フランケンシュタインの少女たち

威剣朔也

1章 私

1-1


「わたしを無駄にする貴女なんかの為に、どうしてわたしが犠牲にならなくてはいけなかったの?」


 呻くような低い声。その声を発した目の前の少女は憎々しげな瞳を向けながら、小さな両手で私を突き飛ばした。

 一歩、二歩。少女より与えられた衝撃によろけ、後ろへと下がれば、木造校舎の床がそれに合わせて「ぎしり、ぎしり」と軋んだ。


「わたしには夢があったのに! やりたいことがあったのに! どうして貴女みたいな何にもない子と一緒にされなくてはいけないの? どうして有意義であったはずのわたしを、無価値に変える貴女と一緒にさせられなくてはいけないの? こんなのって、あんまりだわ!」


 私には理解しかねる言葉を、一方的に浴びせかけてくる目の前の少女。私と同じ濃紺の制服を身に纏う彼女の瞳からは、憎しみと共に彼女が抱く怒りの炎が垣間見えている。


「わたしは、貴女を許さない」


 怒りや憤り、恨みが込められた彼女の言葉に、私は「そう」と短く答える。

 私は目の前の少女の言葉を理解してあげることが出来ない。私は彼女の言葉の真意をくみ取ってあげることが出来ない。けれど、彼女が私を恨み、そして許さないという事だけは理解することは出来る。だからそれに応えるためだけに、「そう」と私は答えるのだ。

 名も知らぬ目の前の少女。彼女と私との繋がりなんて、ただ同じ寮で寝起きし、同じ制服を纏い、同じ学校に通っている程度の繋がりでしかない。けれど彼女は私を恨んでいて、私を決して許さない。

 本当ならば「どうして彼女は私を恨んでいるの?」という理由を求める気持ちを抱くべきなのかもしれない。けれど私はそんな気持ちを抱くことなく、彼女のその発言を、思いを、抗うことなく受け入れる。

 だって私は、彼女を含めた数多の少女たちから幾度となく同じ言葉を言われ続けているから。だから私には、もう疑問を抱くための初心な気持ちも、心の余裕も在りはしない。

 彼女たちの言葉通り私はきっと許されてはいけないのだし、彼女たちもまたきっと私を許してはいけない。――もうそれで、良いじゃない。

 諦めに似た気持ちを改めて抱きながら、目の前の少女が次に零す言葉を私は待った。どうせ目の前の彼女も今までの少女たちと同じように、私に対して「嫌い」と言うのだろう。


「貴女なんて、大嫌い!」


 ほら。目の前の彼女も今までの少女たちと何一つ変わらない。

 「嫌い」の言葉も言い放ち、私に対しての恨み言を一通り言い終えたのだろう。彼女は怒りに燃えた瞳で私を改めて睨みつけた後その身を翻し、私たちの傍にある窓を開けた。途端、むわりとした熱風と、「じー、じー」と響く不快な音が校舎の中へ入り込んでくる。

 それらの事に私が気を取られていた次の瞬間、彼女はその窓の枠に足を掛け、そのまま庭へと至る「外」へと飛び立った。


「――あ、」


 「此処は二階だよ」と私が告げる間もなく落下する少女。そして間もなくして肉と骨が地にぶつかる音が聴こえる。

 二階から落下した少女。その少女がどうなったのか確かめるために恐る恐る窓に近付き外の様子を見てみれば、色とりどりの花が咲いている庭の中で先程まで私の目の前に居た少女が横たわっていた。それも運悪く――あるいは自ら望んでか、むき出しになっている庭の岩盤に頭を打ち付けた状態で。

 地と接している彼女の頭から赤い血が出ているのを見た私は、これは死んでしまっているなと、そう断じた。だって頭部を損傷しておきながら痛みにもがくことも、声を発することもないその少女が生きているとは私には到底思えなかったから。

 風が吹く度校内に入り込む熱風のせいか、じっとりと汗ばむ掌。

 私が今居るのは木造校舎の二階。ソコから身を投げたと思しき少女が、庭で頭を打って死んでいる。二階から落ちた程度でそんなことになりえはしないと思うが、それでも彼女はそういう有様になってしまっている。

 汗ばむ掌を握り込み、庭にぶちまけられている惨状を見守るしかできない私。例えその有様が不可解であってもそれは事実として認識せねばならないだろう。

 嗚呼それに、もし他の人が現状を見たならば、私が彼女を窓から突き落として殺したのだと捉えられるに違いない。そう、例え不可解であっても。例え、なりえそうでなくても、結果として「そう」なってしまっている以上、どうしようもないことなのだ。

