一緒に包んだ大葉餃子

 

 驚くべきことに、ピクニックで俺の昔話をしてからも、ひかりは俺につきまとうのをやめなかった。毎日俺の家で飯を作り、場合によっちゃ弁当を持たせてくれ、洗濯や掃除までしてくれる。


 けれど、それは常識的な範囲内ーーひかりにとっては非常識なほど距離を保ったもので、例えば朝起きたら寝息を数えているひかりと目があったりとか、勝手に下着が新品になっていたりとか(古い下着がどこへ処分されたのかは、知らない。世の中には知らない方が良いこともある)、そういうことがなくなっていた。


「……っべ、別に、寂しいとかじゃないんだからねっ」


 なので、一人で古典的なツンデレを演じてみても、リアクションは皆無なのである。

 まあここ夜十一時の帰り道なので、リアクションがある方が怖いんだけども。


「や、まあ、それがふつーだから、いいんだけどさ~」


 あの偏執的な愛情にうんざりしていたくせに、いざそれがなくなると物足りない気持ちになる。ほんとに人間ってのは図々しくできてるよな。


 でも、俺ん家に明かりがついているのを見ると、少しだけほっとするのと共に、ひかりを拒絶しきれない俺が嫌になる。


 拒絶してもらいたくて、あんなことを言ったくせに。

 自分から突き放せないから、年下の女の子に甘えたのに。

 俺はまた同じ事を繰り返すんだろうか。馬鹿の一つ覚えみたいに、また彼女を不幸にする?


「……あー、だめだめ、夜中に自己嫌悪してたら際限ねーかんな。ただいまーっと」

「あ、一星さん、おかえりなさい」


 両手をビニール手袋で覆ったひかりが、ぱたぱたと出迎えてくれる。


「今ね、餃子を作ってたとこなんです」

「おっいーじゃん、そういうがつんとしたの食いたかった」

「ただし、明日のことも考えて、ニラ、ニンニクは抜きのやつでーす。白菜はいっぱい入れたので、食べ応えは保証します!」


 確かに、時間帯と明日のことを考えれば、ニラとニンニクは遠慮したいな。なんて思いながら洗面所に入って、一瞬立ち尽くす。


 いや、立ち尽くしたんじゃない。

 待ったんだ。ひかりが追っかけてきて、俺の手洗いうがいを監視しに来るのを。


「……いや。いやいやいや!」

「はい? どうかしましたか、一星さん?」

「いーやなんでも! なんでもないですね! はい!」

「そ、そうですか」


 末期だろこれもう。やだやだ。

 自己嫌悪と共に手洗いうがいをすませて、食卓に戻ると、ボウルに入っているタネを、ひよりがぎゅむぎゅむとこねているところだった。


「お、しいたけとエビも入んの」

「それからショウガとごま油もたっぷりですよ」

「いいじゃん。俺けっこう餃子包むの上手いぜ」

「ふふ。じゃあお手並み拝見と行きましょう!」


 餃子の皮は全部で百枚くらいあって、え、こんなに食べる? と思ったけれど、冷凍できますからと言われた。そうなんだ。


「俺ん家もこんくらい作るけど、作った日に全部食べちゃってた」

「え、一星さんって別に兄弟とかいらっしゃらないですよね。三人家族で?」

「当たり前のように知ってるな。うんそう、だけど親父が餃子めちゃくちゃ好きでさー。掃除機みたいに吸い込んでくの」

「それは……ちょっと見てみたいかも……」

「やらないよ!? 俺はね!?」

「一星さんのー? ごちそうさまがー? 聞こえなーい!」

「こらこらコールはやめなさいコールは。そういうのが乱舞するようなサークルはおじさん許しませんからね」


 そう言うと、ひかりがちらっと俺を横目で見た。


「私がそういうサークル入って、毎日夜遊びしたらどうします?」

「えー……。自分ちにちゃんと帰ってこれるならいいけど、そうじゃなきゃ怒る」

「怒ります?」

「そりゃな。お前かわいいもん、変なヤツに持ち帰りされるかも知れない……し……」


 待て。まあ待て。

 俺いま、さらっとなんか変なこと言ったな? かわいいとか言ったな?

 これはセクハラとかそういうアレに該当してしまうのではないか? というかそもそも、今の状況を考えればナイスな発言とは言えないのではないか……!?


 ひかりを見る。ああ、案の定、顔を真っ赤にしてーー。


 真っ赤にして?


