シーン 8【ハジメテの再会】PART6

 ──そのかがやきに目を奪われていた。


 徐々に広がり続けている空のヒビ

 N市中で行われているであろう鬼達の侵攻。

 足を止めていられる余裕なんて、一秒も無いというのに。


 隆文に向けられる紅い隻眼ひとみに──そこに浮かぶ涙に、心と視線が捕らえられる。

 その涙は悲しみによるものでもなければ、恐怖から零れ落ちたものでもない。少女の瞳に浮かぶ感情なみだは心からの好意──確かな信頼きずなを感じさせるものだった。


 隆文は、この少女を知らない。新雪よりも白い髪も、鮮血のような紅い瞳にも見覚えがない。だが、少女は先程こう口にした──『、そして……“”』と。再会の言葉ひさしぶり初対面の言葉はじめまして。矛盾するふたつの言葉を、彼女はどのような意図で投げかけたのだろうか。


 「君は……何者なんだ?」


 思わず呟いた言葉。正体不明の少女への警戒心に、緊急事態への対応行動──そんなものは、隆文の頭から完全に消え去っていた。今はただ、この少女の事を知りたかった──知らなければいけないのだと、隆文の本能が叫んでいた。


 隆文の言葉を受け、少女の瞳が揺らぐ。感情に駆られるように、その口が言葉を紡ぎかけ──その直前で一文字に閉じられる。

 手の甲で涙を拭い、深呼吸で心を落ち着かせる。数秒の後、隆文へと向けられた瞳はどこまでも真っ直ぐな意志が込められていた。


 「……ボクのことは、今はどうでもいい。必要なのは、ボクがここに来た理由──世界を救うことだ」


 「……世界を、救うだって?」


 『世界を救う』──あまりにも大仰で、現実感のない言葉。

 だが、少女の表情かおに嘘は見えない。真剣に、全力にその意志を伝えてくる。


 「このままだと──通常の手段では、倒すことのできない“影の鬼”によって。ここで彼らと戦い続けても、世界の終焉みらいは変わらない──それでは、誰も救われない」


 悲痛な声で語りながら、隆文の眼前へと少女が歩み寄る。遠目で見ていた時よりもずっと小柄で、華奢な印象を与える身体。その落差ギャップに気圧されて、隆文は思わず息を呑む。


 「世界を救う方法はひとつ、事態の元凶を──鬼達を統べる者を打ち倒すこと」


 ──少女の手に、眩い輝きが浮かび上がる。

 先程、不死シナズの鬼を薙ぎ払った謎の光。こうして間近で見ても正確な形状もわからない、どこまでも輝く光の集合体。少女はその光を一度だけ強く握りしめた後、隆文へと差し出した。


 「世界を救えるのはひとりだけ──志島隆文キミだけだ。……君の力が、必要なんだ」


 紅い隻眼が隆文を見つめている。

 少女の言っていることは無茶苦茶だ。あまりにも説明が不足している。鬼達の正体も少女の素性も、そして差し出された光の意味も──その全てがわからない。

 

 だけど、


 「──ああ、任せろ」


 力強く頷き、光を掴み取る。

 何故ならば、少女は心から隆文たすけを求めていたから。少女の目尻には、先程の涙の痕が滲んでいる。背中に回された手は、不安で震えている。きっと複雑な事情があるのだろう、悲壮な覚悟を抱いているのだろう。

 志島隆文には、それだけで十分だった。本気の言葉には本気で応じる──騙されるかもという不安よりも、少女の手を捕らなかった後悔の方が重いと思ったから。


 「──本当に、君は“志島隆文”なんだね。から、ずっと変わらない……」


 再び浮かんできた涙を拭いながら、少女は心からの笑顔しんらいを隆文へと向ける。濡れた瞳に映る隆文の姿は、どこか誇らしげに笑っているように見えた。


 手にした光は無数の粒子へと変わり、隆文の身体へと吸い込まれていく。

 痛みはない、恐怖もない。ただ、心の奥へ火が灯ったような暖かさだけを感じている。

 全ての光が隆文の内へと消えていった直後、周囲の空間が。バロールの空間歪曲にも似た現象──おそらくは転移の前兆。少女が語った『事件の元凶』のもとに、隆文は飛ばされるのだろう。


