3章 私Ⅱ

3-1


 初園双代が小川で死んでいる。

 その事柄を耳にした私は、次々に寮から飛び出て行く少女たちと同じように寮を飛び出し、歩き慣れた寮と校舎を繋ぐ森道を走った。

 初園双代が。初園先輩が。昨日、私と触れ合っていた彼女が、死んでいる?

 そんな、まさか、どうして、誰が、何のために?

 頭の中で浮かび上がり、ぐるぐると渦巻く驚きと疑問。けれど次々と浮かんでくるそれらに対しての答えは提示されることは無い。だって――、だって私はまだ、彼女の死を見ていないのだから。

 前方を走る少女たちに連なり小川のある方へと逸れれば、既に数人の少女たちが――そう、初園先輩を狂信的なまでに慕っていた少女たちがそこで陣を組み、泣き喚いていた。


「何で」

「どうして」

「なんのために」


 私の中でも浮かび上がっていた疑問は彼女たちの中でも同じく浮かび上がっていたらしい。涙を零しながらそう口々に言っている少女たちに気が付かれないようにしながら、私は小川の岸辺へと近付く。

 初園双代の死に関して、現状何の疑惑も掛けられていない私ではあるが、相手は何事もない時でさえ私に対して嫌悪を抱いている少女たちだ。盲信する人を失った怒りや喪失感の捌け口として、もとより気に入らない私に八つ当たりのような暴行を加えてきてもおかしくはない。

 少なくとも最近の私は初園先輩と共に居ることが多く、彼女たちにとって「目に余る」と捉えられていたはすだから、ここは穏便に、こっそりと行動するべきなのだ。

 ゆっくりと、そして確実に岸辺へと近付いた私。その視界に映ったのは、小川に身体を横たえ浮かぶ初園双代の姿だった。

 長い髪を水面で揺らし、白い肌を一層青白くさせ、赤い唇を色味の悪い紫へと変貌させた彼女が、小川の中で「死んで」いた。


「っ、」


 初園双代が、初園先輩が、「死んで」いる。

 昨日私と隣り合い、ふれあい、笑みを見せていた彼女は、目覚めない。隣り合わない、触れ合わない、笑みを見せない。

 眠っているのではないかと。今にも瞼を開き「おはよう」とほほ笑むのではないかと、思わせてしまうほどきれいな姿で死んでいようとも。この世界が、幾人もの少女を甦らせていようとも。今、小川の中で眠る初園先輩は目覚めないのだ。

 初園先輩の死を少女たちに告げられたのだろう。七瀬先輩と、初園先輩の姉を自称する初園先生が呼吸を荒げて岸辺へとやって来る。


「双代!」


 そんな、嫌よ! どうして!

 悲痛な叫び声を上げながら泣き崩れる初園先生。その一方、彼女と共にやって来た七瀬先輩はすぐさま小川に飛び込むと、初園先輩の元へと泳ぎ近付いてゆく。そして浮かんでいた初園先輩の身体を引き寄せ、先生や少女たちが集う岸辺へと引き上げた。


「双代、ふたよ……どうして」


 七瀬先輩の手で引き揚げられた初園先輩の亡骸を抱きしめる初園先生。自らの衣服が濡れることも厭わず、初園先輩を小川の中から助け出した七瀬先輩。そんな二人――否、三人を囲むようにして集う、数多の少女たち。

 彼女たちは今、心の底から悲しんでいるのだろう。嗚咽と涙を零し、初園双代というかけがえのない少女の死を悼んでいるのだろう。けれど、その様を少し離れた場所で見ている私は、思ってしまった。

 嗚呼、なんて滑稽なんだろう、と。

 この世界は、死んだ少女が翌日には何事もなかったように戻ってくる世界。なのに、どうして彼女たちは泣いてばかりいるのだろう。泣いていようと、いなくとも、翌朝には自分が死んだことさえ知らない初園先輩が戻ってくるというのに。

 かくいう私も、目の前で明確な「死」を突き付けられれば今でも自室で一晩中震えているのだから、彼女たちと同じ滑稽に違いはないのだけれど。

 寮で暮らすほとんどの少女たちが集い、涙を零しあっている姿から目を背け、私は隠れていた場所から音を立てないようゆっくりと立ち去ることにした。

 此処に居ても何かが変わることは無いだろう。否、むしろ見つかりでもしたら、証拠もないのに「貴女が初園先輩を殺したんでしょう!」と八つ当たりされかねない。そんなことにはなりたくないから、私は早急に此処から立ち去らなくてはならないのだ。

 隠れていた茂みから抜け、歩き慣れた森道を逸れて森の中にある細い獣道を走り抜ける。時折木の枝葉が服や皮膚に絡みつき、傷つけることがあったけれど、私は一度たりとも足を止めることなく走り続けた。

 きっと初園先輩は私と友達になったことも私に触れたこともすっかり忘れて、他の少女達同様、私のことを嫌いになる。

 この世界においてそれが当然で、普通で、当たり前。でも、ほんの少しそれが悲しいと思ってしまうのは、どうしてだろう。

 別に、初園先輩にもう一度好かれたいわけじゃない。別に、初園先輩の一番になりたいわけじゃない。むしろどうして彼女が私の事を疎み、厭うてくれていないのか、今までずっと不思議に思うほどだった。けれど、いざ嫌われるかもしれないと思うと、とても不安になるのはどうしてだろう。

 私以外の誰も知らない場所へと戻った「秘密の楽園」に逃げ込んで来た私は、座り慣れた屋根つきのベンチへ倒れ込む。

 初園先輩は外へ出て行こうと躍起になっていた私に「力になる」などと言っておきながら、一度たりとも私の助けになってくれたことはなかった。そう、彼女はずっと私の傍らに居るだけで、私の行いに協力してくれることはなかったのだ。

 にもかかわらず、私は彼女の事を嫌いになってはいなかったし、今も嫌いになれないでいる。

 そう、私は彼女に頻繁に声を掛けられるようになった時も彼女そのものを疎んじ、恐れ、おぞましく思いこそしていても、彼女を恨み、嫌悪してはいなかった。昨日だって、彼女に心酔する少女たちの影を恐れていたり、彼女の唐突な行動に驚き、不快な思いを抱いたりしこそすれ、初園双代という少女そのものを私は嫌いになってはいなかったのだ。否、むしろ今は、初園先輩が隣に居ないと思うと物足りなさを感じ、不安になってしまう程度には、私は彼女のことを許していたのだと思う。まあ、今更私が何を思おうとも、明日顔を見ることになるであろう「初園双代」は私との関係をすべて忘れてしまっているにちがいないのだけれど。

 最早、初園双代本人でさえ埋められないであろうモノとなってしまっている喪失感を抱きながら、ベンチの上で寝転がる。

 嗚呼、早く明日になって。

 そうすればきっと。このまとまりのない私の思考も落ち着いて、元の私に――一人ぼっちになれた私に、戻れるだろうから。

 だから早く、何も無い、明日へ戻って。


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