シーン 7【ハジメテの再会】PART5

 人目を気にしながら廃ビル群を出てから数十分後、隆文は自分のスマホにメッセージが届いていることに気付く。ディスプレイに表示された送信元なまえは“志島 圭”──隆文の母親だ。


 『急な出張が入っちゃった……(T_T) 明日の夜までには帰るから、お家のことよろしくね』


 いかにも母親おばさんらしい“とりあえず顔文字を入れてみました”と言わんばかりの連絡文章──内容も文体も、隆文にとっては見慣れたものだ。

 この場合の“お家のこと”とは料理・洗濯・掃除・犬の散歩などの家事に加えて、彼女が毎日観ている深夜アニメの録画予約まで含まれている。ジャージ姿にビール片手で深夜アニメに一喜一憂する姿を思い浮かべると、彼女が近隣でもその名を轟かす敏腕弁護士であることが信じられなくなる。


 志島家は所謂“母子家庭”であり母親の圭と息子、そしてペットである武悪魅裏恩ヴァーミリオン(命名:志島圭)の二人と一匹で暮らしている。父親については顔も名前も知らないし、興味もない──父親の話題になると、陽気で騒がしい母が酷く寂しそうな表情を見せるからだ。

 幼い頃は他とは違う家庭の形に不満を感じていたものだが、今となっては十二分に幸せな家族だと胸を張って語ることが出来る。


 実際、圭のような女性が母親でなければ隆文はもっと拗れた性格になっていただろう。弁護士というお硬いイメージに反して、圭の育児方針はかなりの放任主義だった。

 隆文の意志を尊重しつつ、一線を越えた時のみビシッと叱る──中学生時代、隆文が喧嘩に明け暮れていた時期ですら「弱い者いじめはするな」「学校はサボるな」としか言わなかったのだから本当に徹底している。

 ……もっとも喧嘩への寛容性に関しては、圭自身が学生時代に“N高の徹甲弾”とまで評された筋金入りの不良だった過去も影響しているのかもしれないが。


 時折煩わしく思うことはあるものの、信頼できる家族──だけど、そんな彼女に隆文は嘘をついている。

 隆文むすこが人を逸脱した存在に──オーヴァードへと覚醒したという事実を伝えていないのだ。


 現代社会において、オーヴァードが生きるということは嘘を重ね続けるということに他ならない。

 例えば、UGNに関わりのない医療機関のお世話になることはできない。血液検査に脳検査でも受ければ、真っ当な医者ならば常人との差異に気付いてしまうことだろう。負傷に関しては軽度のものは“リザレクト”での自己治療、重度であればUGN医療班ホワイトハンドの世話になるしかない。

 学校の健康診断などに関しても支部から手を回して貰い、検査結果の偽造を行って貰うのが一般的だ。

 それが出来ない──もしくはするつもりがないオーヴァードは、人間社会で生きていくことなど出来はしないのだ。


 人と同じ姿で人を逸脱した能力を持つ超人──しかも、衝動に呑まれた怪物ジャームになる可能性を秘めた存在。一般人から見れば、“導火線の長さがわからない爆弾”のようなものだろう。

 オーヴァードと非オーヴァードの共存を創設理念とするUGNが、現状策としてオーヴァードの存在を隠蔽しているのも当然である。

 

 『志島はキミを騙している。もう人間じゃない癖に──同じ力を持った僕らをジャームと呼ぶ癖に、自分達は違うつもりでいるんだ』


 『FHではそういう連中のことをこう呼ぶんだ──“裏切り者ダブルクロス”ってね』


 脳裏に浮かび上がる呪いの言葉──隆文が巻き込まれた最初の事件において、元クラスメイトのジャームから放たれた残酷な事実。それを否定することは隆文にはできない。

 侵蝕率の高低? 社会への適合力?

