくりと右手を挙げて胸に当てた。
「誰かの下につくとは思わんかったわ。で、ワシの上司の名前を教えてくれ」
「ああ、そっか。まだ言ってなかったっけ。……俺は高橋智明。川崎さんとの約束はちゃんと果たすから、力を貸してほしい」
少年は名乗ると同時に軽く右手を差し出す。
自然と川崎はヒザを折って
「高橋智明か。……分かった。まずワシは何をすればいい?」
真剣な眼差しを向ける川崎に、智明は一瞬苦笑してからしっかりと川崎と視線を合わせてテレパシーを送った。
「……分かった」
一礼して頭を上げると、そこにはもう少年の姿は無かった。
「やっぱりおかしいよな」
コンビニの店頭に据えられた灰皿付近に座り込んで、コーラを飲みながら
そんなことを三日も続ければ探す所も無くなってしまい、いよいよ智明が優里を連れて雲隠れしていると断定し、それからは学校を無断欠席して島中を走り回っていた。
当然そんな探し方で結果が出るはずはなく、一日一回は田尻と紀夫に連絡を取って噂や情報をもらっていた。
そして昨日の夜の電話で、皇居の辺りが物々しいことになっていると教えてもらった。
闇雲に走り回って、アチコチで尋ね回って疲れ果てていた真は、田尻と紀夫に頼るより他に手段がなく、また田尻と紀夫が得る情報は
ともあれ、具体的な地名や場所が分かれば行動を起こすことができる。すぐさま地図アプリと経路マップを駆使して、
藁をも掴む思いだったが、
やはりバイクチーム
真には警察や医者とは関わりたくない理由がある。
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また、当然ながら中型免許の取得は満十六歳以上と定められているし、喫煙も二十歳以上からと決まっている。
真はその三点全てに違反しているし、今日は金曜日だ。本来なら真は中学校の教室にいなければならない。
H・Bや無免許などを抜きにしても、道路封鎖をして警戒態勢を取る警察官から、自分の欲している情報を聞き出すにはどうすればいいかが思いつかない。
結果、一度パトカーの前を通り過ぎて辺りを一周し、休憩か待ち合わせのフリをしてすでに一時間が経とうとしている。
「でもなぁ。いつまでもここで暇つぶしてるわけにもいかんしなぁ……」
コンビニの前の道路を進んだ先にチラリと覗いているパトカーを見るたび、真の焦りとジレンマは募っていく。
「ん? アレ?」
聞き覚えのあるエンジン音がしたのでパトカーと反対側の道路に目を向けると、クラシカルなデザインのバイクが派手な音を立てながらシフトダウンを繰り返してゆっくりと真の前を通り過ぎて行った。
なんとなく見たことのあるヘルメットだった気もした。
「…………まさかな。そんな都合のいい話はないだろ」
一瞬よぎった期待を振り払いつつ、それでも視線は通り過ぎたバイクを追ってしまう。
再びパトカーの停まっている曲がり角を見ると、先程通り過ぎたバイクがパトカーの前に停車していて、警察官と何やら話し込んでいる。
二言三言会話があったようで、警察官が敬礼をするとライダーも軽く右手を挙げてバイクをスタートさせた。
「マジか」
真には自然で何気ないやり取りに見え、コンビニ前で悶々としていた自分が情けなくなった。
と、パトカーの前から走り去ったバイクが∪ターンをして引き返して来、真が座り込んでいるコンビニ前へ駐車した。
「やっぱり大人しくしてなかったか」
バイクから降りざま、ヘルメットのままライダーが真に声をかけてきた。
見覚えのあるバイクと聞き覚えのある声に真は驚いた。
「え? 田尻さん? なんでこんなとこに……」
「あのな、一日おきに情報くれってせっつかれたら、一人で行動するんだろうなって思うだろ。テツオさんに待ってろって言われたの、忘れたのか?」
田尻はヘルメットを脱いで真の隣に座り込み、汗の浮いたスキンヘッドと額を腕で拭いながら真をたしなめた。
自分の浅はかさと幼稚な行動に落ち込みつつ、田尻に頭を下げて叱ってくれたことと気遣ってくれたことに感謝する。
