淡路連合

「うえっぷ。ちょっと食いすぎたかな……」

『くにちゃん』を出て真の自宅へ向かう路地で、真は機嫌良さそうに腹をさすりながら歩いている。

「半分はコーラだろ」

 真と並んで歩きながら智明も腹をさする。

「なぁる、そっちか」

 楽しそうにケラケラ笑う真に対し、智明は少し落ち着いた笑い方しかできない。

「……食いすぎたのか?」

「いや、違う。なんだろな……。風邪かな。なんか変な感じがする」

「おいおい。ムケタからって調子乗って裸でヌイてたのか? うつすなよ?」

「人をサルみたいに言うなよ」

 智明の切り返しにまたケラケラと笑う真。

 他愛もないやり取りをしているうちに真の自宅に着く。

「……具合、やっぱり悪いか?」

 玄関から二人のヘルメットを持ってきた真は、尚も腹をさすっている智明を気遣ってくれた。

「さっきとあんまり変わってない」

「……今日はやめとくか?」

 アワイチをするにしても智明を帰らせるにしてもバイクには乗るので、真は智明にヘルメットを手渡す。

「いや、行こう。家に帰ったって医者に行けるのはどうせ朝になってからだし、急にぶっ倒れる感じもしないし。てか、アワイチなら途中棄権しても一時間我慢したら家に帰れるしな」

 真に気を使わせないようにどうにか笑顔で話しているが、智明の様子を見て、真は少し考え込む。

 無理をさせて事故を起こすのはもっての外だし、風邪をこじらせたり体調を崩させてしまうのも避けたい。

「今のとこ、どこがどう違和感がある? 正直に言えよ」

 バイクに寄りかかりながら真は智明を見据えるようにして問いかけてくる。

 正直な返事を聞きださなければ、アワイチに出かけるどころか智明を安全に帰す手段も講じなければならないからだろう。

 真が真剣な目で見つめる先で、智明は痛みを堪えるというよりも、辛さに耐えるような声音で答える。

「……頭が重くてボヤッとしてきてる。腹が痛いというより食いすぎて溜まってるみたいな。……あとはちょっと体がダルイかな?」

「……微妙だな」

 判断しかねる真を安心させるため、智明は深刻さを紛らわせるように付け足す。

「な。二日くらい徹夜して、元気だそうとして食いすぎたみたいな、よく分からん感じだよ」

「はっ。だな」

 真は一笑にふしてから少し考える。

「頭痛薬かなんか飲んでみるか?」

「いや、いい。昔から市販の薬って効きにくいんだよ」

 市販薬というのは曲者で、体質や体型によって表れる効果はまちまちだ。

 そもそもが万人向けに調合されているため、平均的な一定量の効果を持たせることしか出来ない。効きすぎる者も居るし、効果を感じるほどではない者も居る。

 智明は後者のようで、効果を感じない物はまだマシで、体に合わない市販薬を服用すると戻してしまったりする。

「ああ、そうだっけな。その割には病気ってしないよな」

「そうでもない。毎年、季節の変わり目には熱出て三日ほど寝込むし、たまに関節がメキメキいうほど痛くなって寝込んだり、湿疹とか変なコブが浮いてきて気持ち悪い時あるからな」

「おいおい。もう成長痛とかきてんのか? 背が伸びるのはこれからだろ」

「あんま考えたくねーな」

 十代男子に訪れる二次性徴といえば、変声期と精通と陰毛や脇毛・髭などの発毛に加え、急激な体型の変化と身長の伸び方だろう。

 真は平均的な成長を遂げているようで、クラスでも背は真ん中より高い方だが、脇毛は生えてきたがまだ髭は生えていない。成長痛もまだ経験していない。

 智明はようやっと精通を経験したばかりだし、真より少し背が低い。髭はおろか脇毛も生えていない。陰毛は辛うじて生えているが、まだ生え揃ったとは言い切れない半端な生え方だ。

 そんな状況で成長痛の経験談だけはアチコチから入ってくるのだから、期待よりも不安が大きくなるのが人の道理だろう。

「まあ、とりあえず走ってみるか? 気分が悪くなったり限界が来たら、合図してくれたらすぐ止まるから」

 優しく声をかけたあと、「止まって欲しい時はヘッドライトをハイとローに何度も切り替えてくれ」と付け足して、真はさっさとヘルメットを被った。

 智明はモヤモヤを発散したい真の気分を盛り下げたのではないか?と申し訳ない気持ちになりながらも、何かと世話になりっ放しの幼馴染みへの恩返しの気持ちもあって、真の誘いはなるべく乗ってやりたいと思っている。

