3-4



「じー、じー」


 相変わらず不快な音が響いている中、私はベンチの上で目を覚ます。

 白い朝陽が木々の葉を縫って私のいる大地に降り注いでいる様を眺め、よろよろとベンチから立ちあがり、寮へと帰る為の道筋を一人で歩く。朝の白い光と木々の黒い影が入り乱れるうっそうとした獣道を抜け、昨日七瀬先輩と初園先輩が心中をした泉の前を通り、轟々と炎を上げていた寮へと戻る。

 もうろうとした意識の中でそれらを行っている間、私の中に在る思いは一つだけだった。

 ――すべてが、戻っていますように。

 寮に住まう少女皆が私のことを嫌い、厭う日常に。初園双代が私に気を掛けたりしない、在るべき形の日常に。戻っていますように。

 耳障りで不快な音を聞きながら寮の前へとやって来れば、見慣れた庭と邸宅が私を出迎える。

 色とりどりの花が揚々と咲き誇り、枯れることを知らない多種多様の木々が花を芽吹かせている。狂乱していた初園先生の手によって昨晩燃やされたはずのそれらの前を通り過ぎ、私は寮の扉を開く。そして皆が集まっているだろう食堂へと入れば、皆いつものように朝食を摂っていた。

 そう、昨日一昨日と死んだ初園双代も、初園双代と心中した七瀬みのりも。昨晩寮に火を放ち半狂乱で笑っていた初園先生も、そんな先生に燃やされたはずの少女たちも。皆、変わらぬ笑顔を浮かべ、変わらぬ声色で話し、変わらぬ姿でその場に居た。


「ごきげんよう」

「ごきげんよう」

「ごきげんよう」

「ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 食堂に入ってきた私を見た彼女たちはそう言い、朗らかな笑みを浮かべる。

 彼女たちが私に対して抱いていたはずの嫌悪も、疎みも、嫉みも、今の彼女たちからは感じられない。ただ「理想的」と呼べるような笑みを、彼女たちは私に対して向けている。

 やわらかで、無垢で、なんの淀みも抱いていない彼女たち。そんな彼女たちは間違いなく「理想的」なのだろう。けれど私には、今の彼女たちが「理想的」には見えなかった。

 少なくとも今の彼女たちは、すべての物事を受け入れるような寛大さを見せている彼女たちは「誰か」が求めている「とある少女の理想像」なのだろう。けれど、それは私が求めている「理想像」ではないから。

 彼女たちと意思疎通など出来ない。

 彼女たちと分かりあうことなど出来ない。

 だからこそ私は私とは違う彼女たちを受け入れこそすれど、離れていく彼女たちを留めるようなことはしなかった。

 ――だって、此処に居続けるのも、此処を離れるのも彼女たちの「自由」だから。

 私が彼女たちにあげられる「自由」は、それだけしか無いから。肉体を失い、自身の意思も奪い取られてしまった彼女たちに、私が唯一あげられる「自由」はそれだけしかないから。

 なのに、目の前に居る彼女たちは私が与えた「自由」さえ放棄して、「誰かの理想」に縛り付けられている。嗚呼、そんなこと許されるべきではない。許されてはならない。少なくとも彼女たちは此処に居ることを強要されているのだから、此処での在り方ぐらい「自由」にさせるべきなのだ。否、「自由」にさせなくてはならないのだ。

 「誰か」が求めた「私」を作るために集わされ、バラバラにされた少女たち。彼女たちは「私」という容器の中でドロドロに溶けて、混ざり合い、私の内容物と成り果て、捨てられる。

 だから彼女たちは此処に居て、互いを認識している。それも止められた時のまま変わらぬ姿で、何一つの変化さえ出来ない静止された状態で。

 その事実を思い出した――否、思い出してしまった私の目の前で少女たちの身体が解けた。

 平素な朝を象徴させる食堂で微笑み、朗らかな声を発していた少女たちの柔らかな身体がバラバラに解かれ、私の目の前で組み上げられてゆく。

 心臓の初園先生。膵臓の七瀬みのり。右腕の初園双代。左足、肺、腎臓、肝臓、眼球、髪の毛。そして寄せ集められた数多の少女たちのパーツで出来上がったのは、「理想的な少女」たちで創られた「私」そのものだった。

 歪な「私」。

 顔は愚か体中に繋ぎ合わされた縫い目があり、髪の色も、瞳の色も、皮膚の色さえまばらで、統一性もない。


「あ、あああああ」


 私ではあるけれど私の物ではない喉から、悲鳴にも似た声が出る。

 けれどコレが「私」なのだ。

 コレが、「誰かが求めた理想的な少女の姿」なのだ。

 「じー、じー」と不快な音が私の鼓膜を揺らし、私しか居ない、私だけの世界で反響する。

 コレは私が拒絶した「本当の世界」から響く音。この音が大きくなれば大きくなるほど、私の目覚めが近いことを示していて、私はその目覚めに抗えない。

 覚醒なんて、したくない。

 私しか居ない、私だけのこの世界に居続けていたい。

 そう思い、願っても。私の意識は徐々に消え去り、覚醒へと導かれる。

 嗚呼早く。早く、この世界もろとも、「私」が終わってしまえば良いのに――


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