「……もう、一星さんは口がうまいんですから。でも、嬉しい……です」


 呟く声は、恥ずかしそうで、けれど少しだけ弾んでいて。

 口元がかすかにほころんでいるのを見て、不覚にも、かわいい、と。心の底から思ってしまったりしたのだった。


「……ぎょ、餃子、包むか」

「はい。あ、大葉も持ってきますね」


 そうして俺たちは、向かい合って黙々と餃子を包み始めた。

 ひかりの手つきは軽やかだ。ひだの一つ一つを丁寧に作っている。

 しかし俺も負けちゃあいない。子どもの頃から仕込まれた餃子包みテクニックは伊達じゃあないのだ。


「一星さん早いですね! あ、でもこれちょっと破れてる」

「いーの、それが男の餃子なの。腹に入れば一緒!」


 それでも、ひかりが包む大葉入りの餃子は、お店で売っているみたいに綺麗だったので、俺もちょっと気をつけながら包んだ。見た目はともかく、品質で負けたくはない。


「俺大葉入りの餃子好きだわ。なんか当たりって感じする。っつーか大葉がすげー好きなだけか」

「知ってますよーぅ。一星さん、海鮮丼に多めに大葉入れると、ぜんぶ食べちゃいますもんね」

「あとあれ、お前がよく作ってくれる、大葉ニンニク醤油も好き」


 でかいタッパーに大葉とニンニク一かけを入れ、そこに醤油を注ぐだけの代物なのだが、これで海鮮丼など食べるとマジで美味い。山芋とか、アボカドとかにかけても、めちゃくちゃ美味くてつまみにぴったりだ。納豆に混ぜてもグーです、ちなみに。


「つけ込んだ大葉は、チャーハンに混ぜても美味しいですよ。鮭フレークと枝豆とかと一緒に」

「うわそれ聞いてるだけで美味そう」

「美味しいですよ~。今度作ってあげますね!」


 ひかりはにこにこと嬉しそうに言う。ほんとうに気の利くーーというか、親切な子だな、と思った。


 餃子を包み、ひだを作る。作業はすぐにルーティーンとなり、俺の思考はぽっかりと空白に浮かぶ。

 隣でずっとひかりの気配がすることを、今まで疑ってこなかったけれど、そもそもこんなにかわいくて、親切で、料理上手な子は、俺にはもったいなさすぎる。何度も思ったことだけど、今日ばかりはほんとうにそれを痛感する。


 だって、隣にいて、とても落ち着く。

 ーーそんなのはだめだ。ほんとうにひかりを手放さなければ、俺の方がだめになる。


「……一星さんは」

「おう、っ、はい、なんですか」


 口を開きかけたら向こうがしゃべり出した。俺は言葉を飲み込んで、ひかりの話の続きを促す。


「一星さんは、その、いつも優しいですよね。誰かのためを思って行動する人ですよね」

「えっ、何それ誰の話よ? 俺? んなわけないじゃん」

「いいえ。一星さんは、急に押しかけた私を拾ってくれました。それに、私が困っていたら、絶対に助けてくれますし」

「買いかぶんなって。ただの社畜で、成人だから、その社会的責任をこなそうとしてるだけだよ」


 そう言うと、ひかりは少し笑った。


「……そうやって言うのも、照れ隠しなんだって、分かってます」

「だぁーから、違うって、照れ隠しじゃなくてホントなの! つーかいつも優しいってのはお前のことだろ」


 今度はひかりがぽかんとする番だ。


「お前、いつも俺のことみてるから、俺がしたいことすぐ分かってくれるし、俺のこと優先してくれるし。誰かのためを思って行動する、ってのはむしろお前のが当てはまるんじゃないの」

「……でも、私は『そうしなきゃいけない』から……」

「どうして『そうしなきゃいけない』んだ?」


 沈黙が降りる。

 俺はボウルの中のタネをかき集める。ぎりぎり一枚の皮で包めるか……? と欲張ろうとしたら、ひかりが横から半分すくい取っていった。

 二人で最後の一つを包んでいると、ひかりがようよう絞り出した答えを口にした。


「だって、そうしないと……。自分勝手だって、言われるから」

「……誰に」

「……おかあさん、に」


 消え入りそうな声で囁くひかりは、いつものはつらつとした様子からは想像もできないほどしおれていて、俺は遅ればせながら悟る。


 いつだって、人を形作るのはその人の過去だ。

 だから、今のひかりを形作っているのはーー彼女の過去だ。

『そうしなきゃいけない』と言っているのは、彼女の過去に関わる誰か、なんだろう。


 家庭のことに首突っ込む気はゼロだけど(ひかりはめちゃくちゃ俺の家に物理的に首を突っ込んでいるけど)、でも、これくらいは言っていいと思う。


「別に自分勝手でもいいんじゃないの」

「でも、」

「少なくとも俺は、お前が自分のやりたいように振る舞っても、それだけで自分勝手だとは思わない。いやまあ深夜に忍び込んで人の寝息を数えてエクセルに記録するとかそういうのはアレだけどね? 限度と公序良俗ってものがあるからね?」