 勿論、智明にもモヤモヤとした晴れない気分があるし、バイクで疾走する爽快感は今のところ一番楽しい遊びでもある。無免許運転を学校や親に隠れてやってのけているというスリルもある。

「……なんとかなるだろ」

 智明は自分に言い聞かせるようにつぶやいてからヘルメットを被った。


 アワイチ。

 この言葉自体は一部のマニア以外では廃れて来ているかもしれない。

 二十一世紀初頭の淡路島は、洲本市・南あわじ市・淡路市を総計した人口は十三万人を数えたが、月日を追うごとに過疎地にありがちな他県への若者の流出などで、人口は更に減少傾向にあった。また社会問題として取り沙汰され始めた高齢者の運転免許返納などもあいまって、島内の車人口はなおのこと減少傾向にあった。

 島内の車人口の減少は通行量に反映され、近隣の府県からは『景色を楽しみながらゆったりと走れる』ように見えたのだろう。週末や長期休暇にはバイクで訪れるツーリストやスポーツバイシクルで訪れるサイクリストが増え、『アワイチ』と称した淡路島を一周するルートが広まった。

 しかし二十世紀末期から問題視される地球温暖化ガス削減とエネルギー枯渇問題の煽りを受け、ガソリンエンジンから脱却しにくいバイクはその所有者を減らすに至った。

 スポーツバイシクルに関しても、安価な市販品は長距離のサイクリングに向かず、反して高性能で高品質のスポーツバイシクルは中型バイクほどの費用がかかる。

 これらの点から二十一世紀末期の昨今では、アワイチを楽しむ者は、極々少数しかいない。

 ましてや、ツーリングやサイクリングは景色や地域のグルメ・特産品などを楽しむポタリング要素もあるのに、智明と真は日付けも変わろうかという深夜にバイクを走らせている。

 酔狂を通り越して変わり者の域である。

 ともあれ真の自宅を出発した二台のバイクは、31号線淡路サンセットラインを順調に北上し、慶野けいの古津路こつろの海水浴場と松林を抜けて五色浜を通り、北淡から一宮を過ぎて岩屋港で休憩をとった。

 トイレと水分補給とタバコタイムを終えると、今度は国道28号線を南下する。

 岩屋を出てすぐ右手の淡路サービスエリアにある大観覧車の航空標識灯を眺めつつ、明石海峡公園の脇を通って東浦に差し掛かる。

 住宅街を過ぎて右手に妙見山を含む津名山地、左手は大阪湾という闇しかない区間で、真のバイクのバックミラーに上下するライトの光跡が映った。

「おいおい、こんなとこでかよ」

 フルフェイスヘルメットの中で独りごちつつ、目立った観光名所もないこんな道でなんであるのかが不思議な自動販売機の明かりを見つけ、真はハンドサインを送ってバイクの速度を落としていく。

 ハザードを数回点滅させてからキルボタンでエンジンを切り、ギアをニュートラルに入れて惰性で自動販売機の前まで進んで、急いでスタンドを立てて智明のバイクを確認する。

「結構普通だな?」

 運転に支障があるかもとか、停まれそうになかったら体張らなきゃいけないかもとか、止められない状況だったらどっかに突っ込むのもやむ無しかなどと覚悟していたが、智明のバイクは危なげなく減速して停車した。

