??入りハンバーグ
「うわあ
疲れ果て、よれよれの雑巾みたいになってた俺を迎えたのは、ひかりだ。ぱちぱちと瞬くまつ毛の長さがまぶしい。
ひかりは隣に住む19歳の大学生――なんだが。
「ここ、一応俺ん家なんだけど」
「はい、あってますよ? 残業でくたくたになってるのに、ちゃあんとお家に帰って来られてえらいでちゅねえ」
「い、いや、そういうことじゃなく、なんでお前が……」
ひかりは爪先立ちで、よしよし、と俺の頭を撫でてくれる。一日働きづめで、脂ぎった俺の髪の毛を、優しい手つきで。
その手に思わず長い溜息をついてしまうくらいには、疲れていた。
「ありゃあ、結構ダメージ大ですね?」
「終電ダッシュが今になってきいてきた……」
「それは頑張りましたねえ。でもでも、気持ちを切り替えてっ。なんてったって、今日は、きんよーびですからね!」
「そうか……そうだよな……明日は休みだ!」
「そうそう、だから今日はいーっぱい夜更かししましょ?」
ひかりは笑って俺の手から鞄を取り上げると、部屋の中に俺を招き入れる。どっちが家主なんだか。
「あ、なんかうまそーな匂い」
「ふふふ、今日の夕飯も頑張りましたよぉ」
言いながらひかりは冷蔵庫を開けて、ビールのロング缶を取り出した。
「あー……ビールだあ……」
「こらこら、手を洗ってからじゃないとだめですよ」
「洗う、すぐ洗う、うがいもする」
「よろしい」
俺は急いで服を着替え、手洗いうがいを済ませて(むろん、うがいの回数はひかりがきっちりカウントしている)きんきんに冷えたビールの缶を手に取った。
ぷしゅ、とプルタブを開ける音。
ああ、金曜日だ、金曜日だ……!
そう思うとたまらなくなって、そのまま缶から直飲みする。喉を伝ってゆく、苦くて冷たいビールの感触。
「あっこら、一星さん。グラス用意したのに」
「~~~~っかー! いやもう、労働のあとのきんきんに冷えたビールって、誰が発明したんだろうな……?」
「んもー、満足そうな顔しちゃって。お昼は132円のパン一個しか食べてないんですから、いきなりビールばっかり飲んだらすぐ酔っちゃいますよ」
「ぶぼォ」
口に含んだビールが逆流しそうになる。
「な……なんでパン買ったって知ってんの」
「簡単ですよ。一星さん、レシートもらったらすぐポケットに突っ込む癖があるんですもん。今日の13時34分に、会社の目の前にあるコンビニで、コロッケパン買ったことなんて、お見通しです」
「ひ、人のスーツのポケットを漁るな……! 一体いつ……ってあれか、うがいしてるときか! 油断も隙もねえ!」
「『彼女』だからいーんですう」
どういうわけだかひかりは、この間からずっと俺の「彼女」を自称したがる。こんな美少女が彼女ってのは、悪くない気分だけど。
いかんせん「愛」が重い。
彼女はそのせいで、昔の彼氏にフラれたというが……。その元カレに同情したくなるくらいには、ひかりの気持ちは重い。
「彼女ってのは、彼氏のポケットを漁る特権を持ってるわけじゃないんだからな! っていうか彼女じゃねーし! 未成年に手を出すほど落ちぶれてねーし!」
「えー? でもだって、浮気とか不安じゃないです? コンビニで買ったのがコロッケパンだったらいいですけど……。これがコンドームとかだったらほんと、ねじ切ってたかも」
「何を? ねえ何を!?」
「尊敬する人は、阿部定です」
「尊敬すな!」
知らない人は阿部定でぐぐってみよう。男子はきっと股間がひゅんってなるぞ。
「だいたいお前が彼女だってまだ認めたわけじゃないんだからな」
「そんなツンデレみたいなこと言っちゃって、一星さんたら。体は完堕ちしてるはずですよ?」
「んなわけないだろ」
「うふふ……。さっきから、お腹がきゅうきゅう鳴いてますねえ……?」
「こ、これは、ビールを飲んだからで」
「いいえ、一星さんの敏感なお鼻は、もうとっくに気づいてるはずですよ? 今日の晩御飯が、なんなのか……」
ひかりがすっくと立ちあがり、キッチンから大きな皿を持ってくる。鼻をくすぐるひき肉のこの匂いはーー。
「も、もしかして、今日って」
「そうでーす! 男の子の永遠の好物、ハンバーグ!」
じゃじゃん、と差し出された皿の上には、こんがりと美味しそうな焼き目のついた小ぶりなハンバーグがいくつも載せられてあった。
添えてあるのは煮られてつやつやしているにんじんと、小さなブロッコリー。うんうん、どれも俺の好きなやつだ。そう思ったら本格的に胃がぎゅるぎゅるし始めて、ひかりが嬉しそうに笑う。
「ソースは特製ソースとウスターソース、あとマスタードと和からしがありますので」
