3-2



 初園双代が死んだ翌日の朝、朝食を摂りに寮の食堂へやって来た私の目の前に広がる光景は予想した通りのものだった。

 小川で溺死していたはずの初園双代が、笑みを浮かべて朝食の席に着いている。

 そしてそんな彼女を取り囲むようにして、無数の少女たちが群を成しているという、――予想通りの光景が。

 彼女が私を気に掛けることなど無いことを知りながら、私はわざと彼女の視界に入ってみたりしたけれど、彼女は私を視界に入れても気にする素振りを見せなかった。一昨日までの彼女であれば、私の姿を見た途端近寄ってきて、笑みを見せたというのに、今日からの彼女は、私に気が付きさえもしない。


「わかっていた、ことじゃない」


 私は誰からも嫌われるべきで、誰からも疎まれるべきで、許されてはいけないのだから。そんな孤独と一緒に居るしかない私なんかに、彼女みたいな素敵な人が気を掛ける方が、一昨日まで続いていた事柄の方が、おかしいのだ。

 だから彼女が私を友達と認識しないどころか興味を向けないことは普通で、ソレこそが本来あるべき姿なの。

 そのことを重々承知しながらも、ついチラチラと初園先輩の姿を見てしまう自分を自覚してしまう私は、ぎり、と歯噛みする。

 彼女たちと私は隔絶されてしかるべきなのだ。

 一昨日までの初園双代の行動が異常で、今の彼女が正常なのだ。

 だから、私が苦しむことはないのだ。

 だってこれが、普通のことで、あたりまえのことで、当然のことなのだから。


「っ、う、」


 それなのにどうしてだろう。

 私の目から、涙がこぼれ落ちてきていた。

 悲しむべき事柄ではないはずなのに。苦しむべき事柄ではないはずなのに。どうしてか、私は涙を零し、泣いていた。

 私は一人に慣れていて、一人で良いはずなのに。

 どうして今、こんなに「淋しい」と思うのだろう。

 目の前に出された色褪せた朝食を摂る気にもなれず、初園双代を中心とした鮮やかな世界に目を背けた私は食堂を出て、寮の扉を開け、駆け出す。

 通い慣れた森道を駆け抜け、細い獣道を抜け、誰も知らない私だけの秘密の楽園へと――私と初園双代が過ごした、二人だけの思い出の場所へと私は逃げ込む。


「やあ、おはよう」


 けれど、その場所はまたしても私だけの知る秘密の場所ではなくなっていた。

 私と初園双代が並んで座った屋根付きベンチで座る七瀬みのりがにっこりと笑み、私に手を振っていたのだから。


「ねぇ君、隣に座りなよ」


 どうして彼女が此処を知っているのだろうか。

 そんな疑問が脳裏に浮かんできたけれど、見当のついた私はすぐその疑問を打ち消した。

 初園先輩に執心していた七瀬先輩の事だから、どこかのタイミングで私か初園先輩どちらかの跡を追い、此処へと辿り着いてきていたに違いない、と。


「遠慮なくてしなくていいから、ね? 僕は君と話したいことがあるんだ」


 何時もと変わらぬ、優しいテノール音の声に合わせてにっこりと笑った七瀬先輩。けれど私はそんな彼女の傍に近寄りたいとは思えなかった。

 だって、さほど人の気持ちに敏感でない私でも分かってしまうほど、今の彼女は怖かったから。


「双代ならしばらく来ないよ。今はみんなに捕まっているし、その後は初園先生に捕まる予定だからね。それにしても初園先生って変だよね。同じ苗字っていうだけで先生は双代のことを妹扱いしているんだから。普通、苗字が同じってことだけでは妹扱いなんてしないよね?」


 「君もそう思うだろう?」と、同意を求めるようにして、再度私に対して手を拱く初園先輩。おそらく彼女は早く私に隣へ来るよう求めているのだろう。


「っ、そう、ですね」


 本当ならば此処からさえも逃げてしまいたい。でも、此処を逃げたところで行き場所もない私は、意を決して七瀬先輩の隣に座ることにした。


「うん、いい子だね」


 にっこりと再度笑みを浮かべてよしよし、と私の頭を撫でてくる彼女。


「僕はね、ずっと双代を見てきたんだ。それこそ彼女が何度誰かに殺されようとも、何度心中を強要されようとも、変わらずにね。でも一昨日まで此処に居た彼女は自ら終わることを決意し、決行してしまった。さて、何故だと思う?」


 私には初園先輩が死ぬ決意を決めた心当たりなど無い。ただ、その前兆のような不可解さは確かに感じてはいたけれど――その理由までは分からない。


「さ、さあ……」


 何も知らないし、何も知らないのだからそう答えるほかない私。だがそんな私の答えが気に入らなかったのだろう。私の頭を撫でていた七瀬先輩の手に力がこもり、勢いよく頭を鷲掴みにされたかと思うと、座っていたベンチの上で組み伏せられた。


「君はずるいよ。双代の愛をその身に受けておきながら、双代の気持ちを知らないまま、無意味で無価値なものにするなんて! ……いいや、君のその自己中心的な在り方はずるいなんてものじゃない。君はひどく残酷で、残忍な、人でなしだ!」


 私はひどく残酷で、残忍な、人でなし?

