学食のシャビシャビカレー

「お母様っ、お邪魔します!」

「あらひかりちゃん、いらっしゃい。どうぞ~」


 矢野家は春日部にある平凡な一軒家だ。小さなお庭があって、駐車場があって、その隅っこに昔飼っていた犬の犬小屋がひっそりと残っていて。

 ここで一星さんが育ったんだなと思うたびに、言いようのない切なさを覚える。

 小さなころの一星さんを知らない寂しさと、一星さんがここで育ったんだという興奮……いや、喜びがないまぜになって、なんだか浮足立ってしまうのだ。


 そうして一星さんのお母様は、私が急に押しかけてもいつもにこやかに迎えてくれる。

 最初尋ねたときは、ちょっとびっくりした顔をしていたけれど、私が話すとすぐに事情を呑み込んでくれて(一星に彼女が! と喜んでくれていた)いろんな料理を教えて貰った。


 もはや勝手知ったる第二の我が家と言っても過言ではない。いや、もう私の実家にしたいくらいだ。というか将来的にはそうなるはず。外堀はおいおい埋めていけばいいだろう。


 私はお母様にお土産のクッキーを渡すと、一星さんの部屋へ飛び込む。

 ぶわりとたちこめる、矢野家の洗剤のにおい。男の人らしい、ちょっと汗がすえたようなにおいとともにそれを味わいながら、私はクローゼットを開け放った。


 そこには一星さんの思い出グッズが収納されている。

 高校時代の制服なんかもあったりして、なかなかに誘惑が多い場所なのだが、今は学ランの襟足に顔を埋めてにおいをかいでいる場合じゃないのだ。ちょっとくさくていいにおいに包まれたいけれど、あとで、あとで。


 一星さんが苦しそうに言った「自分が彼女を死なせてしまった」という言葉。


 私はあの言葉を信じていない。


 なぜなら、一星さんはそんなことができるような人じゃないからだ。


 人が、人を死に至らしめるには、それなりの「強さ」がないといけない。それは映画に出てくるみたいな、ぴかぴかの剣と盾のような強さじゃなくて、もっとどす黒くてねばっこい、人のどうしようもない悪い部分の強度の話。


 私はそれを知っている。知っているから、断言できる。


 一星さんにそんな強さはない。

 けれど一星さんは、まるで自分を罰するように、自分のせいだと言っている。自分には幸せになる資格がないとでもいうような、卑屈な言葉。

 そういう卑屈なところも嫌いじゃないけれど、あまりの卑屈さは日常生活に支障をきたす。イチャイチャするのにも邪魔だしね。


 というわけで、私は一星さんの過去を漁るべく、一星さんの実家に来たのです。

 彼女の鑑と言っても過言でないのでは?


「ええと、このケースに入ってるのは幼稚園の時の写真だよね。このくちゃっとした顔で泣きながらバナナ握りしめてる一星さん、何回見てもかわいいなあ」


 ちなみに私のスマホの待ち受けにしてある。


「で、こっちは小学校と、中学校のぶんで……。高校! はもう何度も見たからこのままで、っと」


 なめまわすように見た高校の卒業アルバムを傍らに置き、大学のシラバスやらノートやら教科書やらが詰め込まれた一角に取り掛かる。

 大学と言えばサークル、もしくは部活動。そう思っていたけれど、教科書の使い込み具合から見るに、一星さんは勉強もかなりまじめに頑張っていたみたいだ。まじめだからあんなにくたびれるまで働いちゃうんだね。


 だけど、卒業アルバムとか、誰かと写ってる写真とか、旅行に行ったときのパンフレットとか、そういうものはなさそうだ。


「んー……。サークルどこだったんだろ。お母様に聞いても、スポーツ系じゃなかった、としか仰ってなかったし、勉強系のサークルだったのかな」


 法律系なら、将来法曹関係に進みたかったり、国家公務員の資格を受けたかったりする人のために、情報交換するためのサークルがあるかもしれない。うちの大学にもあるんだから、一星さんの大学にもあっただろう。


 果たして、私の考えは当たっていた。


「緑学会(りょくがくかい)……? あ、これかも」


 新入生向けのパンフレットを見つけた。

 法律を勉強するためのサークルであることを強調しつつ、楽しい集まりでもあることを伝えたいのだろう。パンフレットの中には、結構なページを割いて部員を紹介しているコーナーがあった。

 他愛のないスナップ写真と、簡単な自己紹介が書かれていて、その最後の方に一星さんのコーナーもあった。


「うわ一星さんチェックのシャツ着てる。髪の毛もワックスでがちがちにしてて、ださかわいい……!」


 とりあえずスマホで写真を撮る。無意味に動画も回したが、一星さんのことで無意味じゃないことなんてないのだから無意味じゃない。


「ふむふむなになに。得意なのは民法で特に家族法と相続法だって、へー! そうなんだぁ! 一星さんて結構リアリスティックというか、自分の損に敏感みたいなとこあるもんね。ぴったり☆」


 暗記する勢いでパンフレットを読み込んでいると、後ろの方に対談コーナーがあった。一星さんは対談に出ていないようなのだが、そのコーナーに掲載されているスナップ写真には写っていた。


「……この女、気に入らないな」


 眼鏡をかけた、黒髪ショートカットのぱっとしない女が、一星さんの隣でぎこちなく微笑んでいる。しかも一枚だけじゃない、何枚もの写真で。


「なんで同じ人のツーショットばっかり撮るわけ? 撮影センスなさすぎでしょこのカメラマン……しかもなんか、いい雰囲気っていうか」


 腕を絡めたりとか、見つめあったりとか、分かりやすいサインがあるわけではない。

 けれど私の女の勘が告げている。


 この女は、絶対、一星さんのことが好きだった。


 だってなんか分かるもん。嫌いなやつとのツーショットなんてこんな冊子に載せないし、こんな笑顔にならないし、っていうかこれは確実に自信を持って言えるけどこの地味女は同じく地味な出で立ちの一星さんのことを自分の相手として妥当っていうか釣り合うって思ってただろうけど実際そんなことはまるでない、完膚なきまでにないのに勘違いも甚だしいしその思い上がりが目じり口元鼻筋にばりばり出ちゃってるのよね!