 ならば誰にも見られないうちに早く此処から立ち去らなくては。

 少女が開けた窓を閉め、熱風と不快な音を遮断する。そしていつもより少しだけ早足で、人気のない校舎の廊下を一人で歩く。

 ぎし、ぎし、ぎし、ぎし。

 私が歩く度に、床材の木がきしむ。

 じー、じー、じー。

 校舎の外でうっそうと茂る森からは、相変わらず不快な音が鳴り響いている。

 窓が並ぶ廊下を過ぎ階段部に差し掛かれば、窓からの日光が遮断されひやりとした空気が私の皮膚に触れた。

 此処は、何処とも知れない場所に在る女学校。授業は私の知るかぎり今まで一度も行われたことも無く、学校に通うべき生徒も付近に建てられている「寮」で暮らしている少女たちしかいない。それに監督者としての大人も保健室に常駐している先生が一人いるだけだ。

 慌てていると悟られぬよう、ゆっくりと階段を下りていれば、こちらを見上げる女生徒と鉢合った。

 腰元まで伸びた艶やかな黒い髪に、濃紺の制服から伸びる白い素肌。間近で見なくとも分かる均整のとれた顔の少女が――少女と形容するにはいささか大人びている印象をぬぐえない美しい女が、私の顔をじっと見上げている。


「ごきげんよう」


 戸惑う私に反して、平然と挨拶をしてきた下階の女。そんな彼女に私は「……ごきげんよう、初園先輩」と短く言葉を返し、平素を取り繕いながら彼女の脇を通って、学校の外へと出る。

 眩しい、と感じるほど照り付けてくる太陽と湿度を持った熱風を忌々しく思いながら、私はドクドクと高鳴る胸に手を当てて、寮へと繋がる森の小道を歩きはじめた。勿論、森の中からは校舎の中まで響いて来ていた「じー、じー」という不快な音を耳にしながら。

 ――嗚呼、どうして彼女はあの場所に居たのだろう。しかも、私と偶然鉢合うような形で。

 もしかしたら彼女は、庭へと落ちたあの少女の姿を見て上階へ登ろうとしていたのだろうか? それも、少女を突き落した犯人を捜すために。

 ぐるぐると自分の中で焦燥と疑念が渦巻きはじめる中、先ほど校舎の中ですれ違った彼女、初園双代を私は思い出す。

 艶やかな長い黒髪が特徴的な彼女は、この学校の最上級生であると同時に皆からとても慕われている人。彼女はどんなことでもソツなくこなすことが出来て、狂信的なまでに彼女を慕い、集う少女たちに対しても分け隔てない笑みを与えていて、自身の実力にも恵まれている。

 けれど、そんな天才にほど近い存在である彼女のことを、私は一度足りとて羨ましいと思ったことはなかった。むしろみんなに付きまとわれて大変そうだと思っているほどだ。

 だってそうでしょう? 狂信的とも呼べる少女たちに集られて、ソレに対して分け隔てなく接しなければならないだなんて、ゾッとする。まあ、当の本人がそれを好きでしているなら自由にしたら良いけれど。もしそうでないのなら、彼女はとてもかわいそうな人だ。

 そんな感情を私に抱かせている初園先輩であるけれど、そもそも彼女は私にとってはそれこそ会話は愚か、顔さえ合わせるようなことの無い間柄の人だった。そう、「だった」のだ。けれどある日彼女が私しか知らない秘密の場所へ――私だけが知る秘密の楽園へ初園先輩が迷い込んできてから、彼女は私にやたらと干渉してくるようになった。

 学校と寮を繋ぐ道から細く伸びる獣道。その先にある秘密の場所で、私と彼女は初めて会話をした。とはいっても彼女が発した問いに素っ気のない言葉を返しただけで、彼女に好かれるようなことを言った覚えも、した覚えもない。だがそれ以降、初園先輩は私に干渉するようになり、それと同時に初園先輩を狂信的なまでに盲信している少女たちが私に苦言を呈しに来るようにもなった。


「どうして貴女なんかを初園先輩が構っているの?」

「どうして貴女なんかを初園先輩は贔屓しているの?」

「何一つ大事にしない貴女なんかを!」

「手にした物全部を無駄にする貴女なんかを!」


 理解しがたい悪態を吐き続ける少女たちの声が、私の中で反芻する。

 どうして初園双代は私なんかを構っているの?