 そう言われる覚えは私には無い。けれどそれは私が自覚していないだけで、はたから見れば私はそう見えているのかもしれない。そう、それこそ初園先輩が私との思い出や繋がりを、すべて忘れてしまったのと同じように、私もまた大事な何かを忘れ去っているかもしれない。


「此処は幻想郷みたいな場所だから、誰を殺しても罰されないし、そもそも罪にだってならない。だから今此処で僕が君を殺しても、僕は誰にも咎められない。誰も僕を咎めない」


 むしろみんな、君が死んだら喜ぶかもね。

 吐き捨てるようにそう言った七瀬先輩は私の頭から手を離し、私を仰向けに転がすと、私の胸上に馬乗りになった。そして私の首に筋張った指を添えて、徐々に体重をかけてくる。


「双代は何にもいらなかった。誰かに何かを求められるのが嫌いだった。だから、他人に何も求めない君に依存してしまうことは重々理解できる。けれど、駄目なんだよ! 君は駄目なんだ! 君は全てを否定して、全てを無意味で無価値な物へと変えてしまうから! 僕たちにとっての拠り所である双代を無意味な物へと変えてしまう君だけは、絶対に駄目だったんだ!」


 私が全てを否定する? 私が全てを無意味で、無価値な物へと変えてしまう?

 彼女は一体何を言っているのだろう。

 私の喉に指を纏わせ、体重をかけ、私の首を着実に締め続けてくる七瀬先輩。息を飲むことは愚か、呼吸することさえ許さないと言わんばかりの強さのソレは、間違いなく私を苦しめていた。


「君がもし、双代の気持ちを理解できていたのなら、双代は自ら終わることを選ばなかった! 君がもし、双代だけじゃなくてみんなの気持ちを理解できていたのなら、誰も苦しまなかった! でも君は、理解しなかった。理解しようとしさえしなかった! ――そうだよ、理解しなかったから、理解しようとしなかったから、理解することを求めなかったから、双代は死を選んだんだ! そうだよ、そうとしか考えられない。君が、双代を殺したんだ!」


 私が彼女の気持ちを、初園双代という少女の気持ちを理解できないことは当然だ。そもそも、誰だって他人の気持ちが十全に分かるわけがない。分かってしまう人などいれば、それはきっと恐ろしいことだと思う。だから――そう、だから私は初園双代を含めた少女たちの気持ちを理解しなかったし、理解しようともしなかったし、理解することを求めなかった。けれど、どうしてそのことが「彼女を殺した」に繋がるのだろう。分かり合えないのは、当然のことであり、七瀬先輩もそうであるはずなのに。

 初園双代の気持ちを理解できないままでいたように、私は今、私を絞め殺そうとしている七瀬みのりの気持ちが理解できないでいた。

 今もし此処で彼女の気持ちを理解することを求めたら、私は彼女が今何を考え、そして何故私が「初園双代を殺した」ことになるのか、知ることが出来るのだろうか。


「嫌いだよ。僕たちのことはおろか、双代の事も無価値にするような君なんて、大嫌いだ!」


 けれど私が彼女の気持ちを理解するため、彼女の気持ちを求める前に、彼女が私を拒絶した。

 私と対峙した少女たちほとんどが口にした「嫌い」の言葉を吐き捨てて、私の首を絞め続けている七瀬みのりは、私の事を拒絶した。


「大嫌いだ。君なんて、大嫌いだ」


 壊れたおもちゃのように「嫌い」と拒絶の言葉を呟き続ける七瀬先輩。けれど私の首にかけられる彼女の指が解けることは無く、私の呼吸を確実に止め、殺そうとしていた。

 どうして彼女は私を殺そうとしているのだろう。

 どうして彼女は私を嫌いと拒絶するのだろう。

 どうして彼女は私のことを一方的に決めつけるのだろう。

 どうして彼女は、私を殺さなければならないのだろう。

 私の喉に力を籠め続ける七瀬みのり。首を絞められている私は呼吸をしたくてたまらないけれど、七瀬みのりの手を拒むことは出来なかった。否、するに至ることが、出来なかった。

 死にたいわけじゃない。苦しくないわけじゃない。このまま終わってしまうことに、未練が無いわけじゃない。でも、私は生きていたいわけでもなかったから。むしろ、このまま終わりにしてしまえた方が、私はきっと幸せだから。

 目覚めた私はきっと、何も知らないまっさらな私。

 嫌われていることにも気づかぬまま、七瀬みのりに殺されたということを忘れ去ったまま、羨望の対象である初園双代と隣り合い、触れ合ったことを無かったことにして。

 そんな、救いようのない諦めの感情を抱き、私は七瀬みのりが与えてくれるであろう死を待ち望み、ゆっくりと彼女の中で気を失った。


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