3-3



 赤い空に、黒々しい木々の影が覆い被さっている。

 目を開いた私の視界には、そんな光景が広がっていた。

 いったい何があったのだったか、と気を失う前までの事柄を私は順を追って思い出す。そう、私は昨日死んだ初園双代が蘇ってきた姿を見て、その事象を受け入れしこそしたがどうしようもなくなってしまって此処へ逃げてきた。けれど此処には七瀬先輩が居て、私は七瀬先輩に首を絞められ殺されたのだ。否、記憶があるという事は殺されたわけではなく、「殺されかけた」程度で留められたのだろうか。

 強く絞められていた覚えのある喉元をさすりながら、私は自身が横たわっていたベンチから身体を起こし座り直す。頭の痛みや喉の痛みは無いものの、少しおかしな体勢で眠っていたせいか身体の節々が痛みを訴えている。

 そんな自分の身体を労わるためにも、しばらくの間ぼんやりとしていたかったが、目覚めた時点で既に空が赤く染められてしまっている為そうする暇はなさそうだ。夜になってしまえば月や星の光以外のすべての光が無くなってしまうこの場所では、暗くなりきってしまってから寮へと帰るのはほぼ不可能。最悪陽が昇る翌朝まで延々と森の中をさ迷う羽目になるだろう。流石の私もそうなりたくはないし、温かすぎもせず寒すぎもしない部屋のベッドで横になりたいという欲ぐらいはある。

 かたん、と音を立ててベンチから立ち上がった私はけもの道を辿り、寮へと戻る為の森道へと戻る。さくさくさく、と足元の枯草を踏みながら泉の前を通れば、泉の中心にボートが一艘浮かんでいた。


「……あれは、」


 空から降り注ぐ赤い陽に照らされる黒いボートと、その中に居る二人の影。

 歩いていた足を止め、じっとそちらの方を見つめる。

 ボートの中に居る一人が、もう一人の手を握っている。そして、握られている側の人は頭を横に振り何かを拒絶している。

 日中ほど明るい陽ではないせいか、その二人が一体誰なのかは分からない。けれど影の動きでなんとなくその行動は見える私は、その二人の行動をひたすら眺め続けた。

 頭を横に振っていた影は拒絶するように手を握っている影を突き放す。ぐらり、とボートが揺れる中で一瞬戸惑いの停止があった後、拒絶された影が拒絶した影の首元に手を掛けた。

 ぐらり、ぐらり。首に掛けられた手がひどく苦しかったのだろう。首を絞められている影が暴れ、抵抗する動作をする度にボートが激しく揺れる。

 ばしゃばしゃと激しい音を立てて水面を揺らすそれらの光景に魅入っていれば、首を絞められ、もがいている側の影が私の存在に気が付いたらしい。私の方を見つめ返すその影――初園双代と私の視線が交わる。そして、それと同じくして初園先輩の首を絞めている方の影も私の存在に気が付いたらしい。

 もがき暴れる初園先輩の首から手を離すことなくこちらを向いた七瀬先輩がにっこりと笑う。激しく揺れるボートの中で、七瀬先輩だけがひどく落ち着いているように見えた次の瞬間、ボートがぐるりと横転し「どぼん」と、嫌な水の音が響き――泉の上から二人の影が消えていた。

 在るのは激しく揺れる水面と、その中央部に在る反転したボートの船底部分のみ。先ほどまであったはずの二つの人影は無い。

 初園双代と七瀬みのりが泉の中へと落ちた。そう理解するのに時間はかからなかった。けれど私は泉へと落ちてしまった二人を助けるために、その泉に入ることはしなかった。

 だって、結局二人は明日には戻ってくるから。

 それに私には、そうなることを決めてしまった――初園先輩に殺意を抱いてしまった、あるいは初園先輩と心中することを願ってしまった――七瀬先輩の行動を阻むことは出来ない。むしろ七瀬先輩は、抱いた願いを叶えるべきだと思うから。

 長い間、それこそ初園先輩が何度死のうと彼女の事を見守り続けていたらしい七瀬先輩には、それぐらいの自由と権利は与えられて然るべきだろう。少なくともこの世界では誰と心中しようとも、誰を殺してしまおうとも、咎めるような無粋な部外者は居ないのだから。