 気づけばパンフレットをぎううううときつく握りしめていた。いけない。


「……ふう。落ち着いて私。気に食わないし認めたくないしありえないけど――。この人が、一星さんの彼女だったのかもしれない」


 パンフレットを繰ると、最後のページの方に部員の名前一覧があった。

 ここをしらみつぶしに当たって行けば、この眼鏡の地味クソ女の正体が分かるかも。


 幸いにして一星さんは 25歳で、卒業してからまだ三年も経っていない。その時一年生だった子はもしかしたら在籍してるかも。


「……よしっ。そうと決まれば! 一星さんの大学へごー!」


 パンフレットは借りることにした。

 そのまま下に降りてくると、お母様がそれなあに、と尋ねてあげたので正直に伝えた。


「そんなのどうするの、ひかりちゃん」

「ぅ、え、えーと、何かに使うって言うんじゃなくて、一星さんのことならなんでも知りたいだけなんです!」

「そうお? あの子も好かれたもんねえ」


 そう言いながらもお母様はちょっとだけ真面目な顔で、


「それ、いつもみたいに、私がひかりちゃんに見せてあげた、ってことにしてね。ひかりちゃんがクローゼットを自分で探したって言うと、あの子ちょっとヘソ曲げそうだから」

「一星さんは私のことをよく分かっていますので、別にそんなことはないと思いますけど」


 何しろカメラを仕掛け、コンビニで何を買ったかまで把握しているのだ。ストーカーそのものの私の行為を受け入れている一星さんが、今更このくらいのことでうろたえるとも思えない。


「あの子ね、結構頑固なところがあって。自分が嫌だと思うと、一線引いて離れて、二度と近づかないことがあるのよ」

「頑固……ですか」

「もういい! ってなっちゃうのね。で、そうなるとたぶん、ひかりちゃんでも直せないと思うわ」


 あっさりと断言されてちょっとむかつく。例え一星さんのお母様と言えど、私の愛を見くびってもらっては困るのだ。


「ま、言わないで良いことは黙っておきましょ、ってことね。お茶いかが?」

「お気持ちだけ頂いておきます。今から行くところがありますので」

「そう。クッキーありがとうね」


 時刻は11時を少し回ったところ。今からならランチタイムに間に合う。


「大学の情報を得たければ、食堂に行ってみるしかないよね!」



 ※


 一星さんの大学は食堂が3つくらいあるらしい。全部見て回った私は、一番大きな食堂に陣取った。

 窓が大きくて開放的、というのもあるけれど、大体法学部というのは人数が多いので、大きい食堂に集まりやすいのである。


(あと、おしゃれなカフェテリアは国際関係関連の学生に占領されちゃうからね)


 お昼時なので、カレーのミニサイズとコーヒーを頼んだ。


(学食特有の、具なんてにんじんひとかけ入ってれば御の字みたいなシャビシャビのカレーが、実はちょっと好きなんだよねえ……)


 何しろお家で作りようがないので。でも一星さんももしかしたらこういうカレーの方が好きな気がするな。かぼちゃとかナスとか入れたカレー出したときはおかわりしなかったのに、レトルトカレーは一人で三杯ぶんくらい食べてたし。キーマカレー出したときも、借りてきた猫みたいな顔してたし。まあ、そんな顔をしながらも、全部平らげてくれるのが一星さんの大好きなところなんだけど!


 ……と、考えていたので、私の前に男性三人組が座ったことに気づくのが遅れた。


「ね、ね、きみどこの学部の子? めちゃくちゃかわいいじゃん!

「今までこの食堂来たことあった? 別キャンだったんじゃね?」

「てことは観光学部とかじゃん、学部。当たりっしょ」


 いつもの芸もへったくれもないナンパ。ため息さえ惜しいくらいの平凡な奴らだがーー。


(でも、こいつら……使えるんじゃない?)


 少し考えて、にこっとよそ行きの笑みを浮かべた。男たちが目に見えて喜んでいる。


「実は私、違う大学なんです。そこで作りたいサークルがあって、ここの大学の活動を参考にしようかと思って。でも、知り合いもいなくて困ってたんです」


 さらにダメ押しのスマイル。男の口よ、羽毛のように軽くなれ。


「でも、あなたたちみたいに顔の広そうな人に声をかけてもらえて嬉しいです!」

「えー? まあそれほどでもないけどさ、助けになっちゃうよ? どんなサークル参考にしたいん」

「緑法会っていうんですけど」


 そう言うと、男が少しだけもやっとした顔をした。


「あー……あそこね。昔は結構人数多かったって言うけど」

「法律系のサークルなら、新しくできたソフィアン・サークルの方がいいと思うぜ?」


 なんだろう。やけに言い渋るじゃない?


「何かあったんですか?」

「んー……。まあ、別にサークルのせいじゃないらしいんだけどさ、あそこ昔自殺者が出たんだよね」


 ビンゴ。

 私は胸がドキドキするのを覚えながら、前へ身を乗り出した。


「その話、もっと詳しく聞かせて貰えませんか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る