「ガキなことしてすんません。色々手伝ってくれたり助けてもらったりで、本当に有り難いです。でも、何かせずには居られなくて、つい……」
情けない表情を晒す真の肩をポンと叩き、田尻はタバコに火を着けてから言う。
「なんだっけ、女の子が行方不明なんだったな。気持ちは分かるけど、急ぐだけが解決策じゃないからな。今は我慢しろ」
「はい」
微笑みかけてくれる田尻に頼りがいのある兄に慰められたような感覚を抱きながら、真は素直に返事をする。
真の態度に安心した田尻は、薄っすらと聞こえてきたエンジン音に耳を傾ける。
「お、来た来た」
誰が?と尋ね返すまでもなく、真の耳にも聞き覚えのあるバイクのエンジン音が届く。
田尻同様あからさまに派手なシフトチェンジで減速し、見覚えのあるレプリカバイクが田尻のバイクの隣に停車した。
「あっちぃーな! 梅雨も終わりかな」
「紀夫さん! チワっす!」
ヘルメットとグローブを脱いでシャツをパタパタと扇いでから、紀夫は手を上げて真に応える。
「おう。やっぱり動いてたんだな。……すまん、コーラ買ってきて」
田尻にヘルメットを渡しながらカーゴパンツのポケットから小銭を適当に掴み取って真に差し出す。
「あ、うっす」
「三人分な」
「あざっす!」
「俺はコーヒーだぞ」
コンビニの自動ドアに入る瞬間に田尻から訂正が入ったので、真は笑顔で了解の旨を示して店内に入って行く。
「サンキューな」
「当たり前だろ。ツケとくからな」
「クソったれ!」
ちょうど紀夫が汗で乱れた金髪を整え終わったところだったので、田尻は暴言を吐きながら預かっていたヘルメットを突き返す。
細かくてマメでなんだかんだと気を使う紀夫と、大ざっぱだが男気と責任感の固まりのような田尻は、罵り合ったりふざけ合ったりしながらもいいコンビをやっている。
WSSに加入して知り合い、まだ一年少しの付き合いだが、古くからの友人の様に繋がりは深い。
「……テツオさんから連絡は?」
「ああ。三原から乗るってさ。だから、陸の港集合だな」
「うん」
短い確認を終えると、紀夫もタバコに火を着け、二人で紫煙を吐き出す。
しばらくして真が買い物を終えて戻ってきたので、三人はペットボトルと缶コーヒーを傾けて一息つく。
「……そういえば、田尻さんはあそこの警官と話してましたよね。何を話してたんですか?」
「ああ。ツーリングでこの上のダムを見に行きたいって言ってみたんだけど、皇居の工事中にトラブルがあったとかなんとかで、それで立入禁止って返事だったよ」
真は『そんな切り口で聞けばよかったのか』と田尻の機転に感心しながら、警察官の返答に違和感も感じた。
「そっちもか。俺は牛内ダムの方へ行ってたんだが、あっちはあっちで工事中だから関係者しか通せないって言い方だったな」
「紀夫さんも手伝ってくれてたんですね。ホントにすんません」
さっきの田尻のお説教の時も感じたが、自分の向こう見ずな行動に田尻と紀夫を巻き込み、二人の優しさや気遣いを感じて真はいたたまれない気持ちになって喉元が少し苦しくなった。
「今更何言ってんだ。こういう時につるむからチームなんだろ。ウエッサイは特にな」
「はい!」
真はまだ正式にバイクチームWSSのメンバーではないが、淡路連合の集会やWSSのたまり場でテツオや田尻らからはメンバー同然に扱われ、真の胸中には感動と感謝が膨れ上がってついつい元気な返事をしてしまう。
まだまだ真の子供の部分に田尻と紀夫は苦笑いしてしまうが、今はまだそれでいいと思う。年下の後輩らしい可愛げがある。
「それより、変だと思わないか? ニュースじゃ工事の遅れとかトラブルなんか一切聞かないし、工事が理由なら警官が道路を封鎖するのもおかしい。あっちとこっちで理由が違うのも変だ」
「そうですよね」
「あと、これは直接関係ないかもしれないんだが、自衛隊が皇居の防衛だか守護だかの演習を近々やるらしい。噂じゃ、自衛隊の法律も変えるとかってのもあるし、もしかしたらって感じがするよな」
「ホント、ヤな感じだな」
