シーン 6【ハジメテの再会】PART4

 ジャームとの戦闘が終わり、廃ビルは平穏を取り戻す──とは、当然ながらいかない。

 隆文と沙耶が斃した六体のジャームの死骸は変わらずに残っているし、戦闘の余波で破壊された床や天井部位などは数え切れない程だ。このまま二人が立ち去れば、如何に人気の少ないN市廃ビル群だとしても大きな騒ぎが起こってしまうだろう。

 よって、後始末──つまりは死体の回収と駐車場の修復が必要なのだが、隆文と沙耶のどちらの異能もそういった雑事には向いていない。その問題を解決すべく、沙耶は手慣れた様子で“ある会社”へと電話を掛けている。


 「もしもし、緑丸清掃株式会社さんですか? 家の前にを見つけたので、お掃除をお願いしたいんですけど」


 沙耶が芝居めいた口調で伝えているのは、当然ながら言葉通りの意味ではない。“野良猫の死体”──即ち、UGN内で使われる符牒アイコトバで“ジャームの死骸”。

 そして、電話先の緑丸清掃株式会社。これは東京に本社を置く清掃会社で──UGN内部においてレネゲイド事件の隠匿を担当する清掃局のカヴァー組織である。

 物品修復に情報操作、さらには目撃者の記憶処理などのスペシャリスト。彼女達の存在なくしては、世界に対してオーヴァードの存在を秘匿し続けることは不可能だろう。

 

 「ではでは、よろしくお願いしますね」


 いつも通りのマイペースな調子で通話を終わらせた沙耶が、にこやかな表情で隆文の傍へと戻ってくる。

 改めて、彼女を見てみると中々に酷い有様だった。セーラー服の腹部には大きな穴が空き、周囲の布地にはベットリと血が染み込んでいる。他にも袖やスカートなど、解れた痕や血が飛び散った場所が複数見受けられる。


 おそらくは、また彼女の得意戦術オハコ──防御・回避を放棄した捨て身の反撃を行った結果だろう。

 どのようなオーヴァードでも、接近攻撃の直後は隙が生まれる。そして侵蝕率しゅつりょくにおいてジャームに劣りがちなオーヴァードが、彼らに優れる点とはに他ならない──何故ならば、オーヴァードの所有する“リザレクト”は、高いレネゲイド活性率を維持するジャームでは機能しないのだから。


 それを考えるのであれば、沙耶の戦法は効率的であるとすら言える。無防備に攻撃を受けることによる痛みや恐怖といった感情論よわねを無視できるのであれば、戦いというジャンルにおける不動の必勝法メソッド──『長所つよみを押し付ける』を体現できるのだから。

 だが、


 「──少しばかり、じゃないか?」


 無意識に、隆文の口から沙耶への苦言が漏れた。直後、沙耶の表情が険しくなる。

 ──また、余計な事を言ってしまったと隆文は内心頭を抱える。だが、ここで止めると変な風に誤解されかねない。深く溜息とともに頬を掻きながら、説明を加えていく。


 「あー、何ていうか……沙耶の戦法アレは優秀だけど、今回は使わなくても良かったんじゃないかなって。格上相手に喰らい付くとかならともかく、のジャームならもっと丁寧に戦ったほうがいいんじゃないか?」


 弱冠言い回しがキツくなってしまった気もするが、これは隆文の率直な意見である。

 廃ビル群に潜んでいたジャームは、オーヴァードの領域を逸脱した能力も持たない──それこそ、オーヴァードに覚醒したばかりの隆文ですら用意に対処が可能な敵だ。N市支部の支部長であり、近隣支部において最強を謳われるという沙耶にとっては格下もいいところだろう。