「おい、どうし、うわっと!?」

 智明の様子がいつもと変わらないように見えて気を許した瞬間に、スタンドを立てていないバイクが倒れそうになり、真は慌てて智明とバイクを支える。

 思わず怒鳴りかけた真だったが、転がるようにシートから下りて、ヘルメットを投げ捨てるように脱いだ智明に絶句した。

「うぅ、うげぁああぉううぇ!」

 よろけているのか歩いているのか分からないクチャクチャの姿で反対側の歩道まで移動して、智明は盛大に吐いた。

 真はしばらく傍観していたが、智明の逆流がなかなか収まらないので、急いでバイクのスタンドを立て、安置してから智明の傍へ駆け寄って背中をさする。

「げっ! ケホッ。…………ペッ!」

 どのくらいそうしていたのか、ようやっと胃の中の物を全部出し切ったらしく、智明は唾を吐いて呼吸を整え始めた。

 その様子に真も胸をなでおろし、自動販売機で冷たいお茶を買って智明に差し出した。

「……平気か?」

「なんどか。……バイク、すまん」

「気にすんな。飲めそうにないなら飲まなくていいから、うがいくらいしとけ」

「……ああ、うん……」

 真のアドバイスを忠実に済ませて、智明は道端に座り込む。

「とりあえず向こうで様子見るか。……流石にゲロ臭いわ」

「お好み焼きだと思えば……」

「無茶言うな」

 真は一瞬、体調を崩した相手に容赦がないなとは思ったが、とりあえず智明の頭をシバいて自動販売機の前まで引っ張っていく。

「落ち着きそうか?」

「吐いたら、ちょっと楽になった」

「そうか」

 智明の様子を伺いながら、真は可能な限り頭をフル回転させて考える。

 智明がここでリタイアした場合、真のバイクで智明と二人乗りして連れて帰ってやることは出来るが、その場合は後で智明の乗ってきたバイクを取りに来なければならない。

 ただ、同じ取りに来るならばこんな道端ではなく、どうにかこうにか津名港までたどり着きたい。津名港ならば知り合いに助けを乞うことも出来るし、バイクの安全も確実なものになる。

 一番厄介なのは、智明がここから動けなくなり、救急車を呼んだ時だ。通報者として真も救急車に同乗せねばならないから、バイク二台を放置することになる。

 淡路市の東側のこの辺りはガラの悪いバイクチームのシマになっていて、智明の125cc一台なら見過ごしてくれるかもしれないが真の400ccはどんなをされるか、知れたもんじゃない。それだけは絶対に避けたいのだ。

「……救急車って、バイクで後ろを付いて行っていいんだっけかな……」

 考えがまとまらず思わず口に出してしまったが、通報者が救急車を追走していいなら、真の不安は一つ解消される。

「もうちょっと、人気ひとけのあるとこまで、なんとかするよ」

 真の独り言に、智明は切れ切れに答え、自動販売機から体を離した。

「大丈夫なのか? ノロノロ運転で走ったって、事故ったりコケたりしたら、足一本切っちまうかもだぞ」

 さすがの真も時速10キロや20キロでコケたからと言って足一本切るハメになるとは思っていないが、智明に無理をさせないためには少し大袈裟に言っておく。

「なんとかする。前見えてるし、意識はちゃんとあるから」

「あのなぁ……」

「ヤバイ時はさっきみたいに合図する」

 明らかに空元気の笑顔を見せる智明をしばらく見つめ、真はため息を一つついてタバコを取り出す。

「これ吸ったら出発するから、その間ゆっくりしとけ」

「ああ」

 くわえたタバコにはまだ火を着けずに真は缶コーヒーを買う。

 ぶっきらぼうに見せてシレッと休憩時間を長くした真に、智明は感謝しながらまた自動販売機にもたれて目を閉じた。

 真には智明の空元気は目に見えて分かったが、真を心配させまいと振る舞う姿を無下にはできない。


 実際のところ智明の体調は限界に近かった。

 頭痛はどんどん酷くなってきていて、首筋からうなじにかけてズキズキとうずいているし、ヒジやヒザは力一杯しぼられている雑巾みたいにカクカクと震えている。胃の中の物を全部出して楽にはなったが、ミゾオチから喉仏までが焼けるように熱い。

「……親不孝の報い、かな……」

 反抗期と言えるほど親が鬱陶しかったり嫌っていたりするわけではないが、ここ数年、智明とその両親の間には明らかな溝が出来ていた。

 どこからズレ始めたのか、いつからこうなってしまったのかも分からないほど、両親は智明に無関心で、智明も固執しなかった。

 ただただ会話もなく、関心もなく、興味もないのに、同じ家に居ただけだ。

「……行けそうか?」

「ん、ああ」

 真が控えめに声をかけてきたので智明は短く答えた。

 長々と話すと強がりがバレそうだから。

「よし。まずは津名港まで行く。そしたら一日くらいバイク転がしててもややこしいことにはならないからな」

「うん」

 真は智明の弱々しい返事に一瞬戸惑ったようだが、智明の強がりを信じてくれたようで、気合を入れるために「よし」と呟いてからヘルメットを被った。

 かたや智明も震える足でなんとか立ち上がり、ヘルメットを被ってバイクにまたがった。

 真はセルスターターを押して、手順通りに三方確認とウインカーとシフトチェンジを行ってゆっくりと走り出す。

 真がいつも通りにしてくれることで智明も安心することができた。

 ヘルメットのの中で徐々に小さくなっていく真を見ながら、真の意図を汲むために、動作はゆっくりだが智明も手順通りにバイクをスタートさせる。

「よしよし。ちゃんとついて来いよ」

 智明にも、真にも、我慢のツーリングが再開された。


 現在、淡路島には和歌山から橋梁がかけられ、山間部のトンネルを通って中条で地上駅に停車し、高架に設けられたレールで大鳴門橋を通って徳島まで走るリニアモーターカーの駅舎と通路が完成しつつある。新国会議事堂と今上天皇の居所の完成に合わせてリニアモーターカーの乗り入れが開始される予定だ。

