第2話 町の本屋で

「ふーん、ふふーん」


 服屋での買い物が終わって、カルーナは、上機嫌だった。鼻歌まで歌い始めたため、アンナは少し寒気がした。


「それで、次はどこに行くのさ?」

「次は、本を買いに行くわ」

「本? そんなの叔父さんが買ってくれるじゃないか」


 自分がもらっているのだから、カルーナもグラインから、本をもらっているはずだと、アンナは考えた。


「……それは、違うわ。お父さんが本を買ってくるのは、あんたにだけだもの」

「えっ?」


 カルーナが声を落として言うので、アンナは驚いた。そのような差別的なことを、グラインがするとは思えなかった。


「叔父さんが? そんなばかな。あんな優しい人が……」

「お父さんがあんたにだけ優しいのは、特別よ」


 少しだけ、アンナは、カルーナに同情してしまった。実の娘なのに、冷遇されるのは辛いだろう。

 慰めてやろうかと思ったアンナだったが、いざとなると、上手く口にできなかった。


「ここが本屋ね」

「へえ、本がいっぱいだね」


 カルーナが、辺りを見渡すと、目当ての本を見つけたようだった。


「これよ、これ。この本が欲しかったの」

「これって……」


 その本は、アンナの部屋にあるものだった。別にこのまま買わせてもよかったが、さっきの話が、アンナの心に残っていた。

 それに、単純に効率が悪いとも思った。同じ本があるのだから、別の本を買った方が良いだろう。


「その本なら、私の部屋にあるよ」

「……知ってる」


 知っていて、買おうとしているらしかった。アンナは、きっと貸してと言いづらいのだろうと思った。こんな時くらいは、年上として言ってやるかと、親切心からそう思った。


「私の貸してあげるからさ。別のにしなよ。その方が、いっぱい読めていいでしょ」

「……」


 アンナがそう言うと、カルーナは目を丸くして驚いていた。普段から、仲がそれほど良くないため、そんなことを言われると、思ってなかったのだろう。


「……いいの?」

「……っ!」


 カルーナがしおらしい態度で言ってきたので、アンナは思わず悶えてしまった。

 その態度を見ていると、昔の仲が良かった頃を思い出してしまう。心のどこかでは、あの時に戻りたいと思っていたのだ。

 そのためか、思わずアンナは、手を伸ばしていた。


「いいの、いいの、お姉ちゃんが、言ったんだから」

「あっ……」


 アンナは、カルーナの頭を撫でながら、そんなことを口走っていた。

 しまったと、アンナは感じた。昔の癖が出てしまった。今、こんなことをしたら、カルーナは、怒るだろう。

 しかし、カルーナの反応は予想外のものだった。


「ありがとう。お姉ちゃん……」

「へ?」


 カルーナは、とても可愛らしい表情で、そう言っていた。

 アンナは、これはこれで気まずいものだとわかった。怒ってくれた方が、楽だったかもしれない。

 カルーナとこれから、どんな顔をして話していいかわからなかった。


「あ、あんたが欲しい本って何よ?」

「え?」


 カルーナは、顔を赤くしながらも、いつもの口調に戻っていた。

 これなら、もういいかと思い、アンナは頭から手を離した。


「あっ……」


 カルーナが少し名残惜しそおうな顔をしていたが、アンナは考えないようにした。


「私は、この本とかいいかな」

「ふうん、別にあんたのためって訳じゃないけど、本の虫のあんたが言うなら、おもしろいと仮定して、これを買うことにするわ」


 カルーナのいつもの嫌味も、さっきの出来事を踏まえると、可愛く思えてきた。


「それじゃあ、さっさと行くわよ」

「はい、はい。行こうか」


 二人は、本屋を後にした。





 二人は、帰りの馬車に向かっていた。

 本屋での出来事から、アンナとカルーナは、ほとんど喋っていなかった。

 しかし、以前までの気まずさはほとんどなく、むしろ心地よいと感じた。


