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 何処とも知れぬこの場所の終わりを求めた私ではあったものの、そうすぐには終わりを見つけ出すことは出来そうになかった。というのも木々の合間を縫い、道なき道を延々と歩き続けても気が付いた時には既に見覚えのある場所へと戻って来てしまっているからに他ならない。

 そんな不思議どころか最早不気味の領域にほど近い現象を体感した時は、それこそ偶然だと私は思った。けれど何度も何度も同じように歩き、そして同様の結果を迎えてしまっている今、その現象が偶然のものだとは到底思えなくなってしまっている。

 もしや、この場所に終わりなんてものは無いのだろうか?

 そんな考えの元、ざわざわと嫌にざわつく胸を抑えるように、私は今一度「嗚呼早く、」と呟き、自分の胸に抱き直す。

 衝動的な思い。されど私自身の望みに他ならないもの。ソレを偶然じみた現実に押しつぶされるわけにいかない私は、その思いを抱いたまま森の終わりをひたすら探し続けた。学校と寮を繋ぐ森の小道の傍らに広がる泉を泳ぎ続けたり、小川に沿って延々と歩き続けたり。例え結果が芳しいモノではなくとも、私はこの場所の終わりを見つけることを諦めはしなかった。

 そうやって日々を過ごしていれば、以前にも増して初園先輩が私に話しかけてくるようになった。おそらく私が何かを行い続けていることが、彼女に話しかけるきっかけを作らせてしまったのだろう。

 そしてそんな彼女を邪険にしたり、強く突き放したりすることの出来ない私は彼女のその行いをただただ受け入れ続けた。そう、以前までなら主に七瀬先輩と行動を共にしていることの多かった彼女が、今では用事のない時のほとんどを私の傍で過ごす程になってしまうことを知らなかった私は、彼女のその行いを受け入れ続けてしまったのだ。

 かつては、誰も知らない秘密の楽園であった場所。その屋根付きベンチで休憩がてらに休んでいる私の手に、初園先輩の冷たい指先が重ねられる。


「わたくしは、貴女の力になりたいの」


 独り言のように零された初園先輩のその言葉に、私は「そう、ですか」と短く返事をしてうつむく。一体何が彼女をこうさせているのか、私には全く分からない。そもそも私は此処の学校へ通うべき少女たちの気持ちはおろか、彼女たちから嫌われている理由さえ分かっていないのだ。そんな私が、隣に座る美しい女の気持ちなど分かるはずがない。

 以前より初園先輩との関係に苦言を呈しに来ていた少女たちの事もあり、彼女を強く突き放すことのできない私。そして、そんな私に付け入るようにしてやって来る初園先輩。それによりさらに親密になる初園先輩と私の関係を快く思わない少女たち。そんな巡りの中において唯一初園先輩だけが自由であり、その他の者が全て不幸だ。

 そんな負の巡りへ嵌っていることを認識してはいても、その巡りから抜けだすための行動に移せない臆病者の私は、初園先輩を拒絶することが出来ない。

 もし、私に拒絶されたことを嘆いた初園先輩が七瀬先輩や他の生徒にそのことを漏らしでもしたら? もし、私に拒絶されたことを悲しんだ初園先輩が少女たちの前で泣きでもしたら? 間違いなく少女たちは、初園双代を悲しませた人物である私に対して、叱責以上の実害を与えてくることだろう。

 ただでさえ此処は、「死」さえも凌駕した得体の知れない場所なのだ。少女たちが私を殺害しても、誰も少女たちを罰することはないだろう。それに翌朝になってしまえば私もまた、今までの少女たちと同じく此処へ戻ってきているにちがいない。

 だが私が死に、戻ってきたところでこの状況が改善されることは無いだろう。むしろ蘇り、記憶が不確かだろう状態になっている私に初園先輩が付け入り、自体が悪化することさえ考えられる。そんなことにはなりたくないし、少なくとも今の私は、私が抱いている「この場所の終わりへ至りたい」という望みを叶えたくもあったから、そうやすやすと死ぬわけにはいかないのだ。