「あれ? ケチャップは?」
「んっふっふ。今日のハンバーグは、ケチャップよりもソースが合う感じなのです」
こんもり盛られたハンバーグは、机の上でほかほかあつあつの湯気を立てている。出されたお茶碗を受け取る間も惜しくて、俺は箸を手に取った。
「いただきます!」
「召し上がれ!」
ほかほかの手作りハンバーグを前に、いざ実食、と勇んだ時だった。
ひかりが、にやにやしながらこっちを見ている。大きな瞳が悪戯っぽく細められていて、どこか猫を思わせる表情だ。
「……なに。なんでそんな顔してんの」
「いえ? 別に? なあんにもないです」
「嘘だろぜってーなんかあんだろ!? あっこのハンバーグだな!? 何か混ぜたのか!?」
「さっすが一星さん! やっぱりわかっちゃうんだ。愛、って感じですね……」
「愛ではない断じてそんなものではない強いて言うなら自己愛だこれは」
「わあ、早口」
「え、マジでなんか入れた?」
「私の愛が」
「いや精神的なものじゃなくて物理的なもの」
いつまでも疑心暗鬼のまま問えば、ひかりはちょっとだけ苦笑した。
「変なものではないです。ただ、ちょっとハンバーグっぽくないものを入れてみただけです」
ハンバーグっぽくないもの。なんだろう、闇鍋的な材料が入ってるんだろうか?
ーー見た目はほんとうに普通の、美味しそうなハンバーグだけれど。
何が入っているのだろう、と疑う一方で、ひかりが俺のためにならないことをするだろうか、とも思う。
うがいの回数を監督し、昼飯の内容から咀嚼の回数まで見張られている上にこないだは『無呼吸状態が三十秒もありました! 危険です! すぐに添い寝して一星さんの呼吸を管理します!』なんて言っていたけれどーーそれは一応、俺の健康をおもんばかってのことだ。
だからきっと、このハンバーグにも、毒とかそういうのは入っていない、はずだ。
たぶん。
「……信じてるぞ」
「! ふわあ、それって、それってつまり、私になら何されてもいいってことですよねぇ……!?」
「ち、違うからな! とりあえず、い、いただきます」
箸でハンバーグをざくっと割れば、湯気と匂いが立ち上る。
ぱく、と一口。
口の中に広がるジューシーな旨み、ひき肉のがつんとした味。
焼き目の香ばしさと、ナツメグの風味がまた良いアクセントになっている。
噛むたびにじゅんわりとしみる肉汁と、その向こうにある未知のさくさくした歯ごたえ。
「うまい! あ、これもしかして、中に入ってるのって……レンコンか?」
「そうでーす! 玉ねぎの代わりに、刻んだレンコン入れてみました。今日は夜なので気持ちあっさりめに」
「おお、ほんとだ、あっさりめだ。和な感じで旨い。歯ごたえがしっかりしてるのもなんかいいな」
「ナツメグも控えめにしてみました。バターも使ってないんで、具が玉ねぎの時よりだいぶあっさりだと思いますよ」
ひかりは腕組みをして、むう、と唸る。
「ほんとはつなぎ無しのお肉100パーなやつ作りたかったんですけどね。いいお肉がなくって」
「これでも全然美味いよ。レンコン入ってるとちょっとつくねっぽいか? って気もするけど、ナツメグのおかげでハンバーグの味ちゃんとするし。でも確かに、ケチャップよりはソースのが合うかもな」
「でしょ? あっいけない、今日こそ汁物を!」
ひかりは慌ててキッチンに引っ込むと、お椀に味噌汁、青菜のおひたしを持ってきてくれた。豆腐とわかめの味噌汁は、少し味が濃い目だったけれど、ビールの合間にはちょうどいい。
俺が食べるのをじいっと見つめるひかりは、カフェオレを両手で包み込むように持って、ちびちびと飲んでいる。
「ひかりは食わねーの?」
「こんな時間に食べたらデブまっしぐらですよお!」
「そんなに痩せてんだからいいじゃん」
「た、確かに胸は貧弱ですけど」
そう言いながら自分の胸元を撫でるひかり。
ーー別に、言うほど貧弱じゃない。CかD? くらいはあるように思う。
今日は体にぴったりと張り付くTシャツと、ニットスカートという格好で、だからこそやっぱりスタイルの良さが際立っている。
「ってゆーか、なんか格好も言葉も、前とちょっと違くないか? 前はもっとギャルっぽかったっていうか……。洗面所のグッズもピンクとかヒョウ柄だし」
「ああ、気にしないでください。一星さん、ギャルあんまり得意じゃないでしょう? ちょっと怯えちゃうっていうか……なので、変えさせて頂きたく☆」
「そんなカジュアルにキャラ変できるもん?」
「愛の力です!」
そう言い放ったひかり。付き合った相手の好みに合わせる、カメレオンタイプだろうか?
