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 怯えや不安を抱いたまま一晩中部屋に籠りきっていた私。その一方、寮内は何時もの通り静かなまま過ぎ去っていた。そう、誰一人として学校で死んだはずの少女の事を、あるいはその少女の「死」を騒ぎ立ててはいなかった。

 なんてことのない当たり前の夜を経て朝を迎えた私が、皆の様子を窺うために寮の食堂へと降りれば、昨日死んだはずの少女がさも当たり前のようにして朝食の席に着いていた。

 昨日学校の窓から飛び立ち、無残な音を立てて地上に赤を彩らせた少女が、机の上にある白い皿に乗せられたベーコンにフォークを突き立て、目玉焼きの黄身を絡めている。そしてふっくらとした唇を開けて、黄身の着いたベーコンを頬張り、咀嚼している。

 そんな彼女の頭部に怪我の痕跡は見受けられない。ただの無傷な少女が、朝食を食べている。そんななんてことのない、当たり前の光景がソコに広がっていることを認識して――私はやっと安堵することが出来た。

 幾度となく少女たちの死を目の当たりにさせられ、そしてその蘇りを目にし、体感していようとも。翌朝、元の姿に戻っている彼女たちをこの目で見るまで、私は安堵することが出来ないのだ。

 昨日死んでしまった彼女に朝の挨拶だけをし、その隣に座る。そんな私に対して、隣の彼女は昨日までと変わりのない態度を示してくれた。

 無視、とまではいかないもののぶっきらぼうに返される挨拶に、汚物を見るような冷たい目。他の少女たちの目があるためか怒りを露わにしこそしないものの、不快な思いを抱いているのだという気配がチクチクと私の肌を突き刺している。

 そんな彼女を隣にし、朝食を食べ終えた私は今日もまた学校へと来ていた。

 授業があるわけでもなければ、来なければならない理由があるわけでもない。ただ、碌に行く場所もやりたいこともない私の足が勝手に動き、此処へと至らせているだけ。

 校舎の中ではなく、外で。昨日死んだ彼女が横たわっていた場所で。彼女の死の痕跡があるかを興味本位で探していれば、不意に後ろから「ごきげんよう」と、やわらかな声を掛けられた。


「……おはようございます。初園先輩、七瀬先輩」


 声の主を確かめるまでもなかったけれど礼儀として振り向き、会釈をすれば、私に声を掛けた本人である初園双代がにっこりと笑っていた。腰元まである長い黒髪を揺らしながら嬉しそうにしている初園先輩の後ろには、昨日寮に入る前の私を呼び止めた七瀬先輩もいる。

 少女というには大人びすぎている美しい女と、少女というにはあどけなさが抜けきっている凛々しい女。そんな二人が並んでいるだけで場が華やぎ、うつくしい絵でも見せつけられているかのような感覚に囚われてしまう。

 けれど彼女たちは私の前の前に居る、ただの人にしか過ぎない。

 そう、彼女たちもまた昨日ここで死んだ少女と何一つ変わらない「人」なのだ。


「ねぇ貴女、そこで何をしていらっしゃるの?」


 皆から嫌われ、疎まれている私に対して「うん、おはよう」と礼儀としての挨拶を返そうとした、否、返していた七瀬先輩を押し退けるようにして私に詰め寄ってくる初園先輩。そんな彼女から離れるように私は一歩、後ずさる。

 昨日も思っていたことではあるけれど、私だけしか知らない秘密の楽園へ迷い込んできてからの初園先輩の行動は、私にとって迷惑でしかない。そう、それは「初園先輩と私との交流を快く思わない少女たちからのやっかみを受けるから」であり、現状もまた同じ。「初園先輩の後ろに居る七瀬先輩が、忌々しげに私を睨んでいるから」に他ならない。最上級生である七瀬先輩が直接私に対して苦言を呈しに来ることは一度たりともなかったけれど、着実に七瀬先輩の中で私に対しての怒りは積もっていることだろう。

