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 校舎の一室で目覚めてから数日が経ち、わたくしはこの切り張りをしたかのような合理的ではない世界に少しばかり慣れはじめました。

 わたくしよりも小さな少女たちが話す会話から、此処はとある森の中にある女学校なのだということ。しかも「学校」とは言っても未だに一度も授業があったことは無いのだということ。それ故に、彼女たちは学校か寮、あるいはその道すがらの場所で日がな一日過ごしているということを、察しました。

 慣れることのない歪さを時折感じるその生活の中において、互いに名を呼ぶ間柄になったその小さな少女たち。そんな彼女たちは、わたくしに対してひどく友好的で、それ故に様々な望みや期待を押し付けてきました。


「一人で寝るのがさみしいので、一緒に寝てくれませんか?」

「双代先輩の為に花冠を作ったので、貰ってくれませんか?」

「先輩、この本の読み聞かせをみんなにしてくれませんか?」


 彼女たちがそうやってわたくしに様々な望みや期待を押し付けてくるのは、おそらく、わたくしが彼女たちの中で最も親しみやすい年長者だったからなのでしょう。

 わたくしを「妹」と呼び、慕ってくる同じ苗字の女性が最たる年長者ではあるのですが、彼女はどちらかといえば「先生」という立場であり、少女たちにとって身近な人ではないようでした。そして、わたくしと大差ない年頃であるはずのみのりは、その見た目がひどく中性的なせいか、逆に距離を置かれているようでした。

 嗚呼、わたくしもみのりように中性的な姿であったなら、これほどまでに彼女たちから期待されることはなく、彼女たちのことも、わたくしのことも、嫌いにならずに済んだのに。そう、わたくしは愛らしい小鳥のような彼女たちがわたくしに何かを望む度、彼女たちのことが嫌いになり、そしてそんな気持ちを抱くわたくし自身のことも嫌いになってゆくのです。


「初園先輩」

「双代先輩」


 小鳥のように愛らしく、そして小さな少女たち。きらきらとした瞳でわたくしを見つめる彼女たちの瞳が、小鳥のような愛らしいその囀りが、わたくしの手を握り締めてくるその小さな手が、わたくしはどうしても受け入れることができませんでした。

 自分自身が嫌で。世界が嫌で。自分の持ち得るすべてを投げ出し、逃げたわたくしにとって彼女たちが向けるそれらのものはあまりにも荷が重すぎるのです。

 ですが、わたくしは出会ってしまったのです。

 逃げ出したあの頃となんら変わらぬ多大なる期待を背負わされ、移り変わることのない景色と日々の中で――わたくしは、わたくしの救いとなる「彼女」と鮮烈な出会いを果たしてしまったのです。

 同じ日々の繰り返しに飽き飽きしていたわたくしは、その日、唐突に学校と寮の間にある森の道に獣道を見つけ、その先へ行ってみることにしました。いつも歩く道とは全く違い、暗く、荒んだ道。果ての無いようなその道をひたすら歩き続ければ、木漏れ日が差し込む開けた場所に出ました。

 森の黒々しい木々たちの隙間から僅かに差し込む陽の光は、周りが著しく暗いせいか異様に煌びやかに見えます。でもその周りの暗さも、この陽の光も、わたくしは嫌いではありませんでした。いいえ、むしろ、わたくしはこの静かな空間をひどく気に入りさえしました。

 いつもの道を逸れた先に、こんな場所が在ったのか、と息を飲むわたくし。そして、ゆっくりとそこへ足を踏み入れ辺りを見渡せば、屋根つきのベンチに座る「彼女」と目が合いました。

 正確には、「目が合ったような気がした」だけなのですが、おそらく本当にわたくしと彼女の目は合っていたのでしょう。

 まるで靄でもかかっているかのようにおぼろげな姿の「彼女」。顔の形も、目の色も、肌の色も、髪の色も何一つ分からない「彼女」。けれど少なくともその彼女がわたくしたちと同じ「少女」であることは、なんとなく判別がつきました。


「あの、貴女、お名前を訊いてもよろしくて?」


 もしかしたら、彼女はずっとこの極楽浄土に似た場所に居たのかもしれません。

 あるいは、彼女は初めてこの切り張りされたかのような世界に来たのかもしれません。

 少女たちの顔ぶれすべてを覚えていないわたくしには、彼女がどちらなのかは分かりません。けれども、彼女を一目見た時、わたくしは自らの意思で彼女に名を訊ねてしまうほど、彼女に心底惹かれてしまっていたのです。


「それを聞いて初園先輩はどうされるんですか? どうもしませんよね?」


 曖昧模糊とした風体の彼女の喉から、吐き捨てるように言われたその言葉。

 おそらくわたくしの事をまっすぐ見つめているはずの瞳も、その言葉を零した赤い唇も、わたくしは認識することが出来ません。けれど、彼女は間違いなくソコに居て、わたくしに言葉を返してくれたのです。それもわたくしの事を歯牙にも気に留めていないような冷たい言葉で。

 そう。彼女はわたくしに期待をむけないどころか、気に留めさえしていないのです。

 嗚呼、なんと鮮烈な出会いでしょう!

 わたくしに期待をしない! わたくしに望みを託さない! そもそもわたくしに興味すら抱かない! 嗚呼、なんて素敵な人!

 名も姿も知れぬ彼女に対して、本来なら抱くべきではない感情がわたくしの胸の中で生まれ、ぐるぐると渦巻きました。

 わたくしにとって、期待をされないというたったそれだけのことがどれほど救いだったことか、彼女は知る由もないでしょう。ですがわたくしはその瞬間、彼女によって救われ、そしてそれ故に彼女を気に掛けてあげなければならないと思い至ったのです。

 そんな名も姿も分からぬ彼女と鮮烈な――わたくしにとって鮮烈以外のなにものでもない出会いを果たしたその日から、わたくしは彼女を見かける度に彼女に声を掛け始めました。

 わたくしの隣にみのりや小鳥のような少女たちが居たとしても、わたくしは彼女を優先し、彼女に話しかけに行ったのです。

 靄がかかった姿の為表情を判別することこそ出来ない彼女ではありましたが、わたくしと相対する度に出てくる言葉の色は何時も不機嫌で、わたくしを一層喜ばせてくれました。

 彼女はわたくしを求めていない。彼女はわたくしを望んでいない。彼女はわたくしに期待をしていない。ソレを実感する度にわたくしは大いに喜び、そしてその喜びを感じるほどに名も知れぬ彼女にのめり込んでゆくのです。

 だからいくら彼女に冷たい言葉を吐かれたとしても、いくら邪険な態度をとられたとしても、わたくしは痛くもなければ、悲しくもないのです。

 だって、彼女のその態度こそわたくしが一番に求めていた他人との在り方なのですから。


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