 ──そんな言葉だけでは誤魔化せないものが、この世界には確かにあるのだ。

 どのような理屈を並べても、自分達は独自のルールの元に同種ジャームを除外する蝙蝠ハンパモノに他ならない。それを忘れ、正義ヒーローヴィランなどという単純明快な構図に世界を落とし込めば──そんなもの、向こう側ジャームとどう違いがあるというのか。

 

 あの時の出来事──紫電を纏う隆文を、怪物バケモノを見るような目を向ける少女の姿は今も胸の奥に焼き付いている。

 もし圭が隆文の真実を知ったのなら、同じ表情を浮かべるのだろうか。そんな恐怖と不安と不快感が入り混じった感情を、強引に振り払う為に隆文は空へ目を向けて


 「──えっ」


 ──空が、罅割れていた。


――――――――――――――――――――――――――――――


 同刻、UGN N市支部。

 N市繁華街の中心に建つ、ありふれたオフィスビルに偽装された非日常の前線基地。その中にあるオフィスでは、今日も多くの事務員が様々な業務に追われていた。


 UGN支部の仕事は、ジャームへの対応だけではない。そのような荒事ドンパチは業務全体から見れば少数であり、地域内のオーヴァードの生活支援──定期的な健康診断や講習会などが大多数なのだ。

 現に、事務員のひとり──“木漏れ日にある黄金レプラコーン桝谷ますたにキリコが対応している業務も、中学生オーヴァードが修学旅行に参加するに当たっての確認書類や必要手続きといった平和的なものだった。


 文章の入力を終え、眼鏡をデスクに置いて大きく伸びをする。それと同時にボタン糸が軋みを上げた気配を感じ、慌てて姿勢を戻す。目線を落とせば豊満な胸に内部から圧されたことで、シャツのボタンが半ば取れかけていた。

 

 「もう……、またキツくなったのカナ?」


 キリコは溜息を吐きながら、取れかけたボタンを指で抑え込む。指先が微かに発光し、無から生成された砂のような物体がボタン糸を纏うようにして修復していく。モルフェウス──物質錬成の異能シンドロームを持つキリコにとって、この程度は容易な作業である。


 (──まぁ、しかできないんですケドね)


 オーヴァードであるとはいえ、キリコはあくまで事務員バックスタッフだ。

 沙耶や隆文などといった戦闘員とは違って、行使出来る能力エフェクト簡易的イージーなものに限られる。これは別にキリコがオーヴァードとしては未熟と言う訳ではなく、UGNに所属するオーヴァードの四、五割くらいはこの程度の異能しか扱えないものなのだ。


 自分よりも歳下の子供達が命懸けで戦っている状況に思う所がないわけではないが、向き不向きというのは簡単に覆せるものでもない──家庭内害虫黒いアイツとの駆除たたかいですら満足に行えないキリコが、オーヴァード戦闘などこなせるワケもないのだから。

 自分の不甲斐なさにまたひとつ溜息を吐きながら、モニターに視線を戻そうとして。


──耳をつんざ警告音アラームが、支部内に響き渡った。


 椅子を蹴って立ち上がり、警告音の発信源である壁際の機械──UGN研究班Rラボが開発した最新式の対人無力結界探査装置ワーディングセンサーへと駆け寄る。モニターに視線を走らせ、ワーディングの発生地点を探して


 「なに、コレ……」


 ──発生源を示す赤点レッドポイントが、モニター全域を埋め尽くしていた。


 一瞬の放心の後、胸ポケットからスマートフォンを取り出して連絡先を選択。最初のアラームが鳴り終わるよりも早く、通話相手──支部長である沙耶へと繋がる。


 「“木漏れ日にある黄金レプラコーン”、状況の報告を」


 「N市全域に多数の──いえ、無数のワーディング反応を検知シマシタ! 発生源が移動しているコトから、その全てがオーヴァードであると推測されマス」


 機器類への注視を続けながら、状況報告を行う。無数の赤点はまるで樹液に群がる虫のようだ。頬に流れる汗を手の甲で拭いながらも、沙耶の返答を待つ。


 「……こちらでも“目視かくにん”できた。これは、間違いなくA級──いやS級の緊急事態だね」


 返答に混ざり、受話口から響く戦闘音。おそらく、沙耶はこの赤点の正体──ワーディングを展開するオーヴァード達と交戦しているのだろう。


 「支部所属の戦闘員の所在GPSを至急確認、担当区域エリアを設定して対処! それと同時進行で近隣支部に救援要請コールを飛ばして!」


 「了解デス!」


 対人無力結界探査装置ワーディングセンサーの注視を続けながら、指揮用端末を手元へ引き寄せる。沙耶の指示通りにGPSによって戦闘員の居場所を特定、近隣の区域を優先して移動命令を飛ばしていく。