 水面の揺れが徐々に収まり、空の赤みも薄れ木々の黒さが一層濃くなる中、私は泉の傍から離れ寮への道を辿り直す。どうせ明日になれば、明日の朝になってしまえば二人とも何事もなかったように戻ってきているのだ。それこそ何事もなかったように、今までの生活と同じサイクルで彼女たちは行動し、笑い、生きてゆくだろう。それが彼女たちの当たり前で、その中に入れない私が目にする当たり前の光景。

 空の赤みがすっかり消えてしまっても尚、不自然なほどに暗さを感じさせていない森を抜けようとした私は、自身の足を止めた。

 嗚呼、今日という日は私にとって良くないことが立て続けに起こる「悪い日」なのかもしれない。

 朝から初園双代の死を見せられ、逃げた先で七瀬みのりに首を絞められ、夕暮れ時には二人の心中光景を目の当たりにし、そして今は轟々と赤い炎を上げて燃える寮を見せつけられる。そんな日を「悪い日」、あるいは厄日と言わずなんと言えばいいのだろうか。

 どうして、なんで、だれが、何のために?

 寮の中に居るであろう少女たちの安否を思う前に、何故寮が燃えているのかを考えてしまう人でなしの私。けれど、そんな私の疑問は赤々とした炎を巻き上げさせている寮の前に居る一人の女性――初園先生の言葉ですぐさま解消されることになる。


「わたしには分かるのよ、双代がまた死んだって! 今度はあの忌々しい七瀬と心中したって! 双代はわたしの特別なのに、なんで別の誰かと心中をしてしまうの! なんで、わたし以外の人と死んでしまうの! どうしてあの子をわたしから奪うの! わたしはあの子しかいらないのに!」


 口を大きく開き、叫ぶ初園先生。がしがしと髪をかきむしり、叫ぶ彼女のその姿は狂乱した鬼の様だった。おそらく彼女が、寮に火を放ち今の惨状を作り出しているのだろう。

 その理由を私は理解することができないだろうけれど、彼女が今ひどく辛い気持ちを抱いていて、もうどうしようもない状態にいるのだけは、なんとなく把握することは出来ている。


「ダメよ! ダメ! そんなこと許さない! 許されない! 許されるべきじゃない! だから最初からやり直しましょう! あの子がこんな結末にならないために! わたしはそのためになら何度だって燃やしてあげるから! そう、何度だって燃やすわ! あの子の為に、わたしは何度だって燃やすのよ!」


 ははは、はははは! と声高らかに笑い始めた初園先生。

 そんな彼女を前に、轟々と燃え盛る炎に包まれている寮の中からは、甲高い悲鳴がいくつも上がっていた。逃げ遅れたのか、あるいは初園先生の手によって閉じ込められたのか定かではないが、中に居る少女たちがきっと炎の熱さに耐え兼ねて叫んでいるに違いない。


「っ」


 悲鳴を上げそうになる自身の口を手で塞ぎ、私は、寮の傍からゆっくりと離れた。

 ゆっくりと、そう、極力人為的な音をたてないように気を付けて。私は半狂乱の状態で笑い続けている初園先生から離れる。きっと激しい葉の音や走る音などを立ててしまえば初園先生はその音の主を追いかけ、捕まえて、燃やしてしまうだろうから。

 「生きる」という事に対してさほど執着が無い私でも、流石に火刑を身に受けたいとは思わない。嗚呼、むしろ想像するだけで恐ろしい。

 煌々とした灯りを放ちながら燃えている寮から極力音をたてないように離れ、初園先輩と七瀬先輩が心中した泉の前を通り、誰も知らない秘密の場所へと戻ってきた私。

 「月明かり以外の光が無い中、良く戻ってくることが出来た」と自分を褒めながら、私は屋根付きベンチに寝転がる。暖を取る為の毛布も無ければ、やわらかなベッドも無い場所ではあるけれど此処は――この場所を知る七瀬先輩も初園先輩もいない今なら、本当の意味でこの場所は私の「秘密の楽園」だから。

 木々の隙間から僅かに見える空の星々を眺めた後、私は固く瞼を瞑る。

 嗚呼、早く。

 嗚呼早く、陽よ昇れ。

 そうすれば、きっと。

 そうすればきっと、すべてが元通りになっているはずだから。

 「厄日」と称されるべきだろう今日一日の全てを無かったことにしたい私は、そんなことを祈り、願いながら、ゆっくりと眠りの黒。微睡の渦へと身を落としていった。



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