田尻の考えは真も感じたことなのですんなりと同意できたが、紀夫の教えてくれた噂が何を意味するのか真には分からなかった。
「それってどういう意味っすか?」
「おっと、真はまだ中学生だったな」
紀夫は自身の説明不足を恥じつつ、タバコの灰を灰皿に落とす。
そのすきに田尻が補足する。
「自衛隊が外国に戦争っぽいこと出来ないとか、自分の国を守るしか出来ないって知ってるだろ?」
「まあ、はい」
「その自衛隊が皇居の防衛だの守護だのの演習ってのはおかしいわけよ。もし戦争やテロだってなったら、自衛隊はまず戦場とか現場に行くのが普通だろ? 国を守らなきゃなんだから。テロなら警察が先に動くはずだしな。なのに、今このタイミングで皇居で演習ってことは、アイツと一線交えようってんじゃないのか?って想像するわけだ」
平成末期に『集団的自衛権の行使』などの法改正で自衛隊や関連組織の活動範囲や条件が広まったとはいえ、二一〇〇年までに何度も自衛隊法の改定が議題に上がっては否決と取り下げを繰り返してきた。
自衛隊の演習も日本各所の基地内に限られているし、一般国民が自衛隊の活動を目にするのは災害派遣や平和維持活動などのニュースくらいだ。
『皇居の防衛』だと説明されると、遷都というタイミングを考えても一応の理屈が通るし、ニュースとして耳に入っても疑問を持つのは反戦活動家くらいだろう。
「俺達は、アイツの戦闘力を二回見てるからな」
あえて紀夫はゲームっぽい表現をしたが、真はその表現が相応だと納得した。
一度目は三原八木地区にある
田尻と紀夫は爆破後しか見ていないが、その破壊力と惨状は記憶にとどめている。
「……多分ですけど、警察も体験したんでしょうね。アイツの戦闘力を」
やや恐れを匂わせる真の細い声を聞いていられなくなり、田尻は立ち上がる。
「ああ! もう! ここで弱気になったら何にも始まらねーぞ!」
真を叱咤しつつ、自身の恐れやモヤモヤを捨て去るように、田尻はタバコを乱暴に消す。
「アイツと、智明と
幾分田尻より落ち着いたトーンだが、それでも紀夫が真にかけた言葉は強く真の胸に刺さり、また真を元気よく立ち上げらせた。
「すんません! よろしくお願いします!」
真の元気な声に笑顔をたたえながら紀夫も立ち上がり、タバコを消してコーラを飲み干す。
田尻も飲み終わった空き缶をゴミ箱に捨て、ヘルメットを着け始める。
「んじゃ、テツオさんと合流してツーリングと洒落込むか」
「高速走ったことあるよな?」
紀夫も空ペットボトルをゴミ箱に捨てながら真に確認する。
「さすがに高速はないっすよ。ETC契約してないっすもん」
二十世紀末から導入が開始されたETCは、高速道路出入り口でクレジットカード決済を行って渋滞緩和などを狙ったシステムだが、この時代はナノマシンによって電脳化したH・Bの認証キーでクレジット決済するシステムへと切り替わっている。
未成年者の真は当然クレジットカードも自動決済の契約も法的に許可されていないし、そもそものH・B化も違法に行っているので高速道路利用などは摘発を受ける可能性もあって極力使わない。
「そりゃそうか。俺は親のカード決済に同期させてるから気にもしてなかったわ」
「すまん。俺は働いてるから親を勝手に後見人にしてクレジットやってるから、そっちは見落としてた。てか、中学生が無免でアワジ出ようってのもあんま無いよな」
「ああ、確かに」
すまなそうにする田尻と紀夫に相槌を打ちつつ、真は
「まあ、そこまで急ぐ用事じゃないしな。現金でもなんとかなるから」
少し肩を落として見えた真を励ますように代替案を出して、紀夫は真に支度を急ぐようにせかした。
真は慌ててゴミを捨て、ヘルメットを被ってバイクへまたがる。
コンビニ前から田尻を先頭に三台のバイクが走り出した。
田尻と紀夫の背中を追いかけながら、真に吹き付ける風は梅雨時とは違う重さがあった。
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