 その程度の相手に“リザレクト”を前提とした反撃戦術を仕掛けるのは効率が悪い──負う必要のないダメージを負ってしまうだけではないか。


 「──だから、まずは攻撃自体を出来る限り受けないような立ち回りを……って」


 気が付けば、何とも言い難い表情を沙耶は浮かべていた。

 表情から彼女の気持ちを推し量るのならば、『何言ってんだコイツ?』とでもなるだろうか。怪訝そうな視線を向けられた隆文はたじろぎ、思わず視線を逸らす。


 おそらくは数秒ほど──隆文の体感時間では数十秒ほど──沙耶はじっとりとした目線を隆文へと向けていたが、やがて何かを諦めたように背を向ける。


 「ハァ……、とにかく今日の任務はこれで終わり。先輩はもう帰っちゃって大丈夫だよ」


 「あ、おう……」


 背中越しに、セーラー服の袖に納められた隻腕がひらひらと振られていた。

 隆文としては色々と言いたいことも残っていたが、これ以上沙耶の機嫌を損ねるのは避けたい。曖昧な表情を浮かべながら、足早に立ち去っていく。


 そうして隆文の足音も徐々に遠ざかり、ようやくの静寂が戻った駐車場の中で


 「──楽勝なワケないだろ、先輩」


 不機嫌そうに沙耶が呟く。その理由は明白──先程の隆文の言葉だ。


 今回駐車場で相対したジャーム達を、彼はと──初心者オーヴァードである自分ですら対処が容易な弱敵であると語った。

 だが、それは大きな認識違いだ。


 あのジャーム達はそれぞれが戦闘向けの異能エフェクトを発現しており、なおかつ簡易的ながらも連携すら行っていた──その戦闘能力は、並のFHエージェントすらも凌駕している。

 歴戦のオーヴァードである“その生に祝福をサダルスゥド”宇賀神沙耶だからこそ、三対一3on1の状況を覆すことが出来たのだ。一般的なエージェントであればジャームと同数、ないしはそれ以上の数で対応することが求められる難敵だろう。

 だからこそ沙耶も負傷リスクを恐れず、最も得意とする反撃戦法で彼らを迎え撃った。それは至極当然の戦略、非日常の世界においての常識的判断と言えるだろう。

 ──異常なのは、そんなジャーム達を単身無傷で鏖殺できてしまう志島隆文の方なのだ。


 隆文がオーヴァードに覚醒したのは数週間前。それ以降、彼が参加したオーヴァード戦闘は四回。その全てが、今回と同等──いや、今回を遥かに凌駕する戦闘能力を所持したジャームとの戦闘だった。それこそ、一般的なUGN支部において『数年に一度あるかどうか』という緊急事態の連続。

 歴戦のオーヴァードですら生命を落としかねない死闘の数々──素人同然のオーヴァードが生き残れる可能性などゼロに等しかった。

 

 ──だが、その全てを隆文は乗り越えた。

 

 万象を貫く投槍を放つジャームを。

 血濡れた獣の軍勢を率いるジャームを。

 世界に牙を剥いた雷光を纏うジャームを。

 ──その悉くを打倒してきたのだ。


 元々の戦闘才覚に加え、異常とすら言える激戦によって隆文の戦闘能力は成長し続けている──N市支部最強である沙耶に並び立つ程に。


 そんな状況でありながら、隆文の自己評価が低いのにはふたつの理由がある。

 ひとつ。参加した戦闘任務の数が少なく、沙耶以外のUGNエージェント──自身よりも弱いエージェントとの共闘経験が殆どないという理由。

 そしてもうひとつ。支部での訓練過程において、沙耶との模擬戦に負け続けているという理由。どうも隆文は実戦で本領を発揮するタイプらしく、訓練における動きや成績はと言ったところなのだ──単純に沙耶の対人能力が高いというのもあるが。


 「……ホント、先輩ってばなんなんだろうね? とんでもない事件ばかりに巻き込まれるのも、どんなピンチからでも巻き返しちゃうのも意味が分かんないよ」


 苦笑と溜息混じりで呟いて、ふとある言葉を思い出す。

 それはUGN内でまことしやかに囁かれる存在──あまりにも異質で、仮説か奇説としてのみ語られる伝説。異常確率を引き寄せ、感染者に数奇な運命を歩ませるという特異なレネゲイドウィルス。


 世界の命運すらも左右するという不確定な切り札ワイルドカード──“特異点シンギュラリティ”。


 「先輩が、“特異点ソレ”──なんてないよね。アニメじゃあるまいし……」


 軽く頭を振って、馬鹿げた考えを取り除く。

 そうこうしているうちに、入り口の方からエンジンの音が聞こえてきた。どうやら清掃局の局員が到着したらしい。


 「さて、どんな小言をぶつけられるやら……」


 溜息を付きながら、沙耶は入口へと向かっていく──戦闘以上に面倒な仕事の予感を感じながら。

 ──“特異点シンギュラリティ”などという妄想めいた仮説は、いつの間にか沙耶の脳裏からは消え去っていた。

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