 ――そんなこと、私が一番訊きたい。

 皆から慕われる初園双代は、皆から嫌われ、疎まれている私の傍に居るなんてあってはならない。むしろ彼女は私のことを視界に入るべきでさえない。彼女は美しく咲くべき花であり、私はそれに害成す虫なのだから。否、もとより彼女と私の差は歴然としているのだから、釣り合う釣り合わない以前の問題として同じ天秤の上にすら乗るべきではないのだ。


「はぁ、」


 誰に聞かれることのない溜息を吐きながら、私は足元にあった小石を軽く蹴飛ばす。寮へと繋がる小道に生える森の木々からは相変わらず「じー、じー」という不快な音が響き続けているし、湿度を持った熱風も健在だ。

 それ故に、多数の少女たちは水浴びに興じているのだろう。寮への道すがら存在している泉で、水遊びをする少女たちの微笑ましい姿が目に入ってくる。

 楽しげに会話をし、微笑み合い、じゃれ合う少女たち。

 例え、心のどこかで彼女たちの仲睦まじい姿を羨ましく思っていても、私は彼女たちの輪の中に自ら入りに行こうとは決してしない。否、しないのではない。してはいけないのだ。

 みんな私が嫌いだから。

 みんな私を厭うべきだから。

 みんなに、私は相応しくないから。

 だからそれらの姿は、私にとって無縁であるべきなのだ。

 いつも通りの、何一つ変わらない、何一つとも交わることのない日常の風景を通り過ぎながら小道を歩き続けていれば、おのずと寮として存在している大きな邸宅が一件現れる。

 前方で広がる庭には、色とりどりの花が揚々と咲き誇り、枯れることを知らない多種多様の木々が花を芽吹かせ、私を迎え入れてくれる。

 そんな陽気に満ち溢れた庭を通り過ぎ、寮の扉に手を掛ければ、不意に庭の奥から「ねえ君」と柔らかなテノール音に声を掛けられた。

 「っ、」と息を詰めてそちらの方に顔を向ければ、寮の草花に水を与えていたのだろう。ホースを持った背の高い女生徒――七瀬みのり先輩が庭の中に立って居た。


「双代が何処に居るか、君知らない?」

「初園先輩なら、校舎で見かけました」

「ああそうなんだ、ありがとう」


 薄い髪色のショートヘアを揺らし、にっこりと笑んだ七瀬みのり。否、七瀬先輩に「いいえ、どういたしまして」と素っ気のない言葉を返した後、私はすぐさま寮の中へと入る。

 照り付ける日差しが在る外とは違い、寮の中は暗くひんやりとしていた。それにどうやら寮内に人もいないらしい。

 物音一つしない寮内をゆっくりとした足取りで歩き、二階へと上がれば巣箱や監獄を思わせるように、扉がズラリと両脇に並んでいる。その中で最も古く、塗装の剥げた取手が取り付けられている扉を開いて、私はすぐさま自身のベッドへと倒れ込んだ。

 ベッドが一つと小さな机が一つしか入らない程小さな部屋。でも、何もない私にとってはこれだけで十分。

 私以外の誰もいない、四方を壁と扉で囲まれた窮屈な世界の中で転がる私は、誰にも届くことのない言葉を零す。


「私は、また人を殺したの?」


 例え私自身が手を下していなくても。私が存在しているだけで私の目の前で少女が死んでゆく。そんな光景を何度も見せつけられてしまっていては、私が彼女たちを殺しているのではないか、と考えさせられてしまう。

 私が彼女たちを殺したわけではないはずなのに。私はただ死を決めた彼女たちを止められなかっただけで、死への道を導いたわけではないはずなのに。

 ヒトを殺してしまうのはいけないこと。という概念を知ってしまっている私は、思い悩まずにはいられない。幾度となく彼女たちの死と再生を見せつけられていても、私は、その度に主に悩み、焦り、怯え、祈らずにはいられないのだ。

 ベッドに転がる私はゆっくりと寝返りをうち、固く目を瞑る。

 嗚呼早く、今日という日の終わりがほしい。

 今、私が抱いている焦燥と怯えが、いかに不要な物であろうとも。私は今日の終わりを祈らずにはいられない。

 「嫌い」の言葉を言い放った少女が、憎しみと怒りがないまぜになった瞳で私を睨みつけ、校舎の窓を開く。「じー、じー」と響く不快な音が私の鼓膜を揺らす最中、目の前の少女が窓の枠に足を掛け、空へと飛び立ってゆく。そして、次の瞬間に響く少女の肉と固い地面が奏でる歪な音が何度も何度も頭の中で反響する。

 嗚呼、早く。早く、今日という日の終わりが来てくれはしないだろうか――


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