「お、お二人さん、来たね。準備はできてるから、乗りなよ」

「あ、ありがとうございます」

「ありがとうございます」


 アンナが馬車に乗り込み座ると、カルーナは、何を思ったか、アンナの隣に座ってきた。

 カルーナを見ると、いつもと変わらない表情をしていた。


「……何か?」

「い、いや、なんでもないよ」


 笑顔で言われたので、アンナは苦笑いで返した。

 そんなことをしていると、馬車が動き始めた。


「……」

「……」


 気まずい沈黙だった。しかし、行きのような気まずさではなく、気恥ずかしいような感覚だった。

 その間も、カルーナは、アンナとの距離を詰めていた。

 アンナは、今までのことを思い出していた。

 考えてみれば、カルーナが変わったのは、自分との関係性を完全に理解した頃だった気がする。

 アンナの母親が亡くなった時は、アンナは五歳、カルーナは三歳だった。

 そこから、姉妹として育ってきたが、カルーナは十歳になるまで、どういう関係か知らなかったのだ。

 それから、しばらくして、カルーナが冷たくなっていったので、あまりの事実に、自分がわからなくなっていたのだと、今になってわかった。


「うん?」

「きゃあ!」


 そんなことを考えていると、馬車が大きく揺れた。


「うわああっ!」


 続いて、御者の悲鳴、明らかに普通ではなかった。


「カルーナ、じっとしていて」

「あ、うん」


 アンナは窓にかかったカーテンの隙間から、外の様子を伺った。


「はっ……!」


 外には、見知らぬ男達が三人立っていた。

 三人は、手に短剣を持っており、御者を捕えて、尋問していた。


「中に誰がいるんだ?」

「ひいっ!」

「おいおい、素直に言えば、話してやるぜ」

「……お、女が二人」

「へえ、悪くねえな」

「言ったんだ。逃がしてくれ」

「逃がす訳ねえだろ」

「ひぃ……」


 盗賊は、御者の首を切り、馬車の方に目を向けてきた。


「くっ……」


 逃げなければ、アンナはそう思っていた。しかし、逃げ場はない。馬車から下りれば、奴らにすぐに見つかってしまう。


「どう……なってるの?」


 カルーナが心配そうに聞いてくる。いざとなったら、カルーナだけでも逃がそうと、アンナは決意した。

 アンナもカルーナも、ソテアから、一通りの戦闘訓練は受けていた。しかし、三人の男相手には立ち回れないだろう。


「さて、どんなのが入っているかな……」


 盗賊の一人が、馬車の戸に手をかけた気配がしたため、アンナは、その戸を力一杯蹴りとばした。


「うおおっ!」

「カルーナ、反対から逃げて!」

「え?」


 カルーナが逃げたかどうか、確かめる間もなく、アンナは外に出る。


「いってえなあ、くそっ! 鼻血が出てやがる」

「油断するお前が悪いんだろうが」

「それより見ろよ、中々の上玉だぜ」


 盗賊に嘗め回すような視線で見られ、アンナはイラついた。

 魔族と戦っているこのご時世、盗賊を働くなど屑中の屑であるだろう。


「俺がやってやるぜ。鼻の借りをしっかりと返さなきゃな」


 そう言って、男の一人がかかってきた。

 それを見て、アンナは案外遅いと思った。


「はあ!」


 そのため、男の踏み込みに合わせて、男の鼻を殴りつけた。


「ぐあああっ! い、いてえええ」


 鼻を攻撃された男は、そこを押さえながら、転がっていた。

 完璧なカウンターの形となったので、鼻の骨が折れていても、おかしくはない。


「また油断しやがって」

「だが、この女、普通じゃねえぞ」


 盗賊の一人は、しばらく立ち上がれないだろう。

 カルーナが逃げれたか、心配だったが、今は目の前に集中するしかなかった。

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