 だがそんなことを知らない初園先輩は、後ずさる私に対し距離を詰めてくる。


「いえ。探し物をしているだけなので、」

「あら、そうなの? 何を探していらっしゃるの?」


 わたくしも手伝いますわ、とまたしても私の方に歩み寄る初園先輩。

 もしかしたら彼女は善意でそう言ってくれているのかもしれない。だが、その善意を押し付けられている私にとってソレは害悪でしかなく、そもそも他者と会話なるモノを碌にしたことのない私は素っ気のない返事をするしかできない。けれど、そんな不作法な態度と言動をとり続けている私に対して初園先輩が苦言を零すことは無く、むしろ以前より一層嬉しそうに頬を染めて私へと詰め寄ってくる。


「それに貴女、昨日の夕食で見かけなかったけれど、具合が悪かったりしましたの? わたくし、心配していましたのよ?」


 至近距離まで近付いてきた彼女が手を伸ばし、白い指を私の顔へと向けてくる。そんな彼女の手から逃れるため、私はまた一歩後ろに下がる。

 彼女の言う通り、昨晩はほとんどといって良いほど寝つけなかった。

 過程はどうであれ私は結果として人を死に至らしめ、その死をありありと見せつけられてしまったのだ。にもかかわらず、ぐっすりと眠ることなど出来ない。むしろ不安と焦りと、怯えを抱きながら、昨日という日が終わることを祈ってばかりいた。

 けれど、眠れていなかったという事実を彼女に指摘されるのがどうにも嫌だった私は「大丈夫です。今は元気ですから」と笑んで答える。


「本当? それならいいのですけれど……」


 私をじりじりと追い詰めていた歩を止めて、心配そうな声を出し私を見つめてくる初園先輩。そんな彼女に対して私が何かを言うことはなく、私と彼女の間に静寂が落ちた。

 だが私の前に居る初園双代は、私の目の前から立ち去るようなことはなかった。むしろ無言の圧、とでも称するべき静寂が落ちている中で、じっと私の事を眺め続けている。

 するべき会話が無い以上、彼女が私にかまう必要はないだろうし、私としても初園先輩と七瀬先輩が此処から立ち去ってくれた方が助かる。だが、どれだけ待っても目の前の初園双代は動かず、私を凝視している。

 そんな彼女に対して何かを言う気にもなれない私は、初園先輩の後方で私たちの姿を不服気に眺めている七瀬先輩に視線を向ける。そうすれば、私の視線に気が付いたらしい七瀬先輩が即座に初園先輩の肩に手を掛けた。


「双代。初園先生が君を呼んでいるんだろう? 早く行くよ」

「……ええ、そうでしたわね」


 七瀬先輩の言葉に対し、ほんの僅かに不機嫌な色を見せた初園先輩。けれど彼女が私に対して「またね」と手を振った時にはすでにその色は消え去っていた。

 七瀬先輩の何が初園先輩を不機嫌にさせたのか、私には皆目見当もつかない。だが私は今、この瞬間、すべてを受け入れ笑って許すと思っていた初園先輩でも、不機嫌になることが在るのだと初めて知った。

 立ち去る二人の後姿を見送り、私も此処から立ち去ろうとすれば庭に生える木々の茂みが揺れ、そこから小さな少女が姿を現す。


「ねぇ。どうして、あたしが選ばれたの?」


 私や初園先輩、七瀬先輩も着ている濃紺の制服を着た、青い瞳が特徴的な少女。その身体は幼く、おそらく彼女こそがこの学校に通う最年少の少女なのだろう。そんな幼い子が、私を暗い影を落とした青い瞳で睨み上げている。


「どうしてあたしだったの? あたし以外にも他にも選ばれるべき子はいたじゃない。それなのに、どうしてあたしが選ばれたの? ねぇ、答えてよ」


 幼いという印象とは裏腹に、淡々とした口調で私を責め立てる目の前の少女。そんな彼女の青色の瞳には、昨日死んだ少女を含めた「私の事が嫌いな少女たち」と同じ怒りの炎が宿っている。