 まだ正式な日程の発表はないが、翌年の四月一日を目指して工事やその他準備が進んでいる。

 リニア線以外で他府県から淡路島に入るとなると、北端の明石海峡大橋か西端の大鳴門橋を渡って来られる自動車か中型以上のバイクでということになる。海上からの方策として明石ー岩屋間の高速艇もあるが、高速バスの増便が決まってしまうとその存在感は薄れてしまうと懸念されている。

 調整中の方策として、大阪港と関西国際空港からフェリーないし高速艇の運行が考えられているが、こちらも高速バスやリニア線との競合が予想され、実現するかどうか芳しくない。

 では島内の交通機関はというと、洲本港から西淡志知を経由して福良ふくらまで『へ』の字にカーブする地下鉄と、一宮から五色浜・慶野を経由して阿万まで淡路島西岸を縦断する鉄道がすでに整備されている。

 これに加えて遷都とは別資本になるが、淡路市は津名港から一宮の伊弉諾神宮まで路面電車を通そうと、鉄道各社と調整している。

 この他にも民間のバス会社が数社、路線バスや周遊バスの試算を行っているようだが、現状主な交通機関は淡路島南部を十字に通る地下鉄と鉄道だけだ。

 今上天皇のお言葉から遷都の計画が進行して三十余年。

 淡路島の人工は七十万人超と、二十一世紀初期より五倍に膨れ上がり、三原平野と洲本平野はマンションが乱立し、国生市と隣接する淡路市は企業の本社ビルや工場の建設ラッシュにある。

 気の早い政治家やセレブは五色浜近郊に土地を買って住居を建て、洲本港から由良港や福良港周辺にはリゾートホテルが続々参入している。

 それでも淡路島の山並みと海岸線を美しく残す努力と配慮がなされ、海べりの県道や国道を多用するアワイチのような娯楽も、辛うじて生き残っている状態だ。

 特に、ビルやマンションや工場ばかりが増えていくと、若者の娯楽はそのすき間を縫うしかなくなり、ツーリングやサイクリングが好まれるのも若さゆえかもしれない。

 ただ、走るだけで発散できないのも若さというもので、キッカケは様々だろうが群れをなして縦構造の小さな社会を作りがちでもある。

 現在、淡路島には少年を中心としたバイクチームが複数存在し、活動地域と規模で分けられ、四つの大きなチームの名が有名を馳せている。

 一つは洲本平野の小チームが連合した洲本走連。

 もう一つは三原平野を活動拠点とするWSSウエストサイドストーリーズ

 そして五色町北部から一宮・津名で活動している空瑠橘頭クールキッズ

 最後に、岩屋から東浦までを仕切っている淡路暴走団だ。

 一見、二十世紀に幅をきかせた暴走族や暴力団の下部組織のようだが、シマ争いや抗争を生業とするグループではなく、純粋にバイクとツーリングを楽しんでいる集団とされている。

 洲本走連は学校や地域の友人達が集まった小チームの集合体だし、空瑠橘頭のチーム名は柑橘農家のせがれに由来する。

 WSSが少し特殊で、元はボーイスカウト経験者やOBが集り、旅行や行楽を楽しむグループから、ドライブやツーリングを重点的に追求したい若年層が抜けて立ち上げられたチームだ。

 この三チームは割と温厚で大人しいチームで、過去の暴走族やチーマー・カラーギャングとの差別化のために、海岸の清掃や主要道路の見回りなどを自主的に行っている。

 しかしこれは表向きの外面で、影では盗難車の捜索や奪還を請け負ったり、無免許運転の迷惑者を粛清したり、暴走行為やシマ争いを企てる荒くれ者を掃討したりと、荒事も活動に含むため互いの地域を侵さない協定を結んでいる。

 ここで一種異質なチームが淡路暴走団だ。他の三チームと出発点は同じで地元のバイク好きの社会人が集まってチームになったのだが、地域奉仕は影で行い荒事を表立って行うことで、小チームの暴走や目立ちたがり屋やはみ出し者の横行を抑制する方向で活動している。

