第◎話 家出

コンビニを出てからもう30分ぐらい経ってるのかな。


ほぼ一直線を歩いて北町を出ようとしてる。太陽は天頂を過ぎ去っているけど、まだ暑い。


ヤツらがいないことを確認するとパーカーを抜いて腰に巻く。ポケットに入っている100ドル弱を移動してシャツの下に隠したいが、今はしない方がいいと判断する。周りにいい影を作れそうな建物はもうなかなかいないんで、グループ活動を好むヤツらはいない。それでもたまに離れ離れになってしまう子羊がいるため落ち着けない。


夜になったら別の話だが。


夜だとヤツらは変身したかのようにエネルギーを得るから。




北町の更に北に小さな山々がある。山というより丘だが、名前に山がついている。太陽の暑さに耐え切れる高木はいないため山一面は草や低木ばかりだ。小石もたくさんそこら中に転がっている。


動物はいるのわかってるけど、姿を見せてくれない用心深い物だ。気持ちはわかる。主に蛇とかネズミだ。大動物はいないため、何年か前に狐を目撃できたことは今にも忘れない。


山に入って歩くところまた3〜40分。坂道だからかペースが落ちるし黒いシャツが汗で背中にベタっと付く。




目的がやっと見える。ここらへんだと一番大きい石は遠くから確認できる。


この石は古くからの恩人だ。家で居たくない夜は何回もここに逃げて、一夜を過ごしたことがある。


今は私の倉庫の役割をしてくれるとても有能な石だ。北町の倉庫屋は信用できない。中学生を真に受けないのはわかるけど、腹たつ。家に物を置いたら親に見つかった瞬間取られるし。コンビニは職場だからもちろん私物持ち込み禁止。


石が地面に着くところは草を生えている。石の下に穴を掘って、それを草で隠している。黄色い草をそらすと穴にリュックが入っているのわかる。


リュックを取り出して、更に中身を地面に出して確認する。


財布の役割をしてくれるコンビニ袋に入っているお金を計算してから、今日貰った100ドルも入れる。3年間の時給2ドルの努力を表す金格だ。1万3500ドル。6750時間。頑張ったなと改めて自覚できる。長くもつような金格ではないが、なんとかなりそう。失った300なんぼはちょっと痛い。


マイン川で5年前に見つかった皮の袋に証明書やパスポートが入っている。パスポートはもう古くなって使えないけど、証明書は店長のお陰で作れた。二枚あって、一つには正確な誕生日が書かれていて、もう一つの私は5歳上になっている。顔だけ見たら信じる大人は多々いるって店長が説得してくれた。


たった5年の差がどんなに凄いのか不思議だ。本当は14歳の中学生だが、5年後のみんなは高校を出て本格的に就職してる人がいれば、大学に入っている人もいるらしい。大学生らしき人をマイン川の向こう側にしか見たことないけど。この証明書のお陰でこれからも職に困ることにはなさそう。


調理用に点火オイル、水筒、皿、フォーク、調理用ナイフとまな板が入っている。フライパンらしき物は持ってないけど、どこかで買えるでしょう。調理用ナイフは水筒に傷をつけないようにナプキンに包まれている。


これ以外の持ち物は地図のみ。街の地図ではなく、教科書に乗っていたこの地域の地図をページ毎とっただけのやつだ。どれぐらい正確なのかわからないけど、今の街の位置はわかる。概ねどの方向に歩いていけばいいかわかればなんとかなりそう。必要次第、次の街とかででももっと正確な地図を買えばいい。




持ち物をリュックの中に丁寧に入れて、背中を石に付けて座る。低木のせいか、北町、マイン川、南町を見下ろすことができる。


ここに歩いた時間も長かったし、持ち物の確認もゆっくりしたせいか一天が既に柿黄色とピンクと朱殷のグラデーションに染まっている。西からゆるりと小さな綿雲が視野に入ってくる。何の種類なのかわからないけど、遠くの方に鳥の群れがあるのもわかる。淡い色の低木と草たちは空の色を受けて、丘一面が燃えているかのように赤い。


空の彩りは下の町の醜さを語らない。


店長は今頃どうしているのだろう。もうこれ以上手助けする意志はないけれど、やはり気になる。お金を失ったのはぶつの取引が上手くいかなかったせいだろうから、またアイツらはコンビニの裏部屋に訪れるんだろう。店長ももう立派な爺さんだし仕返しできるかどうか、曖昧。


