二人で作ったひき肉コロッケ
「なんだこれ奇跡か」
夕方六時。言っておくが朝の六時じゃない。正真正銘の十八時で、付け加えれば俺の会社の定時でもある。
今は出先で、本来ならばこれから帰社して色んなあれこれを済ませなければいけない――はずだったのだが。
携帯に入っているのは上司からの「直帰していい」という素っ気ないメッセージ。
「え、つまり、つまり家帰って良いってこと? だよな?」
俄かに信じられなくて何度もメッセージを読み返すが、俺の現金な足は既に駅の方へとむけられていた。
*
「たっだいまーっ!」
「はわああっ!? い、一星さん?」
家に着いたのは午後七時前だった。すると、珍しく慌てたようなひかりの声が聞こえる。
彼女は俺ん家のテーブルに参考書だのノートだの六法だのを広げていた。慌ただしくそれを片付けながら、
「お帰りなさい! 今日早かったですね、すみません、まだご飯用意できてなくって」
「いいよ。いつも早くて夜の十時とかだもんなあ、帰れんの。つーかさすがのお前も、俺の定時上がりまでは把握できなかったみてーだな」
「いえ、一星さんの会社のスケジューラーは常にリアルタイムでチェックしてるんですが……。直帰というパターンがあることを失念してましたっ」
「俺の会社のセキュリティどうなってんだ……」
悔しそうに言うひかりは、髪を緩く一つにくくって前に垂らし、カットソーにパーカーを羽織っただけのラフなスタイルだ。いつも俺に見せている完璧な美少女ルックもいいが、ゆるいファッションも、いい。かなり、いい。
「一星さん、鞄はちゃんと決まったところに置いて下さい。手洗いうがい、ちゃんとやりましょうね」
「うーい」
ひかりにカウントされながら手洗いうがいを済ませ、ひかりが洗っておいてくれた部屋着のスウェットに着替える。柔軟剤のいいにおいがした。
「えっと、えっと、お腹空いてますよね? そしたら今日は簡単にグラタンにしちゃおうかな。シチュー粉はあるから早めにできるし」
「ん? ほんとは何の予定だったんだ」
「コロッケ作ろうかなって思ってたんですけど、まだ何にもできてないんです」
「え、いいじゃん俺コロッケ好き」
「ええ、知っていますとも! そうあれは一星さんが小学校三年生の頃、給食に出たコロッケのお代わりを巡って執り行われたじゃんけんで敗北し、本気泣きしながら帰ってきて、」
「いやどこ情報よ!? あっこないだうちの母さんに会いに行った時だな!?」
「もっちろん! 一星さんて、小さな頃泣き虫だったんですよねえ~。泣いてる写真ばーっかりでほんっとにかわいかったです!」
だめだ。これ以上はヤブヘビの気配がする。話を変えよう。
「俺さ、昼飯喰うの遅かったから、まだ腹には余裕があんだよな。だから良ければコロッケ作って欲しい。……つーか、俺手伝うけど」
せっかく早く帰れたのだ。いつも料理を作って待ってくれているひかりの手伝いくらいしたって、バチは当たらないだろう。
そう思って言ったのだが、ひかりは呆然と俺を見つめてぴくりともしない。料理の腕前に不信感を持たれているのだろうか。
「え、えっと、何か切るくらいはできると思う、俺」
「……しゅ」
「しゅ?」
「しゅきぃ……! 一星さんすき、だいすき、やっぱり私にはあなたしかいませんっ……!」
目をきらきらさせながら、ぎゅうっと抱き着いてくるひかり。なんだ。なにがトリガーだったんだ!?