 それでも他の三チームの指針には共感しており、チームメンバーはテリトリー以外では協定の遵守を徹底している。

 これら四チームで結ばれた協定はいつからか淡路連合と呼ばれるようになり、年に四回全チームの全メンバーが集って協定を確かめ合う集会を執り行っている。

 二月は洲本走連が仕切りで洲本港で、六月は空瑠橘頭が仕切りで津名港で、九月は淡路暴走団が仕切りで佐野運動公園で、十二月はWSSが仕切りで慶野松原で行われる。

 まさに今夜がその集会の日取りに当たり、津名港の広大な駐車場にはバイクや乗用車が続々と集まって来ていた。

 流石に参加者がニ百名近くいる上に、ほぼ同数のバイクや自動車が集まるとあって、事前に警察に届けを出していても現場にはパトカーと白バイが出張ってきている。

 大抵の地域住民は物々しさと人数のために関わろうとはしないが、バイクやチームに憧れる少年たちは少しでも近付こうと努力するも、警察官に追い返されている。

 淡路連合のメンバーにも未成年者が多いのだが、この人数で昼間に集会を開くわけにも行かず、対外的に奉仕活動も行っていることから警察も例外的な黙認の姿勢をとっている。

「本田ぁ、ほっちどない? べっちゃないけ?」

 黒地に金字の刺繍が入った特攻服姿のガタイのいい男・川崎実かわさきみのるが、強面をさらに強調する野太い声で傍らの男に声をかけた。

 川崎に声をかけられたのは本田鉄郎ほんだてつお。スラッとした長身に作務衣をまとい、スポーツ刈りが似合う甘いマスクに微笑みをたたえながら、川崎を振り返る。

「川崎さん、ごめん。二人遅刻してんだわ。今ダッシュで向かわせてるから、もうちょっと待ってて」

「テツオ君の部下にしちゃ、珍しいな。シバかなあかんな」

 テツオを冷やかしたのは、ヒョロッとした体にジーパンと赤皮のライダースを着たリーゼントに口ヒゲの男・山場俊一やまばしゅんいちだ。

「お仕置きするなら、ウチが全面的に手伝うわよ」

 ツナギのライダーススーツに身を包んだロングヘアーの女・鈴木沙耶香すずきさやかが、さらにテツオを茶化す。

「みんな、勘弁してよ。聞こえが悪いよ」

「まあ、仲良しこよしとちゃうけど、警察も絡んどっさかい、時間は守らななぁ」

「川崎さん、今日は僕の仕切りやから、警察には僕から伝えるから」

「山場君なら上手く言ってくれるから安心ね」

「サヤカちゃんもほっちは上手やん。てか、お仕置きやったぁベッドでワシにして」

「川崎さん、セクハラはダメだよ」

 ムッとしているサヤカ以外は楽しそうに笑顔を見せるが、和気あいあいとしたやり取りなのにそれぞれの目は笑っていない。

 四人はそれぞれのチームのまとめ役で、川崎は淡路暴走団の大将。

テツオはWSSのリーダー。

山場は空瑠橘頭のチーム長。

サヤカは洲本走連のクイーンだ。

 各々のテリトリーや活動に干渉しないという不可侵の協定の元に顔を合わせているが、協調したり情報交換したりツルんで走るのはあくまでトラブルが起こっていない時の特別な時だけだ。

 連合に所属しない新勢力が暴れたり、他所のテリトリーで揉め事が起こった時は、抗争同然に殺伐とする。

「シュンイチ君、あと十五分だけだから! お願い!」

「テツオ君に頼まれたらしゃーないな。ほな、ちょっと言うてくるわ」

 テツオと山場は歳が近いこともあり互いに名前呼びで、テツオが山場に頼み事をする時はいつも合唱しながら年相応の可愛らしいウインクを放つ。

 山場は山場で、普段のテツオの可愛らしさをつい甘やかしてしまいがちだが、テツオは暴れだしたら手がつけられない程の強者で、彼への畏怖もあって強硬な否定や拒否はしない。

「あと十五分やな。間に合わんかったら貸しにすっさかいの」

「あざっす! あーせん!」

 軽く手を挙げて川崎もテツオから離れていったが、この男が一番の危険人物である。

 家業の土建屋を親から継ぎ、二十八歳ながら現場も営業もこなすパワーとフットワークが売りで、ヤクザも警察も怖くないという生き方がそのままチームの方針に生きている。大柄で現場仕込みの怪力はもはや生きる伝説となりつつあり、強面なのも手伝って歯向かう者は少ないが、嫁のアテがないのが唯一の欠点らしい。