残念だが、自業自得なんだよな。


北町に居続けたからこうなったんだ。


私は絶対に違う。違う道を選ぶ。北町の色には染まりたくないんだ。


沈んでゆく太陽を見つめて、私は何度も決めた覚悟をまた決める。


今までお世話になった大石に礼を払って、暗くなる前に山を降りて北町に一旦戻る。




なぜこんなにも大嫌いな街に一回戻るかというのは、追手を欲しくないからだ。できるだけ北町から離れるための時間を稼ぎたい。一回帰って、親に姿を確認してもらって、夜中に出る。


学校から連絡が来るのも3日連続の休みを取ってからやっとだ。今日は金曜日で朝の授業でもう顔を見せた。だから学校が家に連絡するのは来週の木曜日となる。その前に親が気付くかどうか、気にするかどうか、だ。


親が追ってくるのは仕方ない。でも、あの人たちは私を取り戻したい意志があって追うんじゃなくて、警察と絡みたくなくて『娘』を家にしまって置きたいだけ。初めて家出したとき、まだ10歳だった私はその事実に気付けなかった、哀れな馬鹿だった。


だから、親が気にし出して追ってくるのは学校からの連絡があってからの方が可能性として高い。




家の前の角を曲がるときはすっかり日が暮れている。ここに来る途中で何度かヤツらを躱す必要があったけど、うちは北町の中心から比較的離れているお陰でヤツらが問題になるぐらい来ない。本当、害虫類みたい。


うちは一階建の小さなお家だ。前庭は狭いコンクリートのもので窓のカーテンはいつも閉めている。ロックされていないドアを開けて中に入ると、リビングからテレビの音が聞こえてくる。


父のマイク・ホルゲートが帰っている。テレビの音以外は聞こえないから、母はまだ帰ってきていないと察する。


「ただいま」


「あー、お前、何の時間だと思ってるんだい」


父の方から漂うビールの臭いは鼻に刺さる。父は私のことを心配して時間を聞いたわけではない。もうわかっている。ちょっと嬉しくなった時期はあったけれど、もうわかる。


「ほら答えんかい、いつ覚えるの!俺は腹が減ってるんだ!わかってるやろー、ほら…なんか作れ」


文の後半に連れて文句の音量が下がっていくし、なまる。今日はかなり飲んでるみたい。


キッチンに入っていくと、シンクは洗っていない食器と古い出前箱に埋まっている。慣れている臭いだと思うと、ちょっと気分が悪くなる。


冷蔵庫を開けても同じ様子だ。腐っているフルーツやチーズの激臭はひどい。無事そうな食パンとジュースパックを取って、すぐ閉める。


リビングを見返ると、父は寝てしまっている。


食物を持って自分の部屋に行く。この前ランプの電球が壊れて、電気は付けれないから、ストリートの街灯だけに照らされた薄暗い部屋だ。何回も読み切った、学校から貰ってきた教科書は隅に置いてある。服は今着ているものプラス下着しか持ってないし、散らかっていないキレイな部屋だ。


布団の上に座り込んで、地図をまた確認する。山の間を通る道を使ったら、次の大きな街まで結構距離があるっぽい。比較して、橋を渡って南町に行って、更に南に歩いていくと距離がある。でもマイン川に沿って北町側を東に歩いていくと頑張ったら朝まで付くはずのやや大きめな街があるはず。学校でも聞いたことのあるところだ。


近すぎるので長居はしたくないが、バスとか電車に乗れるところとか安いホテルはありそうで行く甲斐あると思える。


そうと決まればさっそく家を出たいけどちょうど外から母ロベルタの声が聞こえる。知らない男性の声に混じっている、甲高い声だ。キャッキャキャッキャうるさくて、母もお酒が頭にまわっていそう。リビングから父が起き上がる音がする。


最低なタイミングだ。


玄関の扉が開くや否や口喧嘩のコーラスが始まる。しばらく部屋にこもって、親が寝るのを待つとする。


何を言っているのかわからないが、想像だけは付く。


父に『浮気だー』と責められる母と、母に『はげた酔っ払い野郎』と文句を言われる父。いつもこんな感じだ。エスカレートすると、『娘』のことも話題に入ってくる。


『俺の娘じゃない小僧を俺が良心でここまで育ってやったんだ!ありがたく思え!』


『良心?笑かさないで。酒飲むばっかじゃん!あんたのせいであんな不気味なヤツになったのよ!』


こんな感じだろう。昨日はこんなセリフだった。学校でクラスメイトが毎日見たぞと報告してるみたいに語っている底辺ドラマみたいな喧嘩。いい大人のくせに幼稚園以下の頭脳だなと納得できる。