「だって今まで誰も、手伝おうか? なんて言ってくれる人いませんでしたもん! そんなの言われなくったって平気でしたけど、でも、でも、言われるとやっぱり嬉しいですね!」
「別に普通じゃね?」
「普通じゃなかったです、少なくとも私には」
嬉しそうに笑ったひかりは、冷蔵庫のフックからエプロンを取るとさっと身に着ける。冷蔵庫からいろんなものを手際よく取り出してカウンターに並べているところを見ると、料理が好きなんだなと思う。
「んーと、それじゃ一星さんには、パセリ刻んでもらおうかな」
「パセリを刻む? 何に使うんだ」
「何って、もちろんコロッケですよ。味は食べてみてのお楽しみです」
そう言ってひかりは、パセリの束を俺に差し出した。
唐揚げとかエビフライの添え物として出されるパセリは、なんかブロッコリーみたいで、茎があって、という感じだ。
束のパセリはそれを十倍くらいにした感じで、もっこりもさもさしている。特有の青っぽい匂いもかなり強い。
「茎の所はできるだけ避けて、葉っぱの部分だけを細かく刻んでください。ちょっとくらい茎が入っても問題ないですから、できるだけ細かくお願いします」
「りょーかい」
茎から葉っぱを外して、包丁でぎしぎしと刻んでゆく。
パセリを細かく刻むのは初めてだ。っていうかこんな刻みパセリ、スープの上に散らしてあるのくらいしか見たことないけど、ほんとにコロッケに入れるんだろうか。
俺がぎこちなくパセリを刻んでいる間、ひかりは以下の工程を素早くこなしていた。
水で洗った皮付きのじゃがいもをラップに包んでレンジでチン。その間にひき肉と玉ねぎを、濃いめの塩コショウで炒めている。
レンジで暖められたじゃがいもの皮を剥き(ここは俺もちょっとだけ手伝った)、マッシュして、ほんのちょっぴり牛乳を入れる。それから冷めた肉と玉ねぎの炒め物をインして混ぜる。
なるほど。これを揚げればコロッケになるんだろうな、というのは自炊歴の浅い俺にも分かるぞ。
「さて、パセリはどんな感じです?」
「こんくらいでいいか」
「うんうん、良い感じの細かさです! 一星さん、パセリ嫌いじゃないですよね?」
「ん? まあな、弁当に入ってる付け合わせのやつ、皆残すけど実は結構好き」
「良かった。まあ、一星さんのお弁当の残骸を漁ったときからそれは分かってたんですけど」
「待て。待て待て待て。お前そんな美少女なんだから人の弁当の残骸なんて漁るなよ!? 絵ヅラがシュールすぎるよ!?」
「ふふ。私は確かに美少女ですが、
ひかりはボウルの中に刻みパセリを全て入れた。結構な量だ。ボウルが緑に埋め尽くされてる。
「苦くなんねえ?」
「いえいえ、これがなかなかどうしてさっぱりといい感じの味になるんですよ。さて、あとは揚げるだけですから、一星さんはいつものぐびっとやっちゃって下さい」
揚げ物にはやっぱり、ビールだ。第三のビールとかじゃなくて、しゅわしゅわの黄金のビールに限る。
俺はグラスと缶を持ってローテーブルの前に座る。ひかりが先ほどまで向き合っていた参考書たちを見て、ふいに懐かしい気持ちに襲われる。
「お前って法学部なんだな」
「ん? ああすみません、片付けます」
「いいよ、ちょっと床に退けとくな」
民法Ⅰとか懐かしいなあ。刑法よりは民法の方が好きだったけど、相続法はテストが鬼だったよなー。
揚げ物のじゅわじゅわという音を聞きながら、しばらく大学時代に思いをはせる。
――サークル棟のあのにおい。皆の咎めるような視線。俺を糾弾するヒステリックな声。誰かの押し殺した泣き声が、ちくちくと良心をさいなむ。
『矢野くんて、ほんとに最低だね』
「……」
「でっきましたー! パセリと牛肉のコロッケですっ!」
芋づる式に現れた嫌な思い出は、ひかりの声とコロッケの香ばしい匂いで断ち切られた。
豪快に盛られたコロッケは、小判型ではなくころんと丸いフォルムをしている。きつね色の衣から食欲をそそる良い匂いが漂っていた。
「……うお。すげえ、美味しそう」
「でしょでしょ~! これは付け合わせの、セロリのゆかりあえと、ブロッコリーのかかまぶしです」
野菜の小鉢が次々と並べられ、最後においしそうな湯気を立てる白米が置かれた。
ひかりは俺を見てにっこりと笑う。
「食べましょ、一星さん。私たちの初めての共同作業ですっ」
その笑顔に、俺もつられて笑みのようなものを浮かべる。
「……うん。いただきます」
丸いコロッケを箸で割ると、さっくりと良い音がした。揚げたての特権だ。
中はほくほくのじゃがいもにひき肉、そして存在感を放つパセリのみじん切り。みっちり詰まった具の多さに、知らずのうちに唾があふれてくる。
ソースをかけて一口頬張る。じゃがいものまろやかな味わいに、ひき肉と玉ねぎのガツンとした味、そしてパセリの爽やかな風味が駆け巡る。
「お……? 意外とパセリって合うんだな! 量多すぎじゃねって思ったけど、なんつーか、牛丼の紅ショウガみたいな? 肉の臭みを消しててさっぱりしてる」