 作業の中で、キリコはとある事態に気付く──モニターに表示される無数の赤点、その大多数が同じ場所を目掛けて移動していることを。

 すぐさま指先の動作タップでモニターを拡大、移動目標と思われる場所に視線を向けて


 「コレは……!」


 移動予測地点であるN市廃ビル郡南の区画に表示されるのは、戦闘員GPSの白点──N市支部のイリーガル“獅子心王コル・レオニス”志島隆文を示す光だった。


――――――――――――――――――――――――――――――


 最初に動いたモノは“影”だった。

 影が揺らめき、境界線を突き破るように黒い“腕”が飛び出す。力任せに大地を掴み、それを橋頭堡として自らの身体を世界へと這い出させる。


 その異形は黒いモヤのように不確かであり、それでいて人の形を模していることだけは理解できる。鼻も口もない漆黒の無貌、その中心に輝く瞳のような赤い人魂ひかり。歩行とともに揺れる両手には、ナイフのような鉤爪ツメがある。

 そして最大の特徴は、額の中央にそびえ立つ角。“影の鬼”とでも呼ぶべき存在が、隆文を取り囲むように立っていた。


 “影の鬼”の正体は不明。だが隆文は、鬼達から自身へと向けられる強い殺意を感じ取っていた。間違いない──コイツらは敵だ。

 一瞬の思考の後、鞄から遊無鉄刀ユナイテッドを取り出しそのまま抜刀する。引き抜いた本体を右手に、鞘は鯉口の付近を左手で握る──鞘と刀による変則的な二刀流の構えを取りながら、鬼達の懐へと飛び込んでいく。

 一対多数の戦いは、素早い立ち回りが重要だ。相手に先んじて動き、こちらへ向かってくる敵手の数を削っていく──仕留められる相手から確実に、だ。

 

 隆文の疾走に反応して、鬼達も動き出す。影の鉤爪を引き絞り、迎撃の構えを取る。想像よりも大分速い──単純な身体速度スピードだけではなく、隆文の攻め気を感じ取る反応速度リフレクションも。

 このまま攻撃を仕掛ければ攻撃に合わせた返し技を──所謂“後の先あとだし”を喰らう可能性がある。百分の一秒にも満たない時間でそう判断した隆文は、攻め手を変化させる。

 疾走を中断、前方の鬼の間合いの半歩外で急停止ブレーキ。緩急によりタイミングをずらされた鉤爪が閃き、隆文の眼前で空を切る──その隙を、隆文は見逃さない。

 未だ残る疾走による運動エネルギーを回転動作スピンへと変換、半身を捻りながらの切り上げで鬼の鉤爪を切り飛ばす。

 それだけでは終わらない。振り抜かれた右腕の遊無鉄刀ユナイテッドを追いかけるように隆文の左手が──そこに握られた鞘の先端スパイクが、紫電とともに鬼の胸部へと突き込まれる。


 空気を揺るがす放電音とともに吹き飛ぶ鬼の身体。その軌跡を見届けることもなく、道路を転がるようにその場から退避する。

 直後、一瞬前まで隆文が立っていた空間を影の爪が薙ぎ払った。先程の攻撃に合わせ、隆文の死角から奇襲を狙っていたもう一体の鬼の攻撃である。

 回避先の地面を蹴り上げ、跳ね起きる。追い縋るような鬼の追撃をしのぎを利用して斜め下へと受け流し、そのまま交差法カウンターめいた肘打ちを胸部へと撃ち込む。自身の攻撃の反動も利用した一撃を受け、鬼の上半身が弾け飛んだ。