パンチ以下、ビンタ以上の肉と肉がぶつかり合う音がする。思わずひょこっとびっくりする。口喧嘩はするけど、手を出すのは滅多にない。続いた母の悲鳴から察するとかなりひどいことを言っただろう。


バタンと玄関の扉が閉まる。


躊躇しながらカーテンをちょっとだけ引いて、隙間から外の様子を見てみる。母が暗闇に走って去っていく姿がわかる。声からもすると父はまだ玄関口に立って、叫んでいる。これぞ激おことでもいうように。


そして、異変。


父の声が重い足音とともに大きくなる。


私の部屋の前に止まることなく、ドアを蹴って入って来る。


次の瞬間にわかることは三つ。


一、酒の臭いが強くなっている。いつの間にかまた飲んでいる。

二、頬はやや赤くなっている。母が思いっきりビンタしたみたい。

三、鼻から鈍い痛みがする。


殴られた、と頭が処理できるまで二発目が当たる。初めて顔面を殴られたことに困惑する。知らない痛みだ。鈍くて、頭が混乱する。


三発目以降の殴りにはもうついていけない。


父がなんて叫んでいるのか入ってこない。


音は聞こえるけど単語、文章にはならない。


目の前で開いては閉じていく口がだんだんボヤけて見える。


顔を守ろうとして手で防ぐ。


パンチが終わり、父が落ち着く。離れたいけど、自分の倒れている体は重すぎる。


ブツブツとなんか言っている。


両手をグーにして床についていて、ゴリラみたいなポーズの父が目の前にいる。手には赤い何かが付いている。


脳が頑張って追いつこうしている。


こんなの初めてだ。どんなに喧嘩しても、どんなに私のことが嫌いでも、警察と関わりたくない二人は絶対に見えるところに手を出さなかった。わかりやすい傷跡も作らない。助けを頼んでも、証拠不足になる結末だけだ。だから、なんで今日は思いっきり顔面狙いで殴ってきたのか全くわからない。


ブツブツの音量が徐々に上がっていく。父がまた興奮状態になろうとしてる。


「や…やめて」


どこからか、か細い声が頼む。私の声か。


父はなんて返したか聞き取れる前に、股間の上からプレッシャーを感じる。


父は私のジーンズに手を当てている。


恐怖で頭が真っ白になる。


いやだ。


怖い。




少し落ち着くと、私はうずくまっている父の下敷きになっている。


肩には私の緑色のハンドルを持つ調理用ナイフが刺さっている。しみじみと黒い何かが父のシャツを染めていく。


慌てて重い父を退かしてジーンズを確認する。半分だけ開いている。


私は父を刺したんだ。


父の蹲っている姿を見ると、今までにどれぐらい怖かった父とは思えないほど弱く見える。


びくっと、父の手は動いて、深い唸り声がする。


一刻も早く出て行かないとコロされる、とふと気付く。


ナイフと地図を回収して、開いたままのリュックを取って、家を飛び出る。


頭が混乱し過ぎてどこに走っているのかわからないけど、とりあえず家から離れたい。




走ると胸が痛くなる。殴られたせいか頭痛も出て、泣いていない涙で目が焼かれる。鼻が血液に詰まっているから口を通して呼吸するしかない。口の中も血の味がして、はきたい。とろっとした、熱い液体が頬を流れる。


パニック状態のせいか、誰かに追われている気がする。


後ろを見返したくない。


もっと速く走るほかない。


足が何かに引っかかって、体を持ち上げる力をとっくに失ってた両足が私をもう支えない。倒れて、またしても顔を打つ。胸も衝撃を受け、元々荒かった呼吸がより辛くなる。


いけない発想が頭をよぎる。


ここでシにたくない。私はこのために何年間も苦労して生きてきたわけじゃない。


ここでシのうとする自分の体を許せない。


私はこの程度の人間じゃない。


悔しくて、音だけ出して叫ぶ。舌が重くて、したくても喋れない。


自分の中から来ている音がどこか遠くのものに聞こえる。


一瞬だけ、目の前が白に染まる。


体がビリビリして、痺れる。


体の痺れと一緒に脳内も落ち着く。こりゃ店長に説教されるな。




私は意識を失って周りが暗くなっていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔術師アカデミーの赤狐 彩樽 @ayataru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