 「じゃあ、行ってくる。全部終わったら、その時は改めて挨拶をさせてもらうさ」


 空間の歪みを挟んで、少女へと語りかける。

 隆文には確信がある。きっと、これから向かう場所で少女の真実を知ることになるのだろうと。

 だから、今は名前を聞かない。全てが終わった時、改めて少女と向き合う為に。


 歪みは徐々に広がっていく。隆文の身体、その全てを覆い尽くすように。

 そんな中で、


 「……隆文っ!」

 

 ──少女が叫ぶ。

 

 「……ボクは幸せだった。苦しいこともあったけど、それでもこれまでの旅は楽しかった! それは、君のおかげなんだ! 君が、今から成すことのおかげなんだ! だから……」


 確かな絆を込めて、その想いを伝える。今の隆文には、全てを伝えられないのだとしても。心の限りに、叫ぶ。

 



 「──あの頃のボクを、よろしくね」

 


 ──ああ、任せろ。


 その言葉を口にする前に、歪みが隆文を覆い尽くした。

 暗転する視界。薄れていく意識。

 

 志島隆文という少年は、この時代から完全に消え去った。


―――――――――――――――――――――――――――――― 

 

 隆文がこの時代から後。

 一人残された少女は、数秒前まで隆文が立っていた場所を静かに見つめていた。


 「……ああ、終わったんだね。ボクの役目は──千年の放浪たびは」

 

 自然と溢れ出した涙をそのままに、少女は呟く。自分は、泣き虫ではなかったはずなのに──数十年分の涙を、今日だけで流し尽くしてしまいそうだ。


 本当はもっと、冷静に話をしようと思っていた。どんな表情を浮かべようか、どんな言葉を口にしようか。ずっとずっと、考えていたはずだった。だけど、実際に隆文かれの姿を見て──そして、あの頃と変わらない雄々やさしさを見て、溜め込んでいた気持ちが涙と一緒に溢れてきてしまったから。


 静かに空を見上げる。

 無数の罅に侵蝕された夕焼け空──世界の終焉おわりが刻一刻と近づいていることを表す風景。

 だが、少女の心に焦りはない。何故ならば、少女は世界の誰よりも志島隆文を信じているから。転移先で待つどんな試練も乗り越える強さかがやきを持っていると知っているから。


 ふと、少女の前方で影が蠢き出す。

 現世へと突き出した黒い爪が大地を掴み、数体の“影の鬼”が現れる。光なき瞳を周囲に走らせ、人間を鏖殺するべく動き出す。

 

 懐に手を伸ばし、武器を──長年使い続けた短刀を取り出し、構える。

 もう、あの“光”は少女のうちには存在しない。鬼達の不死シナズを破ることができはしない以上、この戦闘は時間稼ぎにしかならない。さらに言えば、隆文が元凶を討ち果たせばこの鬼達は消滅するのだから、それまでどこかに隠れ潜んだ方が賢い判断なのだろう。

 

 ──それでも、少女は戦うことを選んだ。


 ここで少女が戦わなければ、この鬼達は残された時間を使って目に映る人間全てを殺し尽くすことだろう。そして、“ワーディング”で無力化された人々にその刃から逃れる術は存在しない。

 

 故に、少女はぶきを取る──自らの手の届く命、その全てを守り抜くために。


 「彼が──隆文が守ろうとしたものは、ボクが守る」


 決意の言葉とともに、少女は疾走せんとうを開始した。


―――――――――――――――――――――――――――――― 


 闇と光。


 人と鬼。


 そして、過去と未来。


 その境界線が揺らぐ時、歴史の闇に埋もれた戦いが幕を開ける──魔都 平安京で繰り広がれる、世界の未来あしたを賭けた戦いが。

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