 嗚呼、一体何が彼女たちの抱く怒りを燃え盛らせているのだろう。彼女たちはいつだってその理由を濁してばかりで、理由らしい理由を教えてはくれないから、私には彼女たちの言葉の意味が、目の前の少女が向けた質問の答えが分からないのに。


「答えられないの? ならなんで、あたしを選んだの? あたしを選んだのだったら、あたしを有意義にしてくれないと困るのに! あたしには叶えたい夢が在った! やりたいことがあった! なのに、あなたはそれを無為にする! ――ッ、貴女のこと、大ッ嫌い! 貴女の顔なんて見たくもない!」


 彼女の問いに何一つ答えられない私に業を煮やしたのだろう。叫んだ少女は自身のポケットからきらきら光る何かを取り出すと、件の岩盤にその鏡を叩きつけた。そしてバラバラになったその破片を無造作に掴み、自身の青い右目に躊躇なく押し付けた。


「いあああっ! いたいいたいいたい!」


 校舎の庭で、少女の悲痛な声が響く。

 けれど誰一人としてその声を聴いて駆けつけてくる者はいない。

 「痛い! 痛い!」と目の前の小さな少女が叫ぶが、最早こうなってしまった以上、私が彼女に何かしてあげられることはなかった。だって、そうしたのは彼女自身で、そう決めたのも彼女自身なのだから。それになにより彼女は私が大嫌いで、私が何をしてもきっと嫌いなままだろうから、私は何もしない。彼女の為に何かをしてあげることが出来ない。


「それじゃあ……、ごきげんよう」


 そう言った私を無傷な状態の左目で見上げる少女。その顔にはうっすらと「唖然」とも取れるような表情が見られたが、すぐに憎々しげなものへと戻った。


「っ、貴女のそういうところが嫌いなのッ! 何にも持ってないくせに、失う事さえ拒まない! そんな貴女が大嫌い! 嫌いよ! もうあたしの前に二度と現れないで!」


 悲痛な声を上げて叫ぶ小さな少女に背を向け、私は彼女の前から立ち去る。彼女が求めた「二度と現れない」という事柄を叶えてあげるのは流石に無理だけれど、今この瞬間彼女の前からいなくなる程度のことは私でも叶えてあげられるから。

 彼女たちは私が嫌い。

 彼女たちは私を許さない。

 私はそれで構わない。

 だってそれが当然のことだから。

 そうは分かっていても理由の分からない理不尽なその嫌悪に対しての疑問は、間違いなく私の中に積み重なっていた。

 どうして私は彼女たちに疎まれているの?

 どうして私は彼女たちに許されてはならないの?

 いったい私は、彼女たちに何をしてしまったの?

 きっと抱くべきではない疑問。それらが積み重なり、それらを考えてしまえばしまうほど、次々に私の中で様々な疑問が浮かび上がって来てしまう。

 どうして学校で授業が行われないの?

 どうして死んだ少女たちが、翌日には蘇っているの?

 いったい此処は、何処なの?

 学校の敷地を出て、うっそうとした森の小道を歩く中浮かんだその疑問に、私はピタリと足を止める。

 終わりの知れない木々に覆われたこの場所は。「じー、じー」という不快な音を響かせる森は。熱風が時折吹き、枯れることのない色鮮やかな花々が揺れる此処は。少女たちが日がな一日自由に過ごし、死さえも凌駕した此処は。いったい何処なのだろう。

 ふと思い出すかのように沸いた疑問。ソレを抱えながら、私は一つ思ってしまう。

 嗚呼、早く。この場所の終わりへ至らなくては――、と。

 此処ではない別の何処かを知りたいわけではない。ただ、得体の知れないこの場所の終わりへ私は至らなくてはいけないだけ。

 そんな、唐突なまでの衝動を抱きながら、私は小道からも、獣道からも逸れた道なき道に足を踏み入れる。

 嗚呼、早く。私はこの場所の終わりへ至らなくては――



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