 半身を失った鬼から油断なく距離を取り、周囲を見渡したところで


 「なっ……!?」


 ──隆文の目が、驚愕に見開かれた。

 先程、片腕を切り落とされた影の鬼が何事もなかったかのように立ち上がる──それだけではない。

 失われた腕が周囲の空間ごと歪み、奇怪な音とともにその形状を取り戻す。

 上半身を砕かれた方の鬼も、脚の動きのみで幽鬼のように立ち上がる。同じ様に欠損した上半身を“空間の歪み”が包み込む形で再生。さらに周囲に飛び散った影の肉片のひとつひとつが蠢き──それを核として、新たな影の鬼が複数体出現する。


 「──コイツら、本当にだっていうのか?」


 思わず驚愕の声が漏れ出す。

 これまで隆文が相対してきたジャーム達は、強力なかつ強靭な存在ではあったが不死身むてきではなかった。致命傷を立て続けに叩き込み、命を削り切ることで倒すことが可能な存在であった。

 だが、この鬼達は異能エフェクトによる延命とは異なる、世界法則に対する冒涜のような異質な現象。

 おそらくは、精神残滓エグゾースト・ロイス──ジャームが人間であった頃の記憶・精神の残骸がレネゲイドウィルスへと影響を与え、オーヴァードの異能エフェクトを逸脱した異質な能力を発揮する希少事例。


 UGNの研修で習ったその知識を思い出しながら、鬼達への対処法を模索する。

 精神残滓エグゾースト・ロイスは記憶の残滓という不完全なものを源とする故か、その能力に様々な弱点や条件が存在することが多いという。

 UGNの任務進行において、戦闘突入前に対象や事件の詳細調査を行うことが形式マニュアルとされている理由の一端である。ジャームの能力や事件背景バックボーンを確認することで、精神残滓エグゾースト・ロイスにも的確な対応が取れる可能性を高められるのだ。

 ──だがその手法は、既に戦闘が始まったこの状況下では不可能。ならば隆文に取れる手段は、不死シナズの鬼との果ての見えぬ戦いどろじあいの中でその謎を解き明かすか、あるいは──この場を切り抜け、UGNなかまと合流するしかない。

 支部長の沙耶は百戦錬磨じゅくれんのオーヴァードであり、レネゲイド関係の知識にも造詣が深い。この絶望的な状況を打開できる可能性があるとすれば、それは彼女にしかないだろう。


 一瞬の逡巡の後、左手に握っていた鞘をベルトに固定。空いた左手は遊無鉄刀ユナイテッドを握る右手の下に添える。突破力を重視した両手持ち──隆文が選んだのは『沙耶との合流』だった。

 不死シナズの鬼との長期戦を避けたかったのもあるが、何よりも彼女の身が心配だったからだ。人を喰ったような言動ばかり見せる彼女が、誰よりもUGNの理想に真摯なことを隆文は知っている。

 罪なき命を守るためならば、彼女は自らを盾とすることを躊躇わないだろう。自嘲えみを浮かべながら血溜まりに沈む沙耶の姿を幻視し、湧き上がる怒りと焦りを心の炎と変える。

 

 隆文の雰囲気が変化したことに気付いたのか、先んじて影の鬼達が動いた。

 全方位ニゲミチを封じるように、頭数に任せた包囲網が展開される。一筋縄ではいかない敵手の行動。多少の負傷は覚悟で、隆文は前方へと踏み出し


 ──刹那、眩い光が世界を塗り潰した。


 戦場を裂く白光。

 一閃、ニ閃、三閃──矢継ぎ早に繰り出されるが、影の鬼達を次々と両断。切り伏せられた鬼の躯体は地に落ちるよりも早く消滅──影の粒子となって散っていく。

 敵手を目指して光の刃は疾走する。軌跡を残しながら駆け抜けるその輝きは、まるで魂そのものが光を発しているようで──ただ、美しかった。


 最後の一体が崩れ落ち、光の担い手が──色素が抜けきったような白髪の少女が隆文へと振り返る。


 「──ああ、間に合った」



 「、そして……“”」


 

 血のような紅い隻眼ひとみを涙で濡らしながら、万感の想いを込めて少女は呟いた。 

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