 私の右手に手を重ねてきていた初園先輩は指を滑らかに動かし、私の指に滑らせてくる。その手の動きにこそばゆさを感じ自身の手に少し力を込めれば、彼女は私の指に絡めていた指をより一層巧みに動かしてきた。


「っ、」


 艶やかな黒髪に茶色の瞳。つぶらな赤い果実を彷彿とさせる唇に、透き通るほど白い肌。顔の造形は美しく、性格も大人数から賞賛されて然るべき人。そんな人が、私の隣に座り、私の手に指を絡めてきている。それも、まるで弄ぶようにして。

 ねっとりと、まるで舐りでもしているかのように私の手を弄ぶ初園先輩。その人の冷たい体温がじわじわと私の中へと染み入ってくるのを感じていれば、そのなめらかな指先が私の指の間を滑り、密着した。


「わたくし、貴女とお友達になりたいの」

「おともだち……?」


 私にとって耳慣れない言葉を発した初園先輩に、私はそう訊き返す。

 ――友達。

 それは初園先輩と七瀬先輩のような間柄にこそ掲げられるべき「名称」。だが、今私の隣に居る彼女は、その関係を私と結びたいと言っている。

 嗚呼、なんて恐ろしいことだろう。

 私は初園先輩のような人と友達になりたくない。けれど、私が拒絶できないことを知っているのか知らないのか、あるいは知っていてなお知らないフリをしているのか定かではない彼女は、私と友達になりたいと、そう言ってきたのだ。


「ねぇ、貴女。わたくしとお友達になってくださらない?」


 貴女が嫌だというのなら、諦めますけれど……。

 口ではおしとやかにそう言いはするものの、彼女は私と友達になることを諦めたりはしないだろう。どんな手を使ってでも、彼女はきっと私に「はい」と答えさせるに違いない。

 少なくとも私の手に絡みついている彼女の冷えた手は、私にそう告げている。


「みんなに嫌われている私なんかで、双代先輩は良いんですか?」


 私はみんなに嫌われているぞ、と嫌がらせのように脅してみるも、隣で座る彼女は

「わたくしは貴女の事、大好きですもの。だから、わたくしは貴女が良いわ。いいえ、誰でもない、貴女だけと友達になりたいの」と、脅しの言葉をものともせずにそう言い放った。それも「大好き」だなんて、おぞましい言葉を連ねさえして。


 大嫌い、の言葉は幾度となく吐き捨てられたことはあるけれど、大好き、だなんて言葉は一度たりとて言われたことのない私。されど、私にはどちらも同じに聞こえてしまう。そう、理由の知れない「大嫌い」と、理由知れない「大好き」は、私にとって同じでしかないのだ。

 肉を隔てた他者である以上、相互理解は不可能。それ故に他者からの多大なる感情の押し付け、それも「友達」などという名称に加えて「大好き」という感情表現は私にとって「不愉快」や「嫌悪」に類する代物でしかない。だから、そんな嫌悪心を隠すために「七瀬先輩は、初園先輩の友達ではないのですか?」と訊ねてみた。けれどどうやらその質問は、彼女にとってあまりされたくない代物だったらしい。

 私の指に絡めていた冷たい指から力を抜いた彼女は、私の顔にその美しい、理想的な顔とさえ揶揄できる造詣の顔を近づけてくる。


「わたくしは、貴女だけと友達になりたいの。他の誰でもない貴女だけが良いの」


 彼女の吐息が、私の唇に掛かるほど近い距離まで詰め寄られている。彼女の美しい顔が、私の眼前いっぱいに広がっている。本来ならば胸を高鳴らせ、ときめかせているのが恒だろう。否、私以外の少女であれば、声高らかに叫び高揚するに違いない。

 けれど私はそうすることが出来なかった。否、むしろそんな彼女の情熱的な言葉を聞いて、私の顔から血の気が引いた。

 彼女は私の何を知り、そんなことを言っているのだろう。彼女は私のすべてを知っているわけではないはずなのに。私自身ですら、私のすべてを知らない私のことを、他者である彼女が知るわけがないのに。それでも、彼女は私が良いのだと。他の誰でもなく、私が良いのだと言っている。