 さすがのテツオも川崎には丁寧だ。

「テッチャン。気を付けないとあのクマゴリラは何を言い出すか分からないわよ」

「分かってる。アレはあと五年もすれば歳食って勝手に自滅するさ。そっからはテリトリーとか縄張りなんか関係なく、俺らが仕切るんだ。もうちょっと待っててくれな」

「そればっかりね。あと五年したら私は二十歳越えるんですからね!」

「そりゃ俺も一緒だ」

 サヤカは整った顔立ちで、栗色のロングヘアーが似合うモデル体型で、まさしくクイーンと称されるにふさわしい容姿なのだが、チームの頂点に立つだけの器と力はしっかりとある。サヤカ自身に腕力はないが、ことバイクの運転技術と勝負度胸は男勝りで、その容姿と肝っ玉に惚れ込んだ親衛隊がガッチリとクイーンをサポートしている。クイーンのクイーンたる由縁はその統率力で、普段は散り散りに走り回っている各チームを鶴の一声で右を向かせられる。

 また、クイーンが存在するのだからキングも存在するわけで、人目もはばからずにテツオがサヤカと抱き合ってキスを交わすのだから、だいたい察せるはずだ。

「じゃあ、また後でな」

 サヤカを見送ったテツオは、和やかに警察官と談笑する山場を一瞥してから自身のチームの元へ歩いていく。

 一番人当たりが良くて無害そうな山場だが、なかなかの曲者で、彼の口から出てくる言葉は半分以上がその場しのぎのデマカセだし、昨日の約束は今日にも裏切るし、陰険で外道な策謀は日常茶飯事だ。

 一同に介せば笑い合う面々だが、その腹の中は互いに伺いしれず、『淡路連合』だの『協定』だのが存在するのも仕方ないのかもしれない。


「ん? そろそろ、かな?」

 通常よりかなり低速で走っているので、時間と距離の感覚が狂ってしまっているが、岸壁から海にせり出した埋め立て地は恐らく佐野運動公園だろう。佐野運動公園を越えて、淡路市庁舎を超えた先に津名港の旧ターミナルビルがあったはずだ。街灯だけの明かりでもなんとか現在地は分かった。

 真は右手を挙げて、後ろを付いてきている智明にも分かるように埋め立て地の方を指さした。

「…………あんれ?」

 28号線から海寄りの脇道に入り、埋め立て地へと架かる橋をいくつか過ぎて、津名港に段々と近付くにつれ真は違和感を感じ始める。

 ターミナルビルの手前に広めの駐車場があるのだが、入り口にはパトカーと白バイが警戒態勢で佇み、その奥にはバイクや乗用車やスポーツカーが整然と並んでいる。

 なんの用事で警察官が居るのか分からないので、真は周囲の様子を気にしながら慎重に駐車場へ入っていく。

 智明も無難に通過してきたので、真はあえて駐車場の端っこの暗がりにバイクを停めた。

 改めてバイクの列を観察してみると、大勢の人間がいくつかのグループに分かれて自由な感じでダベッているようだ。

「あ! まさか……」

 人影の中に特攻服ぽい服を着たガラの悪そうな集団や、揃いの赤皮のライダースジャケットを着た集団、さらに黒や赤や青のツナギを来た集団を目にして、真はその集団の正体を察した。

「今日はそんな日かよ」

 明らかに淡路連合の集会日に鉢合わせてしまったようだ。

 真の交友関係から仕入れた情報で、大きなチームのユニホームの特徴は聞いていたから、特攻服の集団が淡路暴走団、赤皮のライダースが空瑠橘頭、揃いのツナギは洲本走連なのはすぐに分かった。だが普段着の集団はパッとは分からなかった。

 よくよく観察して頭や首や顔やベルトに独特な迷彩柄のバンダナを巻いているのを見て、ようやく真にもその集団がWSSだと分かった。

「智明、ややこしい時にややこしい場所に来ちまったみたいだぞ」

 バイクから下りてヘルメットを外ししゃがみこんだ智明に真は直面している危機を伝える。真の言葉の意味を計ろうと智明は周囲を見渡し、その意味を理解した。

「マジか。……アレってやっぱりアレなのか?」

「たぶん、淡路連合の集会だ」

 半ば絶望感を漂わせながら真は予想を口にした。

「こんな時くらい、警察も追い返してくれりゃいいのに……」

 真の絶望は智明にも伝染し、体調の悪さも手伝って思わず愚痴が出る。

 本来なら、集会に無関係な人物や車両は駐車場入口に立っている警察官が呼び止め追い返すのだが、間の悪いことに先程山場が遅刻者がいることを警察に説明したため、真と智明がその遅刻者だと勘違いされて通されてしまったのだ。

