ばくだんおにぎりとお弁当のから揚げ
土曜日のオフィス街は空いている。
ちらほら観光客と思しき姿が見えるくらいで、いつものようにサラリーマンでごった返してはいない。たまにすれ違う人々は、恐らく俺の同類――休日出勤を余儀なくされた不運な連中だろう。
けど、今日は天気が良い。雲一つない快晴に、涼しいくらいの秋の風が、絶好の行楽日和であることを伝えてくる。
それに、何よりも!
「午前中で終わりとか最高のシチュエーションじゃないか……!?」
ほんとうは十四時にアポイントが入っていたのだ。けれど先方の都合でキャンセルになり、俺の仕事は午前まで!
なんか、得した気分だ。休日出勤しているので、むしろ普段より多めに働いていることになるわけだが、ぜんっぜん気にならない。早起きできてラッキー、くらいの感じだ。
「昼間っからビールとか飲んじゃおっかな~」
るんるん気分でオフィスを出ると、俺に駆け寄ってくる姿があった。
「一星さーん!」
「げ、ひかり」
黒いミニスカートに、濃い緑のブラウスと揃いのカーディガンを合わせたひかりだ。すらりと伸びた足と、きらきら輝く笑顔がまぶしい。
「午後休おめでとうございます!」
「なんで知って……って聞くのは野暮か、もう」
「そうです。観念して私に全てを見張られて下さい☆」
「それも良いかも」
「! 私のものになってくれるんですか、一星さん!」
「もーちょっと、ぼろ雑巾なるまで働いたらな~」
で、と俺はひかりを見下ろす。
「お前なんでここにいんの」
「んっふっふ。今日は秋晴れ、一星さんは午後休、そして私も講義はなし。とくればっ、デートが最適解に決まっています!」
「デートォ? 俺出かけんのやだ、家で寝てたい」
「もーっどこまでも社畜根性が染みついてるんですから! とは言え、街に繰り出してしまえば人混みは避けられません。一星さんの死んだ魚のような目が深海魚のように濁り切ることは必至です。なので折衷案をば」
ひかりは携えていたバスケットを、じゃんっ! と俺の前に差し出した。
「公園でピクニックしましょ!」
「……メニューは?」
「おにぎり、から揚げ、ポテトサラダにプチトマト、デザートにはりんご」
「……乗ったっ!」
「やった!」
大輪の花が咲くように笑ったひかりは、さりげなく俺の左腕を取る。
俺はそれをかわしつつ、ひかりのバスケットを持ってやった。うわ重。
「お前これなに入ってんの」
「お弁当と水筒と、あとビール六缶パックです」
「うわそんなにか。重かっただろ、ありがとな」
「……んふ。その言葉を聞けたなら安いものです。腕の痛みが霧散します」
「なら俺の腕に絡みつくのはやめろ、誤解される」
「そっちのが好都合なんですが。外堀から埋めろと言いますし?」
「埋めるな埋めるな」
と言いつつも、ひかりはしぶしぶ俺から離れた。意外だ。すんなりと言うことを聞くなんて。
でもまあ正直ありがたい。この辺は会社の近くだから、職場の人にばったり出くわさないとも限らないし。あ、休日出勤してんのはお前だけだろという突っ込みはなしですよ。
*
歩いて十五分のところにある公園は、普段であればお昼を食べるサラリーマンでぎゅうぎゅうしているが、土曜日は閑散としていた。家族連れもオフィス街までは来ないらしい。そりゃそうか。
ひかりは日当たりの良い芝生の上にレジャーシートを敷いた。靴を脱いでシートの上に立つと、芝生のふかふかとした感触が足裏に伝わってきて、なんだか子どもの頃の遠足を思い出してしまう。
「ここ、ちょっと丘になってるんですね。結構眺めいいかも」
「ま、眺めが良くても見えるのはビル群だけどな」
「一星さんと一緒ならなんだって絶景ですよ」
「急にイケメンみたいなこと言うじゃん……?」
感心していると、ひかりがいそいそとお弁当を俺の前に差し出す。大きなお弁当箱に、俺の気分もちょっとウキウキし始める。
開けてみろと言うので、ちょっともったいぶって開けてみた。
「……おおー! すげー!」
まず目に入るのは、ラップに包まれた巨大おにぎりが二つ。誇張じゃなしに、ひかりの顔と同じくらいの大きさがあるんじゃないか?