「ひき肉の脂身が多いとパセリがたくさん入ってても、あんまり青い味にならないんですよね。っていうか、元々良いひき肉が手に入らなかったときに、苦し紛れにパセリを入れたことから考え付いたレシピなんですけど」
「なるほど。このパセリが、揚げ物のこってり感を緩和してくれるよなー。なんか、揚げ物食べてる罪悪感もあんまない」
「覚めても美味しいですから、余ったら明日お弁当に包んであげますね。明日は確か外出の予定入ってなかったですし、お弁当でも大丈夫ですよね!」
相変わらず俺の予定をばっちり把握しているひかりだが、今ばかりはお弁当という言葉に胸が躍る。
「おにぎりの具、どうします?」
「お、さすがにお前も俺の好きな具までは分からんようだな」
「いえ、ツナマヨと梅おかかと昆布と生たらこが好きってことはとっくに把握済みなんですけど、さすがにおにぎり四つは食べきれないですよね?」
「……ハイ、ソウデスネ」
「栄養管理もですけど、体重管理も恋人の務めですので! おにぎりは二つまで、ですからね」
どの具がいいかちゃんとリクエストしてくださいね、と言ってひかりは、三つ目のコロッケに箸を伸ばした。
食後のコーヒーは俺が淹れた。なぜかというとコーヒーを淹れる体力が残っていたからである。定時最高。定時万歳。
「一星さんって、インスタントコーヒーじゃなくって豆引くところからやるんですね……! 意外です!」
「ほとんど唯一の趣味だからなー。ミル、大学時代から使ってるし、いい加減壊れてもおかしくねーな」
「年季入ってますもんねえ」
「人から貰ったモンだから」
そう言うと、ひかりはぴくんと肩を揺らした。
「……それ、女の人でしょ」
「……そうだって言ったら?」
「私が今すぐ最新式の電動コーヒーミルを買って一星さんにプレゼントします!」
「あっはは、うそうそ。女の人だけど、もう八十歳とかのおばあちゃんだよ」
「一星さんが猛烈な年上好きって可能性はまだ否定されていないんですよ!?」
「さすがに八十歳に恋愛感情は抱かねーよ!?」
「ほんとかなあ~!」
さすがにひかりは鼻が利く。
そう、このミルをくれたのは確かに、八十歳のおばあちゃんだが。
俺のおばあちゃんである、とは言っていない。
俺はさりげなく話題を変える。
「っつーかお前、課題やってたの邪魔して悪かったな。やるならここでやってっていいぞ」
「え、いいんですか? あ、でもでも、一星さんと一緒に居られる時間は大事にしたいし」
「いいって。っていうかこれ、民法の判例に関するレポートだろ? 誰かと一緒にやりゃ早いのに」
微かにひかりの顔がこわばる。そうして彼女はゆっくりとぎこちない笑みを浮かべた。
「私、大学に友達、いないので」
「へー」
「昔っからそうなんです。なんか、友達を作るの上手くいかなくって。やりすぎって言われたかと思えば、クール過ぎって言われたり、もう、なんか、よく分かんなくなっちゃって」
「いんじゃね? 別に」
残り僅かなビールをぐいっと喉の奥に流し込む。
ひかりはきょとんとした顔をしていた。
「別に友達作んなきゃいけねーって決まりはないだろ。合わないヤツがいることだってある。それか、たまたまその場所がお前に合わなかっただけってこともあんだろーし」
「……でも、友達は多い方が良いんじゃ」
「そーかあ? 多けりゃ多いで面倒だと思うぞ。まあ、こと大学の授業に関しては、一人くらい知り合い作っといた方が、ノートの貸し借りとか代返とか過去問とかで便利だろうけどな」
それだって別に押し付けるものじゃない。
人と関わりたくなければ、全く関わらないでいられるのは、大学の良いところだ。もちろん、良い友人と出会えれば、それに越したことはないだろうけど。
「……一星さん、勉強見て下さいよ。私友達いませんし」
「あーごめん、俺民法は毎回C判定だったからな~」
「うそだあ……。あ、そう言えば、一星さんって大学どこだったんですか?」
ひかりにしては珍しい。俺の基本的なプロフィールだろうに。
そう思いながら大学名を言うと、彼女はびっくりしたように目を丸くした。
「え、え、そこってめっちゃ偏差値高い私立じゃないですか……!? 一星さんそんなに頭良かったんですか!?」
「いや、別にフツーだけど」
そう、普通だ。出身大学を隠し通せるくらいには。
ひかりが俺の大学名を知らなかったのも無理はない。実家にアルバムや学生証なんかは一切残していないし、今勤めている会社でも、俺がそこの大学を出ていることを知っている人は上司だけだ。俺の携帯にも、大学時代の奴の連絡先は一切ない。SNSでも繋がっていない。
「……友達はさ、無理して作るもんじゃねーんだよ」
「そういうもの、ですか」
「そうそう。そういうもの」
人付き合いで無理をすると、俺みたいになる。
ひかりには、俺みたいに、自分の出身校さえ言えない臆病者には、なって欲しくなかった。
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