 そんな事情は真にも智明にも想像できるものではないので、自分達の不運を呪うしかない。

「どうする? 逃げるか?」

「逃げれるのか?」

 真の提案に智明はすぐに聞き返した。

 噂で聞くだけでも淡路連合から簡単に逃げ切れるとは思えなかったからだ。

「……俺の知り合いと話せたら、もしかしたら」

 集会で集まったニ百人を超える荒くれ者の中から、人一人を見つけ出せるか分からなかったが、一応の希望はある。

「おい、誰か来るぞ」

 真が知り合いへの言い訳や説明を考えていると、智明が言葉だけで注意を促してきた。

 指差したりしなかったのは賢明な判断だ。

「なんだ、真か」

「テツオさん……。すんません! 俺、今日ここで集会があるって知らなくて、休憩で寄っただけなんス!」

 学校では見たことないくらい真が腰を折った一礼をしたので、しゃがんだままだったが智明も一拍遅れて頭を下げた。

「そうなんだ。いや、別にお前らをどうこうしに来たんじゃねーよ。ウチのバカが二人、遅刻しててな? バイクが二台入ってきたから、そいつらかと思って見に来ただけだよ」

「そーなんスカ」

 智明には、テツオと呼ばれた人物は穏やかで優しそうに見えたのだが、真の恐縮ぶりを見るに、只者ではないと感じ余計な口出しはしないでおこうと決めた。

「集会の邪魔にならなきゃ休憩くらい構わないけど、お前はまだウチのメンバーじゃないからな。出てくんなら早めに立ち去った方がいいぞ」

 真がバイクチームに入ろうとしている事に智明はまず驚いたが、未成年者が手に入れる事のできないH・Bハーヴェー化の為のナノマシン(通称『タネ』)を真が入手出来たのも、バイクチームなどと交流があったからだと考えると一応の納得はできた。

「すぐ立ち去りたいのはやまやまなんスけど、コイツが体調崩してまして……。あ、コイツ俺のダチで智明っていいます」

 恐る恐る状況を説明する流れで、真は智明を紹介した。

 急に名前を呼ばれたので智明は焦ってしまい「どうも」と小さくつぶやくしかできなかった。

「ふーん。なんにせよ、集会が始まっちまったら終わるまでエンジンかけちゃいけないルールだから、関係ないお前らも終わるまで待ってもらうことになる。今ここでクチ聞いてる以上、俺の関係者と思われてるだろうから、お前らの途中退場は俺の顔に泥がくるからな。どっちにするか決めてくんないか?」

 優しい言い回しに聞こえなくはないが、有無を言わせない威圧感がある。

「……智明、バイク乗れそうか?」

「なんとか、ここを離れるくらいなら」

 集会が終わるまでここに居座るより、今のうちに立ち去った方が自分達のためにもなるし、『テツオさん』にも迷惑がかからないと思ったので、智明は無理を押してそう答えた。

「五百メートルも離れたらエンジン音も聞こえないだろうから、頑張れるな? ……テツオさん、すんません。ハケさせてもらいます。後でちゃんとワビ入れさせていただきます」

 前半は智明に目標を持たせて気合を入れるためと、テツオに『そのくらい離れれば影響ないですよね?』と確かめるつもりで真は言っていた。

「分かった。こんなことくらいでワビとかいらないよ。それより、中免取って正式にメンバーになるまで変なことはするな。チームに入る前の前科と入ってからの前科は意味も立場も違う」

 ヤクザか暴走族のようなやり取りをしつつ、テツオは二人を追い払うように手を振って元居た人だまりへ戻っていく。

 智明にはよく分からなかったが、真は静かな脅しに震え上がってしまっていた。

『中免を取れ』とはすなわち『無免許運転で夜遊びするな』というお叱りで、『入る前の前科と入ってからの前科』とは、逮捕歴や補導歴がある厄介者はチーム内でも扱いが悪く捨てごまや食い物にされるという忠告だ。