それからみっしりと詰まった、キツネ色のしっとりから揚げ。香ばしい匂いが食欲をそそる。
その横には、一口サイズに分けられたポテトサラダ。ハムで包んであって、一口で食べられる心遣いが良い。
隙間を埋めるプチトマトやいんげん、ブロッコリーといった野菜も美味しそうだ。ここで卵焼きなど入っていれば、完璧なお弁当の図になるだろうな。
「つかおにぎりでっけえな!」
「大人の遠足ですからね、特別感がないと」
ふふんと得意げに言うひかりは、おしぼりを取り出すと、俺の手をぬぐってくれた。ひんやりとした感触が気持ちいい。
まずはやっぱりおにぎりだ。俺はラップを取って、巨大おにぎりにかぶりつく。のりのしっとりとした感触の向こうに、複雑な味わい。
「ん? ……あ、これいろんな具があちこちに入ってるのか!」
「そうでーす! ばくだんおにぎりって言うんですって。具は一星さんの好きな四種に加えて、ゆず味噌と野沢菜を追加してます」
「おお、かじるところによって味が違う。面白い」
ひかりがビールのプルタブを、かしゅ、と開けて俺に差し出してくれる。
おにぎりの具のゆず味噌を味わいつつ、黄金色のビールを喉に流し込む。
「くうぅ……しあわせのあじだ……ことばがでん……」
「えへへ。から揚げも自信作なんですよ、はい、あーん」
口元に差し出されたから揚げ。
いや、これ、食べたらまずい絵面なのでは? 女子大生にあーんされる社畜って、え、それ逮捕されたりとかしない?
でも周りには誰もいない。いるのはちょっと顔を赤らめて、俺の様子をうかがっているひかりだけだ。
ちょっと考えて、差し出されたから揚げにかぶりつく。ひかりがぱあっと顔を輝かせたのを、不覚にもかわいい、と思ってしまった。
「んまい。俺さ、から揚げってカリカリのよりはしっとりめの方が好きだからさ、揚げたてよりも弁当に入ってるような、ちょっと冷めたやつの方選んじゃうんだよなー」
「なるほど……!? 覚えます!」
「お前はどういうの好きなの」
「え?」
「から揚げ。かりっとしてんのが好きだとか、手羽先みたいのが好きだとか、なんかあんだろ」
一緒に飯を食ってる感じだと、ひかりに特に好き嫌いはないようだ。夜はお茶碗半分くらいの白米しか食わないとか、量に違いはあるものの、だいたい俺と同じものを食っている。
「……私の、好きなの」
ひかりはおにぎりを持ったまま考え込んでしまった。
ばくだんおにぎりは、シリアスな考え事には向かない食い物だというのに。
「ま、ないならないで、別に」
「……私、自分の好きなもの、ないかもです」
「ないの? 辛いのが好きとか甘いのが好きとか、そういうざっくりとしたのも」
「ないですけど、でも、一星さんの好みはばっちり把握してますよ!」
それはそうだろう。今まで作ってもらった飯も、今回のお弁当も、俺の好みの味付けだ。
――でも、それがひかりの当たり前になるのはおかしい。
まだ大学生の、何のしがらみもない彼女が、俺みたいなとりえのない社畜色に染まるのはだめだろう。どう考えたって健全じゃない。
お弁当の美味しさがやけに胸に詰まる。
彼女の献身は、本来なら俺なんかに与えられるべきものじゃない。
ひかりは、ひかりの好みで料理を作るべきだし、そうじゃなければもっとまともな、彼女を幸せにできる人のために料理を作るべきだ。
潮時かもしれない。
そう思いながら俺はもぎゅ、もぎゅと続けざまにポテトサラダを口に放り込んだ。
「たまにはお前の好きなもん作ったら」
「一星さんの好きなものが、私の好きなものですから」
「そんなわけないだろ。俺に会う前だって好きなものあったわけだし」
「……なかったです、そんなの」
ひかりがこわばった口調で呟く。長いまつ毛が震えていた。
「わた、私、こういうところが重いって言われるって、ちゃんと分かってるんです。分かってても、それでも、自分の好きなものが何なのか、分からないんです」
「……」
「重いですよねごめんなさい、でも、一星さんに迷惑はかけませんから。ちゃんと一星さんの好きなもの作りますから、だから」
追い出さないでください。
そう言ってすがるように俺を見てくるひかりは、迷子の子どもみたいに、自分のスカートをぎゅうっと握りしめている。
その手をほどいてやれたら、どんなに良いだろうと思いながら、俺はそっと視線を外す。それは社畜の役目じゃなくて、彼女をほんとうに幸せにできるヤツの役目だ。
だから、俺にできることはこれだけだ。