 近寄りがたい人、周りから尊ばれている人、美しい人――そして、優しい人が――私を許容し、享受しようとしている。それも、私だけに対してそう言っている。

 嗚呼なんて、恐ろしいことだろう。

 私は誰かと隣り合いたいわけではない。私は誰かと何かを分かち合いたいわけではない。私は誰かと理解し合いたいわけではない。私はただ、終わりに至りたいだけなのに。優しい彼女がソレを阻んでくるのだ。

 嗚呼嫌だ、嫌だ。

 彼女と友達になることも、彼女に大好きと言われることも、彼女が隣に居るということも。すべて嫌だ。けれど、そうは思っていても、彼女に集う少女たちの反応に怯えてもいる私は「初園先輩が、そう言うのなら……その、おともだち、になりますよ」と言ってしまう。だって、もしここで彼女を拒絶したら確実に彼女は嘆き、その嘆きを知った数多の少女たちに私は殺されてしまいかねないから。

 だがそんな私の心中を知らない初園先輩は私の言葉を聞くや否や喜び、私に抱きついてきた。


「なら、わたくしのことは双代と呼んでくださらない?」

「ふ、双代……」


 本当に、先輩を付けなくていいのだろうか、と内心不安になりながらもそう呼んでみれば、彼女は嬉しかったのだろう。私に抱きつく力を強くする。


「もっと、呼んで?」

「双代」

「もっと、」

「双代、双代……」


 私が彼女の名を呼べば呼ぶほど、彼女は喜び、私を抱きしめる腕に力を込めてくる。

 ぎゅうぎゅうと彼女が私を絞めつけてくる度に、彼女の柔らかな肉が私の身体に溶けて染み込むような、言い知れない感覚に囚われる。きっとそれは汗ばむ肌がそう誤認させてきているだけであり、実際にそんなことは起きていやしないだろう。


「貴女とわたくし、ドロドロにとろけて一つになってしまえたら良いのに」


 私の肩口に自身の顔を埋めた彼女がそう言う。


「きっともう、一つになってしまっているからこそ、わたくしは此処に居るのでしょうけれど――それでも、わたくしは貴女と心まで一つになってしまいたい」


 彼女はなんて恐ろしいことを言うのだろう。

 彼女は私と一つになりたいのかもしれない。ドロドロに溶けて混ざり合ってしまいたいのかもしれない。けれど、私はそんなことになりたくない。なってしまいたくない。

 私はずっと私のままで、私だけのままでいい。否、むしろ、ずっと一人でいなければならないのだ。だから私は皆に嫌われたままの私でいい。皆に厭われ、疎まれ、恨まれ続けている私でいいのだ。


「ねぇ、わたくしを受け入れてくださらない?」

「ふ、双代?」

「わたくしたち、お友達でしょう?」

「な、何を……?」


 今日の彼女はどこかが変だ。

 私を抱きしめている彼女が私の身体から僅かに離れたかと思うと、トン、と私の胸を押しベンチの上へ押し倒す。そして、私の上に覆いかぶさるようにして陣取ると、自身の冷たい指で私の顔をなぞった。

 瞼、目尻、鼻、唇、顎、順を追うようにして這う冷たい指。だが、たったそれだけの行いにも関わらず、その冷たい指の持ち主は何故か頬を赤らめさせて、私を見下ろしている。


「どうか、わたくしを拒絶しないで」


 蒸し暑さが満ちた中で、私の肉と彼女の肉が触れ合う。

 彼女の肉はとても冷たく、そして私の中へと無理やり入り込もうとしてくる。ソレを拒絶しきれない私はささやかな抵抗を止めて、すべてを受け入れる。そうすればゾッとするほど冷たい彼女の肉が、体液が、私の身体に入り、私を蝕んだ。







 翌朝、寮の自分の部屋で眠っていたところを、少女たちの騒々しいざわめきで起こされた私。何があったのだろうか、と不思議に思いながら身支度を手早く整え下階へと降りれば、「初園先輩が小川で死んでいる」という、少女たちの悲鳴にも似た泣き声が私の耳に飛び込んできた。



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