反面、チームの為に体を張った行いは逮捕され実刑を受けても仲間として扱われる。

この違いはWSSだけではないと真は悟った。

「……行くか」

「ああ」

 真の表情がさっきより目に見えて暗いことを気にしつつ、声のかけようもないので智明はゆっくり立ち上げってバイクにまたがった。

 たくさんの人間から奇異な目で見られているのを感じながら、真と智明は津名港から離れ、再び28号線を南下していく。


「テツオ。かなりヤバイねー」

「まだ来ないのか。面倒だな」

 仁王立ちで腕を組んで遠くを見ていたテツオに進言したのは、テツオの右腕とも言われる男で名前を瀬名という。

 小柄だが筋肉質で眼光も鋭く、年齢よりもどっしりと落ち着いて見える。

 テツオの幼馴染みでチーム内で唯一リーダーを『テツオ』と呼べる男だ。

「瀬名、適当なのを一人入り口に立たせて、集会の邪魔にならないように追い返させてくれ」

「いいのかい? 全員参加だろ?」

「最中に鳴ってくるよりゃマシだ!」

「……ん、分かった」

 飄々として見えたテツオの顔が一瞬だけ鬼のように険しくなり、それだけでテツオの心中を読んで瀬名は退いた。

「テツオ君、どない? 始められそう?」

「シュンイチ君。……ダメだね。とんでもない恥を晒してるよ」

「まあ、こんなこともあるやろ。そもそもの全員参加っちゅーのが無茶な話やもん。僕は気にしてへんから、川崎のオッサンを丸め込む算段しとかなあかんね」

「……そうだね。ありがとう」

 わざわざ傷口を触りに来る山場の楽しそうな顔を見ると、テツオは顔面に一発ブチ込んでやろうかと思うが、今は失意に苛まれる男を演じておく。

 空瑠橘頭のような小ズルイ連中をやり込める方法はいつでも考えられる。

 それよりもクマゴリラこと淡路暴走団の川崎は今対応しなければ、どんなペナルティーを言ってくるか予想もできない。

「じゃあ、もうすぐ始めるで」

 しおらしく感謝の言葉を述べたテツオに気を良くしたのか、それともあっさりしたテツオの態度がつまらなかったのか、山場は立ち去りかけた。

「……あん?」

 遠くから微かに聞こえるエンジン音に山場は足を止めテツオを見る。

「クソが!」

 山場に聞こえない小さな声で罵り、テツオは瀬名の姿を探す。

 徐々に大きくなり始めたエンジン音はバイク二台だと判別できるまでになっている。

 テツオが瀬名を見つけた時、駆け出そうとしたメンバーを瀬名が無言で引き止めたところだった。

「テツオ」

 小さく瀬名の口が動くのが見えたが、テツオは小さく首を振って「何もするな」と命じ、瀬名も了解の旨を返してきた。

 程なく、津名港ターミナルビル前の駐車場にバイクが二台入ってきて、バイクを停めるやいなや迷彩のバンダナを着けた男二人がテツオの前で土下座した。

「すいませんっした!」

 額を地面に擦り付けるほど詫びの姿勢を示す二人に、テツオは静かに口を開く。

「ウチの会合なら容赦もできるけど、連合の会合はそうはいかない。分かってるよな?」

 土下座をしている二人は一瞬だけ頭を上げてテツオの顔を確かめ、再び地面に額を付ける。

「ウエッサイのメンバーはよく聞け! どんな理由でも連合に迷惑かけた奴は、即!クビだ! 連合が存在してる意味を、もう一回考えろ!」

 真剣な表情で周りに控えるチームメンバーに大声で語りかけ、両手を広げて盛り上げるように挑発する。

「ウエッサイぃー!」

 一瞬の間をおいてすぐさま瀬名がチーム名を叫び、右手を突きあげる。

 周囲のメンバーは瀬名の後を追うように大声や歓声を上げてテツオを盛り立てる。

 だが当のテツオは、未だに土下座している二人に近付き、二人だけに聞こえる声で命令する。

「田尻、紀夫。お前ら、真って知ってるだろ? オンボロのCB400に乗ってるチャラい奴だ。アイツがダチ連れて洲本の方へ下ってった。どうやらトラブルがあったらしい。ちゃんと手伝ったらクビは帳消しだ」

 テツオの言葉にビクリッと体を震わせる田尻と紀夫。

 真とその友達を手助けすればチームに残れるという話だが、上手に手助けできなかった場合、チームをクビになる以上の結末が待っているとテツオは暗喩していた。

「出来るよな?」

「もちろん、です」

 紀夫が声を震わせながら返事する。

「よし。行け」

「ウッス!」

 短く命じて立ち上がったテツオに、田尻は気合の入った返事を返す。

 文字通り首が飛ぶか残るかの瀬戸際なので気合を入れたのだ。

 急いでバイクにまたがり駐車場を走り去る田尻と紀夫を、テツオは厳しい目で見送る。

「そんなに真のこと買ってたっけ?」

 瀬名の記憶では、城ヶ崎真は他の加入希望者と変わらないただの小僧という印象しかない。

「田尻と紀夫を生かせたら、真を都合よく使える。それだけだよ」

「そうか? ……なるほどね」

 何か言おうとしたが言葉を引っ込めた瀬名を、テツオは一瞥して川崎達の方へ歩き去る。

 とりあえず、遅刻者を出した恥は公開でクビを切ることで建て前は立てた。

 一筋縄でいかない曲者達も下手なツッコミはしにくいだろう。

「こんなことで筋道なくされちゃ、俺の作りたい淡路連合の形が変わっちまうからな」

 独り言をつぶやきながらもテツオの顔は爽やかに笑っていた。

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