「ん」
口をあーんと開けて、から揚げを指さす。子どもでもやらないようなつたないおねだり。
きょとんとしたひかりの顔が、やがてぎこちない笑みを浮かべる。せめて少しでも元気づけられれば、という俺の意図をうまく汲んでくれたようだった。
「一星さんったらしょうがないですねえ! はい、もう一回あーん、ですよ!」
「あ、あーん……」
くそ、めちゃくちゃ恥ずかしいが、これでひかりの気分が少しでも良くなればいい。背に腹は代えられない。美少女の微笑みの前に、俺のプライドなど雀の涙ほどの価値も持たないのだ。
そうしてゆっくりとお弁当を食べ終え、デザートまで堪能して休みのすばらしさを噛み締めた頃。
おもむろにひかりが爆弾を投下した。
「一星さんが昔付きあってた人の話を聞かせてください」
「ゴッフォ」
「だ、大丈夫ですか……!? でもっ、ビールこぼしてごまかそうとしたって駄目ですからね!」
「ご、ごまかす気はねえけども」
「じゃあ教えて下さい。私は真剣に聞きたいんです」
「本気で俺の彼女になりたいわけ?」
「最初から本気です」
正座してこちらを見るひかりの目を見る感じ、このままのらりくらりと言い逃れすることはできなさそうだ。
俺はビール缶のプルタブをいじりながら考える。
――俺はどこまでも卑怯だから。
ひかりと距離を置かなければと思うくせに、自分からそうする勇気がない。潮時だと思っているのに、自分でひかりを突き放すことができない。
なので、ひかりの方から突き放してもらうことにした。
「食後にする話じゃないけど」
「も、ものすごいインモラルな感じなんですか……!? 酒池肉林の放蕩三昧、青い果実も熟れた果実も、等しくぱくっとやっちゃった感じの……!?」
「ないない。だからそういう目で見るなって、期待すんなっつの」
「じゃあ、なんでですか」
「胸糞が悪くなる話だから。いいか、単刀直入に言っちゃうぞ」
茶化して言ったつもりだったが、語尾が震えた。それをひかりも感じ取ったのだろう、彼女はこくりと強く頷いて、どんな話でも受け止めると言わんばかりに、俺の方を見てくる。
逸らされないその視線が、ちくり、と突き刺さるようだ。
ああ、これでもう旨い飯とも、手のかかる隣人ともおさらばだ――。
そんな得も言われぬ解放感と寂しさを味わいながら、俺は言った。
「俺の彼女、俺のせいで死んだんだ」
ざあっと風が吹き抜ける。俺でさえも寒く感じるその風に、ひかりはびくともせず、ただ俺の顔を凝視している。
そこに軽蔑の色はうかがえない。今のところは。
「……それは、事故ですか」
「さあ、どうだろう。事故とも言えるし、その事故は俺が引き起こしたともいえる。そしたらそれは、殺人になるんじゃないかな」
わざと強い言葉を使った。ひかりは俺の顔をじっと見つめている。
「いつの時代の彼女さんですか」
「大学時代の。二年生くらいの時だったかな」
「一星さんのせいで亡くなったっていうのは、事実なんですか」
「うん」
耳の奥がきーんとなるような緊張感。
きっとこれで彼女は幻滅するだろう。さっさといなくなって欲しいと思う反面、心のどこかで、彼女は俺を見捨てないでくれるだろうという、心にこびりついたどうしようもない甘えがあった。これだから俺は最低なのだ。
俺はその甘えを心から削り落として、ひかりが立ち上がって俺の前から姿を消すのを待った。
「むぐっ」
勝手にアンニュイになっていた俺の口に、最後のから揚げがねじ込まれる。突然の強襲に目を白黒させていると、ひかりが空になったお弁当箱を慌てて片づけているのが目に入った。
「すみませんが一星さんっ、残りのビールはおうちで飲んでください!」
「ん、ぐ、そりゃ、そうするけど」
「私は用事ができましたのでこれで失礼しますっ。ご飯は作って置いておきますから、ちゃんと食べてくださいね。手洗いうがいもちゃんとして、お風呂入った後は髪の毛ちゃんと乾かすんですよ!」
しょうもない社畜には身に余る優しい言葉だ。
ひかりは慌ただしくバスケットに物を詰め込むと、疾風みたいに去っていった。
一度も俺の方は振り返らずに。
それを寂しいと思うのはバカだ。
「……クソ。自分から望んだことだろうが」
半端に残った缶ビールをやけくそで開ける。明日からの食生活――いや生活そのものが、みじめな暮らしになりそうだ。
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