「それより。一星さん、やっぱり和食で濃いめの味付けだと箸が進みますね」
「ん? そう?」
「外食も圧倒的に和食が多めですもんね。やっぱりお母様の味が影響するのだと、今確信が持てました」
「……?」
いま、なんて?
「お母様の得意料理を教えて頂きましたけど、里芋の煮っころがしとか、お魚の煮つけとか、和食がほんとに多いんですよね。だけど味付けは気持ち濃いめ、辛めで、一星さんの味の好みとぴったり合致します」
「え、待って、待って。……お前、俺の実家行ったの?」
「ええ。埼玉県は春日部市の、」
「うええ!? なんで住所分かっ、ていうか、なんで行った!?」
「それはもちろん、一星さんの好みの味付けを知るためですっ! あと一星さんって、意外とお母様思いですよね。こないだのお誕生日にプレゼントとメッセージを送られてて」
「なんでそんなこと知ってんだよ……」
もはや恐怖に震えながら尋ねれば、ひかりはあっさりと
「あの重要書類入れのところに、プレゼントの発送控入れてましたよね? 住所もそこから拝借しました」
「あっそこか……っつーか、重要書類入れなんて漁るなよな!?」
「だって、いかにも大切ですよって感じに保管してあったから……。だめですよ一星さん、通帳とハンコ同じところに保管してちゃ」
「えっ通帳まで見たの」
「ばっちり☆ だいじょうぶですよ、私も将来ちゃんと働きますから、二人でつつましく生きてゆきましょうね」
ぽんぽん、と優しく肩を叩かれ、男としてのメンツがぼろぼろと音を立てて崩れてゆく。
だが、せめて完全にメンツがなくなる前に、これだけは言っておかねば。
「っていうか、普通に人の家漁んのはマジでマナー違反だぞ」
「でも、知りたいんです。一星さんのこと、ぜんぶ」
「なら聞いたらいいだろ」
「でもでも、答えてくれるとは限らないし、それに嘘もつけるじゃないですか。……私、嘘は嫌いです」
低い声でそう言うひかりは妙なすごみを放っている。じっとりと俺を見てくる目の奥に、ぬぐい切れぬ不信感のようなものがあった。
ーー昔、何かあったのかもなあ。
「ま、ともかく。好きな味付けなんて、次から俺に直接聞いてくれよ。母さんとこ行くんじゃなくてさ」
「聞いて、答えてくれます?」
「答えられる範囲なら」
ひかりはまだ納得していないようだ。聞いても答えてくれない場合がある、ということに気付いているのだろう。
自分の問いかけには、全て正しく答えがあるべきだと思っている。
そんなひかりが、なんだか幼くて、かわいく見えた。
「まだガキだなあ」
「なっ……! なんですかその、生暖かいまなざしは! 子どもじゃないですよ、もう大学生ですし!」
「未成年は丸ごとざばっと子どもだよ」
「ふーん。そんな子どもに頭撫でられてにやついてたのは、どこの社畜さんでしたっけね?」
「しょ、しょーがないだろ。社会人はたまにものすごく疲れるもんなの。まあいいや、ともかく家の中を漁るのはほどほどにしといてくれ。言っとくけどスマホの中とかも勝手に見るのはNGだかんな」
「それって、私に見られたくないものがあるってことですか」
「そりゃ、あるよ」
「どうして? 私は全部見たいです。一星さんの良い所も悪い所も、過去も未来も、全部」
俺は味噌汁をすすって笑った。
「世の中には、知らなくていいことがあるんだよ」
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