「……」

「『しなきゃいけないから』俺に飯作る、ってのはさ、俺は嬉しいよ。でもお前は義務感に縛られて、いつか、俺の面倒を見るのが嫌になったりしないかな、って思う」

「そんなことはないですっ! けど……」


 ひかりはずっとうつむいている。手は最後の餃子のひだを、いつまでももじもじといじっていて、なかなか完成しないようだ。


「でも……でも、ずっと、小さい頃から『一番じゃなきゃいけない』し『料理も上手に作れなきゃいけない』し、『家のことを優先しなきゃいけない』って言われてきました。そんなの、今更、……変えられない……」

「うーん。まあそうだよなあ」


 俺も、小さな頃から続いてる、食パンの袋をとめてる四角い小さなプラスチックのやつーー正式名称が分からないーーを集める癖、未だに治ってないしな。


「……んーじゃあ、相手を変えるのはどうだ。俺のためとか、他人のためじゃなくて。自分のために『しなきゃいけない』って考える!」


 ひかりがはっと顔を上げる。


「私のために『しなきゃいけない』」

「そ。たまには自分のために尽くさねーとさ、いつかガマンの限界が来たときに、世界を憎むようになるぞ」

「世界を憎むようになる?」

「『俺はこんなに頑張ったのに、どうして報われないんだ。こんな世界は間違ってる!』ってなるんだよ。中二病っぽいけどな、これ実体験だから自信持って言えるぞ」


 餃子が完成した。早いとこ焼かないと、具が水っぽくなりそうだ。

 それはひかりにも分かっていたのだろう。彼女は皿を取り上げると、


「これ、焼いちゃいますね」

「おー、サンキュ」

『……あの、一星さんが、頑張ったのに報われなくて、世界を憎むようになったのは」

「うん」

「……彼女さんが、亡くなった時ですか」


 俺は笑って、頷いた。





 餃子は湿っぽく食うものではないので、焼き上がってからは他愛のない会話をした。新作の桜ラテが美味しくなかったとか、社食の新メニューのサワラが意外と美味いとか。食い物の話ばっかりだな。


「うおー、ニラとニンニクなしだとさっぱりめでいくらでも食える」

「しいたけやエビからも旨味が出てますからね。ショウガもたっぷり入れてますし」

「そんでもってこの大葉餃子のさっぱりとした後味! これにはゆず胡椒をつけるのもいいんだよなー」

「ゆず胡椒で食べるってのもあるんですね? 私も試してみよっかな」

「あとはなー、ちょっとだけマヨ七味、ってのも美味いぞ」

「うわあ、それは……エビとあいそうですね……!


 小皿が机の上にたくさん並べられて、賑やかだ。

 その光景につられたのか、それとも食い物の話ばっかりしてたからだろうか。今日のひかりはやけによく食べた。


 大ぶりの餃子ーー俺が作ったヤツーーに、マヨ七味をつけて、一気に一口で頬張った。小さな口で一生懸命咀嚼している様は、どこかハムスターを思わせる。

 もぎゅ、もぎゅ、ごくん。


「……なんか、吹っ切れたかもですっ!」

「おー?」

「そもそもぐちぐち考えるのは性に合わないんです。大事なのは私が一星さんのことが好きで、一星さんに振り向いて貰いたいってこと。私は『一星さんに好きになってもらわなきゃいけない』んですっ!」

「おやおや? 思ってた展開と違うな? いや俺が言いたかったのは……」

「それは、もしかしたら、一星さんのためにはならないかもしれないけど、でも……私がやりたいからやるんです、それでいいんです……よね?」

「それ俺良いよって言いづらくない? でもまあ、そういうことなんじゃないの」


 そう返しながらも俺は笑っていた。


「でもさ、俺に好きになって貰いたいなら、俺のためにならないことしちゃだめじゃね?」

「……そう、なんですけど! そうなんですけど~……」


 その矛盾はひかりも気づいていたらしい。もごもごと言葉を濁しながら、それでも前言を撤回しない。


 それでいい、と思う。例えその結果、どうなろうとも、したいことすればいい。



 ……なんて、他人事みたいに思っていた俺は、数日後、とんでもないヤツからの連絡を受け取るはめになるのだった。

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